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― 跳躍と出会い ⑤
翌日、海人はイリアスと共に街に出た。てっきり馬に乗って行くのかと思いきや、歩ける距離だという。あわよくば馬に乗せてもらえるかと期待したが、残念である。
道中、グレンに何を教わったのか訊かれたので、思い出しながら答えた。
ほとんどが地理と階級社会についてであり、特に貴族については、無礼な態度を取ると下手をすれば牢に入れられることもあるらしい。知らないでは済まされないということ、紋章などがあったら注意を払うことなどだった。加えて、わかったこともあった。
「おれはこの国の文字、読めませんでした」
イリアスが横を歩く海人を見下ろした。頭ひとつ分の身長差がある。
海人は前を見据えたまま言った。
「不思議ですよね。言葉は通じるのに」
イリアスは、そうだな、と呟いた。
彼の知っている跳躍者『アフロディーテ』から何か聞いてはいないのだろうか。
海人は彼女がどういう人なのか、気になって尋ねようとしたとき、街の喧騒が耳に届いた。
いつの間にか街中に入っていたようだ。行き交う人の多さとヨーロッパのような街並みに気分が上がる。
石畳が続く、石造りの街だ。露店も出ていて、買い物客が物色し、商人の呼び込みが聞こえてきた。
領主直轄の街、リンデである。
「すごい、にぎやかだ」
海人は目移りして、きょろきょろと辺りを見渡した。
「欲しいものは大体この街で手に入る。サウスリー領の中で一番大きな商業都市だ」
リンデの街は住宅街と商業街に分かれているという。イリアスは商業街を案内してくれた。
食材や衣類はもちろん、装飾品や工芸品など、生活用品の店がずらりと並んでいる。自然と歩を緩めながら見て回っていると、ふいに良い匂いに魅かれた。
匂いの元を探してみると、店先に焼けた肉の塊が掲げられていて、その肉を少年がそぎ落としていた。客もいる。しばらくすると客が包み紙を受け取った。店を離れながら、買ったばかりのそれにかぶりつく。ファストフードのようなものだろうか。
なんだかおいしそうである。
海人は立ち止まって魅入っていた。
「モンテの肉だな。食べてみるか」
「うん、食べたい」
敬語を忘れて海人は答えた。
イリアスが少年に二つ注文する。まいど! と威勢よく答え、慣れた手つきで先ほどと同じように肉を削いだ。ナンのような皮の上に野菜と肉が乗せられていく。その工程を見ながら、イリアスは少年に話しかけた。
「親父さんはいないのか」
少年は顔を上げずに、せっせとタレをかけながら、ナンを折る。
「買い出しに行ってるよ。すぐ戻ってくると思うけど。はい、お待ちどう! 五リルだよ」
二つの包み紙をイリアスに渡す。イリアスから硬貨を受け取りながら、少年は海人を見た。
ばちりと目が合う。
「兄ちゃん、珍しい髪の色だね。黒い髪なんて初めて見たよ。どこの国の人?」
いきなり話しかけられ、面食らった。十歳くらいの少年だが、店番をしているだけあって、コミュニケーション能力が高い。
なんて答えればいいのかわからず焦っていると、イリアスが口を出した。
「私の客人だ」
しかし、少年は首を傾げる。
「なにそれ。意味わかんない」
(おれもわからない)
海人も心中突っ込んだが、懸命にも口にはしなかった。少年が口を尖らせると、イリアスは無表情で言った。
「訊くなということだ」
海人の頭の中で「?」が飛び、少年も怪訝な顔をしたとき、横から大きな濁声が聞こえた。
「これはこれは、サラディール様! いつもご贔屓にありがとうございます!」
「おやじ!」
店の主人が帰ってきた。恰幅がよく、紙袋を抱えている。イリアスの顔を見て、うれしそうに顔を綻ばせたが、少年の不服そうな顔に、眉を潜めた。
「何かありましたか?」
荷物を置きながら、店の主人が尋ねる。
「いや、大したことではない。この少年が彼の髪が珍しいというので、私の客人だと答えたんだが、納得できなかったようだ」
イリアスに怒気はまったく含まれていなかった。ただ、淡々と会話の内容を述べただけだったが、店の主人は慌てふためいた。
「それはとんでもない失礼をしました! この子は先月雇った子でして、隣町から引っ越して来た子なんです。この街のことは、まだよくわかっておりませんで……」
汗を拭きながら、深々と頭を下げる。雇い主の親父さんの態度に、さすがの少年も何かを察したようで、青ざめた。階級社会のこの国では、貴族の不興を買うと否応なく投獄されることもあるとグレンが言っていた。それに触れるようなことだったのか。
海人はこの子がどうなってしまうのだろうと不安になってイリアスを見たが、当のイリアスは全く意に介してはいなかった。
「いい。よく教えてやってくれ。少年、名は」
尋ねられ、少年は恐る恐る答えた。
「ロイです」
「覚えておこう。最近仕事を始めたわりには手際が良かった」
ありがとうございます、と褒められた少年ロイではなく、店の主人が答えた。
イリアスが店を離れたので、海人も追いかける。
今のはどういうやり取りだったのだろう。身分制度のない世界にいた海人にはわからない。イリアスを見上げて訊こうとしたら、目の前に包み紙を出された。
「あの店の肉はうまいから、覚えておくといい」
海人に包み紙をひとつ渡すと、イリアスは早速食べた。海人は驚いた。
「なんだ?」
すぐに視線に気づき、イリアスがこちらを見る。
「あ、ええっと、なんていうか、貴族の人とかは食べ歩きなんてしないと思ってました。行儀悪いって怒るものだと」
海人は学校帰りによく買い食いをしていた。食べ歩きだってする。ただ、行儀が悪いこともちゃんとわかっていた。
「立ち食いくらいする」
イリアスが気にせず食べるので、海人は少しほっとした。おかげで遠慮なく包み紙を開けた。焼けた良い肉の匂いがする。
一口食べる。牛肉のような香ばしい味に、浸けられたタレがなんとも言えない旨さを引き出している。美味しくてイリアスを見上げると、彼が笑っていたかのように見えた。だが、真顔でかじっているので、気のせいだったのかもしれない。
二口目をかぶりついたとき、離れたところから呼びかけるような声が聞こえた。
「隊長―!」
声がした方向にイリアスが顔を向ける。前から若い男が駆け寄ってきた。
「珍しいですね、休みの日に街に来るなんて」
イリアスが着ていた隊服と同じものを着ている。年の頃は海人と同じくらいだろうか。腰に剣を帯びていた。
人懐っこい笑顔をイリアスに向けていたが、共にいる人物に気がつく。目の高さは海人より少し上だった。
「あれ、この方、もしかして……」
青年が次に何かを発する前に、イリアスが遮った。
「シモン、ダグラスは何をしている」
シモンと呼ばれた青年は海人から目を離した。
「副官なら休憩中ですよ。駐屯地にいると思いますけど」
「そうか。なら、おまえたちに彼を紹介したい。捕まえておいてくれ」
ついさっきまで軽い感じで話しかけていた青年は、ピッと背筋を伸ばし「承知しました!」と言って、今来た道を駆け足で戻っていった。
「あの人は?」
「ああ、私の部下だ。もう少し街を案内したかったが、会ってもらいたい者がいる。いいか」
海人に異論はない。
「どこに行くんですか?」
続けて訊くと、イリアスは片手で持っていた肉を食べ切った。
「辺境警備隊の駐屯地、私の職場だ」
食べ終わったイリアスは歩みが速くなる。
あの青年は彼のことを隊長と呼んでいたが。
置いて行かれないようにしながら、海人は先ほどのやり取りを踏まえた上で尋ねた。
「イリアスって、警備隊のトップなんですか?」
「そうだ」
「いま、いくつなんですか?」
「年のことか? 二十一だ」
「!」
若いとは思っていたが、思っていた以上に若かった。
海人はショックを受けた。二十一歳といえば、海人の世界では学生である人も多い。なのにその年ですでに部下がいて、この貫禄。これで年の差が四つしかないなんて、自分はなんて子供っぽいんだろうと、海人は手に残っていた肉を口に押し込んだ。
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