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 「colore」とネットで何度も見た店名が書かれたプレートがかかっているスライド式の扉。SHIKIがポケットから取り出した鍵で扉を開け、電気をつけると、クリニックの診察室のような部屋が現われた。だが、部屋に置かれている器具は病院のそれではないし、壁の一角に貼られている写真は大凡病院で貼ることを推奨されないものであった。  スタジオだ。タトゥースタジオ。  しかも唯のスタジオではない。壁に張られている写真、どれもに見覚えがある。一目でわかる。説明も確認もいらない。あれはSHIKIの作品だ。つまりここは正真正銘SHIKIのスタジオなのだ。  SHIKIの作品が生み出されているアトリエに、俺は本当に来てしまったのだ。 「思ったより綺麗なんですね、スタジオ」 「当たり前。人の身体扱う場所なんだから」  憧れの場所に来た。そのはずなのに、俺は大して感動も緊張もしなかった。もっと、ロックでお洒落なスタジオを勝手に妄想してしまっていたからだろう。彫師に続いてスタジオまで生真面目なご様子であることに落胆しきってしまっていた。  現実はこんなものだ。とりあえず、この人にタトゥーを彫ってもらえさえすればそれでいい。  ここまで来ると、俺はもうそう思えるようになっていた。  待合用と思われるソファに座らされ、紙が挟まれたバインダーとボールペンが渡される。 「注意事項と同意書。読んでよかったら一番下に日付と名前、住所と電話番号書いて」  真面目かよ。  何かあって訴えられたときなんかにこちら側が確認やら同意やらの上にタトゥーを彫ったことを記録するのが目的なのだろう。解ってはいても面倒くささと「硬い」という感想が先に立つ。スタジオといい、この紙といい――表情や容姿といい、全てに彼の性格が滲み出ているようだった。  字を読むのは得意ではないためとりあえず注意事項を流し読みする。タトゥーを彫る上での注意にデメリット。ネット上でも読めるようなことが事細やかに記載されていた。  頭が痛くなる。  俺はさっさと同意書とやらに必要事項を記載してSHIKIにバインダーを渡した。 「どこに何を彫りたいの」  やっと本題に入れる。 「一応、入れて欲しいのがあって、写真持ってきたんですけど……」  俺はスマートフォンを取り出すと画像一覧を開く。SHIKIのタトゥー画像を大量に保存していることがばれないように、目的の画像を素早く選んでからSHIKIにそれを見せる。  海外の男性アーティスト。ロックミュージシャンらしいこのアーティストのファンだとかではないが、腕に入っているタトゥーが俺にとってはかなり魅力的だったのだ。グッと尾を上に向けるサソリのタトゥー。  タトゥーは複雑になればなるほど時間がかかるし、何よりどう入れてもどこに入れても強弱は違えど「痛い」事には変わりない。だから初めは小さく簡潔なデザインで時間も痛みも最小限に済む物にすべきなのではないかと思う一方、別に入れたくもないデザインのタトゥーを入れて慣し、複数回にわたってまでタトゥーを入れる必要があるのだろうかとも考え、結局最初で最後、気に入ったデザインを入れてもらうことにしたのだ。  SHIKIにタトゥーを複数回入れてもらえるのは嬉しいが、フリーターの俺は金がない。故に何度もこのスタジオに通うことは出来ない。苦渋の決断だ。別に痛いことに対してびびっているわけではない。  俺は頭の中でこれからどれほどの痛みが自分を待ち受けているのか想像しながらそわそわと足踏みをする。彼は俺の事など一切気にしない様子で写真をしばらく見てから表情一つ変えず――無の表情のまま俺にスマートフォンを突き返した。 「最近この人と同じの入れる人多いね。人気なの?」 「マジで? うわぁ、人と被るの嫌だなぁ」 「人の真似をしたいのかしたくないのかどっちなのさ」  自分のリサーチ不足を痛感しているところに追い打ちをかけるようにSHIKIが言い放つ。クラブ内ではあんなにキョドっていた癖に、俺が客だと解ってから妙に高圧的というか物言いがはっきりとしてきた。少しムッとして眉間に皺を寄せると、SHIKIは肩をすくめて施術用のテーブルを指さした。 「安心して。適当にアレンジ加えてやるから」  指示されたとおりの場所に座り、まだだとは解っているが左腕をテーブルの上にのせる。チラリとSHIKIの方を見ると彼はジャケットを脱いでいる最中だった。きっとなよっとした身体をしているんだろうな。などと想像していたらその通りの華奢な身体が露わになる。と同時にタンクトップの下から腕が覘き、腕から背中にかけて黒々としたタトゥーが現われた。  なんの模様かは解らない。それが綺麗なのか否かすら解らないのにもかかわらず、彼の体にタトゥーが彫ってあるという事実だけで何故か背筋がぞくりとした。  部屋に備え付けてあったスピーカーからゆったりとしたテンポの音楽が流れ初め施術が始まる。ネットで画像は見ていたが大量の針が並べられると少しだけ肝が冷える。とにかく見ないようにと顔を逸らし、適当に決めた部屋の一点だけを見つめ続けた。  どのくらい時間がたっただろうか。やっぱりあまり痛くないと言われている腕でも十分痛いではないか。と痛みと同時に感じていた怒りが治まってきた頃、俺は「あの」と声を上げた。SHIKIは俺の腕を食らいつくように見ながら手を動かし続けている。果たして話しかけても良いのかと悩んだが痛みを和らげるためと口を開いた。 「それ、自分で彫ったんですか」 「師匠に、」  中途半端に言葉を句切って会話を止められる。 「お洒落ですね。どうして入れたんですか」 「自傷行為」  挙句、墓穴らしき穴を掘ってしまった。どういう返しをしたら良いか解らない。 「じゃあ、あんたから見たら俺らは痛いメンヘラ客なんだ」  冗談としては最悪な言葉を吐いてしまった。SHIKIが自傷行為としてタトゥーを入れただけでSHIKIがタトゥーを自傷行為と受け取っている訳では無い。そう思っているならそもそも彫師になんてならないはずだ。  自分の痛い言葉をどう取り消そうかと思っていたらSHIKIが静に首を振る。そりゃ、反論するわな。どんな言葉でも聞こうと目を閉じる。 「キャンバス」  人ですらなかった。  多分、SHIKIは会話をしたくないだけなのだな。俺はそれ以上何も言わず、またボーッと部屋の一部を見続けた。  機械的に、作業的に腕に墨が入れられていく。しばらくして治まっていた痛みがぶり返してきて、奥歯を噛みしめながらSHIKIの方を見る。キュッと唇を結んで真剣な眼差しで俺の腕を、そこに描かれていく一匹のサソリを凝視するSHIKIに、俺は何故か照れくささを感じながらも、結局それから最後までSHIKIの作業風景を見続けた。出来上がっていくタトゥーではなく、まっすぐなSHIKIの瞳だけを、見続けていた。 「はい、完成」  ぼんやりとしていた意識がSHIKIの声で急にこっち側へと戻される。そのままの勢いで腕を見ると、その上を這う立派なサソリが一匹いた。  黒々とした身体をどっしりと構え、毒のある尾を俺ではない誰かに向けて威嚇している。今にも動き出しそうなサソリはリクエストしたアーティストのものとよく似ていたが、あのタトゥーよりも遥かに素晴らしい出来映えであった。SHIKIの宣言通り、サソリの心臓の位置――丁度俺の黒子を囲むように光が溢れ輝いているかのようなアレンジが加えられていた。理科の星座を学ぶ授業の時にならった記憶がある。蠍座の心臓、アンタレス。それを現しているのだろう。よく見れば他の場所にも星と思われる円が彫られている。つなぎ合わせれば、蠍座の形が現われるのだろう。元案を崩さずに、綺麗に加えられているアレンジに、俺は声も出さずに腕を眺めていた。 「良い位置に黒子があったからアレンジ加えやすかったよ」  腫れが引いてかさぶたが取れたらもっと綺麗になるから。SHIKIからの言葉にさらにテンションが上がって雄叫びも上がりそうだった。  そして、ここでやっと――タトゥーを入れてやっと、俺は納得することが出来た。 「本当にSHIKIだったんだ」 「みんなそういう」  あきれ顔ではあるが、初めてSHIKIが笑ったのをみた俺は――きっと腕に掘られたタトゥーのせいで有頂天に達していたからだとは思うのだけれど、胸が高鳴ってどうしようもなかった。

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