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初旅行編 7 天空ピクニック
「そうだ! 僕、知らないです! なんですか? ギター弾けるって」
「ビ、ビビっただろうが。なんだよ、運転中にハンドル切ったらどうすんだ」
だって、知らなかったんだもの。
環さんがギター弾けるなんて。
ずっと見ていたのに、そんなの知らなかった。いつから? どこで? そんなの披露したことあったっけ? 兄は知ってるのかな。
「小学校から中学ん時にな。兄貴がいるんだけど」
知ってる。環さんにお兄さんがいるのは。あまりお会いしたことはないんだけれど。年が離れてて、うちの学校出身だってことだけれど、会ったことはない。
「その兄貴に教わったんだ。結構な腕前だったんだぜ?」
見てみたい。
「やだね。もうブランクありすぎて、絶対に下手だから」
「な、何も言ってませんっ」
心の中をすぐに読んでしまう環さんが視線をわずかにこっちへ移してから、クスッと笑って、そしてまた前を向いた。
「お前の前ではかっこいいとこしか見せたくねぇの」
こんなに楽しそうに話す環さんは少し珍しい。
わずかな、ささやかな違いなんだけれど。
たくさん笑うし、たくさん冗談を言うし、たくさん上手に話してくれる。それこそ女性が夢中になってしまうくらいにどこもかしこも魅力的なのはいつもなのだけれど。なんか、違うんだ。なんというか、子どもっぽくて。少しいつもの環さんとずれるっていうか。
高級ホテルのバーとか、夜景が似合うレストランとか、そういう場所じゃなくて。
「昼飯、あそこにしよう」
「あ、はい」
宿の朝食は素敵な和食だった。まだご飯も温かいお弁当を運んでもらえて、それを夜バーベキューをした離れのテラスで食べた。水の上だからか、少し風が冷たくて、肩をすくめたら、すぐに環さんが肩にストールをかけてくれた。そして、冷たい頬にキスをもらって。
「サンドイッチが美味いんだってさ」
「……はい」
少し肌寒いと思ったばかりなのに、そのキスですぐにあったかくなれた。
「すげぇ、草ボーボーだな。面白いなこの」
「エレモフィラです。白くて面白いでしょう? すごい。この植物、雨が苦手で。それなのに屋外で育てられてますよ。上手……」
あんまり日本の気候には合わないんだ。大きく育つ前に枯れてしまうことが多くて。高湿がとても苦手な植物だから、それをこんな屋外で育てるのは上手なことだと思う。
「春くらいに綺麗な紫色の花を咲かせるんです。その時期に来たらすごいかもしれないですね。これだけのエレモフィラが満開にな、……どうしたんです?」
環さんが顔をくしゃりとさせて笑って、僕の髪を指先で摘んで撫でた。
「いや、やっぱ、お前、そういうの好きなんだなぁって思っただけ」
「! だ、だって」
「ほら、行こうぜ。ドライブしてたら腹減った」
だって、上条家の人間だもの。そりゃ、植物だって花だって、たくさん覚えなくちゃいけなくて。だから、その。
「よかった、テラス空いてる。天気いいし、ほら、そのエレ……草ボーボーんとこで食おうぜ。ピクニックみたいじゃん」
「エ、エレモフィラです!」
「あぁ、それそれ」
いつだって僕の胸の内を、考えてることを、見透かしてしまうその人は楽しそうに肩をすくめながら、店内へとサンドイッチの注文をしに行ってしまった。
「……もぉ」
僕はテーブルでお留守番。
「すごい景色……」
結構標高の高いところなのかな。空が近くて、山の上にあるカフェ。そこのテラスに座っていると、まるで上空のレストランにでもいるみたい。どこまでも遠くが見えて、ほら、遠いところは空気の色が重なるから淡い水色がうっすら塗ってあるみたい。
「いいところだよな」
「あ……ごめんなさい」
「座ってろ」
気がつくと後に環さんがいた。両手で運んできてくれたのは大きなバスケットに入った、パンとソーセージにハム、ローストビーフにレタス、グリーンリーフ、ハーブにパプリカ。
「わ、すごい」
「好きなものを挟んで食うんとか楽しいだろ?」
「はい」
「よかった」
わ。
「お前、こういうの結構好きだと思ったからさ」
今の、ドキドキした。環さんの笑み。目を細めて、薄く開いた唇から溢れる優しい笑い声。
「ほら、食おうぜ」
「は、はいっ」
促されて僕が作ったのは野菜にゆで卵、それからハムを二種類にマヨネーズとハーブ、あと大きめの粒に挽いた胡椒。
「いただきます」
「あぁ、いただきます」
「!」
「うっま……」
なんて、贅沢なピクニック。
「お、美味しい……」
「雪の美味そうだな」
「……た、食べ」
「食う、食わせて」
心臓がぎゅっと身構えてしまう。胸の内は大騒ぎで「ぎゃー!」って叫んでる。
「じゃ、じゃあ」
「……」
ほら、気がつかないわけがない。僕の胸の内の囁きも呟きも独り言も全部聞こえてるくせに……聞こえてないふりをして、ムッとした顔をしてる。そうじゃないって、言うみたいに。
「あ、あーん」
知ってるくせに、知らないフリで。僕がすごくすごく恥ずかしくて大慌てなのをわかっているのに、知らない顔して、大きな口を開けている。
あーん。
なんて、して。
「美味い……」
まるで天空のピクニックで。
「もう一口食わせて」
「!」
ぎゃ、ぎゃあああって、叫んでるのに。
「あ、あーん」
高級ホテルのバーでもなく、三つ星レストランでもなく、夜景の煌びやかなスイートルームでもなく、頭上に青い空と足元に緑豊かな山が似合うような。まるで中学生男子が初デートにはしゃぐみたいな笑顔で。この人は、また一口、大きな口を開けて僕のサンドイッチに食らいついた。
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