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1:負けず嫌いと小さな少年
十五歳の春、まーくんは、僕が立つはずだった場所に立っていた。
「新入生代表、神崎 理人 !」
「はい!」
超満員の体育館の中心で立ち上がったのは、〝男〟とはまだとても呼べそうにない小さな少年。
綻びかけた桜のつぼみも慌てて顔を隠してしまいそうなほど凍てついた季節外れの空気が、しんっ……と静まり返った。
黒いフレームからはみ出るほどぶ厚い眼鏡をかけていて、小中学校でのあだ名は、問答無用で『牛乳ビン』
できるのは勉強だけで、運動なんて皆目ダメで、友達だっていなくて、猫背でオドオドしていて――大成 高校 に首席で外部入学してくるなんて、そんなやつに違いないと思っていたのに。
「なんか、想像してたのとだいぶ違うな……」
「すっげ普通じゃん」
「ていうか、イケメン寄り?」
「西園寺のやつ、ブチ切れてんじゃねぇの……?」
うっさい、聞こえてるよ。
下品なひそひそ話に本当にブチ切れそうになるのを、拳を握りしめてグッと堪える。
大成 高校は、都内随一の進学校だ。
私立の中高一貫の全寮制男子校で、中には親の金に物言わせて滑り込んだ生徒もいるだろうけれど、俗に言う〝お坊ちゃま校〟とは違い、文武すべてにおいて『実力主義』
だからこそ、外部入学生がうっかり新入生代表に選ばれてしまったりもするのだ。
この僕を差し置いて。
「でもさ、マジやばいんじゃね?」
「あいつ、西園寺と同じクラスじゃん」
「もしかして、わざと……?」
「バカ、成績順だろ」
そう。
実力主義の大成では、一年生のクラス分けは、入試の成績順。
だから僕は、特進Aコースに入れられた。
神崎理人に次ぐ、二番手として。
「……にしても、すんげー人だな」
「そりゃ、外部性が代表挨拶すんのなんて、大成の創立史上初らしいし」
「みんな気になって見に来てんじゃん?」
新入生以外の在校生にとって、今日は普通の平日。
うっかり生徒会役員にでもなっていなければ、嬉しい臨時休校だったはずだ。
それなのに今日は、用意されていたパイプ椅子が足りなくて、なんと立ち見席まで出ている始末。
「あいつ、イケメンだけどチビだな」
「俺の弟と同じくらいかも」
「すっげ細いし……」
背後で繰り広げられているうわさ話に気付いているのかいないのか、気がつけば、神崎理人の深緑色の背中は、壇上へと続く階段のすぐ下にまでたどり着いていた。
華奢な肩を一度大きく上下させ、ゆっくりと足を持ち上げる。
泡立っていた波が消滅するように、体育館の空気がピンッと張り詰めた、その時――
ズベッ。
ゴンッ。
二つの音が、立て続けに響き渡った。
不完全だった沈黙が、今度こそ完全な静寂になる。
ゴクリ。
誰かの喉が鳴った。
「……マ、マジか」
「すっげー音したぞ……」
「大丈夫か……?」
誰かがこぼした呟きがきっかけとなり、あちこちから漏れ出した囁きが、今度は大きめのウェーブになって広がっていく。
前方では、階段に両手をついて這いつくばったままの後ろ姿が、ぶるぶると震えていた。
ようやく我に返ったらしい教師の一人が駆け寄ろうとするけれど、たどり着く前に、長方形のシルエットがすくりと起き上がった。
そして、何事もなかったかのように歩みを再開する。
コトコトと上品な音を立てながら木の階段を上り、一礼し、演台の前に立った。
「暖かな春の風に誘われ、桜の蕾も開き始めた今日この良き日に、私たちは、大成高校の入学式を迎えることができました。このようなすばらしい入学式を……」
神崎理人の声は、体育館を真っ直ぐに横切った。
乱れていた全員の意識があっという間にひとつになり、壇上で一生懸命に言の葉を紡ぐ少年に注がれる。
彼は、まだ幼さの残る黒い瞳をキラキラと輝かせていた。
いよいよ始まる高校生活を待ちきれないといった風に少しだけ前のめりになりながら、抱負をひとつずつ言葉にしていく。
薄い唇の合間から覗く歯は白く、手触りの良さそうな黒い毛先が、ふよふよと揺れていた。
思わず、降参してしまいたくなった。
彼の放つ光があまりに眩しくて。
参りましたと、土下座したくなって、
でも、
僕は、生粋の負けず嫌いだ。
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