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― 跳躍と出会い ⑥
辺境警備隊が常駐している駐屯地は商業街の外れにあった。
街の外壁の内側にあり、隊舎、宿舎、厩舎と並んでいる。
門番がひとりいて、私服のイリアスに少々驚いたようだったが、かまわず敬礼した。
海人は後ろをついて行きながら、日本人の癖で軽くおじぎする。
隊舎に入るとすれ違う隊員達は姿勢を正し、道を譲ったが、それだけで声をかけてはこなかった。
階段を三階分あがり、木造廊下を進んで奥の部屋に向かう。
扉は開いていた。イリアスは中に入ったとたん、ため息を吐いた。。
「ここは私の執務室なんだがな」
執務机がひとつ、そこには誰も座っていなかったが、部屋には先客がいた。
応接用のソファで寛いでいる髭面の中年男と、さっき街で会った青年だ。
若い彼なんて、もぐもぐと何かを食べている。
中年男が渋い顔をして言った。
「いかんぞ、シモン。さすがに隊長の部屋で飯はまずい」
「ええっ! 副官が食べていいって言ったじゃないですか!」
上司の前で悪びれもしない二人に、表情の薄いイリアスもさすがに呆れていた。
「シモン。私はダグラスを捕まえておけとは言ったが、ここに来いとは言ってないぞ」
扉の近くで入っていいのか様子を見ていた海人をイリアスが手招きした。
「でもどうせここに呼ぶでしょう?」
「そうですぜ。我々は手間を省いたわけですから、褒めてくださいよ」
イリアスは海人をソファに座らせ、その隣に腰を下ろす。
青年は紙袋をつぶすと、立ち上がり、扉を閉めに行った。
それが合図とばかりに、ほんの数秒前までおちゃらけていた二人は、真顔になった。
深くソファにもたれて座っていた中年男は居住まいを正し、扉を閉めた彼は、中年男の後方に立って控えた。
その変わり身に海人は緊張した。
イリアスは静かに言った。
「彼の名はフジワラカイト。異世界から来た者、跳躍者だ」
彼らは耳を疑うようにして海人を見たが、何も言わなかった。
海人は、はじめまして、と小声で言った。
「カイト、この者はダグラス=ユーヴァ。ここ、辺境警備隊の副隊長だ。さっき会った後ろの者はシモン=パドル。士官ではないが」
一度言葉を切り、海人を見る。
「カイトがこの世界に来たとき、私と一緒にいた者だ」
「!」
街で会ったとき、見覚えがあるような反応を見せたのは、そのせいだったのか。
海人は、その節はお世話になりました、と言ったら、シモンは軽く口端を上げて、頭を下げた。
イリアスは続けた。
「跳躍者の存在は公にはなっていない。二人にカイトを紹介したのは、シモンはその場にいたから隠せなかったこと、ダグラスは私の副官だからだ。ダグラス、近衛兵をしていたときに、跳躍者の話しは聞いたことはあるか」
ダグラスは首を振った。
「王宮でそのような話は一度も」
上官に対してざっくばらんな物言いをしていたダグラスはどこへやら、至極真面目な顔をしていたダグラスが振り返りながら、。
「シモンはなんのことかわかるか?」
と問うと、彼もまた首を振った。
「この方が突然現れたときはびっくりしましたが、新手の魔法かと思っていました。『跳躍者』というのは聞いたことがありません」
ダグラスは続けて訊いた。
「誰かにこのことは?」
「言ってません。隊長から口止めされてましたから」
上官の執務室に勝手に入り、食事までしていた下っ端らしき青年だったが、忠誠心は厚いようだ。
ダグラスはうなずき、イリアスに向き直った。
シモンはたまたまその場にいたというが、海人はイリアスがこの二人をとても信頼しているのだと思った。イリアスは神妙に言った。
「跳躍者がなぜ公にされていないのかだが、それは彼らにしかない特殊な能力があるからだ」
海人は目を丸くした。そして心中、突っ込む。
(そんなものありませんけど)
だが次の言葉には目を剥いた。
「跳躍者は魔力を付与する力を持っている。事実、私は彼以外の跳躍者から魔力をもらったことがある」
「えっ⁉」
海人とシモンの声が重なった。
ダグラスはさすがとも言うべきか、驚きはしていたが、あからさまに顔色を変えるようなことはなかった。
若い二人は同時に叫ぶ。
「魔力の付与なんてできるんですか⁉」
「イリアス、魔法が使えるの⁉」
前者はシモン、後者は海人である。二人の言葉は重なったが、
ん? とダグラスとシモンが顔を見合わせた。
海人はおかまいなしに、イリアスに半身を向けた。
「おれ、魔法見たことない。見てみたいんですけど!」
小さな子供のように見せて、見せて! と目をキラキラさせた海人に、部下二人はイリアスを見た。
束の間、静寂が流れ、イリアスは胸のあたりに左手を上げた。
どうやら見せてくれるらしい。
上を向いた掌に注目すると、突然、拳大ほどの炎が生まれた。そして数秒後には跡形もなく消える。
初めて魔法を見た海人は感動の声を上げた。
「すごい! 手品みたいだ!」
率直な感想を言った海人だったが、その手品みたいな魔法を見て、部下二人はあんぐりと口を開けた。
海人は二人の様子を尻目に、イリアスに訊いた。
「魔法を使うのに呪文とかないんですね」
海人の知っている物語では、魔法は呪文を唱えると発動するのだ。
だがイリアスが見せてくれたときに言葉は発していなかった。
イリアスは唱えるものはないな、と言った。
海人はなんとなく残念だった。
(呪文唱える方がかっこいいのに)
と、どうでもいいことを思いつつ、海人はもうひとつ尋ねた。
「異世界人は魔力の付与ができるってことですけど……。だったらおれも魔法が使えるようになれますか」
海人の問いに、イリアスは魔法の仕組みから教えてくれた。
「魔法は地水火風の四属性の霊脈に干渉して、顕現させる。この霊脈に干渉できる力が魔力だ。干渉する魔力が多ければ多いほど、顕現させる力も大きくなる。つまり強力な魔法が使えるということだ」
ふんふん、と海人はうなずく。
「カイトはこの四属性の霊脈は視えるか?」
訊かれても、なんのことかわからなかった。
イリアスは海人を見た。
「霊脈はこの世界のどこにでも流れている。いまこの場にもある。だから魔法が使えたわけだが、この霊脈は魔力のある者にしか視えない。カイトが視えないということは、魔力はなく、魔法は使えないということだ」
魔法は使えない―
はっきり言われてしまって、海人はがっかりした。しかも魔力がないとまで言われた。
だが、それなら魔力の付与なんてできるわけがない。
もう一人の跳躍者アフロディーテと自分は違うのだろう。
海人はこの話は終わりだと思ったが、ここからが本題だった。
イリアスは部下の二人を見た。
「我々の世界にはこの地水火風の四属性の霊脈しかない。だが、カイトのような異世界から来た跳躍者は第五の霊脈を体内に持っている」
「⁉」
ダグラスとシモンが驚いたように、口が半開きになった。
「この跳躍者にしかない霊脈に干渉すれば、魔力が得られる。カイトに流れている第五の霊脈、二人は視えるか」
問われて、ダグラスとシモンが目を凝らすようにして見てくるが、ほぼ同時にため息を吐いた。
落胆している。
「誰でもというわけにはいかんのですな」
「隊長は視えるってことですよね」
「それよりおれはどういう干渉を受けるんですか」
それぞれが思い思いにしゃべるが、イリアスは海人の言葉を拾った。
「先ほど魔法を使う上で、詠唱文などはないと言った。だがそれは」
そこまで言ったとき、イリアスは急に黙り、扉に注意を向けた。
それを見て、シモンは大股で扉に向かって歩いていった。
開けると同時に声がする。
「おっと、シモンか。隊長はいる?」
「いますよ」
シモンが体を除けると、シモンより年嵩の隊員が海人を見るなり、慌てた。
「お客様でしたか。申し訳ありません」
「いや、いい。どうした」
イリアスの問いに隊員が答えた。
「デラクワ商会の女主人が、街を離れるので隊長に挨拶したいと来られまして」
「今日は非番だ。いないと言え」
冷たい声で取り付く島もない。
しかし隊員もイリアスの冷めた対応には慣れているようで、
「そう言ったのですが、隊長がここに来たのを見ていたようで。どうしても、と」
どうしましょう、と困り果てたように言った。
本来ならいないはずの人物、お断りの努力はしてくれたようだが、断りきれなかったらしい。
「わかった。会おう」
イリアスは仕方なしと言わんばかりに立ち上がった。
「少し待っていてくれ」
言い置いて、執務室を出ていく。
一階の応接室にお通ししてあります、と業務連絡がかすかに聞こえた。
イリアスが一時退室すると、残された部下二人は、声を揃えて叫んだ。
『まじか――‼』
ダグラスは項垂れ頭を抱え、シモンは顔を覆って空を仰いだ。
「⁉」
重なった声に驚き、海人は二人を交互に見た。
立っていたシモンを、ダグラスは隣に座るようソファを叩いた。
座ったシモンが嘆く。
「隊長のすごさはわかってたつもりでしたけど」
「ああ、あそこまでやべえとは思わなかったな」
海人はどうしたのか尋ねると、二人はよくぞ訊いてくれたとばかりに身を乗り出した。
「さっきの魔法だよ。隊長が見せてくれただろ」
シモンは海人に気安く話しかけた。海人も気にせず、
「それがどうしたんですか?」
と、首を傾げた。
ダグラスもまた、くだけた口調で説明してくれた。
「あのな、魔法っていうのはふつう、四属性のうちのひとつの属性しか扱えないもんなんだ」
「そうなんですか?」
「ああ。人それぞれ生まれつきの素質ってのがあってな、俺は火と土の属性が視えるが、使えるのは火属性だけだ。シモンはなんだったか」
「風と水が視えます」
イリアスは四つすべて視えているような口ぶりだった。
「四属性すべて視えることだけでもすげえのに、隊長は同時に二つの魔法を使ったんだ」
ダグラスが教えてくれるが、やはりわかっていない顔をした海人に、シモンが補足する。
「炎が出ただろ。そのあと、消えただろ。火属性の魔法を使って、水属性の魔法で打ち消したんだ」
「それってすごいことなんですか?」
『めちゃくちゃすごい』
また二人の声が重なった。息がぴったりである。
「魔法を顕現させるのに使う魔力量をまったく同じにしないと、きれいに打ち消すことはできないんだ。どっちかが大きすぎると、火は残るし、水は垂れる。同じ属性の魔法でも、干渉する魔力を一定にするっていうのは難しいんだよ。そもそも対照的な属性ふたつを使えること自体、ありえない」
シモンが頭をかきむしりながら説明してくれ、ダグラスが続けた。
「まさに神業だな」
イリアスはそんなに難しそうにやってなかったのにな、と海人は思った。
しばしば達人というのはいとも簡単にやってのけてみせるものだ。しかし実際は容易に見えるそれが、実はどれだけ高度な技なのかは、経験者にしかわからないものである。
魔法が使えない海人には、やはりそのすごさというのはわからなかったが、二人が打ちのめされているの見れば、余程のことなのだろうと思った。
ぐったりしている二人に掛けられる言葉もなく、海人が静かに待っていると、イリアスが戻ってきた。
彼は彼でそこはかとなく疲れたような顔をしていた。
それを見たダグラスがにんまり笑った。
「襲われでもしましたか」
若い上官をからかうように言った。
さっきの打ちのめされっぷりはどこへいったのか。
シモンも息を吹き返した。
「あの女主人、隊長に色目使ってましたもんね。お触りくらいされたんじゃないんですか」
確かにイリアスは若いうえにかなりの美形だ。領主の息子で、地位もある。男の海人ですらかっこいいと思うのだ。異性にモテるのも当然だろう。
軽口を叩いた二人に、海人の隣に座ったイリアスは恐ろしく低い声で言った。
「来季の魔獣討伐、二人だけで行くか?」
無表情というのがまた怖い。
調子に乗った二人はしまった、という顔をした。
場の空気が重苦しくなる。
海人はおろおろしてしまい、二人をフォローすることにした。
「ダグラスさんもシモンさんも、こんなこと言ってますけど、さっきまでイリアスのことすごいってずっと褒めてたんですよ」
「…………」
「えっと、火の魔法と水の魔法、ふたつ使えるのもすごいし、魔力のコントロールが神業だって」
海人が一生懸命、二人を庇って場を良くしようとすると、イリアスは小さく息を吐いた。
「カイトに感謝するんだな」
それが許しの合図だったようで、二人はホッと胸をなでおろしていた。
「さて。どこまで話したか」
イリアスが言うと、シモンは、第五の霊脈への干渉方法についての途中だったと説明した。
「そうだったな。それについては……後でカイトに話そう」
海人はそんな力があることは半信半疑だったが、何かの役に立てるならうれしいと思った。
話は落ち着いたかのように見えたが、ダグラスが目を光らせた。
髭を触りながら、イリアスに言った。
「我々のような第五の霊脈が視えない者にとって、彼はただの人ですが、視える者にとっては喉から手が出るほど欲しいでしょうな。存在が知られれば、拉致される可能性もありましょう。王宮にこのことは?」
「まだだ」
「いつまでも黙っているわけにはいかんでしょう。どうするおつもりですか」
イリアスは膝の上で両指を組んだ。
「カイトの希望は王宮にいるもう一人の跳躍者に面会することだ。いずれは伝える。だが、王宮に連れて行くなら、父上か私が同行しなければ無理な話だ。それが整うまで三か月かかる。その間、カイトを屋敷に閉じ込めておくわけにもいかない。正直、悩んでいる」
海人は自分が狙われるなどとは思ってもみなかった。
急に不安が沸き起こり、イリアスの横顔を見つめる。
窓の外で誰かが大声を上げている。応えるような声もした。
海人はうつむき、拳を握った。イリアスは考え込んでいるようだった。
不意にダグラスが思い直したように口を開いた。
「とはいえ、隊長のような化け物じみたのがゴロゴロいるわけではないですからな。警備隊の中でも魔力が高い我々二人ですら、彼の霊脈は視えない。よほどの人物と接触しなければ大丈夫でしょう」
ダグラスが海人を安心させるように笑い、その目をイリアスに向ける。
「隊長のそばにいるのが一番安全でしょうな。それなら駐屯地に来てもらうというのはどうですか」
ダグラスは提案したが、イリアスは首を縦に振らなかった。
すると、それまで黙っていたシモンが急に口を開いた。
「きみは何かしたいことはないの?」
人懐っこく話しかけられた。
(したいこと……)
尋ねられた海人の脳裏に浮かんだのは、馬に乗っていたイリアスだった。
これだ、と思った。
「おれ、馬に乗れるようになりたいです!」
海人が生き生きと答えると、ダグラスとシモンはにっこりとうなずいた。
ダグラスが言う。
「隊長。俺とシモンで彼の面倒をみましょう。乗馬の訓練もここでできますしな」
「ほんとですか⁉」
海人は声を弾ませた。
シモンは海人に近づき、よろしく、と握手を求めてきた。
「きみのことはカイトって呼んでいいの?」
「はい、シモンさん!」
「俺のことはシモンでいいよ。歳、そんな変わんないだろ」
「いま十七ですけど、あと二か月で十八になります」
「なら同い年だな! ため口でいいよ。堅苦しいの苦手だから」
「じゃあ、シモン。よろしく!」
がっちりと握手する。
決まったことのように隊長そっちのけで話を進めていると、イリアスはダグラスに言った。
「……世話をかけるが、よろしく頼む」
若い上官に頭を下げられ、中年の副官はなんの、と懐の広さを見せた。
話しが終わると、イリアスは海人を見た。
「昼がまだだったな。遅くなってしまったが、食べに出るか」
そういえば昼前にナンに包まれた肉を食べたきりだ。
衝撃的な話しばかりだったので、すっかり忘れていた。急に腹が空いてくる。
イリアスが立ち上がり、全員が執務室から出た。
先を行こうとしたイリアスに、俺らはここで、とダグラスが言った。
この二人は勤務中だ。イリアスは軽くうなずいて行こうとしたが、何かを思い出したかのように振り返った。
「シモン、おまえの属性魔法は風だったな」
「? そうですが」
突然どうしたんだと首を傾げたシモンに、イリアスは淡々と告げた。
「火を消すのに使った魔法はな、水だけじゃない。水の中に風魔法も入れてある」
「‼」
衝撃で固まったシモンにイリアスは止めを刺した。
「自分の属性魔法に気づかないのは問題だぞ。もっと精進しろ」
言って、イリアスは歩き出した。
海人はシモンが泣きそうなくらい顔を歪め、ダグラスが天を仰いで彼の肩を叩いているのを見たのだった。
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