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愛情の形
「ど、どうしてですか!?」
智也は思わず椅子から腰を浮かせ、園長に詰め寄った。
「繁殖には成功したのに!」
園長は、まあまあ落ち着いて、と智也をなだめる。
ついにアルバの妊娠が確認されたのは、数日前のことだ。
「おめでとう、アルバ。ブラン」
智也は瞳に涙を滲ませて二匹の手を取ると、震える声で吉報を伝えた。
「ちょっとちょっと、智也が泣いてどうするの」
アルバが笑った。いつもと変わらない飄々とした態度だが、尻尾の先が嬉しげに揺れる。ブランは照れて頬を染め、もじもじしながら俯いた。
アルバの出産(?)は、技術的な問題などもあるので、母星であるG38で行なわれる。なので智也たちの役目はここまでだ。繁殖成功の知らせは同時に、別れの時を告げる知らせでもあった。少しだけ寂しい皮肉だ。
その晩はちょっとしたご馳走とケーキを用意して、二匹と二人でささやかなお祝いをした。
「アルバ、ブラン、おめでとう! それから地球とG38の友情に、乾杯!」
涼がりんごジュースの入ったグラスを高く掲げ、皆で乾杯した。ともあれ、これで友好条約締結に向けて大きな前進だ。智也たちだけでなく、上山動物園の関係者はもちろん、政府も胸を撫で下ろしていた。
ところが。今日になって智也たちは、「地球との条約締結を見送る」という、G38側からの決定事項を園長に伝えられたのだった。
「いや、君たちの落ち度じゃない」
園長は二人をねぎらい、慰めてくれた。
「二人ともよくやってくれた。珍獣の繁殖だけが条約の条件だったわけじゃない。多岐にわたる審査で、最終的にそう決まったとのことだ」
「ですが、それはつまり、彼らは地球人を『交流する価値のない種族』と判断した、ということですよね……」
涼が項垂れる。
「さあ、どうだろうな。宇宙人の考えることなんて、見当もつかんよ」
園長は言った。
「とにかくそういうわけで、G38の使節団は早々に引き上げることになった。うちでお預かりしている珍獣も、今夜には――」
「今夜!?」
智也と涼は顔を見合わせた。
「ああ。急で悪いんだが、スケジュールの都合でな。残念な結果になってしまったが、最後までよく世話してやってくれ」
園長室を出て居室に戻ると、アルバとブランはリビングのソファにちょこんと座って二人を待っていた。
「……ぼくたちにも、連絡が来たよ」
アルバがぽつりと呟く。何らかの方法で、二匹はG38の担当部署と直接連絡が取れるらしい。
「こんな、急に……」
智也は力なく項垂れた。二匹に今度会えるのは、いつになるか分からない。もしかしたら、もう会えないかもしれない。G38は遠い。
しかしアルバは、涙ぐむ智也の胸に勢いよく飛び込んだ。
「ねえ、智也。皆でお花を見に行こうよ!」
智也を元気づけるように、明るい声で言う。
「え、お花?」
「うん。こないだブランはお留守番だったし、まだマンカイじゃないって涼が」
「ああ、桜のことだね」
最後の思い出に。そう、残された僅かな時間を、せめて楽しもう。智也は微笑んだ。
「じゃあ、皆で行こうか!」
ライトアップされた満開の夜桜に圧倒され、二匹はぽかんと口を開けている。
「ちょうどいい時期に来たね」
涼が言った。智也も、見慣れたはずの桜並木を新鮮な想いで眺める。
「そうだ! ねえ、来年も一緒に来ようよ。毎年地球に遊びに来れば――」
「それは、ダメなんだ」
智也の言葉に、アルバはそっと目を伏せた。
「ダメ……なの?」
「うん」
「……ねえ、アルバ。聞いてもいいかな」
智也は、気になっていたことを尋ねた。
「G38はどうして、地球と友好条約を結ばなかったの?」
「それはね。ぼくたちG38星人が、君たち地球人のことをとても好きになったからだよ」
桜の下で、アルバは穏やかに微笑んだ。
「……え?」
智也は首を傾げる。
「好きなら、交流すればいいんじゃない?」
「好きだから、対等でいたいんだ」
アルバはきっぱりと言った。
「対等?」
「そう。ぼくたちは地球人に有益な資源や技術を持ってる。持ってしまっている。条約を結んでそれを地球に差し出せば、どうなる? 君たち地球人は、自分たちの力で自分たちの問題を解決することを止めてしまうだろう」
「……!」
「ぼくらはね、君たちが自分の力で幸福になるところが見たい。そしていつか、君たちの庇護者でなく対等の友人になりたい」
智也の肩に、桜の花びらがひらりと落ちた。思わず顔を上げると、天を覆う桜の花が頭上に広がっている。
「本当に……地球の花はきれいだねぇ」
アルバはうっとりと花を見上た。
春の夜風が樹々を揺らし、ざわざわと音を立てる。アルバは駆け出し、舞い散る桜の花びらを追いかけた。くるくると踊るような姿に誘われて、引っ込み思案のブランも後に続く。風に吹かれ気紛れに舞う花びらを捕まえようと、二匹で掌を掲げてあちこち飛び回る。
その姿を眺めながら、智也はアルバの言ったこと考えてみた。正直、智也にはよく分からない。だがG38の決断は、彼らの考える親愛の形なのだということは理解した。
愛にはきっと、いろいろな形があるのだ。
(それなら、僕の愛は何だろう?)
ライトアップされて夜と溶け合い、薄紫に染まる桜が瞳に映る。
(僕はただ……、きれいなものがあれば、涼と一緒に見たいと思う)
智也の愛は、ささやかな願いだった。
智也は指先を伸ばし、隣に立つその人の、温かい掌に触れた。
「涼。僕、涼のことが大好き」
智也の言葉に、涼は驚いたように目を見張る。いつも言いたいことを引っ込めてしまう智也が、こんなにはっきり自分の心を言葉にするのは珍しいことだ。しかし不思議といつものように声が小さくなったり、震えてしまうことはなかった。
涼は優しく笑った。
「俺も、智也が好きだ」
智也の背に力強い腕が回される。
こうして、小さな言葉をひとつひとつ、積み重ねてゆく。その先に未来があるのだと、智也は思った。大切な人と同じものを一緒に見る、未来が。
小さな決意を形にしたくて、智也は涼の唇に軽いキスを落とした。
「と、智也?」
涼が頬を染める。
「智也と涼、交尾するの!? 今? する?」
アルバがひょこっとのぞき込む。
「アルバっ!」
「い、今はしないよっ!」
そうして二人と二匹は、声を上げて笑った。
「……うふふっ」
笑い声が、少しずつ遠ざかるように聞こえる。智也はハッとして二匹を見た。
「アルバ? ブラン?」
二匹は少し悲しげな顔で微笑んでいる。それで智也にも、別れの時が来たのだと分かった。
「そろそろ、行かなきゃ」
「あ……、アルバ。ブラン」
「涼と、智也、に、会えて――、よかっ、た」
ブランが、小さな声で言った。
「喜んだり悲しんだり、諦めずに頑張るところを見ることができて……、よかった」
アルバも言った。
智也にはやっぱり、胸に詰まるたくさんの想いをうまく言葉にすることはできなかった。だから代わりに二匹の手をしっかりと握った。涼も手を重ねる。言葉がいらない時もある。想いは二匹と二人の掌を通して伝わり合った。
「二人のこと、見てるよ。遠くから」
アルバが言った。
「いつか、また、あえる」
ブランが言った。
「う、うん。うん……」
智也は泣くのをこらえ、ただ何度も頷く。
とても悲しい。寂しい。別れは辛い。それでも、出会わなければよかった、とは思わない。
「元気でね、アルバ、ブラン」
涼が言うと、二匹は涙ぐんだままにっこりと笑った。そうして、並んで手を繋ぎ、こちらを真っ直ぐに見つめたと思った次の瞬間、二匹の姿はもうかき消えていた。
「あ……!」
智也は夜桜の上に広がる果てしない星空を仰いだ。だが都会の夜空には、申し訳程度の星が瞬いているだけだ。ここからG38は見えない。
それでも。この星をひとつひとつ数えるように、小さなことをひとつひとつ積み重ねていって。そうしたら、いつか届くだろう。遙か彼方から見守っていてくれる、友達に。
それまで――。
(僕はこの人と、ゆっくり歩いていくよ)
智也は星に向かって胸の中で呟いた。片手には、大切な人の温もりを感じながら。
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「交尾が確認されました」 完
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