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   目的は達成した。しかし作戦は終わっていない。  偽装はあと十数メートル、ホテルの部屋にたどりつくまで実行する必要がある。たとえそれが、スパンコールで飾られたイブニングドレスの裾をさばきつつ、ハイヒールで歩くということであっても。 「偽装は完璧に」これは〈スコレー〉のモットーのひとつ。入所した瞬間から叩きこまれる原則である。  遠夜(とおや)は首を軽くふって栗色のウイッグの毛先を払う。絨毯が敷かれたホテルの廊下は静かで、ハイヒールの踵も、隣を歩く男の革靴の音も飲みこんでしまう。両側の壁には凝ったデザインの照明が並んでいる。ビジネスホテルにありがちな籠った匂いもない。 「飲みすぎた?」  大神(おおがみ)が何気ない口調でたずねる。タキシードの上に仮装用のマントを羽織り、顔の上半分を隠す仮面をつけている。それでもいたわるような声はさまになっている。遠夜の顔もデザインの異なる仮面に覆われていた。ドレスの上半身は毛皮のケープに覆われ、腕や肩がむき出しになるのを防いでいる。  今宵は魔女が跋扈するハロウィンの夜だ。 「まさか」  遠夜はほとんど唇を動かさずに答える。大神は軽く肩をほぐすように軽くまわした。 「公使のパーティは気疲れするな」  遠夜の今晩の役どころはこの国に滞在している資産家の令嬢、大神は彼女の親しい友人を演じている。誰かに説明を求められれば、学生時代に出会った二人がパーティで乾杯している写真だの、そろって令嬢の父親と話している写真だのが取り出され、「父親」をはじめとした家族や「友人」がふたりの関係を証言するだろう。大神が演じる人格にも「フィアンセ」や「両親」が用意されている。〈スコレー〉は偏執的にプロフィールを作る。  遠夜がこの偽装を使うのは二度目だった。三度目は願い下げにしたいが、判断するのは遠夜でも、大神でもない。  仮面がお互いの表情を隠しているのがありがたかった。先日の任務のあと提出された大神のレポートは遠夜も読んだが、遠夜のレポートと同じく、出来事すべてが事細かく書かれているわけではなかった。それに大神はあの時、正常な感覚を失っていたはずだ。ろくに覚えてもいないという可能性はあるだろうか。  仮面ごしに知らぬ存ぜぬ。少なくともそのふりをする。スコレーで働き、作戦のたびに相棒(バディ)を組む間柄なら、その方がいい。 「ああ、ここだ」ロイヤルスイートの前で大神が仮面に手をかける。 「中まで付き添おうか? お姫様」 「フィアンセが誤解するわよ」 「たしかに」  遠夜が扉のロックに触れたとき、大神はもう歩き去っている。ふりむきたい衝動を遠夜はこらえる。  意識しすぎるな。あれはただの事故だ。  

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