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※第1話
挿入は嫌だよ、と最初から頼んでいた。なのにセブはいつも通り適当に言いくるめ、一物を直腸へはめ込む。
「いやだって言ったのに……」
ソファの腕置きからはみ出した頭が思い切り仰け反り、垂れ下がった髪が床を擦る。化繊のカーペットへ絡む埃が、毛先へじゃれるように纏わりつくのを、アリは為す術なく見守っていた。もっとこまめに掃除しておけば良かったと心底後悔する。頭では分かっているのだが、恐らくこの後もやる気は起こらないのだろう。今眺めている世界と同じで、全ては逆しま。眠いのに寝たくない。猫が好きなのに遊ぶとくしゃみが出る。挙げ句の果てに、心では疎んでいるのに肉体は悦ぶと来た。
ぼんやりと漂っているアリの視線を、セブは文字通り引き戻す。彼の繊細だが大きな手で後頭部を鷲掴まれたときは、さすがに顔を顰めた。けれどいざ目線を上げたときに待っていたのが、わくわくと輝くコニャック色の瞳なのだから。
「ボケッとすんなよ、Spatzi 」
彼が母語でこう甘くこう呼びかける機会は主に2つ。射精したいときか、金が欲しいときか。前者にしては少し早過ぎる気がしなくもない。
更に目を合わせようとアリが身を起こせば、緊張した腹筋が作用したのだろう。セブは汗みずくの顔を微かに引き攣らせた。
「何だってんだ……」
「セブ、バンパーの件だけど、やっぱり早く修理を」
「ああ、ああ」
皆まで言わせることはない。煩わしげに振られた手は、そのままアリの下腹へと触れる。メキシコの闘牛士を父親に持つと事あるごとに自慢する、セブの小麦色をした指先は、うっすらと汗を掃くチョコレート色の肌の上で、蛆ほども白くすら見えた。
「また近い内にな。気にし過ぎだよ、そんな大した傷でもないぜ」
「でもやっぱり」
「ったく」
わざとらしい嘆息が、ラジオから絞った音量で流れるアンドシンヌの『ラヴァンチュリエ』を押しのける。セブは湿り気を帯びた髪ごと拳を軽く揺すり、喉を晒させた。
「その賢いおつむの回転がどれだけ速いか、俺だって知ってるけどな」
ぐっと腹を圧され、今度息を詰めたのはアリの方だった。敏感な直腸は、くわえ込む性器の質量を如実に知らしめる。心が覚えた驚愕はすぐさま肉体にも伝播し、腸壁がざわめいた。柔らかく抱き竦めるような収縮に、堪らずアリは「あ」と甘い吐息をこぼした。
「な。今はここを使う番だろ」
「け、ど……挿れるのはいやだって、言った」
「そりゃ今夜か、明日のお勤めのせいか」
浮き出た喉仏が瑞々しい果実であるかのように、セブはかぶりつく。
「ああくそっ、妬けちまうなあ。この綺麗な身体が、他の男に好き放題されるなんて」
「バンパーは、ただで直せないからね」
「意地悪言うなよ。嫌なもんは嫌だ」
ぼやきは自らの顎の下あたりで、心底癪に障ったかの如く蟠る。思わずアリは、頑是無い仕草で振られる頭を腕で優しく抱きしめた。こんな仕草をされると、同じ年頃であるにも関わらず、相手のことをついつい小さな子供扱いしてしまう。思い切り甘やかして、蜂蜜のような甘言を耳へとろっと注ぎ込んでしまいたくなる。モン・シェリ、一体何が欲しくてそんなに一生懸命手を伸ばしているの? 僕に手伝えることはある?
乾いた唇だけで噛むような動きを作り、セブはアリの身体を辿った。鎖骨、肩口、脇の付け根、胸筋。繊細に、敏感に勃ち上がった乳首まで辿り着けば、一転して強く噛みつく。思わず声を上げたが、そこに含まれるのが痛みだけでないことは、勿論見抜かれていたし、隠すつもりもない。
「車なんかどうでも良いんだよ。どうせヤンキーもポンニチ野郎も、お前に釘付けなんだからさ」
「明日のお客、イタリア人、っ」
「けっ、渋いスパゲッティ食いか」
「あ、ぁあっ、も、セブ」
尖った糸切り歯で先端を抉るように引っかけるのを何度も繰り返され、反対側は親指と人差し指を使い、芯ごと揉み潰す勢いで捻られる。漏れる懇願の声に、セブはにんまりとした笑みを見せつける。今は悔しさを感じるよりも、胸から下腹へと一直線に下っては蓄積される疼きをどうにかしたくて堪らない。きゅうきゅうとした痛みに思わず性毛の生え際を手で押さえる。左手では柔らかく癖のあるセブの後ろ髪を撫で回しながら、アリは眼前の汗ばんだ旋毛に鼻先を埋めた。
「セブ、セブ、愛してる。その立派なもので天国へ連れてって」
「この好き者」
食い縛った歯を見せつけ笑顔だと主張することで、セブは高揚を表明した。間髪入れずに叩きつけられた腰は、膝立ちの状態で真上から。内臓が破れそうだった。苦しくて、気持ちがいい。腕の中の存在を掻き抱くと、アリは突っ張る粘膜を亀頭で破いて貰うよう、背を丸めた。
「あ、あ――っ……」
セブが膝を一歩にじらせるものだから、とうとう肩までソファから飛び出してしまう。不安定な姿勢のまま、彼のペニスだけで支えられる。快感にぴんと突っ張っていた脚を真上の腰へと絡みつかせることで、何とか均衡を取ることに成功した。
絶頂までは近い。貪る相手の動きに合わせて、アリも尻をがつんとぶつけに行った。骨盤が振動するほど乱暴に噛み合う痛みと、腹の奥の衝撃が強すぎて、吐きそうになる。
幸い胃の中は空っぽだった。今朝から何も食べていない。気持ちよく朝寝に耽っていたところ、セブに襲撃されたのだ。最初は背後から腕が伸びてきたのを皮切りに、二人して子犬のようにじゃれているだけだった。それが深いキスへと移行し、気付けば抜き差しならぬ状況に。昨日磨かなかったのか、ざらついたセブの前歯の裏を舌で擦ったら、アリも興奮させられてしまった。
「ぅん、ん、そこ、もっと……あっ、ああ、助けて、そこ、そこがいい!」
「ほら、好きなとこだぞ! アリ、お前を釣り上げてやるからな!」
襞を数枚ずつ薙ぎ倒されながら、短く早いストロークで擦り立てられる。まさしく釣り針に掛かった魚のようだった。竿に引かれるまま、為すすべもなく振り回される。手足へ精一杯力を込めているつもりなのに、まるで他人の物のようにふわふわと感じる。
こま切れになった、焼け付く吐息に頬を叩かれ、セブも目を閉じた。渋面と呼んでいい表情は、まだ幼さの片鱗を残した顔立ちに艶を与える。中で出されたいとアリに思わせてしまう美しさ。彼を孕んでやらなければという強烈な義務感が強く湧き上がる。無意味に放たれる彼の精液が、空っぽな自らの胎の中で細胞分裂を起こし、形になるのだ。それはきっと産まれた暁に、とても無垢な物になるだろう。醜くはあるかもしれないが、少なくとも様々な可能性を秘めているような。
踵の下で、少年のように小さなセブの尻がぶるっと震えたのを知る。同時に脇腹を掴まれ、体の下へ敷き込もうと引きずられた。くわえたアナルが歪み、空気をくぽっと溢れさせる。全身をぞくぞくさせながら、アリも目を閉じ、掘削に身を任せた。
余りにものめり込みすぎて、玄関の扉が開かれたのに気付かなかったし、足音もセブの呑気な挨拶が頭上で破裂するまで認識できなかった。
「よう、お帰り」
渋々開いた瞼の向こうで、息をのむほど美しい碧眼が、苦く後ろめたげな色で濁っている。ウーヴェは紙袋を抱えていた。今朝出かけたときは手ぶらだったのに。
こんな時間に帰ってきたということは、仕事を見つけることが出来なかったのだろう。彼はセブと違い、週に三日はベルシーへ足を運ぶ。ごくたまに倉庫での仕事にありつけても、セブは褒めたり喜んだりするどころか、馬鹿にしきって鼻を鳴らすだけだった。「そんなはした金なら、アリが三時間で稼いでくるさ」
今も彼の唇は勝ち誇ったような形に歪むと、これ見よがしの乱暴さで腰を揺する。
「朝から汗みずくになって走り回った成果がそれかい」
「汚れ物を洗っとけって言ったろう」
ぶっきらぼうに吐き捨てるドイツ訛りは動揺で心地よく掠れている。何度も喘ぎを飲み込むアリに一瞥を与えると、彼は台所に引っ込んだ。涙で模造ダイヤみたく細やかに輝く、反転した世界ですら、その眼差しは身を刺し貫く。
「何か美味いもん作ってくれよ、っ」
きゅうっと締め上げる内臓に、わざとらしく明るいセブの声が一瞬詰まる。すぐさま、コンロ下の棚から鍋を漁っている、騒がしい物音が聞こえてきた。
「あいつのアイントプフ は絶品だもんな」
ははっと息を弾ませながら、一際勢いよく下半身を擦り付けてくる。尻の下で軋むスプリングに、アリは唇を尖らせた。
「ソファを壊すなよ」
「そのうちぶっ潰れるかもな。何せこんなに激しくやってんだから」
そんなことになったらまた金が、と抗議する前に、唇は塞がれた。舌を喉の奥まで差し入れる、仕事だとまず望まれなないし、自らも許さない愛撫だった。
赤く爛れる、急速な酸欠へと導かれる頭の中で、ぴかっと光った想像は、ソファがばきばきと音を立てながら、真ん中からへし折れる図。そうなると、ウーヴェの眠る場所がなくなってしまう。
ああ、そりゃ嫌だよな、自分の寝床で他人がやりまくってるんだから。僕だってベッドでウーヴェに自慰されたりしたら嫌だ。そこまで思い至ってから、ふと考える。彼は勃起するとき、どんな姿態を見せるのだろう。
あの男らしい、彫刻のような横顔を持つ青年とは寝たことがない。セブは「ブレーメンにいたときは、そりゃあもう引く手あまたの色男だったんだぜ。何せ国宝級の一物の持ち主だからな」などと嘯く。だが彼がこの家へ転がり込んできて数ヶ月、知る限り女っ気はないし、男も同じく。相棒が男娼とまぐわっていても、今のように眉を顰めて終わる。
それはそれで結構。好きなだけ睾丸へ精子を溜め込んでいればいい。ただ、一度気になるといけなかった。国宝級の一物とは? そしてその素晴らしいものを使って射精するときの彼の表情は?
魚が身を捩り、えらへ掛かっていた釣り針が外れかけていることに気づいたのだろう。意識を彼方へ遣るアリの尻をぐいと両手で掴み、ペニスを強く挟み込むと、セブは律動を強めた。肩胛骨から後頭部で均衡を保つ格好に、たまらずアリはぐっと息を詰まらせる。けれど酸欠もまた、オルガスムスへと向かう通過地点でしかないのだ。
腹の中へ出されたとき、覚えたのは達成感だった。迸る熱い液体が内臓へ叩きつけられるのは間違いなく気持ち悪い。アリが好きなのは、体内で跳ねる肉塊のびくつきと、粘り気の強い精液がゆっくりと腸壁を舐めながら伝ってくる掻痒感だった。
セブがじっとしている時間は短い。はあーっ、と満足げな息がつかれると、顔の両脇で突っ張っていた腕から力が抜けた。そのまま身を飛び起こすものだから、ずぼっとひどい音が股の間で鳴る。生ぬるい異物に去られ、アリは低く呻いた。
目を閉じてぐったりしている愛人に、セブはこまめなキスを与える。震える瞼、丸っこい鼻先、火照った頬、産毛が濃い下唇の際。猫が甘えるのに近い身勝手な愛撫が煩わしく、だるい腕を持ち上げて振ると、今度は手を捕らわれた。掌にちゅっと唇を押し当てた後、汗みずくの顔が突き上げられる。
「いい匂いだ。アール・ズッペ か」
今にも喉を鳴らしそうな声音に促され、アリも鼻をぴくつかせた。そういえば昨夜、ウーヴェは夕食後すぐ下ごしらえに取りかかっていた。「僕はうなぎが嫌いだよ、あんなうねうねした生き物」とアリがはっきり意見を表明しても、彼は諦めない。皮を削いで一口大に切り分けた魚へ、セージやらパセリやらタラゴンやら、わざわざ買ってきた香草をまぶして臭みを取る。冷蔵庫を開きバットへ保管されたその怪物へ遭遇するたび、アリは怖気に肩を震わせた。例えぶつ切りにされようが、元の形は知っているのだ。
あれさえ入っていなかったら完璧なのに。天井を這い寄ってくる林檎とプラムの甘酸っぱい芳香に、唾液が湧き出るのを感じながらも、アリはまだしつこく拒絶の意を感じた。認めなければならないが、ウーヴェは料理上手だ。二十代半ばの男であれだけ巧みに食物を扱えるのは、軍にいたか刑務所に入っていたかのどちらかでしかない。後者であることは確認済み。ケチな泥棒は出所後つましいヒモに。呼び方が変わっただけの話で、本質は同じだった。
ならば魚を拒絶しようと、良心の呵責を覚える必要はない。シャワー浴びて来いよと言われたが、結局アリは料理が出来上がるまで、ぼんやりとソファで身を丸めていた。セブも一度勧めたらそれ以上は言わず、下着だけ身につけるや、皿を分捕ってくる。
かぶりつくスープが半分の嵩になるまで、二人はほぼ無言だった。時折アリがうなぎをスプーンで掬い出し、セブの皿へ落とし込んだ時に、顰めっ面が向けられる。ごろっとしたジャガイモや人参は頬張っていられるらしいが、ブイヨンを含んだセロリは唇の端からはみ出し、顎にぷつんと浮いたにきびを隠すよう張り付いていた。
「なんて?」
「好き嫌いすんなよ、贅沢な奴め」
アリが非難しているのは汚い食いっぷりに対してだったのだが、セブは自らの叱責への反抗だと受け取ったらしい。
「お前、相当に甘やかされて育ったな」
「君はさぞ悲惨な生い立ちなんだろうね」
平然と言ってのければ、まただんまりが訪れる。別にアリは、この手の沈黙を不快だとは思わない性質だった。静寂は恩寵だ。特に気の乗らないセックスに関わる場面では――終わりよければ全てよしという言葉もあるにはあるが、今沈んでいるこの淀みは、間違いなく望まぬ興奮から引きずりおろされた成れの果てだった。
アリのペニスをしゃぶったり、尻の穴に挿れたがる客は、行為の最中親切ぶって囁く。「声を我慢しなくてもいいんだよ」それが開幕のベルだ。気分によってわざと派手によがるふりをする時もあれば、恥ずかしがっているのを装って小さく喘ぐ時も。相手の様子を見ながら演技を変える。もしも肌の色さえもっと明るければ、せめて色白の自らの姉と同じでエキゾチックと呼べる程度のものだったら、テレビにだって出られたかもしれない。噂では、アラン・ドロンだってアルジェリアの血が混じっていると言うではないか。
サムライのように凛と「俺は負けない、絶対負けない」なんて言ってみたいものだけれど、人生は負け続き。ヒモを二人も抱えていては貯金など夢のまた夢だった。こんなにも具材を使うなんて。スープと言うより煮物に近い料理の中から引き上げられた乾燥プラムは、頑なに縮こまっている。どれだけワインに漬けても、じっくりと煮立てても、決して新鮮な実には戻らない。
「魚もいいけど肉が食いてえ」
「自分で作れ」
洗濯物を抱えたウーヴェは、部屋に入って来ざまぴしゃりと叩き返した。
「良いじゃねえか、適材適所って奴だ」
床に散らばるシャツや靴下を拾い上げるべきか迷っている相棒に、猿のように長い足指が答えを与える。摘んで掲げながら、セブはにたりと笑った。
「ムショから戻って以来、何だか女みたいだぜ。Mutt って呼ぼうか」
「今夜は家にいるんだろう」
シャツを引ったくってから、それが殊更母親めいた物言いだと気付いたのだろう。ウーヴェは不機嫌そうにそっぽを向いた。
「俺達がいない間、無駄に時間を潰してるくらいなら」
「無駄じゃない。考えてるんだよ」
スプーンの尻でこめかみを叩きながら、胸は張られる。
「お前のと違って、こっちはおつむがたっぷり詰まってるからな。そっちが無駄足踏んでる間に、どかんと稼ぐのさ。バンパーがどうとかケチ臭いこと言わずに、いい車を買おうぜ。ポルシェの944なんか最高だ。な、二人でかっ飛ばそう」
左足の親指と人差し指で、つま先をこちょこちょと擽られたことで、言葉が自らに投げかけられたものだと知る。はっとなって、アリは目を皿から持ち上げた。
「モンテカルロまでひとっ走り……」
「一人で夢でも見てろ」
腕時計にちらと落とした視線の熱量は、ソファへ向けられたとき僅かに上がる。
「もう2時過ぎだな」
指摘する幾分早口な物言いは、その話題へ深入りするのをあからさまに躊躇している。だからこそセブはこれ見よがしに食事を放棄し、悪辣なにやつきを見せつけると、アリの肩を抱く。ボタンを三つ開いたシャツの合わせ目から手は滑り込み、汗ばんだ胸元を円でも描くように撫でさすった。
「まだまださ、店が開くのは4時だもの。それまでもう一試合、なあ」
「ちょっと、セブ」
「おお、おお、神様マリア様アリ様だな」
咎め立てと裏腹、まだ興奮を残した肉体はあっけなく火がつく。既にぴんと尖り、シャツに擦れていた乳首を摘まれ、頭を引っぱたこうとしたスプーンは宙空で動きを止める。
「お前もしゃぶって貰えばいいのに」
「うん、いいよ」
上擦りを帯びた声で、アリは咄嗟に応じた。下目で値踏むウーヴェの股間は、固いデニムに守られた奥で、確かにかなりの質量の可能性を覚えさせる。ぺろりと唇を舌で湿したのは芝居半分、残りは本気の欲情によるものだった。
「美味しいスープのお礼に」
「ほら、ただでやれるなんて滅多にないぞ。こいつの口の中は最高なんだ、掃除機だ、底なし沼だ」
「いらん」
欲情する男は大抵前屈みになるものだが、ウーヴェは逆に背筋を伸ばした。目元に浮かんだのは、嫌悪と呼ぶには大袈裟すぎたが、間違いなく興奮とは程遠い。聖母の御心のようなサファイアの瞳が、熱を帯び始めた空気の中で冷たく光っていた。
「よくやるもんだな、お前らは」
その台詞を、彼はフランス語で口にした。どう転んでも優美さを失えないと思っていた言語は、拙く発音されるとこうも刺々しく響くものなのだ。胸へ釣り針の返しのように食い込み、ぴりっとした痛みを与える。
丸い目でじっと様子を窺うアリと違い、セブは哄笑を隠さない。
「惨めったらしいインポ野郎め」
そうなることを期待していた罵り合いや殴り合いは起こらなかった。ウーヴェは黙って手にしていたものを洗濯物袋へ詰め込むと、玄関へ向かった。今からコインランドリーへ向かうらしい。乾燥機まで掛けていたら、4時までにぎりぎり間に合うかと行ったところ。
別に遅れたところで何の問題もない。何なら店へ行く義務すら本当はない。
でも今夜は出かけなければならないだろう。具沢山のスープを食べたし、洗濯物は溜まっている。どうせ今夜も情報収集と称してジンラミーをやりにいくセブは間違いなく空っけつなうえ、バンパーの修理をしなければ。
閉じられた扉から引き剥がした視線を、アリは自らの体にいたずらする男へ向けた。既に全開にされたシャツの間へ顔を埋め、熱心に吸いついていたセブは、すぐさま見つめ返し、にこっと笑みを浮かべる。疲れた目に映る時、そのこぼれんばかりの愛嬌は、暴力じみて身を打ちのめすのだ。耐えきれなくなり、瞼を落とす。
諦めは恭順に等しい。気持ちいいことは嫌いではないのだから、身を投げ入れることに罪悪感を抱くことはなかった。胸の先端を吸われるちりっとした痺れが腹の奥へと走り抜ける。
今や望むのは、行為が1時間で終わることだけだった。残りの時間で身繕いをすませることが出来るように。
少し難しいかもしれないなと思いながら、アリは擦り寄せられる頭を、王者の仕草でゆったりと撫でた。
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