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第36話

 彼がごくりと唾を呑み込む音が聞こえ、期待に胸が高鳴った。しかし、彼はふいと視線をそらして、再び「駄目だ」と言った。  どうしてだろう。苦しく、頭はずっとくらくらし、心臓の音がうるさい。きっと、今触れられたらものすごく気持ちがいい。今の辛い状況も、早く収まるだろう。  ひと回りも年下の男に、懇願しては断られる。それでも身体の熱は引かない。オメガとしての本能である以上仕方がないとはいえ、そんな自分がひどく滑稽に思えてきた。  見上げている瞳が潤み、大人げなく拗ねているようにも見えたのだろう。彼は「君が駄目なわけじゃない」と前置きをする。 「本能に流されてでは、完全な合意とは言えない……だから、駄目だ」  目を見て、この堅物と罵ってやりたくなった。しかし、彼はずっと目を逸らしたままで、合わせようともしない。 「やっぱり……俺を好きだなんて、嘘……からかっただけなんだ……」  しかし、からかうだけの理由も見つからない。火遊びをしたいのなら、手を出さない方がおかしい。  彼は今まで経験がなかったと言っていた。教育係がついたこともなかったという。それなら、考えられる原因はひとつだけだった。 「……俺がみっともないから、軽蔑したんだ……。だから、今だって目も合わない……」  腰を振ってアルファをねだる、オメガなんて性欲だけの生き物だと、軽蔑したのだろう。そして、だらしない顔をしているから、目も合わせられないのだろう。 「違う! そんなことは、断じてありえない。……無茶をさせたくない……傷つけたくない……後悔を、させたくないんだ……」  切実な声音に、高鳴るだけだった胸がぎゅっと締め付けられるようだった。 「……無茶じゃない」  身体はもう、受け入れる準備ができている。 「俺から誘ったんだ……後悔もしない」  だから触れて欲しい。懇願と快楽でぐちゃぐちゃになった自分を、彼が抱きしめる。それだけで全身が甘く痺れていく。もっと感じたくて、縋りつくように抱きしめ返した。 「触れるなら……いくつか条件がある」  そう言って、堅物で真面目すぎる彼は、この後におよんで焦らしてきた。  まず、うなじは絶対に噛まない。噛むのなら、素面の時に、番になる近いを立ててからだ。もっとも、首輪をしているのでそこは問題なかった。  次に、挿入はしない。本当に想いが通じた時に結ばれたいという、ロマンチックな理由からだった。 「それから、最後に……ヒートが終わったら、君は俺を意志の弱い男だと思うかもしれない……。自制のきかない、だらしのないアルファだとも思うだろう。その上で、無茶を言うが……俺を、嫌わないでくれ……」 「うん……」  何度も頷く。もしかしたら、彼がずっと言い淀んでいたのはこのことだったのかもしれない。「嫌わないでほしい」。その一言が言えず、言ったら子供っぽいと思われるのではないかと躊躇っていた。  その可能性に行き着いた途端、自分を抱きしめてくる男が、快楽を与えてくれるアルファでもない、生意気な知らない貴族でもなく……とても意地らしく、可愛いひとりの男に思えた。 「嫌わないから……たくさん触って、気持ちよくして……」  その言葉を聞き、彼は今まで我慢していたと言わんばかりに、とてもきつく抱きしめてくれた。

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