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第1話 嫌われリリー

 僕は、世界一の嫌われ者で構わない。 「雪隆、ここにいたのか」  花園で少し休憩をしていたところだった。百合がとても綺麗だったから、書斎で書類達と睨めっこばかりをしていて、少し頭痛がしたから気晴らしにと思ったんだ。 「……兄さん、いらしてたんですか」 「あぁ。ちょうど見頃だな。百合。雪隆、悪いが、今週の金曜の予定はどうなっている? 特に突発的には、入ってきてないか?」 「……」  咲き誇っているピンク色の百合を愛でて、兄がふわりと微笑んだ。  懲りない人だ。 「金曜は生け込みがあります。搬入と。品川の方のホテルに飾るものです」 「いや、それはわかってる。搬入が終わった後だ」  わざと日中の予定だけを伝えてみたんだ。今日は……あぁ、水曜か。 「……いえ、他には特に。予定の変更も今のところありません」 「じゃあ、そのまま金曜の夜は何も予定を入れないでくれ」 「……承知しました」  兄の手にはスマホがあった。今から連絡をするんだろう。最近、ずっと入れ込んでいる誰かに。 「あぁ、そうだ。さっき成田(なりた)がお前のことを探してたぞ」  嬉しそうな顔をして屋敷の方へと戻ってしまった。  もう何度も痛い目をみてるのに、まだあの人は懲りていないらしい。何度も、何度も、そうやって悲しい気持ちに打ちのめされてるのに。  ――ごめんなさい。やっぱり、俺は。  そう言われて、何度も痛い思いをしているのに。  あの容姿だ。相手に困ることはない。けれど、その相手は毎回兄の「家」に困惑する。自分の生活が一変してしまうかもしれないんだ。無理もない。だんだんと深くなっていって、深くなればなるほど、それが真剣であればあるほど相手は怖気付いてしまう。そして、いつかはまたいつも通りに壊れてしまうんだ。「さようなら、もっと貴方にふさわしい人がいます」そう言われて。  そしてその度に傷つくくせに。  最近は諦めて、恋愛を自分から遠ざけていたのに。少し前からだ。週末、兄は誰かと会っている。 「……まったく」  また、傷つくだけなのに。 「はぁ」 「百合の中で憂いの表情ってやつか?」 「……」  屋敷の方からやってきたのは見知った顔。兄の幼馴染の成田環(たまき)。もう小学校からの友人だ。見た目もよく、凛々しい顔立ちに、モデルのような長身、人目を引く存在感。兄と並んでいるとよく学校で女子たちが嬉しそうに眺めてたっけ。 「なんだ。もう少し驚くかと思ったのに」 「……兄が環さんがいらしてると教えてくれたので」 「言うなよって言ったのに」 「……子どもですか? 驚きません」  兄が朗らかで優しい人なら、この人は自信家で、強気な人。兄が冷静沈着なら、この人は衝動的という言葉がピッタリくる人。あまり合わなそうなのに、どうしてか気が合うらしくて今でも親しくしている。 「今夜、空いてる?」 「……いえ、今夜はホテルで揚げ花があるので」 「揚げ花? あぁ、花の搬出か。その後だよ」 「……」 「ないなら、一緒に食事でもどうだ? どこのホテル?」  口元だけを釣り上げて不敵に笑う。 「日本橋の……」 「じゃあ、そこに九時」 「……」 「それじゃあな。それから、そんなところにいると日焼けするぞ」  長い指をひらりと仰がせて、初夏の風に黒髪を揺らした。 「え、あの、用事って僕にだけだったんですか?」  兄はこの人が俺に用事があるって。 「今、済ませたよ」 「は? あの、本当にそれだけ? 食事の事で?」  自信家で、いつでも強気で。 「あぁ、だって、お前、電話しても忙しいって出なさそうだから」 「……」 「出ないだろ? 電話」 「……」  とても衝動的な人。  ホテルの花を撤去し終えたのは九時すぎだった。少し作業が手間取ってしまったんだ。バタついてしまった。だから、もうあの人は帰ったかもしれない。忙しい人だから。  わざとじゃない。本当に遅れてしまったんだ。 「よお、お疲れ」 「……」  でも、いた。  僕が今、仕事をしていたホテルの上階にあるレストランにまだいてくれた。まるで雑誌のポートレートかのように、窓の外に広がる夜景を眺めてる。 「もう、いないかと。お暇なんですか?」 「暇なわけないだろ。忙しいよ」 「なら」 「食事は? 腹減ってるだろ? それから酒はワインでいいか?」  言いながら、こちらへメニューを差し出し、何か食べたいものは? と、尋ねてくる。ヘトヘトに疲れている僕はとにかくなんでもいいからお腹に入れたくて。 「お待たせしました」  運ばれてきたのは僕の好きなものばかりだった。でも、まだ頼んでいない。今、メニューを見たばかりなのに。 「とりあえずで頼んでおいたんだ。お前が来たらすぐに出してもらえるように。きっと、また昼飯も食わずに仕事してたんだろ。ワインはまだ頼んでない。お前が選んでいいよ。飯も。他に食べたいものがあれば」  不敵にまた笑ってる。 「いえ、ワインも環さんと同じもので」 「リョーカイ」  兄とは何もかも正反対。 「今日は車じゃないんですか?」 「……いや、車だよ」  兄は運転はあまりしない。この人は運転するのが好きでドライブもよくする。 「……でも、ワイン」 「泊まるから」 「……」 「付き合うよ」  何もかも正反対すぎて、僕には何もかもが際立って見えた。 「夜の相手」 「……」  朗らかで優しい淡いピンク色の百合の中で、たった一つ、まるで違う鮮やかで強烈な黒百合のように。それはとても際立って見えて、僕には、色鮮やかで強烈なその色が目に焼きついてしまった。

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