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01-6.乙女ゲームのヒロインと遭遇する
食堂の階段を駆け下りていく。
先ほどアーデルハイトが走り去っていった姿を目撃した生徒も多くいたのだろう。彼女に続くかのようにダニエルとフェリクスが食堂を飛び出していく姿を目にした生徒たちの中では様々な憶測が流れる。彼らの手が繋がれていることに気付いた者も少なくはなく、ユリウスが食事をしているという理由だけで立ち入りが制限された二階で何らかの問題が発生したことに勘づいている者もいることだろう。
噂話は瞬く間に広がっていく。
信憑性がない話は目にも止まらぬ速さで人々の間を駆け抜ける。
ダニエルたちもそれには気づいていたものの、今、止まるわけにはいかなかった。
……アーデルハイトを追いかけるべきではないのだろう。
乙女ゲームの大まかな展開しか知らない。
頼りになるはずの前世の記憶はうろ覚えである。他人事のように感じてしまうのは乙女ゲームでの登場する回数が限られていたからだろう。
……それだけで物語を変えるのには十分なはずだ。
ダニエルは悪役令嬢の兄だ。
悪役令息といってもヒロインに恋をするわけではない。乙女ゲームではヒロインの前に立ちふさがる悪役の一人にすぎないダニエルの視点で語られた物語は存在しない。しかし、現実は違う。ダニエルも懸命に生き抜いている。
それならば、自分自身の安全を第一に考えるべきなのかもしれない。
悪役らしく家族も切り捨てしまえれば、彼は破滅をしないだろう。
……でも、それはできない。
アーデルハイトを見捨てる選択肢はなかった。
自分自身の幸せを後回しにすることもできない。
「ここまで来ればいいだろ」
勢いのままに食堂を飛び出した後、フェリクスは人通りの少ない通路に入る。ダニエルはそれに対して眉を潜めた。すぐにでもアーデルハイトを探しに行きたいダニエルとは対照的にフェリクスは目的を果たしたかのような表情をしていることに気付いたのだ。
「アーデルハイトを探しに行く」
「必要ねえよ」
「は? なに言ってんだよ。アーデルハイトは理不尽な目に遭ったんだ。慰めてやらねえと」
「だから必要ねえって言ってんだろ」
「なにを根拠にそう判断できるんだよ。俺はアーデルハイトを探しに行く。フェリクスは先に教室にでも行っていればいいだろ」
動こうとしないフェリクスの手を振りほどいた。
簡単に振りほどけてしまったことに違和感を抱いたものの、ダニエルはそれを追求する時間すらももったいないと判断をしたのだろう。アーデルハイトを探しに行く為、薄暗い通路を離れようとした。
「行くんじゃねえよ」
フェリクスはそれを許さなかった。
ダニエルの腕を引っ張り、壁に押さえつける。ダニエルが逃げ出せないように壁に自身の両腕をつける。身長差もあるからだろう。簡単には抜け出せない。
「話せよ。なにを隠してやがる」
「なにも隠してなんかいねーよ」
「嘘だろ。この前から行動がおかしいんだよ。隠せてると思ってんのか?」
「関係ねえだろ」
「は? 関係あるのに決まってんだろ?」
フェリクスの問いかけに対し、ダニエルは舌打ちをした。
今は言い争いをしている場合ではない。この間にもアーデルハイトは一人で悲しんでいるかもしれないのだ。兄として慰めずにはいられなかった。
「関係ねえよ。フェリクスは知らなくても問題ねえことだ!」
「やっぱり隠し事をしてるんじゃねえかよ! 言えよ、ダニエル」
「関係ねえって言ってんだろ!」
ダニエルはフェリクスの足を蹴る。
逃げ道が塞がれてしまっているのならば、フェリクスを退かせればいい。
「……そんなに俺に知られたくねえわけ?」
フェリクスの表情が曇る。
好青年として評判のいい穏やかな表情とはかけ離れているものだった。纏っている雰囲気は暗いものに変わっていく。その変化に気付いていながらもダニエルは眉間に皺を寄せる。
「俺の考えすぎだと思ってたけどさぁ。なんなんだよ、結局、女が良いってか?」
力任せに右手で壁を叩く。
思わず、ダニエルは動きが止まった。
「俺のことを好きって言ったのは機嫌を損ねない為か? デートの誘いに応じたのも? セックスに応じたのも? 俺のことを騙せるつもりだったのかよ」
「なに言って――」
「そうじゃねえなら隠し事なんてしねえもんなぁ?」
「おい! 話を――」
「ふざけんなよ、ダニエル。それで俺がお前のことを逃がしてやるとでも思ってんのか? お前が泣いて嫌がっても離してやったことなんかねえだろ。これからも何があっても逃がさねえからな」
話を聞く余裕もないのだろうか。
フェリクスは嫉妬をしていた。それは普段では滅多なことでは素直にならないダニエルの言葉に対して猜疑心を抱いていたわけではなく、ようやく、自分の腕の中に納まったと思っていた大切な人を掠め取られそうになった恐怖心によるものなのだろう。
距離を縮めていく。
そして、右手をダニエルの顎に当て、強引に視線を合わせる。
「なぁ、ダニエル。言い訳があるなら話せよ」
言い訳だと判断をした時点で無理やり口を塞ぐつもりなのだろう。
ダニエルは今までのフェリクスの行動を思い出し、そう判断をしていた。
「……異世界の聖女の話を、してただろ」
顎を掴むフェリクスの手を強引に引き離す。
話しにくいのだと言いたげな視線を向けたが、フェリクスには伝わっていないだろう。
「似たような夢を見た。最初はただの夢だと思ったが、どうやら、違うらしい」
……隠しておきたい内容でもねえし。
頭がおかしくなったと思われるような内容ではあるが、フェリクスならば、ダニエルのことを否定しないだろう。おかしくなったのならば好都合と言わんばかりに婚約を申し込み、嬉々として部屋に閉じ込めてしまう彼の姿を想像することができる。
「三年になって生徒会の役職を引き受けることになったことも、アーデルハイトが入学式の当日に平民と言い争いを起こすことも、朝食の席に平民が当然のように同席をしてくることも、全部、夢で見た通りのことだ」
「……それがなんだって言うんだ」
「異世界の聖女の存在は本物だ。その声を聞いたらしい平民の力も本物だ」
「だから、なんだって言うんだよ。本物だから? それで女に手を出した方が良いって判断したのか?」
「は? なんか勘違いしてねえか?」
「勘違いだったらいいんだけどなぁ。夢で見た通りのことが起きて、異世界の聖女が実在していることを知ったってことだろ? それが隠していることか? 他にもあるんだろ?」
フェリクスはダニエルの言葉を疑っている素振りはなかった。
いや、その内容に対して興味がないのかもしれない。
……フェリクスは俺の言葉なら信じてくれる。
もちろん、勘の鋭い彼は嘘を見破るのは得意だ。ダニエルの言葉を信じているのは本当の話であると見抜いているからだろう。
……これは、言っていいのだろうか。
自分自身の手を握りしめる。身体に力が入ってしまう。
フェリクスのことを疑うわけではないが、信じてもらえなかった場合を想像してしまう。その想像を振り切るかのようにダニエルは目を閉じた。
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