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 最初見たときの印象は「陰キャ」。その一言に尽きるなと感じた。  クラスにいた、休み時間にはいつも俯いて本を読んでいる地味なクラスメイト。しかも読んでいる本はライトノベルや流行している小説なんかではなく、小難しげな学術書や専門書のような本で、所謂オタクとも若干話が合わない。話が合わないどころか話しすらしない。下手をしたらクラス替えまで誰も彼の声を聞くことがないかも知れない。唯そこにあるだけの、いるだけの、空気のような存在。  大凡、こんなミラーボールが輝き、会話することを想定していない音量の音楽が鳴り響くような――クラブと呼ばれるこの場所にはいるはずがなく、いるべき存在でもない。格好だけは一丁前にクラブの正装をしているけれど、服に着られている感が否めない彼を見て、俺は顔を顰めるしかなかった。  周りの客のように踊り狂うわけでもなく、酒を呷るわけでもなく、かといってやましいことをしているわけでもない。リズムに合わせて様々な色の影を落とすコンクリートの床を眺めながら棒立ちをしている場違いな彼を指さし、俺はクラブのオーナーであるバーテンダーの男に向かって喚くように数秒前に言った言葉と同じ言葉をぶつけた。 「マジであれが「SHIKI」?」 「だからそう言ってんだろ」 「嘘だろ! SHIKIって……これだぜ!? これ彫ってる奴だぜ!?」  納得がいかず俺はオーナーに自分のスマートフォンの画面を見せる。某SNSに投稿されたとある画像。女性の背中を覆うように描かれた芍薬に牡丹、百合などの花々。リアルで緻密で瑞々しささえ感じるそれはSHIKIという彫師――タトゥーアーティストが彫ったタトゥーであった。他にも男性の隆起した腕に這う蛇や首元で漂う蝶。身体中に絡みつく薔薇などの作品をオーナーに見せる。  タトゥーなんてある程度パターンが決まっていて誰がどう彫っても同じだと思うかも知れないが全然違う。なんと説明して良いか解らないが、SHIKIの作品は一目でこれがSHIKIのものであるか否かが解る。どれだけ学がなくともこれらの作品が値をつけられないほどの芸術品で、彼が如何に才能を持ったアーティストであるかは明白であった。  タトゥーなんて全く興味が無い俺が、一目見ただけで「このタトゥーを彫った人間に自分も墨を入れて欲しい」と思ってしまうほどのインパクトと力がある作品を生み出せる。それが、SHIKIなのだ。  訴えるようにスマートフォンをこれでもかとオーナーへ突き出す。だが、彼は特に驚く様子もなく鼻で笑いながらグラスを磨き続けていた。 「みんな初めてあいつを見たときは同じ事をやるんだよ。そしてこう言うんだ」  俺の心を震わせたあの作品を描いたのがあいつのようなどこにでも落ちてそうな一般人な訳がない!  床を見つめながら手遊びをしている彼を指さしてオーナーはにたりと笑った。俺は腹の中が沸くような感覚に襲われながら上下の奥歯を擦り合わせる。オーナーにとってはここまでの反応がテンプレートらしく、にやけ面を貼り付けたまま彼は俺の目の前にグラスを置いた。そして見せつけるようにミネラルウォーターをグラスへと注ぐ。一瞬頭が痛んだが、俺は何も言わずにミネラルウォーターを仰いだ。  胃に水が潜り込んでくる。その温度がやけに冷たく感じられ、如何に自分が興奮していたかがわかって俺はオーナーから顔を逸らした。 「別にアーティストって呼ばれる人間がみんな奇抜で独創的でクレイジーな格好をしているわけじゃないさ。それに、大事なのは見た目じゃなくて腕だろう」  確かに俺が惚れたのはSHIKIの作品であってSHIKI本人ではない。SHIKIのタトゥーはどれもSNSで逐一チェックしているが、SHIKI本人の素性は一切知らなかったわけだし、不自然なほどにアーティスト名以外不明な彼を――実際に会うまでは男か女かすらわからなかったわけだが――特段不自然に思うことはない位に彼自身に興味は無かったはずだ。作品と作家が解離している事なんて、別に珍しいことでもないではないか。  わかってはいるのだが納得はしていない。彼は本当にSHIKIなのか。彼にタトゥーを入れて貰っても大丈夫なのだろうか。意図しない模様を彫られたり、変な彫り方をされて肌が異常に炎症を起こしたりしないか。せっかく電車を数回乗り継いでSHIKIがスタジオを構えているというこのクラブにまで来たというのに、何だか急に帰りたくなってきた。 「あそこで棒立ちしてるって事は、珍しく予約が入ってないんだろうな。早くしないと別の客に取られるぞ。あいつだって暇じゃないんだから」  俺が尻込みしていることに気が付いたらしい。オーナーはわざとらしく声を大きくして放った。すると、いくつか視線がこちらへ向いて直ぐに何処かへ漂っていくのがわかる。俺のように「実際店に行ってから運良く予約が空いていればタトゥーを入れて貰おう」と考えている人間が、この場に数名いるのだ。なんだかんだまだ腹がくくれていない人間が、俺以外にもいるのだ。  だが、そいつらは恐らく俺と同じく初見だろう。それなら、先程までの俺と同じくSHIKIがこのクラブのどこにいるかわからないはずだ。  俺は空になったグラスをオーナーの方へ押し返しバーカウンターから離れる。踊り狂う人達の間を縫って、脇目もふらず、一直線にSHIKIの方へ歩いて行った。  近づいてから、思ったよりタッパがあることに気が付く。俺が相手の頭上に陰を作る位の気でいたのに、いざ至近距離まで近づいて影が出来たのは俺の頭の上だった。頭一つ分くらい大きい彼の顔をのぞき込む。一瞬合ったのにもかかわらずオーバーに逸らす垂れた目を追いかけ、俺は声を振り絞った。 「あの、」 「……何」 「彫師のSHIKIさん……ですか」  やっとこちらに顔が向いた。先程まで何かに脅えるような、戸惑っているような視線の動かし方をしていた彼は、急に俺をまっすぐと見据える。何処か、何か既視感のある視線だ。なんだろうとしばらく考えて思い出すより先にSHIKIの口が開いた。 「客?」 「えぇ、まぁ……」 「わかった」  ゆらりと身体を左右に振り、彼は少しだけ背中を丸め気味にして歩き出した。 「来て」  後ろを振り返ることなど一切無く、代わりに手を振りながらついてくるように促す彼の後に続く。  クラブの奥にある廊下。傍から見たらスタッフルームに繋がる道にしか見えないその廊下に入ると段々とクラブ中を満たしていた音楽が小さくなっていくのがわかった。  俺達以外は誰もいない。まだ腹の中に僅かながらの疑いを抱いていた俺は――こんな治安の悪い場所だし、オーナーと他称SHIKIのこの男がグルで俺を騙そうとしているなんて事を考えていた――いつ殴られても脅されても良いように拳を握って歩き続ける。  だが、俺の疑念を無視して俺達二人はある扉の前に辿り着いた。

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