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― あれから半年 ⑦

驚き暴れる馬を御者が必死で宥めている。 イリアスの後ろについて海人も近づいた頃には馬が落ち着き始めていた。 海人は馬車の装飾を見た。紋章が付いている。乗っているのは貴族だろうか。 イリアスは御者に声をかけた。 「怪我はないか」 「は、はい。いったい何が……」 御者は二十代半ばくらいの若い男だった。何が起こったのかわかっていない顔だった。寒空の中、汗をぬぐう仕草をしている。 「驚かせてすまない。魔獣がこちらの馬車を襲おうとしていたので、魔法を使った」 「魔獣が……! そうでしたか。警備隊の方ですよね。危ないところをありがとうございました」 辺境警備隊の隊服を見ながら、頭を下げる。彼はイリアスのことを知らないようだ。 海人は意外に思った。リンデの街の商業街では、よく「サラディール様」と声をかけられているので、知らぬ者はいないと思っていた。 イリアスは特に気にした様子はなく、馬車の紋章に目をやった。 「ルヴェン家か。中の方は?」 御者はハッとしたように慌てた。 「そうだ! お嬢様‼」 馬を制御するのに精一杯で、中の人のことを忘れていたらしい。おっちょこちょいだ。 御者台を降り、馬車の扉を開ける。 「大丈夫ですか⁉」 御者が問うと、中からか細い声がしたが、何を言ったのかは聞こえなかった。 貴族の令嬢のようだ。海人は気になって覗き込もうとしたら、肩を摑まれ、イリアスに止められた。 海人は首をすくめて、大人しくイリアスの後ろに下がった。 令嬢の声を聞いた御者がイリアスに顔を向ける。 「お嬢様がお礼を言いたいそうです」 そして御者が手をひき、令嬢が顔を出そうとしたとき、イリアスが制止した。 「礼には及ばない。それに出ない方がいいだろう。魔獣はまだ近くいる。早々にリンデに入ることだ」 警備隊からの忠告に御者が震えた。令嬢の手を離し、中にいるようにお願いしている。 彼女も承知したようだった。イリアスは御者に言った。 「街まで送ろう」 「ほんとうですか⁉」 うなずきながら、部下の方へ振り返る。 「リカルド、ビッキー。頼む」 いつの間にかビッキーも近くに来ていた。 よほど怖かったのだろう、御者は何度も頭を下げた。 馬を取って来た二人は、リカルドが先導し、ビッキーが背後を守る形で街に向かった。 貴族の馬車を見送ったあと、シモンが荷馬車とイリアスの愛馬を連れてきた。 仕留めたダンピは食用魔獣らしい。荷馬車に乗せて持って帰るというので、海人も手伝った。 白い魔獣はペンギンのような体形で、ふっくらと丸っこい。大型犬くらいの大きさだ。 可愛く見えるが、やはり魔獣だと思ったのは、口からのぞいて見えた牙の鋭さだった。 食材を荷台に乗せながら、シモンが言った。 「ダンピって、こっちにけっこういたんですね。ルンダの森ではほとんど見かけませんから、意外でした」 「そのようだな。私も知らなかった」 四頭のダンピを乗せ終わると、イリアスは自らが作った土壁の後始末をした。 水の魔法を使って、土を洗い流す。それもまた見事だったようで、シモンの目に上官への敬愛が浮かんだ。 森の中で仕留められたダンピも運び込みたかったが、海人がいつまでもいると新たな魔獣が出て来る可能性もあったので、速やかに帰ることになった。 海人は荷馬車の手綱を取ると、シモンが横に乗って来た。 「魔獣、けっこう出てきてたけど、大丈夫だった?」 「ああ。ダンピはそんなに危険な魔獣じゃないから。噛まれないように気をつければいいだけだ。魔獣危険度ランクでいえば、『低』だ」 「そっか。ならよかった」 海人がにっこりすると、シモンは両手を頭の後ろで組んだ。 「しっかし、すごいな、魔獣ホイホイ」 「ん?」 「活動期でなくても魔獣が出てきてくれる~。これから魔獣討伐が楽になるな~」 シモンがおちゃらけて言うので、海人は苦笑した。 「役に立てたようで、よかったよ」 こうして、海人の初めての魔獣討伐同行は終わったのだった。

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