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第20話 恋人みたい

 わからないよ。兄の言っていることは。  だって、今はとても幸せなのかもしれないけれど、でも、今までだってそうだったでしょう? 僕は立場上兄のそばにいることが多かったからよく知っている。  とても素敵な人なんだ、そう微笑んだ数ヶ月後に、ひどく痛むのを堪えながら大丈夫だと笑顔を取り繕って仕事をしているのを何度も見た。とても大事にしていたからこそ、自分から手放すこともあった。君を大事にすると、家のことは大丈夫だからと伝えても、それでもやっぱり生活が一変することに不安を感じて離れていく背中を見送ったことが、何度もあったでしょう? その度に苦しそうにしているのを僕は見てきた。  どうしてそれを繰り返すのだろう。  一度、諦めたはずなのに、どうしてまたもう一度その痛みを味わう覚悟なんてできたんだろう。  自分から薔薇に触れに行くような行為。  いつか棘に触れてしまうとわかってるのに。 「…………」  恋は始まれば、いつか、終わりが――。 「……」  僕と環さんだって……。 「雪隆様」 「はい」 「雪隆様宛にお手紙です。ご確認ください」 「あぁ、うん、ありがとう」  仕事に関しての手紙が大体だ。日に一度、届けられた手紙をお手伝いの女性が宛先毎に仕分けして持ってきてくれる。僕宛のものは大体が兄である敦之の仕事関係。依頼や、感謝状など。僕へのというよりも敦之の秘書宛。 「?」  その中で、一つ、知っている名前から僕宛の手紙があった。 「……これ」  なんで? 環さんの経営している弁護士事務所からだ。 「? …………!」 「環さん!」 「おー、ようやく依頼書がそっちに届いたか」 「ちょっ、あのっ」  何考えてるの、貴方は本当に。 「なんですか、あれっ」  環さんは有能な弁護士でもある。だから本来はとても多忙な人。  この若さで若手弁護士を二人抱えるような規模の弁護士事務所を立ち上げている。ちょうど相談を請け負っている最中とのことで事務所のミーティングルームで待つこと十分。来客が終わったからとアシスタントの方に通してもらった。事務所を構えていたことは知っていたし、事務所がオープンした時はお祝いにと上条から花を送ったけれど、来たことはなかった。個室が三つ並んでいる。その真ん中の個室が彼の部屋のようで、とても美しい女性がその部屋へと案内してくれた。そこに飛び込むと、待ち構えていたように笑いながら、立派な一人掛けの大きな椅子に座っていた。 「あ、あのっ」  六法全書に、分厚い、僕には無縁そうな本ばかりが並ぶ本棚と、高層ビルの十五階からの眺めを背景に、モデルみたいに椅子の肘掛けに頬杖をついている。 「あのっ、これ!」 「あぁ」 「これっ、なんなんですかっ」 「あぁ」  なんなんですかって訊いているのに返事が「あぁ」って、この人は。  本当にこの人は。 「慌てた雪は面白いなぁ」 「ちょっ」  からかってないでってば。 「そのままだよ。事務所に花を置きたいんだ」 「な」 「ふと思ってさ。ここ、植物がないなぁって」 「なっ」 「で、思った。そうだ、俺には花のスペシャリストの友人がいる」 「なっっ」 「それと、花のスペシャリストの恋人も」 「なっっっ」 「じゃあ、二日に一回、花を生けてもらおうと思ったんだ。取り替えた後の花は女性スタッフに持たせてやれるし」 「なっっっっんで、それで僕に、なんですかっ!」 「あはははは」  環さんが呑気に笑って、僕は言葉も忘れるほどパニックで。  環さんからの仕事の依頼書を握りしめている僕は口をパクパクさせるばかり。  だってそうもなる。この立派な事務所に? 僕の? あの拙い、センスのない花を? この人、頭おかしくなっちゃったのかな。どうみたって、どう考えたって、普通、兄に頼むでしょう? 兄だって、親友の環さんの頼みなら時間くらい作るだろうし。 「なんでってそりゃ」  この人は兄にそんな遠慮するような人じゃない、のに。 「恋人にできるだけ毎日会いたいからだろ? とりあえず、今日はもう仕事は終いだ。食事に行こう」  あぁ、もう、何、それ。 「すげぇ顔してるぞ、雪」  だって、そんなの仕方ないでしょう? だって、環さんがこんなふうに笑った顔を僕は、初めて、見たんだから。  息、できなくなっちゃいそう。 「あ、あ、あっ、環さんっ」 「あぁ」 「あ、ダメ、そんな、そこ触られたらっ」 「手伝い」で抱いてもらっていた時はこんなことなかったのに。 「あぁぁぁっ!」  環さんがしてくれるセックスはいつもすごくすごく気持ちが良くてたまらなかった。でもこんなに息ができないくらい、甘い蜂蜜を飲み干したみたいに喉奥が熱くなって、すごくすごく感じてしまうことはなかった。今は……。 「あ、やだ……僕、またっ」  彼が仕事を終えるのを待って、近くで待ち合わせて、彼がやってくる。悪かったな、少し待たせたって、帰り間際に電話が来たんだと謝って、そして、僕を連れてレストランへ。食事をして、お酒を飲んで、それからホテルへ、なんて。 「また、イッちゃう」  まるで恋人みたい。 「雪」 「ああっ、ぁ、ダメ、イッちゃうっ」 「雪」 「あ、あっ」  奥まで彼でいっぱいにされて、甘やかすように優しく大事そうに抱きしめられて、腕の中で甘い声なんて溢して、まるで本当に恋人みたい。 「雪、好きだ」 「あ、あ、ぁ、イク、ぁっっっっっっ!」  その言葉を囁かれながら、首筋に口づけを落とされて、腕の中で達するなんて。  もっと会いたいから、僕に花を活けに来て欲しいだなんて。僕に会いたいだなんて。それを彼が笑顔で言う。それはまるで。 「ぁ……っ」  本当に彼と、環さんと恋人になれたみたいで、溶けてしまうかと思った。

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