3 / 164

旅役者の男の子②

 教室に着いてぐるりと見まわすと、誰の席でもない机と椅子が一番後ろに用意されていた。なるほど噂は本当なのだなと思いながら、陸は自分の席に腰を下ろす。程なくしてチャイムが鳴り、担任と一緒に一人の男子生徒が入室してきた。  一瞬で教室の空気が変わり、皆が息を呑む。それは転入生に対するただの緊張ではない。その男子生徒があまりに容姿端麗で(おのの)いたのだ。  背は高く華奢な体つきで、半袖のワイシャツから出た腕は白かった。胸ポケットに校章が入っていないのは、転校を繰り返す彼にはその方が、どこの学校でも使いまわせるので都合が良いのだろう。校則ギリギリの少し長めの黒髪が、歩く度にさらさらと揺れた。  深窓の麗人。  そんな言葉がピッタリはまるような、儚げな美少年と言う印象だ。ところが彼が自己紹介を始めると、その神秘的な気配は一変した。  転校生はクラス全体を見渡してからニカッと歯を見せて笑い、おもむろにチョークを手に取った。カツカツ音を立てながら黒板に大きな文字で自分の名前を書くと、満足そうに頷いて再び生徒たちに向き直る。 「俺の名前は佐久間清虎。『きよとら』って気軽に呼んでや。浅草の演劇場で一カ月間世話になります。みんな芝居見に来てな。短い間やけど、よろしゅうたのんます」  涼し気な良く通る声だった。  大阪弁なのか京都弁なのか陸には判断しかねるが、関西特有のイントネーションで堂々と自己紹介を終えた清虎は、一つだけ空いている席を指さした。 「先生、俺の席はあそこですか?」 「ああ。あれが君の席だ。そこに座って」  一瞬面食らったような顔をした担任が頷く。  清虎はまるで花道でも歩くように、笑顔で手を振りながら一番後ろの席に進んだ。クラスメイトも調子を合わせ、まるで熱心なファンのようにハイタッチしたり握手を求めたり指笛を鳴らす者もいて、自然と拍手が沸き起こる。 「清虎かぁ。面白い子だね、一瞬で馴染んじゃった」  すぐ後ろの席の哲治に向かって、陸が笑いかける。着席してもなお、歓声に応えるように両手を振り続ける清虎を見て哲治も笑った。 「才能だよなぁ。先祖代々浅草から出たことない俺には、転校なんて想像も出来ねーや」 「うちもそうだよ。商売やってたら、ずっと浅草にいるもんね。ちょっと憧れるよなぁ、転校とか。俺、大人になったら他の町に住んでみたいな」 「えっ」  哲治が驚いたように目を見開いたので、陸も思わず「えっ?」と聞き返した。自分はそんなに意外なことを口にしただろうかと首を傾げる。 「陸は実家のお茶屋は継がないの?」 「実家は兄ちゃんが継ぐだろうし、俺は自由じゃない?」 「でも、店を手伝ったっていいじゃん。わざわざ家を出ることないだろ。他の町に住んでみたいなんて簡単に言うなよ」 「そうだけど……。まだ先の話だよ、なんでそんなムキになんの」  ちょっとした願望を言っただけなのにと、陸は口をへの字に曲げて黒板の方へ向き直った。語気を強めた自覚のある哲治は「ごめん」と、前を向いてしまった陸の背中に小さく告げる。  始業式の一日などあっという間だった。  宿題の提出と退屈な全校集会さえ終えてしまえば、後はもう放課後だ。解放感で浮かれた騒がしい教室で、清虎は「ハイ、注目」と言って手を叩く。 「なぁ、誰か花川戸(はなかわど)方面にバスで帰る子おらん? 俺まだ帰り道よーわからんねん」 「私、一緒に帰ってあげようか? 何ならそのまま浅草案内するよ!」  いち早く呼びかけに反応したのは、リーダー格の女子だった。清虎の目の前でぴょんぴょん飛び跳ねるたびに、ショートボブの髪も揺れる。彼女が名乗りを上げてしまっては、もう他の誰も余計な口は挟めなかった。

ともだちにシェアしよう!