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第2話
今年の秋は、上海で中国企業向けに日本の地方都市の物産展が開催されるのを筆頭に、逆に中国の各都市が日本の旅行会社への誘致するプレゼンを兼ねた見本市などが予定されており、中国のバイヤーが日本へ、日本のバイヤーが中国へ来ることも多いはずだった。
日本の地方都市の魅力を中国人に紹介するという物産展は、いわゆる町興 しイベントに繋がるもので、日本の経産省や国交省、観光庁など政府のバックアップもある大規模なものだ。
それを受けて今日は、その下見と打ち合わせを兼ね、某地方都市の首長や地方議員、関係部署の役人や商工会の役員など、「ちょっと偉い人」が関西国際空港を飛び立ち、上海浦東国際空港に到着することになっていた。
その「ちょっと偉い人」のために、いつもであれば、百瀬 や石一海 などのいわゆる若手の下 っ端 が行く空港送迎に、営業部長がわざわざ出向いたという訳だ。
営業部第5班のデスクに向かいながら、百瀬はチラリと郎 主任の様子を窺う。小柄な百瀬から180㎝超えの高身長の郎主任を見上げることになるのだが、主任は気付いていない。
どんな内容で、どういうルートで事故の情報が入って来たのかまだ分からないが、人造人と揶揄されるほどの郎主任が、明らかに動揺を目の色に見せていた。
「詳しくは、残っている3班の陳霞 さんに聞いてください。連絡は同行したアンディからです」
言いながら郎主任は外出の準備を整えていた。
「私は現地へ行きます。営業部の各主任には今メールを送ったので、折り返し問い合わせが来ると思うので対応をお願いします」
「沈着冷静」という言葉がイケメンになって歩いていると、いつも郎主任を評していた百瀬だが、今の上司の様子が心配になる。
「主任!一海 を現地に行かせます。一海には現地で連絡係をしてもらいますから、主任は病院で部長の付き添いをお願いします!」
たかが契約社員でしかないはずの百瀬の指示に、一瞬、郎主任は不思議そうに彼女を見た。
「私は…」
プライベートでの部長と主任の関係は秘密のはずだが、長い付き合いの営業5班のメンバーは薄々気付いていた。そのことで気を遣われたと思った郎威軍は、複雑な思いで彼女の申し出を受け入れることをためらった。
「部長は中国語が話せません!病院で各自の症状や保険の手配など、複雑な通訳は主任の方が相応しいと思います。一海には私が専属で連絡を取り続けます」
彼女が継 いだ一言で、郎主任は自分の考えすぎだと気付いた。
「アンディから連絡で、全員同じ搬送先だそうです」
電話を取った陳霞の一言で、こんな問答をしている場合では無いと、郎主任は我に返った。
「ここは、馬宏 主任が戻るまで、百瀬に仕切りを任せます。私はすぐに搬送先の病院に向かいます」
思い切ったように、それだけを言うと、郎主任は小走りにエレベーターの中に消えて行った。
「陳霞!」
すぐに百瀬のそばに、普段から気心の知れた仲である陳霞が駆け寄る。
「とりあえず、主任たちからの折り返しは、陳霞に任せる。私は一海を現場に行かせて…」
その時、月餅 騒動の片づけを終えた面々が会議室から出てきた。先ほどの勝利の笑顔は失われている。
6階のオフィスのメンバーは、持ち込んだノートPCやタブレット、資料などを抱えて慌ただしく階段へ向かっている。
営業部から手伝いに出ていた、3班の丁成元 と4班の林希美 も、百瀬のもとに駆け付けた。
後ろから厳しい顔つきの総務の黄 部長もやって来る。
言葉は無かったが、その視線だけで百瀬と他のメンバーは「大丈夫か?」「何とかね」と会話をする。
その間も、百瀬は石一海に、事故があったこと、すぐに現場に向かって欲しい事をメールしていた。
「百瀬。手伝うことは?」
黄部長が言葉少なく声を掛けると、百瀬は少し表情を緩めて頷いた。
「今、郎主任が病院に向かっています。加瀬 部長はじめ、クライアントの容態や、治療費の保険の事などで連絡が来ると思いますので、そちらは総務にお願します」
「当然だ。そういうことは任せてくれ。で、営業 は人が足りるのか?」
そう言って黄部長はオフィスに残っている営業部の面々を確認する。
そこに居たのは、月餅予約を手伝っていた5班の百瀬に、3班の丁くん、4班の林さん。あと は電話番に残っていた3班の陳霞の4人だけだ。
間もなく外回りをしていた4班の張 くんも戻ってくるかもしれないが、これだけで、事故の様子を把握して、日本との連絡を取り合うことになる。
仕事の規模が大きい1班、2班は、今日も全員が出払っていた。
そうこうしているうちに、陳霞の方に主任たちから電話やメールが入り始めた。
「病院での様子が分かるまでは、こちらも日本へは連絡できませんから、しばらくは何とかなります。間もなく馬宏主任が戻られるそうなので、第一報は馬主任にお任せします」
陳霞のアイコンタクトで、丁くんと林さんは電話やメールの対応を手伝い始めた。
「分かった、とにかく人手が足りなくなったら、6階に知らせてくれ」
「はい。ありがとうございます」
答えながらも、百瀬は石一海からの電話を受けていた。
≪茉莎実先輩!事故ってどういうことですか!≫
すっかり動転した様子で、いきなり一海が電話の向こうで叫んだ。
「落ち着いて、一海。まだ詳しいことが分からないから、あなたに現場へ行って欲しいのよ」
≪部長やアンディ先輩たちは?≫
経験の浅い石一海は不安しかなく、泣きそうな声をしていた。
「連絡をくれたのがアンディ先輩らしいから、先輩は無事みたい。でも、クライアントの様子が分からなくて…」
百瀬はここで気付いて、近くにいた丁くんの袖を引っ張り、オフィスのモニター用のテレビを点けてくれるよう、身振りで頼んだ。すぐに察した丁くんも、ニュースチャンネルで事故の様子を探しながら、ネットの検索も忘れなかった。
「いい?とにかく一海は現場で状況を確認してきて。病院には郎主任が向かっているから、すぐに詳細は知らせてくると思うけど、クライアントの荷物とかの確保もよろしくね」
≪はい。とにかく、現場に到着したらまた連絡します≫
「うん、よろしく!」
百瀬が一海からの電話を切るなり、陳霞が報告する。
「出張中の1班折田 主任と2班深井 主任は帰って来られないけど、落ち着いたらでいいから状況は知らせて欲しいって。3班能見 主任は、あと1時間くらいで戻るって」
そこに4班の林さんが言葉を挟む。
「うちの馬主任もあと10分くらいでこちらに到着すると、今チャットが来ました」
取り敢えず今は、病院からの連絡を待つことしか出来なかった。
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