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01-5.乙女ゲームのヒロインと遭遇する
* * *
用意された食事の席につくと待っていたと言わんばかりに問題が発生した。
終始無言のままだった朝食の席に呼ばれてもいないのにもかかわらず、そこにいるのが当然のように振る舞うクラリッサが参加したのだ。先ほどまではアーデルハイトの意思を尊重するかのような言動をしていたユリウスが同席を認めたことが原因なのだが、ダニエルは恐る恐るアーデルハイトの様子を窺う。
さすが、悪役令嬢というべきだろうか。
魔物も大急ぎで逃げ出しそうな恐ろしい表情を浮かべていた。
「――それで、あたしは異世界の聖女様の助言を受けてここに来たんです! 聖女様は素晴らしいお方なのですよ? あたしが迷わないように導いてくださるんですから!」
……異世界の聖女か。
乙女ゲームの裏設定だ。ゲームでは選択肢に答えるという形でヒロインとして恋愛をすることができる購入者は、実はゲームの世界でも活躍しているという意味のない裏設定だったはずである。
しかし、実際、クラリッサには選択肢に答える購入者の声が聞こえているのだろうか。それを崇拝しているかのような言葉を口にしていた。
……露骨な行動をすれば相手にも筒抜けになる可能性もある。
「聖女候補がいるって聞いていたけど、君のことだったんだね」
「えへへ、実はそうなんですよ!」
「それは素晴らしいことだね。ぜひ、異世界の聖女殿による助言の内容を教えてほしいものだよ」
「んー……。聖女様に聞いてみますね!」
「よろしくね? 期待しているよ」
ユリウスはクラリッサの頭を撫ぜた。
その瞬間、気温が急激に下がっていくのを感じる。
……いやいや、まじかよ。殿下。
これがアーデルハイトを嫉妬させることが目的だったというのならば、兄としては腹が立つものの、目を瞑ることができる。それを許すか、許さないかを判断するのはアーデルハイトがするべきことだと理解者の真似をすることもできるだろう。しかし、見た限りはクラリッサの言葉に同調するかのような行動にしか思えない。
……無条件で好感度を上げすぎだろ!?
クラリッサも嬉しそうに頬を赤らめている。
反射的にフェリクスの様子を確認したところ、冷めた目をしていた。ユリウスに対する非難からくるものなのか、それとも、クラリッサに引いているのかわからない。
「……殿下は変わった趣味をお持ちでございますのね?」
アーデルハイトが重い口を開いた。
地を這うような声をしている。恋い慕う男性を前にしてみせる表情ではなかった。
「異世界の聖女というのは空想上の存在ですわ。長い歴史を遡っても誰一人としてその姿を拝見したことがございませんもの。その存在を騙ることは死を持って償うべき大罪だということは平民にも知れ渡っている常識だと思っておりましたのに」
「アーデルハイト様、ひどいわっ! 聖女様はみんなが幸せになる為にあたしに力を与えてくださったの! それなのに、そんなことを言わないでっ!」
「お可哀そうに。存在していない声が聞こえてしまうなんて、きっと、病気だわ。学院をお辞めになって入院した方がよろしいのでは? 平民には病院代は高額なものなのでしょう?」
アーデルハイトの言葉に対し、クラリッサは涙を流した。
それから隣に座っているユリウスに泣きつくように擦り寄っていく。
「う、ううっ……!」
泣きつかれたユリウスは困惑した表情を浮かべていた。
それに対し、アーデルハイトの形相はさらに恐ろしいものへとなっていく。
「泣く必要はないよ。君は正しいことを言っていただけなんだから」
……は?
ダニエルは耳を疑った。
婚約者のアーデルハイトではなく、入学したばかりの平民の少女を庇った。それは民を思う王族として相応しい行動だと判断をしたのだろうか。それとも、アーデルハイトの発言が間違っていると決めつけた上での行動だろうか。
「アーデルハイト、一方的な決めつけは止めるべきだ。君の物言いは他人の心を簡単に傷つけてしまう。彼女に対して謝罪をするべきだと僕は思うよ」
「殿下は平民の涙を信じると仰せになられますの?」
「もちろんだよ。民衆の為の王族だからね。彼女の意思は立派なものだ。それを一方的に否定することは誰にも許されないよ」
「……殿下。民の意思を尊重することと妄言に耳を傾けることは違いますわ」
「簡単に決めつけてしまうのは良くないことだと言っているのだけど。アーデルハイトには難しい話だったかな?」
アーデルハイトは黙ってしまう。
顔を真っ赤にして怒りを抑え込もうとしているアーデルハイトの視界には、ユリウスに守られることが当然だと言わんばかりに泣きついているクラリッサが入り込んでいる。それすらも憎くて仕方がないと言いたげな表情を浮かべるアーデルハイトの視線に怯えているかのように、クラリッサはユリウスの腕にしがみついた。
「見てごらん。怯えられているだろう? 謝ることができないのならば、他の席に移動をしてくれないかい?」
「なにを――!」
ユリウスのその言葉には、ダニエルも黙っていることができなかった。
思わず文句を言おうとしたが、フェリクスの左手に口を押さえつけられる。
「お構いなく」
フェリクスはユリウスに話を進めるように促した。
……なにを考えてやがる!
なんとか手を退かそうと抵抗をしているダニエルを抑え込み、苦しいと必死に訴えるダニエルの表情を見てもフェリクスは動じない。
「アーデルハイト、返事は?」
「同席を遠慮するべきなのは彼女でしょう。名誉ある魔法学院の入学が認められたとはいえ、平民は平民。殿下と同席をするなんて身分違いにも限度というものがございます。わたくしに対する侮辱の言葉も本来ならば罰に処するべきものですわ」
「そうじゃないだろ?」
「殿下の求めに対して応じるのが婚約者であるわたくしの役目ということは、重々承知しておりますわ。ですが、こればかりは応じることができません」
アーデルハイトは静かに立ち上がる。
それからユリウスにしがみついているクラリッサに視線を向ける。
「ベッセル公爵家は聖女の存在を認めませんわ。わたくしの機嫌を損ねたことを泣いて詫びても許されないことをしたのですから、そのくらいのことは覚悟をなさっていたことでしょうね?」
「あっ、あたしは、なにも悪いことをしていないわ!」
「ご自覚がありませんの? お可哀そうに。罰が下る頃には自覚されるといいですわね」
アーデルハイトが脅したかのようにクラリッサは震えだした。
それに気付いたユリウスはクラリッサを慰める。その一連の動作すらもアーデルハイトの怒りを煽るだけだということに気付いていないのだろうか。
「……殿下。また後ほど、お会いできるのを楽しみにしておりますわ」
アーデルハイトは背を向けて歩き始める。彼女の為にこの席を準備していたカティーナは慌ててアーデルハイトを追いかけていった。
「むごっ」
それが合図だったかのようにダニエルの口を塞いでいた手が外された。
「はは、変な声だなぁ」
「お前が急に離すからだろ!?」
「離してほしそうだったからなぁ」
「当たり前だろ! あーっ、くそっ。殿下、言いたいことは山のようにありますけど、今は時間がないので後にします! フェリクス、行くぞ!」
アーデルハイトを追いかけようとするダニエルの誘いに対し、フェリクスは当然のように応じた。ダニエルよりも先に立ち上がるとフェリクスはクラリッサを見下ろした。
「フェリクス! 時間がない!」
「わかってる。ちょっと話をしていくだけだろ」
「余計なことはするなと言ってるだろ!?」
「へいへい。ダニエルはすぐ怒るなぁ」
一人で向かおうとしないのはクラリッサとの接触を控えさせたいからだということにフェリクスは気づいていた。だからこそ、余裕そうな笑みを浮かべた。
「アンタたちの狙いがなにか知らねえけど、俺たちに関わってくれるなよ?」
その言葉に対し、クラリッサは驚いたかのように目を見開いた。
前世の記憶としての知識を持っているダニエルではなく、攻略対象の一人であるフェリクスからの牽制だった。
「フェリクス?」
「なんでもねえよ。じゃあな、ユリウス。大事なものを見失うなよ」
一方的な話だった。
歩き始めるとダニエルはフェリクスの腕を離す。それを待っていたかのようにフェリクスはダニエルの手を握った。
「……おい、なにをしやがる」
「手を握ってるだけだろ?」
「必要ないだろ!」
「必要だろ?」
「必要ねえよ!!」
「お前、すぐにどっか行っちまうだろ。手を繋いでねえと逃げちまいそうで嫌なんだよ」
所謂、恋人繋ぎと呼ばれている握り方なのは意図的なものだろう。
ダニエルはそれに気づいているからこそ、抗議の声をあげるのだが、フェリクスは手を離すつもりはないらしい。
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