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12:怖がり天使と繋いだ手
「これは?」
「……」
「じゃあ、こっち!」
「……」
「これならどうだ!」
「……」
「もう、いったい何が見たいんだよ? ぜんっぜん決まらないんだけど!」
ムンッと頬を膨らませ、腰に手を当てた神崎が、ダンダンと足を鳴らした。
僕は、「はあ……」と肺の空気を押し出してから、頬杖をついていない方の手をひらひらさせる。
「だから、僕は最初からこれが見たいって言ってるでしょ」
親指と人差し指でつまみ上げたVHSがカタカタと乾いた音を立てると、神崎はぷいっと顔を逸らし、「うー」と唸った。
*
夏休みまで、一週間を切った。
今日から修了式までは、三者面談があるから午前授業だけだ。
外出している生徒たちも多いけれど、なにせ、外は夏真っ盛り。
ギラギラと輝く太陽を見て完全にやる気をなくしてしまった僕は、食堂で昼食を済ませた後、大人しく寮に戻った。
「ただいま」
返事がない。
部屋の中を見渡すと、ルームメイトは、ベッドの上でスヤスヤと寝息を立てていた。
神崎は、とにかくよく眠る。
朝寝、昼寝、夕寝、夜寝……あ、これは普通か。
食べてすぐ寝てしまうことも多いし、よく太らないな……なんて感心してしまうけど、出会ったばかりの頃より確実に目線が近づいているし、今がまさに成長期なんだと思う。
それにしても、間抜けな顔だ。
口は半開きだし、よだれの筋が光ってるし、制服のままベッドにダイブしたのか、白いシャツがくっちゃくちゃだ。
それに……あー、もう。
お腹、丸出しじゃないか。
「……あ」
できるだけ音を立てないように動いたのに、歴史ある床板は察してくれなかった。
ギイ、と響いた不吉な音が、神崎を起こしてしまう。
伸ばしかけていた手をずらして汗ばんだ前髪をかき上げてやると、ふよふよと漂っていた視線が僕の輪郭を捉えた。
「……おかえり」
へにゃりと曲がった唇から、へにゃりと言葉が漏れる。
「よく寝てたね」
「んー……体育、疲れたから……」
神崎はけだるげに身体を起こすと、うーんと伸びをした。
それでもまだ半分くらいは夢の中にいるんだろう。
瞬きのスピードが、ものすごく遅い。
「お昼ご飯、なんだった……?」
「冷やし中華」
「え、うそ。やった!」
寝ぼけ眼を一気に輝かせた神崎が、今すぐ部屋を飛び出して行こうとするのを慌てて止める。
せめて着替えてからにするよう言いつけると、神崎の唇がへの字に曲がった。
食堂にはもう生徒の姿がまばらにしか残っていなくて、神崎はちゃっかり残り物のデザートにありついていた。
律儀に僕に半分くれようとするからありがたく受け取り、和風の器に盛られた桃ゼリーをスプーンで一緒につつく。
「あ、美味しい!」
食事中の神崎は、ただでさえ実年齢に置いていない見た目年齢が、さらにマイナス5歳くらいになる。
それが食堂のおばちゃん達に大ウケで、なくなりかけた桃ゼリーがいつの間にか復活している――なんてことは、普通に日常茶飯事だ。
「そういえば、西園寺くんは今日どっか行くの?」
「行かない。暑いし」
「じゃあ、一緒に遊ぼ!」
二巡目の桃ゼリーを堪能しながら、神崎が前のめりに言った。
顧問が不在の部活は禁止だから、弓道部も練習がないらしい。
それなら、コンピュータ部の活動場所になっている視聴覚室も空いているはず――と、職員室で鍵を借りた。
目的はもちろん、映画鑑賞。
ビデオデッキをプロジェクターに繋いでスクリーンに映し出せば、即席映画館が完成する。
機械のセッティングを終え、僕たちは早速図書室に向かった。
映像コーナーに並ぶVHSを左から順番に物色していたら、なんとそこで、大問題が勃発。
見たい映画が、かぶらない。
*
「なんで嫌なの」
「だってそれ……出てくるだろ」
「何が?」
「おばけだよ……!」
実は僕が手にしているのは、井戸から出てきてズルズル這い回る髪の長い少女が話題になったあの映画。
絶対みんな一度は見てると思ったのに、神崎は見たことがないどころか、存在すら知らなかったらしい。
あんなに話題になったのに。
「だからいいんじゃん。夏と言えばホラーじゃない?」
それに今、選択権を持っているのは僕の方だ。
「いい加減、往生際が悪いよ。勝負に負けたのはそっちでしょ」
「しょ、勝負って言ったって、最初から西園寺くんが勝つに決まってるやつだっただろ! ずるい!」
「ずるいって……あのさあ」
この大問題が勃発した時、「じゃあスポーツテストの結果で勝負しよう!」なんて言い出したのは神崎だった。
すごいだろ、と見せびらかしてきた反復横跳びの結果は確かにすごかったけど、総合的には、もちろん僕の圧勝。
むしろ、そうじゃないと困る。
どれだけ体格差があると思ってるんだ。
「もう、時間の無駄だから始めるよ」
問答無用でVHSのケースをひっくり返すと、神崎はようやく静かになった。
パチンッと電気を落とすと、昼間なのに一気に闇が深まる。
さらに遮光カーテンを閉めれば、一瞬ここがどこなのか分からなくなってしまうくらい、映画館らしい空間が出来上がった。
傾斜しながら並んだ席の真ん中あたりに座り、息を潜めて始まるのを待つ。
やがて、おどろおどろしい音楽に合わせて、タイトルが表示された。
「ひっ……」
僕のすぐ隣の席が、ガタンっと揺れる。
目が合うと、神崎はわざとらしく咳払いした。
「そんなに怖い?」
「……別に」
怖いくせに。
「手、繋いでやってもいいけど?」
頬杖をついていない方の手を上向きにすると、神崎はまた「うー」と唸った。
引っ込めようとした手に、なにかが当たる。
見下ろすと、手のひらに僕のより一回り小さい手が重なっていた。
心の奥の方が、ものすごくムズムズする。
もしも弟がいたら、こんな感じなんだろうか。
「ぜ、絶対離すなよ……!」
鼻の頭がぶつかりそうな距離で、神崎が喚いた。
半泣き状態になりながらも、なんだかんだ付き合ってくれるところがいかにも彼らしい。
「はいはい」
ぎゅうっと力のこもった手を握り返し、僕はこっそり笑った。
ああ、僕もたいがい絆されてるなあ。
……なんて、思いながら。
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