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第1話

 9月に入り、朝夕はめっきり涼しくなり、上海でも、早くも秋の訪れを感じるようになった。  そして、9月は桜花企画活動公司(サクラ・イベントオフィス)にとっても、忙しい時期に入る。8月の夏休みを終え、日本企業が動き出す時期でもあり、時候が良いからと、中国や日本でのイベントも増えるからだ。  物語は、その少し前、8月下旬の桜花企画活動公司営業部の会議室から始まる。 「『老大昌(ラオターチャン)』は30の予定でしたけど、キャンセルが出て、50までいけるそうです!」 「『王家沙(ワンジャーシャー)』の詰め合わせは、20が限界で30は無理とのことです!」 「『マジェスティプラザ』、今からでもギリ20いけます!」  営業部各班の手の空いたメンバーだけでなく、普段は6階のオフィスにいる総務や経理の事務のスタッフまでが一緒になって、営業部の会議室は、今朝から大騒ぎになっていた。  ネット情報を確認する者、電話を掛けまくる者、上がって来た情報をホワイトボードに書き上げる者と、とにかく息を継ぐ間もないほどに全員が所属も関係なくドタバタとしていた。  今日は、9月の中秋節(ちゅうしゅうせつ)に用意する月餅(げっぺい)の予約締切日なのだ。  9月、旧暦の8月15日は「中秋節」だ。日本で言うところの「仲秋の名月」の日にあたる。  この中秋節には、中華圏では月餅(げっぺい)を贈り合う習慣がある。家族や親戚はもとより、職場や友人同士でも月餅を贈り合い、互いの家族の長寿と健康を願うのだ。丸い月餅には、家族円満の願いが込められている。  この日系の桜花企画活動公司でも、日頃付き合いのある関係各所や取引先に贈るのはもちろん、この習慣になれないクライアントが準備できていなかった時や数が足りなくなった時に、依頼に応じて供出する分も含んで、毎年100個の月餅ギフトを用意する。その年によって違いはあるものの、多少余った分は社内で分けることになるので、確実に「美味しい」月餅を手に入れるため、例年オフィスを上げての一大作業となるのだ。 「神降臨です!石一海(シー・イーハイ)くんが、ハーゲンダッツの交換券10枚ゲット!」 「おお!」  営業部5班の百瀬茉莎実(ももせ・まさみ)の声に、歓声が上がった。  ハーゲンダッツのアイス月餅は、若いスタッフの多い取引先や、月餅が苦手な日本人には一番の人気で、たまに余ると桜花企画活動公司の中でも争奪戦が起きるほどだった。 「『スタバ』は?」 「20確保しています」 「これでなんとか100になる?」  ホワイトボードを斜め見しながら、この作業のリーダーである、総務の(ホワン)部長が確認を取る。 「ええっと…はい。『老大昌』50にしますか?そうしたら120になりますけど」 「いや、例年通り100でいこう。よし、以上だ!」  黄部長がそう宣言すると、その場にいたメンバーは、ようやくホ~っと息を吐いた。予定の数の月餅は確保し、今年の修羅場は終わったのだ。  総務は非常勤の国際弁護士を除いた総手で参加し、経理部からも2人、営業部からはオフィス内に3名、実際に路面店で並んで予約券を受け取るのに2人が出ていた。会議室内のスタッフ一同、まるで戦友と呼んでいいような一体感が生まれている。 「良かったね~。これで今年も無事に中秋節を迎えられるね」 「一時はどうなるかと思ったけど、ギリギリでなんとかなったな」 「一海が朝から並んでくれたのも助かった~」  口々に満足げな言葉で、今日の勝利を味わっていた時だった。 「百瀬(ももせ)くんはいますか!」  突然会議室のドアが開き、百瀬の所属する営業部第5班の郎威軍(ラン・ウェイジュン)主任が声を掛けた。  誰もが振り返るような、整った顔立ちに、モデル並の均整の取れたスタイル、そして感情の読めない表情から、人間味が感じられない作り物のようだと、「人造人主任(サイボーグ・マスター)」と渾名されていたが、今はその顔に緊張が浮かんでいるのが一同に伝わった。 「有什么事吗(なにかあったのか)?」 百瀬が答えるより早く、黄部長が心配そうに訊ねた。 「…还不知道…(まだ分かりませんが…)」  黄部長に答えながら、郎主任は百瀬を見つけて頷いた。すぐに百瀬が立ち上がって主任の近くに駆け寄る。 「马上就要来通知了(間もなく知らせが入るでしょう)」  珍しい事に、「あの」人造人主任の美貌が、確かに歪んだ。 「高速で、部長たちの乗ったリムジンが事故に遭いました」  その一言に、全員が言葉を失った。  郎主任の言う「部長」が、営業の加瀬志津真(かせ・しづま)部長だと言うのは誰もが理解していた。  日本の経産省の官僚からこの桜花企画活動公司に転職して来た加瀬部長は、その手腕はもとより、人柄の良さというか、「人心掌握術」というものを身に着けていて、「人タラシ」と言われるほど、社内だけでなく、クライアントや関係各所からも慕われ、絶大な信頼も得ている。  それ故に、来月の日本の地方都市を紹介するイベントの打ち合わせに来る、日本人グループを自ら出迎えに行ったはずだった。  大きなイベントを前に、頼みとなる営業部長の事故の知らせに、オフィス内が動揺する。 「(もり)さん!社長に連絡!」  だが、すぐに反応したのは、やはり有能なことで知られる総務部の黄部長だった。同じ総務の森さんに指示を与え、振り返りざまに次の指示を与える。 「李茜茜(リー・シーシー)、6階オフィスに戻って、遊佐(ゆさ)部長と緊急対策室の設置用意!」  黄部長は、しっかりと郎主任と目を合わせて頷いた。 「対外的な対応は、6階で引き受ける。後は任せてくれ。営業部は、部長やクライアントの安否確認とその後の対応を頼む」 「分かりました」 郎主任はそれだけを言うと、百瀬を連れて営業部のデスクに戻った。

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