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第47話

「アンディ、ちょっと…」  デスクに座り、厳しい表情で加瀬部長は第5班のアンディを呼びつけた。 「はい、何ですか?」  何の警戒心も無く、アンディも部長のデスクに近付く。 「これは、一体どういうことなんや」 「え?」  1時間後、郎主任が定時出勤をすると、加瀬部長は不機嫌そうに自分のデスクで頬杖をついていた。 「?」  そんな様子を、少し離れたところで、立ち止って見ている郎主任の後ろから、声を掛けたのは、部下の百瀬と石一海コンビだ。 「おはようございます、主任!ご実家のほう、大丈夫だったんですね」 「主任!お疲れ様でした」  明るく元気な部下たちの声に、主任も笑顔を誘われる。  だが、すぐに部下たちも上司の元気の無さに気付く。 「あれ?部長、どうしちゃったんですか?」 「どこか、具合が悪いんでしょうか?」  ビックリした顔をして、百瀬と一海は部長の様子をうかがっている。そして、答えを求めるように、背の高い主任に視線を送る。  主任本人も、何を求められているのか察しているため、無表情ではあったが、期待に応えるかのように、部長に近寄った。 「おはようございます。何か、あったんですか?」  心配になった郎主任は、硬い表情で加瀬部長のデスクに近寄った。 「百瀬くんが…」 「はい?百瀬が何か?」 「何って、コレやん、コレ!」  そう言って部長が自分のデスクの上を指さした。  クライアントからのクレームか何かかと、部長の指先を目で追った主任は、意味が分からず、目を丸くした。 「え?」  そこにあったのは、デスクの上に無造作に置かれた、手のひらサイズに個包装された、なんの変哲もない月餅だった。 「それが、何か?」  意味が分からずに、優雅に首を傾げて、主任は部長の顔を不思議そうに見た。 「コレ、去年と同じヤツを1個やで?郎主任は3個も貰ってるのに!」 「はあ…。…で?」  ムッとした表情で椅子に、腕を組んでふんぞり返り、顎で月餅を示した。 「俺、部下に嫌われてる…」 「はい?何を言ってるんですか?」  あくまでも冷静な主任に対して、部長はもったいぶった口調で言った。 「冗談や、あらへん。百瀬くんは毎年、営業部代表の月餅配布係やろ?コレ、去年と同じのやん。それに、郎主任に3個あげるんやったら、普通は俺と2個ずつにするモンちゃうか?」  上司の愚痴を冷静に受け止め、分析し、主任はようやく理解した。 「たかが、月餅一つの事で、こんな風に、部下に文句を抱えて、朝から、落ち込んでいるのですか?」  確認するように、一言、一言、丁寧に区切って主任は部長に訊ねた。 「そやかて…。主任と俺で差をつけすぎやん」  子供のようなふくれっ面でそう言って、部長はデスクの月餅をもう一度指さした。 「コレだけやで~?」  不服そうな部長を慰めるように、たった1個の月餅を、主任は渋々手に取った。  その仕草を目で追い、悲しそうな眼をする部長に、どうしても合理的な納得が出来ない主任は、素早く自分のデスクに戻り、そこにあるペーパーナプキンごと3個の月餅を手に取った。   そして、その勢いのまま、クルリと身を翻し、部長のデスクに戻った。 「これで、よろしいでしょうか」  部長の前に、自分のために用意された3個の月餅を並べ、主任は冷ややかに言った。 「そんなに月餅に執着されているとは存じませんでした」 「あ!レアもの♪」  しかし部長は主任の皮肉を無視して、有名ケーキ店の数量限定の、希少な洋菓子風の月餅を取り上げた。 「月餅どうでした~?」  その時、何も知らない百瀬が、一海を従えて部長のデスクにやって来た。  そして、デスクの上の月餅に気付いた百瀬は呆れたように言った。 「やだ~。その月餅、部長が取り上げるんですか~?」 「コレ1個だけもらうだけやん」  不貞腐れたように、部長は口を尖らせた。  その姿を見た百瀬は、今度は急に愛想良く主任へ向き直った。 「じゃあ、冷凍庫に保管してあるハーゲンダッツのアイス月餅は、主任に差し上げますね~」 「?なんやって?」  百瀬の一言に、部長の顔色が変わった。 「今、何て言うた?ハーゲンダッツとか言わへんかった?」 「そうですよ。一番人気があって、社内でも争奪戦となる貴重なハーゲンダッツのアイス月餅を、部長のために、この私が確保してあるんですけど…」  ニッと百瀬が意地悪く笑った。 「そうなんだ~。部長ってば、主任からケーキ月餅を取り上げるんだ~。アイス月餅いらないんだ~」 「百瀬く~ん。俺は、前から君は仕事が出来る子やと思ってたんや」  拗ねていたはずの部長は、急に猫なで声になって、手にしたケーキ月餅を急いで主任の手に返した。 「聞いて、百瀬くん。俺、これ1個しかもらえへんかったし、みんなから嫌われてるんちゃうかなって心配してたんやで~」  甘えるように部長が言うと、百瀬と一海は顔を見合わせてプッと吹き出した。 「アイス月餅、前に1回だけしか食べたことないねん。気を遣ってもらって、嬉しいな~」 「一海が、頑張って並んでハーゲンダッツの月餅引換券を入手したから、たった1箱残った分を営業部が優先的に貰えたんですよ」  百瀬に言われて、一海は恥ずかしそうに笑った。 「石くん!君こそホンマに仕事が出来る子やと思ってた~」  思わず部長は立ち上がり、石一海の頭を、子供にするようにナデナデした。  その姿に、「アンドロイド主任」も表情が緩む。  部長を中心に、楽しそうにしている様子に、隣の第4班のベテラン、金梨華姐さんも笑いかける。  クライアントの元へ向かう、第3班の能見主任と陳霞も微笑ましく見守っている。  遅出で出勤して来た、第4班の馬主任と張勇も和気藹々とした部長たちの様子に、知らず知らずのうちに笑っている。  ふと郎主任は、この職場のアットホームな雰囲気に、中秋節の本来の姿を見たような気がした。 (家族…なんだな)  北京の実家にいるのも家族だ。  この職場のみんなも、今や家族だ。  そして…。  この場の中心にいる、みんなに愛される男こそ、本当の自分の「家族」になる人だ、と郎威軍は胸がいっぱいになった。  きっといつか、一緒に暮らす日も来るだろう。  こんな風に柔らかく笑う日々だけでなく、泣く日や怒る日もあるだろう。  それでも、この加瀬志津真となら、ずっと「家族」でいられるはずだと郎威軍は確信していた。 (だって、もう婚約したし…)  誰にも言えない秘密を思い出し、フッと形のいい口元を緩める威軍に、チラリと視線を送った志津真は、部下に気付かれぬよう、チャーミングなウィンクを送った。  2人きりの秘密を共有して、気持ちが揺さぶられるが、表情には出すまいと威軍は視線を逸らした。  何も変わらない。いつもと同じ日常が戻った。  けれど、その中に潜んだ秘密はとても甘美で、郎威軍は至福を感じていた。  来年もまた、「中秋節」に家族円満を願って、誰しもが祈りを込めて月餅を食べるだろう。   その時に、郎威軍の隣には、加瀬志津真が居るに違い無かった。 ~おしまい~

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