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宇宙からの来客

 ランプが一つ灯るだけのほの暗い寝室に、荒い息づかいが響く。朧な光を吸い込むような褐色の肌と、光を弾く白い肌がしっとりと絡み合う。  美しいその対照に、ガラスの向こうからのぞき込む智也はため息をついた。 「んぁ、あっ、あうぅ……ッ!」  暗がりに溶ける黒い巻き毛がシーツの上で乱れ、同じ色の艶やかな肢体が仰け反る。激しい抽挿に、アルバは甘く懇願するような呻き上げた。  色素の薄い、優しい手がアルバに応える。 「あッ、はぅ、あ、ぁ、んッ」  白く繊細なブランの指はアルバの胸や腹を丁寧に撫でて下腹に下り、小振りの性器を握って扱き始めた。まるで、繋がった部分だけでは足りない、とでも言うように。 「んぁ、は……ふ」 「はう……っ!」  動きにリズムを合わせ、アルバは白い手に腰をすり寄せる。淫らな様に触発されたのか、ブランは手を動かしつつも、時折力強くアルバの奥深くを突いた。  ガラスが白くなるほど顔を近づけて、智也は無心で見守る。 「ひぁ、はふッ、ぁあ……っ!」  アルバが激しく身悶えた。次の瞬間、腹の上に雫が散る。同時にブランの背もビクビクと痙攣し、アルバの中に射精したのが分かった。 (あっ!!)  智也は拳を握りしめた。  シーツにぐったり身体を沈めたアルバを、ブランが優しく抱きしめる。微笑むアルバ。情愛に満ちた様を眺めていると、智也も胸が熱くなった。だが気を取り直し、急いでガラス窓から離れる。壁の内線電話に飛びついてボタンを押すと、相手は待ちかねていたのだろう、間を置かず応答した。 「た、たった今――、」  智也は受話器に向かい、叫んだ。 「交尾が確認されました!」  遡ること二ヶ月前。 「塚田くん、君にね、新しく来る動物の担当を任せたいんだ」  ここは国内でも有数の規模を誇る観光地、上山動物園。その新米飼育員である塚田智也は、上司である園長の言葉に瞳を輝かせた。 「えっ! 担当、ですか!?」  大切な飼育動物の担当を受け持つことは、飼育員の憧れだ。しかしベテランが多いこの上山動物園で、智也のキャリアはまだまだ浅い。夢が実現するのは、ずっと先のことと思っていた。  喜びを隠しきれない智也に、園長は温厚な微笑みを浮かべた。 「……とは言っても、一時的になんだがね。ただ、君たちにとっていい経験になるだろう」 「『君たち』?」  その時、二人が話している園長室にノックの音が響いた。 「ああ、柴崎くん。入って入って」 「失礼します」  園長の気さくな手招きに応えて部屋に入ってきたのは、智也の同期、柴崎涼だった。  園長は呼び出した理由を柴崎にも説明し、 「柴崎くんと塚田くんの二人で、やってもらおうと思ってるんだ」  と言った。 「はい」  柴崎は凜とした、よい声で答える。端正な横顔が智也の方を向き、軽く会釈を寄越した。それだけで智也は、どこか落ち着かなくなる。 (一緒に担当……。柴崎くんと……)  柴崎涼は、容姿端麗、性格温厚、仕事ができる上に人望も厚いという、天が間違って二物も三物も与えてしまったような人だ。しかも父親は起業家として著名な人物で、この上山動物園のオーナー企業の経営者でもある。  人づきあいが苦手、いわゆる陰キャのコミュ障を自負する智也にとって、柴崎涼は宇宙人同然の存在だ。同期でありながら、ほとんど話もしたことがない。  智也は椅子の上で居心地悪く身動きした。別に何も、後ろめたいことなどないのに。柴崎涼は智也のような人間に勝手に劣等感を抱かせ、勝手に萎縮させる天性の持ち主なのだ。 「あの。……担当する動物というのは?」  意気込んで前のめりになった智也と違い、柴崎涼は慎重な口調で園長に尋ねた。 「うん。実はさる筋から、珍しい動物をお預かりすることになってね……」  園長は眉を寄せ、何やら深刻な口調で答えた。どうも風向きが怪しい。 「さる、筋? 珍しい動物……?」 「ああ。君たちもニュースで知っていると思うが――。例の、惑星G38の件なんだ」  智也はハッと息をのんだ。隣で柴崎涼も目を丸くする。  惑星G38。それはつい最近、銀河系を遠く離れた宇宙の果てから、地球にコンタクトをしてきた星だ。  近年、僅かな間に地球と宇宙の関係は大きく変わった。米国が数十年ぶりに有人月面着陸を成功させたのを皮切りに、各国とも後れを取るまいと、宇宙での利権競争へ次々と乗り出したのだ。その結果、地球外知的生命体との接触も昨今は珍しくなくなった。  だが、G38からのアプローチに地球は大いに湧いた。各国メディアはこぞってトップニュースとして取り上げ、緊急国連総会が開かれた。なぜなら惑星G38というのは、それだけ特別な存在なのだ。  G38は、宇宙の慈善家として広く知られている。高度な技術文明と豊富な資源を併せ持ち、友好条約を結んだ星にそれらを惜しみなく与えるのだ。もしG38との友好条約締結が実現すれば、地球は現在抱えるありとあらゆる問題――エネルギーや食糧の不足、人口増加、国家間の諍い、疾病や貧困や格差などを一気に解決できる。国連はG38からの使節団受け入れを満場一致で決議した。  だが実際のところ、これまでG38と条約を結んだ星はごく僅かだ。G38は大きな博愛精神を持つだけに、交流する相手を慎重に選ぶ。彼らの援助に値する、知的で平和的な宇宙の民と認められなければ、条約締結は叶わないのだった。  現在、地球とG38の間では試験的な交流が行われている。各国を訪れる使節団の様子が毎日のように報道を賑わせていて、智也もよく目にしていた。 「交流事業の一環として、G38側からあることを提案されたんだ」  園長は神妙な面持ちで言った。 「G38に生息する、ある珍獣の番を地球に預ける。その動物を繁殖させて欲しいそうだ」 「ええっ?」 「この珍獣は、テリトリー内における知的生命体の精神状態を感じ取る能力を持っている。愛情や友好などのポジティブな感情を受け取った場合、それが彼らの神経系に作用して、繁殖を促すホルモンが分泌される。逆に憎しみや悲しみなどネガティブな心を感じ取ると、交尾を行わなくなってしまうそうだ」 「なるほど。つまりこれは、地球人へのテストというわけですね」  柴崎が思案顔で言った。 「その通り。我々地球人が彼らの恩恵を受けるに値する種族かどうか、見極めるつもりなのだろう。友好的で平和を愛し、謙虚で知的で紳士的、我欲に走らず他者の幸福を考え、自然の恩恵に感謝し、明るい心で向上心を忘れず、優しく強く、清く正しく美しく――」 「無理じゃないですか」 「地球人には」 「こらこら」  園長は二人をたしなめた。 「若いんだからそう簡単に諦めるな。G38に認められれば、大きな利益が」 「その発想が既にアウトでは」 「言うな。……つまりだ、無茶なことを根性論でどうにかするのは我が国のお家芸。そこでG20首脳会議で、我々に白羽の矢が立った、というわけだ」 「そんな無茶な……」  愕然とした智也を、園長がなだめる。 「なに、G38の説明によると、飼育は特に難しくないそうだ。物資の手配も政府とG38の方でやってくれる」 「珍獣というのはどんな動物なんですか?」  柴崎が尋ねた。 「それが……。G38には、『着いてからのお楽しみ』と言われたらしい」 「G38星人は冗談が好きなんですか?」 「分からん。だが、地球人には知的ユーモアが通じない、などと思われては大変だ」  園長は渋い表情のまま、智也に向き直った。 「というわけで……、どうかな、塚田くん」 「はいっ!」  智也は背筋を伸ばし椅子から立ち上がった。 「やります!」  ともかく、初めての担当なのだ。責任は重いけれど、嬉しい。断る理由などない。 「そ、そうか! 頼むよ」  食いぎみの智也に少々気圧されつつ、園長が笑う。 (ハッ!)  隣を見れば、柴崎も驚いたように目を見開いて智也の顔を見つめていた。 (しまった)  智也は赤面して俯いた。 (これだから僕は……)  空気が読めないと言われ続けて二十余年。 (また、恥ずかしい思いをしてしまった) 「柴崎くんは、どうかな」  園長が柴崎にも尋ねる。 「え、ええ。では……、お引き受けします」  柴崎は、慎み深く答えた。  こうして、番の珍獣は地球にやって来た。  到着の日。智也と柴崎、そして園長は、上山動物園通用門で来客を出迎えた。門前に止まったのは政府公用車の高級リムジンだ。助手席から降りた政府官僚が、VIPを扱う仕草で後部座席のドアを開けると―― 「……!?」  しなやかな仕草で車から降りたのは、見たこともないほど美しい少年たちだった。  年頃は、十代後半だろうか。二人とも小柄だが手足はすらりと長く、顔だけでなく体つきまで、まるで彫刻のようだ。  先に降りてきたのは、健康的なキャラメル色の肌に、ふんわりカールした黒髪の少年だ。同じ色の大きな瞳が、好奇心旺盛な性格を表すようによく動く。瞬きするたびに、黒鳥の翼のような睫毛が羽ばたいた。  後から降りた方は、抜けるような白い肌と、光り輝く金色の髪をしていた。明るい緑の瞳で智也たちを見つめたかと思うと、慌てて顔を伏せてしまう。  二人とも、人間に見える。  尻尾と獣の耳が生えていること以外は。  黒髪の方には、その豊かな頭髪の間から、猫のような小さい耳がちょこんと生えていた。黒い短毛の尻尾をしなりと振る動きも、どことなく猫を思わせる。金髪の方は大型犬のような大きめの耳と、もふもふした白い尻尾。その尻尾を身体にぴたりと寄せ、半ば腿に巻きつけている。 「こちらが、アルバです」  唖然とする智也たちに、官僚は落ち着き払って紹介した。アルバと呼ばれたのは猫っぽい黒髪の方だ。三人に向かってにっこりと微笑む。可愛い。 「そしてこちらが、ブランです」  犬っぽい方のブランは、慌ててアルバの後ろに隠れてしまった。可愛い。 「G38よりお預かりした貴重な動物ですので、よろしくお願いいたします」 「こ、この方たちが、珍獣、なんですか!?」  園長が口をぱくぱくさせて尋ねる。 「そうです」  さすがエリート官僚ともなれば、多少のことでは動じないらしい。 「我々地球人類と似てはいますが、見かけだけです。言葉を話すこともできませんし、知能もそれほど高くないとのことです」 「そ、そうなんですか……」 「人間の子供のように世話していただければ大丈夫です。特別なことは必要ありません。毎日運動と日光浴をさせ、後はなるべく地球人と接触を持たせて下さい。食事も人間と同じになりますが、そちらは外務省の方でケータリングを手配してありますので」 「はぁ……」  てきぱきと説明する官僚に、智也は気の抜けた返事をしてしまった。たしなめるような咳払いをされて、我に返る。 (しまった。見かけはアレだけど、れっきとした動物なんだ。慣れない環境で神経質になっているはず。不安にさせちゃいけない!)  智也はきりりと眉を上げ、一歩前に出た。 「は、はいっ! 大切にお預かりします!」  思っていたのとだいぶ違う珍獣に戸惑ったものの、上山動物園では臨機応変に対応した。  小型動物用の園舎をあてがう予定を変更し、敷地内にある従業員用宿舎を利用することになった。元は社員寮で、今は飼育動物のお産がある時など、飼育員が泊まり込む時に使われている建物だ。  その中の一室、リビングに併設のキッチンと寝室からなる部屋に、急遽リフォームを行った。リビングの中央にガラスの仕切りを設け、玄関がある入り口側を智也たちの飼育員室、もう片側を珍獣の居室にする。寝室も、飼育員室側に接する壁に穴を開け、ガラス窓を作った。これでガラス越しに交尾の様子を観察できる。政府の手配で、家具も高級なものに入れ替えられた。  建物は高台にあるので、窓からの眺めも最高だ。上山動物園を取り囲む上山森林公園の豊かな緑を見渡しながら、智也は呟いた。 (よし。絶対に繁殖を成功させてみせる!)

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