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助っ人さん、いらっしゃい編 おまけ 楽しい未来

「もう本当に、俺びっくりしちゃって。パニックでした」  そう呟いて、拓馬さんが少し色づいた頬に両手を添えた。飲みすぎてしまったんだと思う。いつもよりも緊張していない様子だったし、口調も普段よりも滑らかで、ゆったりしている。  兄が調子に乗って飲ませすぎていると思う。  このスパークリング、飲みやすくて美味しいけれど、強いんじゃないかな。あまり飲ませすぎない方がいいと思うのだけれど。  今日はこのままここのホテルに泊まると、昼間から嬉しそうにしていた。だから兄はもちろん拓馬さんを止めることなく、スパークリングワインを飲ませてる。  ついこの間、仕事で訪れたホテルの最上階。  そこに今夜は泊まるらしい。  地方での仕事でもなく、旅行と呼ぶには自宅のあるマンションからそう遠くないところ。そんな場所のホテルの部屋を取るなんて、昔の兄みたいだけれど。  そう、拓馬さんとも最初はそんなホテルで過ごすばかりだったっけ。 「失敗ばかりしてませんでしたか? 世間知らずな当主なもので」 「全然ですっ! ぜーんぜん! もうみんながすごいすごいって。翌日には部長とかが正社員になってくれないかな、なんて言い出すんです。はいいい? ですよっ。敦之さん! なんですけども! って、俺、内心、ジタバタしてました」  ほら、やっぱり少し飲み過ぎです。  手振りが大きくて、声も大きくて。そんなジタバタしているとそのうち、シャンパンのグラスを倒してしまいそうです。なんて、思いながら酔っ払いと、その隣で終始デレデレと締まりのない笑顔の我が当主を眺めてた。 「もう女性社員なんて、すごかったんです」 「変わった方がいるんですね」 「何を言ってるんですか! 敦之さんのこと好きにならない人なんていないですよ」  いますよ。この人の突拍子もないことをしだすところ、子どもっぽいところ、面倒臭いところを知れば、すぐに呆れられます。呆れない拓馬さんは相当変わり者なんです。  そう内心で答えながら、僕もスパークリングを口に含んだ。爽やかな泡が舌の上で弾けて心地良い。喉越しも爽やかで、油断していると僕も飲みすぎて酔っ払ってしまいそうだ。 「でも、とても楽しかったんだ」 「棚卸しの作業がですか?」 「もちろん。それに拓馬はえらいんだよ。誰も気がつかないところを気がつくんだ。階段の滑り止めがたわんでいて。それを一生懸命に直してあげる。なかなかそんなのしないだろう? 見て、気がついても、直そうと思う人はそういないし。目に入らないなんて人もいる。拓馬のそういうところもとても素晴らしい」 「滑り止め……ですか」 「あぁ、とにかく、俺の知らない拓馬を見ることのできた三日間はとても楽しかった。行ってきますと言って、出て行った先でこういうふうに頑張っているのかと」  兄もなかなかに酔っているみたいだった。  普段はここまで饒舌に話したりはしないし。それに溶けてしまいそうな笑顔が。 「確かに素晴らしいです。滑り止めでもなんでも些細なことに目配りができる方は重宝されますよ」 「! ありがとうございます! えへへ、雪隆さんに褒められちゃった」 「拓馬を褒めない人間なんていないよ」 「えぇっ? ちょ、敦之さんっ、それはないですってばっ。でも、ありがとうございます。へへ」  なんというか。 「…………はぁ」  いつものことだけれど。  この二人の惚気っぷりはなんなのだろう。本当に。 「…………はぁ」 「その三日間、雪隆さんはのんびり過ごしてたんですか?」  ピクン、っ指先が反応した。 「……僕は」 「パラレルワールド」 「?」 「俺と雪はパラレルワールドに行ってた」 「え? あの」 「さて、これ美味いな。もう一本開けるか」  環さんはにっこりと笑ってそれ以上は言わず、琥珀色の泡を踊らせるスパークリングワインを飲み干した。  やっぱり少し飲み過ぎてしまった。  まぁ、明日は休みだから良いけれど。 「雪、今、風呂沸かした」 「すみません。僕が」 「いいよ。酔っ払い」  そんなに顔には出ない方なのだけれど。兄とはありとあらゆるものが違う。兄は酔っているのがわかりやすいけれど、僕は元々表情が乏しいこともあって、酔っているなんて気がつくのは環さんくらいで。 「あれ……」 「?」  その環さんがスーツのジャケットを脱いでネクタイを緩めると、、ミネラルウォーターをグラスに注いでくれた。 「老後、だな」 「?」  老後? 一体なんの話だろうと首を傾げると、その様子に小さく笑ってる。 「もう一つの雪の夢を叶えるのは」 「……」 「一緒に起きて、朝飯食って、一緒に店を開ける準備をする。俺はプランターを外に出して」  僕は水揚げから。仕入れの日は二人でドライブを兼ねて出掛けて。帰りには花の香りが広がる車に乗って。夜、店を閉める時には、もう咲ききった花をブーケにして持ち帰ろう。食卓に飾って、ちょっと豪華な食事にしたりして。そうやって一日をゆっくり二人で楽しむ。 「セカンドライフプランだな」 「……」  それは今すぐのことじゃなくて、四十年くらい先の話。  つまり、四十年先の僕たちのことを環さんは想像してくれていて。 「……はい」  そんなことが。 「はい」  あったらなんて僕の未来は幸せで溢れているのだろうと。 「いいですね」  頬が熱くなって胸が踊った。そんな幸福が待っているなんてとたまらなく嬉しくて。とても待ち遠しくて。  僕は自然と笑顔になったけれど。  環さんも、嬉しそうに、僕を見つめて笑っていた。

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