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メーデー③

 今更こんなことを聞いたって、何の意味もないだろう。ただの気まぐれかもしれないのに。陸が口を閉ざすと、頬杖をついた清虎は一瞬目を細め、それからおどけたように肩をすくめた。 「会いとうないくせに、なんで今日来たかって? そんなん、じーちゃんが『清虎にもちゃんと友達がおった』言うてごっつ喜んどったら、さすがに行かんとは言えへんやんか」 「そう言えばおじいさん、俺たちのこと覚えていてくれたんだな。名前を呼ばれて驚いたよ。それにしても、また清虎に会えて本当に良かった」  微笑んだ哲治は、手にしていたグラスを清虎のグラスに軽く合わせ、一人で勝手に今日何度目かの乾杯をする。 「せやから、なんで俺に会いたかったん?」 「あの日の記憶を上書きしたくて」 「ほぉ。上書き」  向かい合う形で座る哲治に、清虎が目を合わせたまま口の端を上げる。 「悪いけど、今日一緒に飲んだくらいで、あの日の記憶は消えへんよ」 「ああ、ごめん。言葉足らずだったね。清虎の記憶はどうでもいいんだ。陸の記憶さえ、新しくなれば」 「はぁ。なるほど、相変わらずやなぁ」  清虎は鼻で笑い、呆れたように陸を見た。 「良かったなぁ。哲治は何でも陸の言うコト叶えてくれて。哲治におねだりしたん? 『嫌な記憶を消したいから、みんなで飲んで楽しい想い出に作り替えよう』て」 「そんな訳ないだろ」  うつむいて二人の会話を聞いていた陸が、低い声で答えた。顔は上げず、テーブルの上に置いた自分の拳を見つめる。 「どうだか。未だに哲治を振り切れんで、囲われたままやんか。いつまで哲治に飼われとるつもりなん?」  清虎の放つその冷たい声を聞き、陸は決心したように口を開いた。 「もう、全部終わりにするつもりでここに来た。今日のことは哲治に頼んだわけじゃないけど、でも、良い機会だとは思ったから」  陸は哲治と清虎の顔を交互に見ながら言葉を続ける。 「俺、引っ越そうと思って。近々家を出るよ」 「どこに? 俺も一緒に行く」  間髪入れずに言った哲治は、陸の手首を掴んだ。

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