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第2章 街での暮らし ①

 異世界に来てから四日目、この日から海人の駐屯地通いが始まった。行きも帰りも基本的にはイリアスと一緒であるが、イリアスは馬に乗る。海人はその隣を歩いて通っていた。  一度、一緒に乗せて欲しいと言ったことがあるが、大人二人は馬への負担が大きくなるからダメだと断られた。海人の知っている想像の世界では、大人二人が騎乗して爆走していたから、可能だと思っていた。  海人の一日は半日が乗馬の練習、残り時間は駐屯地内を自由に歩き回っていた。急に現れた客人ではあったが、辺境警備隊の隊員たちは海人を快く迎えてくれた。それもここにいる隊長のおかげである。  初日、イリアスは隊員全員を集め、皆の前でこう言った。 「彼は私の客人だ。無礼なことはするな。特に身元の詮索をすることは禁ずる。とはいえ、社会勉強のためにここに出入りさせるので、気遣いなどはしなくていい。いつも通り振舞ってくれ」  これが効いているようで、皆、気負うことなく話してくれるし、わからないことは教えてくれた。そして、どこから来たのか、ということは一切訊かれなかった。 『イリアスの客』とはどういう意味なのか。  これについてはシモンに尋ねてみた。街に出たとき、肉屋の少年と主人とのやり取りで似たようなことがあったので、気になっていたのだ。  シモンはそんなことか、と言った。 「隊長って貴族だろ。貴族の客人ってことは、貴族ってことだ。庶民ってのは、貴族と気安く話していい存在じゃないんだよ。ましてや庶民から質問するなんて、言語道断だ。隊員はみんな庶民だから、隊長の客ってことにしとけば、あらぬ詮索はしないってことだよ。貴族の不興なんて買いたくないからな」  説明は明快だったが、それだと海人は貴族と思われていることになる。 「どっちかっつーと、貴族よりももっと上の、どこぞの国の王族くらいに思われてっかもしれないな。黒髪珍しいし」  平然と爆弾を落とされた。 「王族⁉  おれただの庶民なのに!」  大きくなった海人の声を抑えるようにして、シモンは周囲に誰もいないことを確認した。 「前にな、領主様がお忍びの王族を預かったことがあったんだよ。あのときも社会勉強とか言っててさ。あとから聞いてびびったけど、俺らが普通にしてたのをずいぶんありがたがってくれてさあ。今回もそんな感じだって思ってんだろ」  海人は皆を騙しているようで悪い気がした。 「でもさ、イリアスが貴族って知ってる割に、みんなけっこう気安く話してない?」  上官に対しての礼儀はもちろんある。けれど、隊員達はそれだけではない親しみのようなものをイリアスに持っているように感じるのだ。 「まあ、隊長は変わってるよ。この辺境警備隊にも志願して入ったって聞いてるし。俺らへの接し方もこっち側に寄せてくれてるんだと思う。そういうとこ、他の貴族と全然違うよ。いいかカイト、あの人が貴族のスタンダードだと思ったら大間違いだぞ」  しっかりと忠告を受ける。イリアスは規格外、海人はインプットした。  でもな、とシモンは続けた。 「隊長は間違いなく貴族だよ。俺、前に貴族の夜会の警備をしたことがあったんだけどさ。そのとき隊長がその夜会に来てたんだよな。着飾った隊長見たのも初めてだったけど、振舞とかさ。俺の知ってる隊長と全然違うし。しかも俺、無視されるし。あのときは、本当にこんなとこにいる人じゃないんだろうなって、つくづく思ったよ」  シモンは少し寂しそうにした。 「けど、俺は貴族っぽくない隊長が好きだし、尊敬だってしてる。ここにいる奴らはみんなそうじゃないかな」  皆の思いを代弁したかのように言ったのだった。  シモンとの乗馬の訓練が終わると、厩舎で馬の世話をする人の手伝いをしてみた。  馬の汗を拭いたり、糞掃除もやった。これがまた結構な力仕事で大変だった。  他には外壁近くの雑草を抜いたり、厨房に行っては芋の皮むきをやってみたりと、何かを見つけては自分にできることを積極的にやっていた。  初めの頃、海人を高貴な人だと思っている駐屯地の人たちは、あんなことをやらせていいのかとイリアスに戸惑いがちに申告してきたという。その都度、イリアスが好きにやらせておけ、というので、内心ハラハラしながら手伝ってもらっていた。しかし、海人はまったく気取った態度をとらないし(庶民なので高貴な態度など取れないというのが実のところなのだが)なんでも請け負ったので、そのうち誰も気にしなくなったようだ。手が足りなくなると海人に手伝ってもらおうと、わざわざ探しに来る者さえいた。  一か月近く経つと、海人は厨房の手伝いをしていることが多く、料理に興味を持ち始めた。  イリアスの屋敷の食事をフルコースだとすれば、ここの食事は大衆向けだ。味付けも大雑把だが、それがまたおいしいのだ。  厨房には常時五、六人いる。邪魔にならないように近くで見ていると、料理に興味を持ってくれるのがうれしいのか、調理人たちは海人に香料などを教えてくれるようになった。そのうち、肉を切ったり野菜を切ったりと料理人見習いのようになっていた。街への買い出しにも付いて出るようになった。  強面の料理長に買い出しについて来るかと言われたときはさすがに迷った。街を歩くときは、イリアスかシモン、ダグラスが常に一緒だったからだ。一応、イリアスにダメ元で訊いてみたら、ひとりにならなければいい、と言われたので、嬉々として出かけた。  厨房にも馴染んだある日、いつものように昼食後の食器洗いをしていると、調理人たちが騒いでいた。 「勝ち抜き戦、やってるらしいぞ!」 「まじで!? 見に行くぞ!」 「俺は当番だから行けねえわあ」  落胆したのは一人。明らかに悔しそうである。  なんのことだろう、と思ったら近くにいた料理長が教えてくれた。 「隊員達が一対一で模擬戦をやるんだ。勝ち抜いたやつは、最後に隊長に相手をしてもらえるからな。皆、本気でやるから見応えあるぞ」  実力が物を言う試合だ。誰が強いのか見るのも面白そうだが、何よりイリアスが戦っているところを見てみたい。  海人はうずうずした。料理長ももちろんそれがわかったので、観に行っていいぞ、と言ってくれた。  隊員達の練兵場である広場に行くと、ひとつの試合に決着がついたところだった。  歓声が飛んでおり、緊張感たっぷりの試合というより、お祭り騒ぎだ。しかし戦っている当人たちは真剣である。剣技のみかと思いきや、魔法も使っていいらしい。  試合開始直後に魔法を繰り出す者もいた。だが相手から躱されると、隙をついて剣を弾かれるなど、魔法が使えるから有利というわけでもなさそうだった。  離れたところから見ていると、ダグラスが海人に気づき、呼んでくれた。イリアスも隣にいる。 「厨房はいいのか?」  隊員たちの試合から目を離さず、イリアスが言った。 「うん。料理長が見に行っていいって。こんなのやってるんだね」  二人の隣に座る。椅子などはないので地べただ。 「もうすぐ王都魔獣討伐の派遣隊員を決めないといけねえからな。これで若い奴の実力見てんだよ」  ダグラスが答えた。  ある時期になると魔獣は人里を襲い始めると、グレンが言っていたのを思い出す。人里を襲う前に魔獣のいる森に入り、討伐するそうだ。特に王都周辺は入念に行われる。しかし王都の警備を薄くすることもできないため、各地に支援要請がくるという。リンデの街の辺境警備隊も御多分に洩れなかった。 「まったくなあ。うちなんて少ない人数でやってんだから、王都も見逃してくれりゃいいのによ。ひとりでも欠けたら、すげえ痛手なんだからな」  ダグラスが愚痴を零す。  ひとりでも欠ける、それは討伐中に命を落とすこともあるということか。 「そう言うな。私が言うのもなんだが、ここの者達は練度が高い。易々とやられることはない」 「そうですがね。少数精鋭だからこそ、出したくないんじゃありませんか」 「私が行ってもいいが」 「隊長は来るなって言われてるでしょう。それに近衛騎士団に引き抜かれでもしたら困りますんで」 「それはないから安心しろ」  隊長と副官のやり取りを側で聞きながら、いろいろあるんだなあと海人は思っていた。と、ひときわ歓声が起こる。見るとシモンが出てきた。 「はは、あいつ愛されてんなあ」  ダグラスが可笑しそうに言う。  確かにシモンはよく先輩たちに小突かれたり、いじられたりしているが、シモンも嫌がっておらず、むしろ可愛がられていた。入隊してまだ二年の若手中の若手だ。 「シモンー! がんばれー!」  海人も声を張り上げると、シモンは手を振ってくれた。  相手はシモンより一回り年上に見える。勝敗は剣を落とすか、急所を押えられたら負けだ。攻撃は剣でも魔法でもどちらでもかまわないが、魔法が出ることはほとんどなかった。不思議に思って訊いてみると、 「魔法を出すには集中しなきゃならんからな。その時間を作らせないためにも、剣で攻める。接近戦で魔法を使うことなんて、ほとんどないんだよ」  ダグラスが教えてくれている間に、シモンが相手の剣を弾き、懐に飛び込んだ。どよめきが起こる。シモンの剣は相手の喉元に迫っていた。さほど時間もかからずに決着はついた。 「もしかして、シモンって強いんですか?」  試合では彼が一方的に押していた。 「まあな。ああ見えて十五歳で近衛騎士団に入ったくらいだ。実力はかなりのものだ」 (十五歳って、中三じゃないか!)  海人は驚いた。  シモンがやったぞー! と海人に手を振るので、振り返した。 「だったら、なんでシモンはここにいるんですか?」    当然の疑問に、ダグラスは肩を震わせた。 「あいつはなあ、隊長を追っかけて来たんだよ。二年くらい前だったか。王都魔獣討伐にな、隊長が参加したんだ。そんとき、隊長の強さに惚れ込んで、近衛騎士団辞めて来ちまったんだよ」  馬鹿だよな、と大笑いする。  ダグラスが言うには、地方を守る警備隊は近衛騎士団に比べて地位は低い。当の騎士団は入団するにも素養がなければ落とされる。  近衛騎士団は騎士の花形だった。ゆえに、多くの人たちはまず近衛騎士団への入団を目指す。だがせっかく入れた騎士団を一年で辞めたのがシモンである。 「あんときゃ、騎士団の奴らに恨み言を言われたな。将来有望な若者を取っちまったわけだからな。それ以降、王都魔獣討伐に隊長は不参加ってことになってんだ。シモンみたいな奴がまた出たら困るからな」  そうやって笑うダグラスもその昔、近衛騎士団にいたことがあり、王宮の警備をしていたという。  彼もまた花形の騎士団を辞めているのだが、ダグラスは元々リンデの出身であり、故郷に戻ってきた形だ。二十年以上も前の話だそうだ。  海人はそんな過去がシモンにあったとは思わなかった。だがその気持ちもわかる気がする。  圧倒的な強さに憧れを持つのは、人間誰しもあることだ。しかしそこで行動に移せるかどうかは人による。ダグラスの話だと、シモンは十六歳かそこらでイリアスを追ってリンデの街までやって来たのだ。辺境警備隊に入れるかどうかもわからないのに、その行動力はすごいと海人は素直に感心した。  その後も試合は順調に進み、シモンが三回出て、勝ったところでイリアスが立ち上がった。  どうやらシモンの優勝らしい。  沸き起こっていた歓声が静まる。隊長が出てきたからだ。皆がイリアスに注目する。  シモンが緊張した面持ちで、お願いします、と言うとイリアスが剣を抜いた。  海人は固唾を飲んだ。  審判が「はじめ!」と号令をかけた瞬間、シモンが風の魔法を放った!  風が起こり、空気が震える。  三回戦とも剣のみで戦っていたシモンが魔法を使ったことに、隊員達から驚きの声が上がった。  ところがイリアスは避けもせず、シモンに切り込んだ。シモンの魔法はイリアスに届く前に霧散したのか、金色の髪がたなびいた。同じく魔法で打ち消したのか、防御したのか。  正面からの魔法を諸ともせず、イリアスは剣戟を浴びせた。強烈な二戟を打ち込まれて、怯んだところに、イリアスが左手で魔法を放つ。  近距離で腹に打ち込まれたのを防ぐことができず、シモンは風圧に負けて後ろ手に転んだ。起き上がろうとしたところに、剣先を突きつけられる。  イリアスの圧勝だった。  地面に背中を着けて、シモンは顔を覆った。  イリアスが剣を納めると、ワッと歓声が上がる。隊長を褒め称える者もいれば、シモンを労う者もいた。  息を上げることもなく、戻ってきたイリアスにダグラスが苦笑した。 「もうちょっと相手してやってもよかったんじゃないですか」 「あいつはすぐ調子に乗るからな。実力差をわからせておくのも成長への道だ」  下手な手加減は本人のためにならない。 「それにしたって右手で剣を振られて、左手で魔法を打ち込まれるなんて、やられた方はたまったもんじゃないですよ」  ダグラスはシモンに同情した。魔法を発動するには時間がいると言っていたが、イリアスにはその必要がないのだろうか。  海人は彼が隊長をやっているのも、皆から慕われているのも、すべて実力なのだということを知った。 (ほんとうに、すごく強い……)  二人は隊舎に戻っていく。海人は彼らを見送った後も、イリアスの強さに胸の高鳴りが止まらなかった。

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