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春_第1話

春(はる)…それは、新しい出会いの始まり。 そして、僕の名前だ… 高校2年生になった僕は、とうとう…念願の部長になった。 ここは、しがない模型部… 台風が来ても、大雪警報が出ても、僕は部室に足繁く通い…1日も休む事なく部活動に従事した。そんな僕が、部長を任命されたのは、ある意味必然だ。 受験を控えた3年生たちは、前年度の内に早々に引退を済ませ、残った2年生の僕たちは、右も左も分からない中…闘志を燃やしていた。 何に?って… 今は、まさに…新入部員獲得戦国時代の真っ只中なんだ!! それぞれの部活動の猛者たちが、あの手この手を使って新しい人材をハントしにかかってる… 僕たち、模型部も…然りだ! 「春氏…きっと、模型部なんてニッチな部活動。わざわざこちらから行く必要無いでござる。それがしたちの様なアウトサイダーは、呼ばずとも、埃の様に…自然と集まるでござるよ…」 暗い面持ちでそう言ったのは、伊集院君だ。 彼は、所謂オタクの全てを踏んでいる男。 言葉もそうだし、持ち物、身なり、髪型まで…全てがオタクのベーシックの様な男だ。 「伊集院くん!これからは、攻めの時代だよ?僕たちの様なオタクにだって市民権はある!サッカー部やバスケ部の様に、横断幕を掲げて新入部員を獲得するために動くべきなんだ!」 僕は熱を込めてそう言うと、プラモデルのランナーが置かれた机の上に両手を付いて、声を大にして言った。 「模型!プラモデル!頭が痛くなる様な細かい作業!この趣味は、僕たちの様な陰キャのみ与えられた物なのかな?僕はそうは思わない!良い?待ってるだけでは駄目なんだ!勧誘とは、まだ発掘されていないアンノウンな素材を発掘する良い機会でもあるんだ!」 「確かに!このままでは、コミュ障の集まりにしかならん!陽気な奴か、まともな奴が1人くらいいてくれないと、先々困る事になるだろう!」 僕の意見に大きく頷いてそう賛同してくれたのは、体の大きな力持ち…後藤くんだ。 彼は手も大きい。 なのに、どうして…戦車や軍艦などのスケールモデルを上手に作るんだ。 「んだな、いっちょやってみんべか…」 重い腰を上げた南條くんは、訛りの強い、べったら漬けが大好物な東北出身者だ… 彼はもっぱら、ここでべったら漬けを食べては、訛りの強い方言で話をする。 プラモデルも、ガンプラも、SDガンダムの様な簡単な物でさえも、作った事などない…何となくここに居る、人だ。 「…じゃあ、春ちゃん。どんな構想を持ってるのか話してみてよ。」 そう言って、僕の顔を覗き込んで来た彼は、副部長の陣内くんだ。 彼はロボットのプラモデルを作るのがとっても上手なんだ。僕に上手な墨入れの方法と、並外れたプラバンの技術を惜しみなく教えてくれた…僕の、お師匠さんの様なライバルの様な、そんな人だ。 陣内くんを見つめた僕は、コクリと頷いて彼に言った。 「うん。まず、イメージを変えたい!模型部の陰気な空気を売りにするより、模型自体の繊細な美しさをアピールしたいんだ!これはだって、万国共通の感覚だからね!」 そうだ! 模型、プラモデル、ミニチュア、ジオラマ…どれも細かい作業の連続で、途方に暮れる念密な手作業で成り立つもの。それは、決して“オタクの趣味”にとどまらず、ある意味、芸術の域まで達しているのではないかと、僕は思っている。 だから…そこを打ち出して、新たな風となりうる人材を投入したいんだ。 陰に構えた趣味なんかじゃない。これは立派な芸術活動だ! 「了解でござる!では、それがしの作ったNゲージの改造版…“果たしてデゴイチは本当に空を飛べるのか…2021”をお披露目するでござる!」 「そう言うんじゃ無いんだ。とりあえず…サッカー部みたいに横断幕を作ろう?2次元の萌えキャラを描かないで、フォントもピンクでプリプリにさせないで、そんな普通の横断幕が必要なんだ。」 伊集院くんの話を無視した僕は、陣内くんと一緒に机の上を片付けて、横断幕の構図を考え始めた。 「旧海軍の4色の…Z旗なんてどうか…?玉砕覚悟で…」 後藤くんは、スケールモデルを作りすぎたせいか…ミリオタが過ぎるんだ。そんな物騒な彼を無視した僕は、黒いマジックを手に持って、首を傾げながら言った。 「そう言うんじゃ無いんだ。とりあえず、黒一色で…同じ大きさの文字を…POPみたいに書いて…」 「春ちゃん、それだと…活動家みたいで怖い。僕に任せてくれ…」 陣内くんがそう言った。 彼はこの模型部でバランサーの様な役割を持ってくれてる。僕や、伊集院くん…後藤くんや南條くんは…少し、言葉や物言いに難があるし、発想も一般の人とズレてる。そんな僕たちと、世間を繋ぐ…バランサーだ。 なにかと不協和音を奏でてしまう僕たちの傍で、軌道修正してくれたり…他の人や、先生との仲を取り持ってくれたり、今の様に、普通と言うものを教えてくれる。 「じゃあ、陣内くん…お願い。僕は、みんなと一緒に戦略を練ろうと思う!」 僕は、マジックを手から離して、安心感の持てる陣内くんの背中をぽんぽん叩いてそう言った。 「それがしの意見はどうなるでござるか?Nゲージの改造だって、模型部の一つでござるよ?」 「…まんずNゲージ自体の良さがわがんね内にそだもの見せても、反応のしようがねっぺさ。目下の目標として…パンピーを、この部室に…入れねっきゃだめだぁ。」 キャンキャン吠える伊集院くんに、南條くんが現実的なコメントを返して、僕と後藤くん…陣内くんが、黙ったまま頷いた。 彼の言う通りだ。 …まさに、この部室の中に連れてこないと、話が始まらない! 決して大きくはない模型部の部室には、大きな机が3つ並んでいる。 作業用の机と、塗装用の机…そして、やすりや、造形をする机だ。ちなみに、南條君はいつも作業台でべったら漬けを食べている。 なかなかどうして、彼の持ってくるべったら漬けは美味しかった。甘いものが食べたくなった時は、みんなで、彼のタッパーから盗み食いしている事は、内緒だ… そんな部室の中央にデカデカと置かれた1畳ほどのジオラマには、みんなの思いが詰まってる。 完成されたNゲージの線路を、伊集院くんのオリジナルデゴイチが走って、トンネルを抜けた先では、陣内くんの作ったロボットが怪獣から町を守っている… そんなロボットの足元には、仰々しい数の戦車が隊列を組んで、怪獣目がけて主砲を向けているんだ。 僕は、その中の街を再現して、ひとつひとつの窓から…怪獣を覗き見るフィギュアや、建物を作って…その場の臨場感を引き出す手伝いをした。 そこには、通常運転をする電車と、非常事態の町が見事に再現されている。 この模型を見れば…きっと、模型部の素晴らしさが分かって貰える筈なんだ! 「春ちゃん、できた…どう?」 陣内くんがそう言って、横断幕を掲げて見せてくれた。 「そうそう!こんな感じが良い!オタ臭もしないし、実に、普通じゃ無いか!」 僕は、陣内くんが作ってくれた横断幕を手に取って満足げにそう言った。そして、ごくりと生唾を飲むと、みんなを見つめて言った。 「と…とりあえず、これから…勧誘のメッカ…校門前に行こうと思う…事前に用意したチラシを配るから、みんなも来てくれ…」 「お…おぉ…」 僕たちは、模型部。 陽キャの集う…校門前に行くなんて、狼の群れに突入する羊と同じくらい…ビビるもんだ。 でも、僕は攻めの姿勢を崩さない! 部長になったからには、絶対…新風を巻き起こす様な…逸材の、新入部員を獲得するんだ! …僕が、こんなに躍起になるのは理由がある。 去年の文化祭での出来事だ…。 僕たち模型部は各々の作りたい物を個人で作って、展示した。 それは、まとまりのない…つまらない作品展の様だった。 部員で順繰りに案内係を担当して、その時は、僕がひとりで展示品の前に突っ立っていた… そんな中、展示物に手を触れないでください…なんて文字が読めない、小さい子供が、陣内くんのロボットを倒してしまったんだ。 部品が壊れる事は無かったけど、パーツが外れてしまった… 床に散らばってしまった部品を慌てて回収した僕は、陣内くんのロボットに付けようと四苦八苦していた。でも、彼のロボットに付いていたパーツは完全オリジナルで、僕には元通りにする事が難しかった。 そんな時…誰かが手を差し伸べて、僕の目の前で、ものの見事にロボットのパーツを繋げて行ってくれたんだ。 「…わぁ、凄いなぁ…」 ポツリとそう言った僕は、陰キャ特有の人見知りを発動して…その人の顔を見る事も出来ないで…ただ、目の前で上手にロボットを組み立てて行く、指先だけを見つめて感動していた。 右手の親指に…ほくろがあるなんて…! 「弟が、すみませんでした…」 そんな声を背中に聞きながら、呆然と、元通りにポージングされたロボットを見つめた僕は、ただただ、頷いてこう言うしかなかった… 「良いんだよ。元に戻れば、良いんだ…」 本当なら、顔を見て言うべき事なのに…恥ずかしくて、知らない人の顔を見る事が出来なかった。 だから、僕は、その人が立ち去る…後ろ姿だけ、目の端で見たんだ。 小さな弟を右手に抱きかかえたその人の後姿は、僕たちの様な陰キャじゃない。ツーブロックの髪型だった… 「おぉ…」 その時、僕は痛感したんだ。 陰キャじゃなくても、手先の器用な人が居るんだ!って… だから、今回の様な…大々的な勧誘活動をするに至った。 彼の様な、陽気なツーブロックにも…平等に門戸を広げたいんだ。 「春ちゃ~ん!珍しいな?何で、勧誘活動なんてしてる?」 校門前に現れた僕たちに驚いたのか…早速、バスケ部のちいちゃんが僕に声をかけて来た。 彼は、僕の幼馴染の千秋(ちあき)くん。僕は、ちいちゃんと呼んでる。 同じマンションのお隣同士。 その付き合いは、初めての予防接種をする時から…今に至る。 「ちいちゃん…?僕は模型部の部長だからね!だから新しい人材を発掘する為に、ここに来たんだ!」 僕は、バスケ部の部長のちいちゃんに、胸を張ってそう言った。 すると、彼は僕の髪を撫でて顔を覗き込んで言った。 「誰も来ないよ…模型部なんて…!はっはっは!」 「きゃ~!千秋先輩、マジでカッコいい!」 どこからともなく現れた女の子たちは、僕を押し退けてちいちゃんにたかった。 彼はまんざらでもなさそうに、そんな女の子に笑顔を向けてから、僕に言った。 「…春ちゃんも、まぁ…頑張れよ…」 「千秋~!部長~!こっちに来て!勧誘手伝って!」 「おぉ!ちょっと…待ってな~?」 活気あふれる…とは、こう言う事だ。エネルギーが溢れてる。 そんな運動部の大きな声にかき消されながら、僕は、模型部のみんなと場所取りをして、陣内くんが作ってくれた横断幕を広げて掲げた。 目の端には、ちいちゃんが引っ張りだこになってる…そんな、いつもの光景が映ってる。 彼は、いつもそう… 僕と一緒に育った筈なのに、彼は陽キャのイケメンになって…僕は陰キャの猫背になった。 小さい頃訪れた遊園地でもそう…ちいちゃんは、他の子と一緒にジェットコースターに乗るタイプで、僕は、それを下から見上げて体を震わせているタイプ… 同じ様に育った筈なのに…全く違うタイプに育った。 「春氏!こ、こ、ここ…こちらの、チラシを配るでござるか…?!」 伊集院くんがそう言って、僕の作った模型部のチラシを手に持ったまま、ブルブルと体を震わせた。 …分かるよ… 僕たちは、所謂、もやしっ子。 こんなお天道様の下で活動したら…あっという間に、干からびて死んでしまう… これが言わば…命がけの活動だって事くらい、分かってるんだ! 「…うん!そうだよ!が、頑張ろう!」 でも、諦めたくないんだ…。 僕は、新しい可能性を求めてる。 ツーブロックでも、陽キャでも…手先の器用な人がいる。 そして、そんな新しいエレメンツが…模型部に新鮮な風を吹き込んでくれるって、期待しているんだ! 伊集院くんからチラシを受け取った僕は、それを四等分にして、後藤くん、南條くんに、手渡した。そして、みんなで円陣を組みながら、念を押す様に彼らに伝えた。 「…バスケ部から漏れて来たパンピーにも配って…?」 「まじか…そ、それは…討ち死にする覚悟でか…」 そうだ。 「そうだよ。後藤くん…!何も犠牲にしないで、成果なんて得られない…!斥候なんてしている暇はないんだ。ここは、神風になって突き進むしかない!今は、そういう時なんだ!褌を閉めて、順次取り掛かれ!」 たじろいで、怖じ気づいた後藤くんに、僕は強い言葉で喝を入れた。 すると、彼は、どこかの空を見上げて、胸に手を当てながら黙とうを捧げた。 …きっと、英霊に勇気を分けて貰ってるんだ。 この前は、くじを引く時に英霊に祈りを捧げていた。 後藤くんが祈りを捧げる中、伊集院くんはオドオドと周りを伺い始めて、南條くんはべったら漬けを屋外でも食べ始めた…。 唯一まともな陣内くんは、サッカー部の友達とおしゃべりを始めている… 「も、も…もももも…模型部です…!興味があったら…部室まで来て、体験入部も順次募集してます…」 僕は、先陣を切って…みんなに背中を見せた。 こうやってやるんだ…!って、みんなに…背中を見せた。 「春氏…」 「春ちゃん…!」 「良いぞ~その調子だっぺ!」 誰に何と言われようとも…僕は、手先の器用な…陽キャを探してる。 「何…?模型部だって…オタクの集まりじゃん…!」 僕の方が1年、学年が上なんだ。 なのに、なのに、どうして、今年の1年生は…生意気じゃないか! 目の前に現れた1年生にぐるっと周りを取り囲まれた僕は、四面楚歌の状況に、覚悟を決めてこう言った。 「…よ、よ、良かったら…部室に来てください…!」 風の音にかき消されそうな位、小さな声を出した。すると、目の前の1年生は僕の手からチラシを受け取って、立ち去って行った… はぁ…こ、怖かったぁ… 「春氏…!」 こんな健気な僕の姿を見て、心を打たれたのか…伊集院くんはオドオドしながらも、1年生にチラシを配り始めた。 恰幅の良い後藤くんに至っては、妙に女の子が周りに集まって来ていた。 「春ちゃん、良いじゃないか…!どれどれ…僕は、向こうの1年生にチラシを配って来るよ。南條くんを連れて行くね!」 おしゃべりを終えた陣内くんは、僕の手からチラシを受け取って、南條くんを連れて体育館の裏へと向かった。 向こうは、女バス、女バレが陣取ってる…女の花園だ… 陣内くんは、女バレに彼女が居るって…噂で聞いたことがある。 きっと、その人に会いに行ったんだ… 「春ちゃん…どう?」 眉間にしわを寄せながら必死にチラシを配っている僕の背中に、ちいちゃんが乗っかって来て、僕の顔を覗き込んでそう聞いて来た。 …馬鹿にしてる訳じゃないんだ。 ちいちゃんはもともと、こんな人だ。 「結構…配れたぁ…!」 僕は、思った以上の成果を見せている。得意げになって、彼を見上げてそう言った。 「へえ…俺にもチラシ頂戴よ…。配って来てあげる。」 「…本当?」 手を差し出すちいちゃんに、少しだけチラシを分けて手渡した。 「ここに、春ちゃんの連絡先とか、書いてないだろうね…?」 ちいちゃんは、内容を確認する様にチラシに書いた文言に目を通し始めた。 「も…ももも…模型部です…。良かったら…部室に来てください…!」 僕は、熱心に1年生にチラシを配り続けた。 この苦労が…明日の糧になる… きっと、手先の器用な、陽キャの人が来てくれるに違いないんだ。 「あぁ~!千秋先輩~!なにしてるんですかぁ~?」 見たら分かる…チラシ配りをしてるんだ。 なのに、目の前にやって来た女の子は、僕の事なんて見えないみたいに、背中に乗ったちいちゃんを凝視したまま続けて言った。 「ライン交換してくれませんか…?」 やだな… 僕は、ちいちゃんの腕の中から抜け出て、その場を足早に立ち去った。 すぐこうだ… 小学校の4年生を過ぎたあたりから…ちいちゃんと遊んでいると、すぐにこうなる。 女の子が近付いて来て…ちいちゃんに言うんだ。 「春ちゃんは要らない。ちいちゃんだけ一緒に来て?」 って… 僕は、それを言われるのがとても傷付いたみたいで…いつの間にか、ちいちゃんといる事自体が、嫌になっていった。 ちいちゃんを求めて来る人たちは…まるで、幽霊の様に…僕が見えていないみたいに…平気な顔をしてそう言うんだ。 「春氏!それがし、全てのチラシを配り終えた次第です!」 伊集院くんが胸を張って僕に報告した。 「…す、凄い!伊集院くん!ありがとう!」 「春ちゃん、俺も全部配ったよ!」 後藤くんは、そう言いながら、空になった手をブラブラと振って見せた。 良し…良し! これで、明日の部室前は、体験入部の1年生で溢れ返っているに違いない!! 「やったぁ~~!」 僕は、大喜びしながら、陣内くんの作ってくれた横断幕の周りを走り回った。 そんな僕の様子に、運動部がドン引きしていたって…気にするものか! だって、僕たちは…新しい一歩を踏み出したんだ! 今日の勇気は、明日の希望に繋がる。 きっと、今まで模型部なんて訪れた事もない様な人種が、体験入部に来てくれるはずだ…!! 「…よし!」 持って来た机の上を片付けながら、横断幕を小さく畳んでしまった。 今日出来る事は全てやった… 明日を待つばかりだ。 女の子にモテモテなちいちゃんを横目に見ながら、模型部のみんなを引き連れて、僕は校門前を後にした。 陣内くんと、南條くんは、戻って来なかった。だから、彼らの携帯に連絡だけ入れて、今日はもう、勧誘活動はお終いにした。 「春氏!明日が楽しみでござるな!」 「うん!きっと…長~い列を作って、僕たちのジオラマを見に来る人でごった返すはずだよ?」 それは、今までにない模型部の試みだった。 必ず良い結果になるなんて…そんな事、思っていない。 でも…僕たちは今までとは違う一歩を進んだ。それは…紛れもない事実だ。 陣内くんと、南條くんが部室に戻って来るのを待ちながら、各々の通常作業を開始した。 伊集院くんは、Nゲージの新しい車体を作り始めて、後藤くんは戦車のキャタピラーをひとつひとつ繋げ始めた。 僕は…この前下地のエアブラシを掛けたパーツに色を乗せる為に、ガラス瓶に色を作っていた。 「春氏…女の子が来たら、どうするでござるか…?」 そんな伊集院くんの声に、僕はクスクス笑いながら答えた。 「模型部に、男も女も関係ないよ。伊集院くん!細かい作業が好きな人なら…どんな人でも大歓迎だ!」 そう、そして、出来れば…文化祭で、みんなでひとつの作品を作り上げたい… ここにある…ジオラマの様に、それぞれの得意な分野を受け持ったひとつの作品が作りたい。 だって…これこそ、模型の醍醐味だと思うからだ… 「春ちゃんは、壮大なんだ。まるで、空母の様に壮大な夢を持ってる。そんな…漢なんだ…。」 後藤くんはピンセットで摘んだキャタピラーの一部を眺めながら、鼻の下を伸ばしてそう言った。 「た…ただいま…」 やっと戻って来た! 陣内くんと、南條くんを振り返った僕は、満面の笑顔で彼らに言った。 「ねえ、聞いて?みんなでチラシを全部配り終えたんだ!凄いだろ?」 「あぁ…それは、凄いね?春ちゃん、やったじゃないか!」 陣内くんは、そう言って笑顔を見せてくれた。でも、南條くんは、微妙な顔をしながらべったら漬けを口の中に放り込んで、椅子に腰かけて頬杖をついた。 きっと…チラシを配ったところで、人が集まらない…そう思っているんだ。 「…ひとつ頂戴?」 そう言って、南條くんのタッパーからべったら漬けを1枚貰った僕は、ポリポリと嚙みながら、色調整を済ませた。 「外に行って、吹きかけて来る!」 そう言ってエアブラシを抱えた僕は、美術部が活動する美術室を通って、中庭へ向かった。 いつも使う中庭のコンクリートの上にコンプレッサーを置いて、ホースを繋げた。そして、ハンドピースを繋げた後、電源を入れて、空気圧を調整した。 「試し吹きしよう…っと…」 そう言って、要らないランナーを手に持った僕は、塗料を入れたハンドピースを握って、試しに色を吹きかけて色味を確認した。 「…春ちゃん…」 「…どうしたの…?南條くん。ずっと、浮かない顔をして…。何か…一緒に塗って欲しい物でもあるの…?」 隣に腰かけた南條くんは、僕の手元のパーツに付いた竹串をクルクルと弄りながら、ポツリと言った。 「…チラシ、ほからっちた…」 え… 「それを、バスケ部の…春ちゃんの幼馴染が拾って集めてた…」 「…そ、そうなんだ…」 ショックだった。 あんなに勇気を出してみんなで配ったのに…そんなチラシが簡単に捨てられていた事が、悲しかった… でも、コンプレッサーも、ハンドブラシに入れてしまった塗料も、待ってはくれない。 だから、僕は…そんな悲しみを忘れて、竹串を手に持って…パーツに色を吹き付け始めた。 それを目撃したから…南條くんは、戻って来た時、浮かない顔をしていたのか… 「あぁ~あ…嫌な所を見ちゃったね…」 苦笑いをしながら、隣の南條くんにそう言った。 それは、僕の強がりだ… 本当は、涙がチョチョ切れる程…悲しかった。 「春ちゃん…元気出して…俺のべったら漬け、好きなだけ食ったら良い…」 「うん…」 それに何の意味があるのか… ちいちゃんが、僕の捨てられたチラシを拾っていた…そんな、事も…余計に悲しくて、堪え切れずに…涙がこぼれた。 「どうして…捨てるんだろう…要らなかったら、貰わなきゃ良いのに…!」 そう言いながら、腕で乱暴に涙を拭った僕に、南條くんはそっと寄り添って言った。 「なぐな…春ちゃん…なぐんでね…」 分かってる…分かってるけど…でも、悲しいじゃないか…! 当初の目論見は外れた… 明日が来たって…部室の前に長蛇の列は出来ない。 そして、誰も…模型部に体験入部になんて来ない事が、今の時点で確定になった。 悲しみの中、全てのパーツに色を吹き付けた僕は、オアシスに突き刺した竹串を見つめながら、カップの中の色を捨てて、中を綺麗に拭いた。 エアブラシは準備も片付けも手間がかかる。でも、その手間を怠ると、次使う時に必ず目詰まりを起こしてしまうんだ…。 だから、どんな時だって、丁寧に…慎重に掃除をしてあげないといけない。 こんなに悲しい時でも…それは同じだ。 僕は、おもむろにエアブラシのカップの中に溶剤を入れて、吹き出し口を抑えながらうがいをさせた。 先端の汚れも吹き出ししながら落として、溶剤を捨てた後は、ニードルを抜き出して、綺麗に拭いて、元に戻した。 「…ねえ、南條くん…」 「ん…?」 「後藤くんと、伊集院くんには、さっきの事、言わないで…」 僕の見栄じゃない。 一生懸命配ってくれた彼らに、要らない悲しみを与えたくなかったんだ… 「…わがった…」 エアブラシを片付けて部室へ戻ると、みんな黙々と自分の作業に没頭していた。 そんな様子にホッと胸を撫で下ろしながら、陣内くんが心配そうに僕を見つめる目を見て、眉を下げながら、コクリと頷いて答えた。 陰キャの部活動の扱いなんて…予想できた。 こんな未来だって…あるかもしれないって、予想していた。 でも、実際なってみると…とっても悲しかった。 それは、きっと…ちいちゃんがチラシを拾って集めていた事が加速させた悲しみだ。 昔から、ちいちゃんはそうだった… 僕が虐められていても、のけ者にされても、頑なに守って、庇って、僕を余計に傷付けた… 彼は優しくしてくれているだけなのに、まるで、施しを受けている様な、卑屈な気持ちがムクムクと湧き上がって来てしまうんだ。 逆恨みみたいな…歪んだ気持ちだ。 「春ちゃん、今日は何時まで居るの…?」 そんな陣内くんの声に、僕は首を傾げながら答えた。 「そうだな…6時には部室を出ようと思ってるよ。」 「分かった。じゃあ…それまで、体験入部に来た人たちに、何をやらせるか…決めておこうじゃないか…」 え… 楽しそうに笑いかけて来る陣内くんを見つめながら首を傾げた僕は、不思議そうに僕を見つめる、伊集院くんと後藤くんの視線を感じて、咄嗟に笑って答えた。 「うん…!」 どうせ人なんて来ない… みんな、陽キャのバスケ部かバレー部か…吹奏楽部へ行くんだ。 「ランナーの切り方を教えようか…それとも、バリの取り方を教えようか…?」 僕の顔を覗き込んでくる陣内くんを見つめて、首を傾げたまま僕は言った。 「そうだな…。僕は、まずは…ここの、ジオラマを見て欲しいな…そして、拘ったポイントを、みんなに話して聞かせて欲しい。技術よりも…思いを…つ、伝えたい…!」 誰も、来ないけど… 突然泣き始めた僕に驚いた南條くんが、咄嗟に僕の口の中にべったら漬けを突っ込んで言った。 「春ちゃん、なぐんでね!」 だって…だって…悲しいんだ…! 「うっうう…うわぁあん…絶対、人なんて来ない…!来ない!!こんなに楽しくて、こんなに美しい模型の良さを…どうして、否定するの…?どうして…見もしないで、オタクだとか…言うんだよっ!」 「春ちゃん…」 「春氏…」 バスケットに青春を捧げる人がいるのと同じ様に…模型の細部に、青春を捧げる人がいる。 サッカーで情熱を燃やす人がいるのと同じ様に…模型のクオリティに情熱を燃やす人がいる。 吹奏楽部でひとつの曲を作り出して団結を見せる様に…それぞれの個性を出しながら、ひとつのジオラマで団結を見せる人もいる。 何も違わない…何も違わないのに…! 「春ちゃん…誰も、そだ事いっでね…誰も、いっでねぇべ…否定なんて、しでねえよ…」 分かってる…でも、悔しいんだ…!! 僕の突然の咆哮のせいで、その後の部室の雰囲気はどんよりとした… 集中力の切れた後藤くんは、うっかり、もうすぐで完成しそうなキャタピラーを、手に付けて…バラバラにしてしまった。伊集院くんも、切るはずの無い部分を切り落として、無言で悶絶していた… みんなで、新しい事がしたかった。 新しい誰かを勧誘して、新しい風を巻き起こして、新しい何かで…ひとつのジオラマを作りたかった… だから、チラシを作って配ったんだ。 なのに、その出鼻をくじいたのが、みんなのやる気を削いだのが…自分の劣等感だなんて… ダサすぎる。 「春氏…きっと、誰か来てくれる…」 「そうだよ…春ちゃん、元気出して…」 伊集院くんと、後藤くんに慰めて貰った僕は、彼らにペコリと一礼して…もともと猫背の背中をもっと丸めて、駅へと向かった。 「どうして、わざわざ、春ちゃんに言ったの…?」 「んだって、黙ってたっで、いづか気付いてしまうもんだ!そしたら、余計に悲しくなっぺした。そんなの、優しいだなんて…俺は、思わねよ?ポリポリ…」 そんな、陣内くんと…南條くんの口論を、部室の外で耳の端に拾ったけど、すぐに捨てた… 毅然としていられなかった…僕の不徳の致すところだ。 だから…僕は、駄目なんだ。 電車に揺られながら、真っ暗な窓の外を眺めて、街灯や家の窓に映る明るい光を目で追いかけた。 「春ちゃん…」 突然後ろから呼びかけられて、僕は項垂れる様に肩を落として言った。 「…ちいちゃん…」 そう、僕と彼の家はお隣さんだ… だから、電車の中で出会った以上…一緒に家に帰る事になる。 でも、今日は… いいや、今日も…ちいちゃんと一緒には、居たくない。 「僕、文房具、買って帰るから…」 ちいちゃんを少しだけ振り返ってそう言った僕は、彼から逃げる様に改札を出た。そして、足早に本屋さんへと向かった。 嫌いだ… ちいちゃんが嫌いだ… 何でも上手に出来て、友達も沢山居て、女の子にもモテて、こんな…僕にも優しく、普通に接してくれる…そんな、完璧な彼が…大嫌いだ。 劣等感の塊…それが、僕だ… 躍起になって、新入生の勧誘に取り組んでいるけど… 僕は、模型の芸術性を知らしめたいんじゃない… きっと、間接的に、自分の素晴らしさを知らしめたいんだ。 ダサい…ダサくて、キモイ… 少しだけ、本屋さんで時間を潰して、僕は家路に付いた。 ちいちゃんと一緒に居たくない。 完璧な彼の隣で、傷付くのは…もう嫌だった。 自宅のマンションを下から見上げて、ちいちゃんが家に入る後姿を見つけた僕は、ホッとため息を吐いてから、足早にマンションの中に入った。 いつから…こんな風に、劣等感を抱く様になってしまったんだろう… 昔は、よく、一緒に遊んだ。 いつも一緒に居て…いつも笑って、彼の事が大好きだったのに。 大人になるって…こう言う事なのかな… 自然と、陽キャと陰キャと別れて…別々の方向を向いて、離れて行く。 それが、当然で当たり前の事なのかな。 エレベーターを降りた僕は、ちいちゃんの家の前を通り過ぎて、自分の家の玄関を開いた。 ※ 「春、お帰り!今日は…奮発したの!大トロ買っちゃった!」 そんなお母さんの声に頷いた僕は、足早に洗面所へ向かって、手洗いを済ませた。 食卓には、満面の笑顔で僕に刺身を見せつけて来るお母さんと、男になりたがってる妹が座ってる。お父さんは、インドに単身赴任して…2年経つ。 「だぁから、俺はふっざけんなっつったんだよっ!」 そんな乱暴な妹の言葉に頷いたお母さんは、調子を合わせて言った。 「まじむっかつくなぁ?!」 どうなってるんだ… でも、この家では…こんな事日常茶飯事だ。 「マグロ…美味しい…」 僕がポツリとそう言うと、お母さんは、満面の笑顔を向けて得意気に言った。 「でしょ?奮発したの!だって…だってぇ…!ポイント3倍デーだったんだもの~!」 うちのお母さんは、ハイテンション…それは、僕が小さい頃から変わらない。 お父さんが家に居る時は、ずっと膝の上に座って、甘ったれて聞くんだ。 「ねえ…さと子のどこが好きなのぉ?」 すると、お父さんは表情を変えずにこう答える。 「…少女みたいなところ。」 それってロリコンだ…そう思ったのは、僕だけじゃなかった。 そんな環境で育った妹は、女であることを放棄して…男になりたがった。 正確に言うと、少女でいる事を、放棄したがっている様に見えた…が、正しい。 「つぅかさ、まじで、千秋の方が兄貴っぽくね?春は、弟っぽくね?」 片膝を立てて、彼女の中の“男らしさ”を全開にした夏美は、僕を下から上まで舐める様に見て、吐き捨てるようにそう言った。 「身長の高さで年齢を見るなよ…。単細胞だな…馬鹿丸出しだ。」 鼻で笑った僕は、そう言って夏美の馬鹿みたいな言葉を一蹴してやった。 「そうよぉ~?なっちゃん。ちいちゃんはね、おっきくなる骨格をしていたの。それは小さい頃から分かっていた事なのよ。骨太で、がっちりしてるでしょ?それにね…ぷぷっ!ぷ~クスクス!ぐふふ!あっちも、あっちも…!ぐふぐふっ!」 最低だな… 僕はお母さんを一瞥して、マグロをひと切れ食べて、早々にごちそう様をした。 だって、こんな会話、聞いていたくないんだ。 「ほらぁ…!まぁた、お母さんが春を怒らせたぁ!」 「なぁに?お母さんのせいなの?春ちゃんは、思春期だから…ぷぷっ!怒りんぼなのよね?お父さんに報告しないと!」 そんなふたりの女の意地悪話なんて、聞きたくもない。 僕はさっさと風呂に入って、自室にこもった。 「それを、バスケ部の…春ちゃんの幼馴染が拾って集めてた…」 そう言った南条くんの言葉が、ずっと、耳の奥を何度も行き来して、イライラするんだ。 布団にもぐって、携帯電話の電源を落とした。 何も考えたくない…何も知りたくない…何も、見たくない…! 「春ちゃん…」 そんな顔で、僕を見たって…僕はちいちゃんが嫌いなんだ… 硬く瞑った瞼の裏に、悲しそうに眉を下げて僕を見つめるちいちゃんがくっきりと浮かんで、消えようとしない。 僕は、君の事が嫌いなのに… 「ちいちゃんだけ、来て?」 小学校のマドンナ…雪ちゃんがそう言って、ちいちゃんの手を握った… 「…は?どうしてだよ…」 ちいちゃんはその手を振り払って…僕の手を掴んで彼女を睨みつけた。そんな事をされた女子の怒りは…全て、僕に向けられた…。 邪魔者… そんな目つきで睨みつけられて…良い気分はしないよ…。 雪ちゃんはしつこく食い下がって、ちいちゃんの手を掴んで引っ張って言った。 「ん、もう…良いからぁ!ちいちゃんだけ来てってばぁ!」 「嫌だよ…俺は春ちゃんと遊んでるんだ…」 「行けばいいじゃん!!…僕は、別に…気にしないもん!行けばいいじゃん!!」 そう言って…ちいちゃんの傍を逃げる様に離れるのは、もう…嫌なんだ。 情けなくて…悲しくて…みっともなくて… もう嫌なんだ… だから、君の傍には、もう行きたくない。 だから、君が大嫌いなんだ…! 次の日の放課後… 期待していなかったのに、模型部の部室の前には、見た事もない顔の1年生が、4名程立っていた。 「あ…」 余りの衝撃に言葉を失った僕は、彼らを見つめたまま…廊下の真中で立ち尽くしてしまった… 「春氏、お疲れ様でござる。」 そんな伊集院くんの声に我に返った僕は、彼に目の前の光景を見せてあげた。 「い、いいいいい…伊集院くん!見てくれっい!!」 「はっ…?!それがしの眼が腐っているのか…?いや、しかし!我らが模型部の…部室の前に…人影を確認…!」 そうなんだ… 僕たちの模型部の前に…4人も、体験入部の1年生が来てくれた! 「あわあわあわ…あわあわあわ…」 ゴキブリみたい…と言ったら、分かり易いかな。 そんな風に手を動かしながら、僕は必死に部室のカギを開いて、1年生を歓迎して言った。 「よ、よよよ…ようこそ!ここが…模型部です!」 おずおずと部室に入って来た1年生に、早速ジオラマを動かして見せてあげた。 「見て…?このジオラマは…、今いる2年生と…この前引退してしまった3年生との合作なんだ!線路の上を走ってるのは…」 「Nゲージだぁ!わぁ!かっけえ!改造されてる!」 そ、そうなんだ… オタク真っ盛りな1年生の男子が、唾を飛ばしながら興奮してそう言った。 その隣で、同じ様にオタク真っ盛りの1年生の男子が目じりを下げて、陣内くんのロボットに見入ってる。 この子達は…来るべくしてきた子達だ。 つまり、言葉は悪いけど…僕と同じ、オタクの魂を持った子達。 僕は…違う風も入れたいんだ。 全く違う視点で模型部を楽しんでくれる…あの時のツーブロックの彼の様な、手先の器用な…陽キャが欲しかった… 目の前の彼らに失礼だとは承知してる。 でも、同じ様なタイプばかり集まったんでは…ムーブメントは起きない。 お父さんが言っていた。 新しい風とは、全く違う価値観によってもたらされるって… 僕は、そんな…新しい風を巻き起こしたいんだ。 続々と部室に集まって来た2年生たちは、体験入部する1年生にすっかりデレデレになって、甘々の甘になった。 「すっげぇ…まじで、キャタピラー組み立ててるんすか…?」 「う、うん…連結式履帯って言うか…タミヤの戦車はゴムのベルトを使ったりしてるけど…。大抵は、こうやって1枚1枚、ランナーから切り離して…組み立てて行くんだ。」 「はぁ~~!すっげぇ!」 後藤くんはすっかり鼻の下を伸ばして、楽しそうで…何よりだ。 伊集院くんのNゲージは、リアルな改造が成されていて、マニア心をくすぐってる。彼の自慢の”果たして、デゴイチは本当に空を飛ぶのか…2021“も、価値の分かる1年生には、宝物の様に映っている。陣内くんの墨入れと汚しの技術も…然り。 やっぱり、同じ様な趣味の人同士でしか、分かち合えない価値観という物は存在する…。分かっているからこそ、相手の技術力に感嘆するんだ。 僕の様に…それを、不変だと嘆く事は…間違っているのかもしれない… 不変でも…良いじゃないか。 安穏とぬくぬくと…穏やかで、誰も傷付かない。 その代わりに、代わり映えの無い物ばかりになって…向上心を失っていく… コンコン… 「すみません…ここ。模型部ですか…?」 そんな声に振り返った僕は、あの時と同じツーブロックの髪型を見つめて、動きを止めた。 「あ…」 声が出なくなった僕の代わりに、副部長の陣内くんがにっこりと微笑んで言った。 「そうだよ。ここが、模型部だよ。」 そんな陣内くんの言葉かけににっこりと微笑み返した1年生は、自分を見つめたまま固まる僕を気にしながら、部室の中へと入って来た。 「春ちゃん!春ちゃん!なんだっぺか…?どうしちまったんだぁ?」 そんな南條くんの声も、僕の耳には届いてる。 でも、目の前のツーブロックから目が離せないんだ。 「…何か?」 首を傾げてそう尋ねて来た彼に、僕は、満面の笑顔を向けて言った。 「君が…欲しい!」 「ぐほっ!は、は、は…春氏!!」 部室の中がおかしな雰囲気になった理由なんて…僕はどうでも良かった。 ただ、目の前のツーブロックの彼の右手に見えた、親指のほくろを確認した僕は…何としてでも、彼が欲しくなったんだ。 だって、この人は…去年の文化祭で、僕の目の前で陣内くんのロボットを容易に組み立てた…あの人なんだ…!! また会えるなんて…思ってもみなかった… 「はぁ…まだ、バスケ部も見に行こうと思ってるんですけどね…」 歯切れの悪いツーブロックの彼に纏わり付いた僕は、ジオラマの前に彼を引っ張って連れて行った。そして、必死にアピールして言った。 「ねえ…見て?これ…このNゲージ、凄いだろ?後は…ここのロボット!これはね、プラバンでかなり改造してる。後!この戦車!こんなに小さいのに…このクオリティーはなかなかないよ?細かいだろ?凄いだろ?燃えてこないか…?メラメラと…?!」 そんな僕の言葉にクスクス笑った彼は、怪獣に壊された建物と、その奥にいるフィギュアを指さして言った。 「ここの造形が…凄い…」 あぁ…神様…! 僕にツーブロックを与えて下さり、ありがとうございます!! 「そ…そう…?そこは…僕が作ったんだぁ…うふふ…うふふふ…」 デレデレになった僕は、ツーブロックの彼を上目遣いに見つめて、もじもじと体を揺らして照れた。 「…緊急事態が発令された…!」 後藤君くんが、突然そう言った。 すると、南條くんがべったら漬けを放り投げて、僕の手を掴んだ。そして、陣内くんがそそくさと僕を引っ張って部室の隅へと追いやった。 陣内くん、南條くん、後藤くん、伊集院くんに取り囲まれた僕は…彼らを首を傾げながら見つめて聞いた。 「…ど、どうしたの…?」 「いかんでござる。春氏…。この時代、性をどうこう言うつもりはござりませぬが、さすがに、公私混同は…部活動の規律が乱れるぅ!」 伊集院くんが口の端から泡を出しながらそう言って、そんな彼にティッシュを手渡した後藤くんは、眉を顰めて僕にこう言った。 「そうだな…春ちゃんは、少し…イケメンに当てられているのかもしれない。彼は、かなりのイケメンだ。そして、まるで軍曹の様に…良い体をしてる…。」 どういう事だ…? 首を傾げ続ける僕に、南條くんがため息を吐きながら言った。 「春ちゃん…彼氏作りたいの?んだったら、おらがいるっぺさ…」 「春ちゃんは、きっと…あんなツーブロックを見た事が無いんだ。だから、気が動転してる。彼は…この部よりも…バスケ部の方がきっと良いだろう…」 そんな陣内くんの言葉にムッと頬を膨らませた僕は、彼を睨んでこう言った。 「そんなんじゃ、駄目なんだ!もっと…もっと楽しく模型をするには、新しい風を取り込んで、変化して行く事も大事なんだぁ!」 ツーブロックの彼の元へ走って逃げた僕は、ジト目で僕を見つめ続ける彼らを同じ様にジト目で見返して、口を尖らせた。 「…あの、ここは?どうやって作ったんですか…?」 「ええ?ここぉ?ここはね~…んふふ。うふふふ…」 楽しい。 ツーブロックの彼が聞いてくる事が、とてもニッチで…マニアックで…楽しい。 僕は、君の事が…大好きかもしれない… 「僕は、春って言うんだ。…ねえ、君の、君の名前を教えてよ…」 デレデレになって彼を見上げると、とっても優しい瞳をした彼は、目じりを下げて僕に教えてくれた。 「…山崎 円(まどか)です…」 なんと、可憐な名前だろう…僕は君のことが…大好きだ。 「へぇ…円くんかぁ。ねえ、君…模型部に入ってよ…!」 強引だって分かってる。でも、彼を他所に行かせるなんて…僕が許さない。 だって、彼はとっても器用な手を持っている…小さな弟の面倒を見る、ツーブロックの男なんだ…。そして、右手の親指にほくろがあって…円なんて、可愛らしい名前をしてる。 「ちょ…ちょっと、考えさせてもらっても…良いですか…?」 「なぁんで…!駄目だぁ…!すぐに入部届を書こう?僕が手伝ってあげる!」 「は…は、はは…春ちゃん!」 陣内くんが僕の手を掴んで、再び部室の隅へと引っ張って連れて行った。 「強引だよ!そんなやり方したら、逃げちゃうだろっ!?それにだ、春ちゃんは少し、彼を違う目で見ている気がするのは、僕の気のせいかな…?」 「違う目って…?」 意味深な言い回しをする陣内くんを怪訝な顔で見つめると、彼はバツが悪そうに首を傾げながら言い辛そうに言った。 「…何か、えっと…まるで…恋してる女の子みたいに、がっついてる…」 は…? 「馬鹿を言うなよっ!僕が、そんな事…無いだろッ!」 陣内くんに怒鳴って怒ったのは…彼が、僕のガンプラを鼻で笑った時以来だ… そんな僕の剣幕に顔を歪めた陣内くんは、肩でため息を吐いて言った。 「…も、今日の体験入部はお終い…春ちゃんは頭を冷やしてよ。それが無理なら、家に帰った方が良い…」 どうしてそんな事を陣内くんが言うのか… どうして、そんな目でみんなが僕を見るのか… 全く分からなかった。 だから、僕は…円くんがこれから向かうバスケ部の体験入部に付き添う事にした。 「じゃあ…また明日来るからぁ…」 冷めた目で僕を見つめるみんなに手を振って、可愛い円くんと一緒に細かいディティールの話をしながら体育館へと向かった。 「だからね、あそこの竹ひごを曲げる時は、何度も何度もなめして…しならせながら固定するんだぁ。それは指先の力だけじゃない。全身を使ってやるんだよ?」 「…はは、全身?それは…少し大げさですね…」 大げさなんかじゃない…僕は、君の事が大好きだ。 きっと、器用に何でもこなしてしまうんだろう…? だって、陣内くんのオリジナルのパーツを、ものの見事に僕の目の前で組み立てたじゃないか…! 「ねえ…円くん。去年の文化祭…模型部の展示を見に来てただろ…?」 長い廊下を一緒に歩きながら、僕は、彼を横目に見て、そう尋ねた。 すると、彼はハッとした顔をして僕を見下ろして言った。 「あ…もしかして…あの時の?」 やっぱり… 君は、あの時のツーブロックの君だったんだ… 僕を見下ろす彼を横目に見ながら、コクリと頷いてクスクス笑いながら言った。 「うん…弟君は、まだ小さいんだね?」 「元に戻れば良いって…そう言ってくれて、助かりました…はは。あの時は、肝が冷えた…」 クスクス笑う円くんを横目に見つめながら、僕は、胸の奥を熱くして言った。 「ねえ…あの時。あっという間にロボットを組み立てただろ?あれは、そうそう簡単に組める仕様じゃないんだ。君はとっても器用な手先を持ってる!バスケ部なんて…やめて、うちの部においで?」 「春ちゃ~ん!何してんの?」 円くんの腕を掴んだ僕は、必死に彼を見つめて言った。 「君が、大好きなんだ…!だから、お願いだよ!模型部に入ってよ!」 「いや…あの、その…」 首をカクカクと傾げる円くんを見つめたまま…僕は渾身のお願いをした。 「僕と、僕と一緒に…一緒に居てよぉ!!」 「はぁ…あぁ…ええと…」 「は…?春ちゃん、何言ってんだよ…」 ちいちゃんは眉を顰めながら、僕の手を掴んで、円くんから引き剥がそうとして来た。 関係無いのに…すぐに、こうやって僕の問題に首を突っ込んでくる…そんなちいちゃんが、大嫌いだ。 僕は彼の手を払って、目の前の円くんにしがみ付いて言った。 「駄目だ!バスケ部なんて…絶対に駄目だ!こんな事して…突き指でもしたらどうするんだぁ!僕が駄目って言ったら…駄目なんだぁ!」 そのまま彼をバックしながら引っ張って、体育館から連れ去ろうとした。すると、ちいちゃんが僕の後ろに立って、通せんぼし始めた。 「ん、退いて…!ちいちゃん、退いてよぉ!」 後ろ足で蹴飛ばしても、ちいちゃんは全然退きもしないで、僕のお尻を引っ叩いてケラケラ笑った。そして、僕の円くんをジロリと見て、こう言った。 「…君、随分…春に好かれてるね…?何?どういう関係なの…?」 「はぁ…さっき、会ったばかりですけど…」 そうだ…円くんが言う通り…僕と彼は、今日、初めて会ったばかりだ… でも、彼が欲しいんだぁ! この、器用なツーブロックを、逃してなるものかぁ~~~~! 「ちいちゃんには関係ないだろっ!あっち行けよ!馬鹿野郎!」 渾身の力でそう言った僕を見下ろしたちいちゃんは、眉をピクリと上に上げて、僕の腰を掴んで持ち上げた。 「君…バスケ部の体験入部の子でしょ?1年1組の…中学校でバスケ部主将してた…円くん。知ってるよ。彼女が君の事を、まるちゃんって呼んでる事も知ってる…」 ちいちゃんはケラケラ笑いながらそう言って、僕を体育館のマットにグルグル巻きにして、放置した。 そんな僕を哀れに思ったのか…円くんは悲しそうに眉を下げながら、僕を見下ろして、見つめた。 「…んぁあ!だぁめだぁ!円くんは、僕が貰ったんだからぁ!」 「はいはい…。春ちゃんは、彼がモテモテなのを知らないんだね?彼女だっているんだよ?まるちゃ~んって呼んで、イチャイチャしてるって…もっぱらの噂だもん。」 だ、だから何だよ… それと、手先の器用さと何の関係があるんだよっ! 僕は渾身の怒りを込めて、ケラケラと笑って僕をおちょくるちいちゃんを睨みつけた。 「そんなの、知らない!どうでも良い!円くんは、僕の物だから…勝手に、入部させたら、許さないかんな!!」 ちいちゃんは、そんな僕を見つめてケラケラ笑いながら、マットに巻かれた僕を指先で転がしておちょくった。 「お~コワ!許さないって…どうするの?怒ってパンチしてくるの…?春ちゃんが?あ~はっはっは!返り討ちにしちゃうよ…駄目だよ?そんな事言わないんだ。」 くそっ!くそっ!! 「さあ…円くん、春ちゃんは放って置いても大丈夫だよ。こっちで番号付けて試合でもしてみようよ…」 円くんは、僕を心配そうに見つめたまま、ちいちゃんの言葉に頷いて答えた。そして、僕の元に駆け寄って来ると、グルグル巻きにされた僕を助け出してくれた。 「春先輩…俺、バスケ部の体験入部に来たんです。だから、ここで…少し待っていてください…」 あぁ…神様!! 僕に心優しいツーブロックを恵んでくださってありがとうございます!! 「うん…待ってる!!」 引き攣った表情の円くんに笑顔でそう答えた僕は、肩身の狭い体育館の隅で、彼がちいちゃんの元へ走って行く後姿を見つめて、うっとりとため息を吐いた。 心が優しくて、手先が器用なんて…積んでんな。 天国への階段を積んでるわ… 神が与えたもうた奇跡…それが、彼だ。 運動部のいけ好かない空気の中…僕は円くんを見つめて両手を握りながら言った。 「まるちゃ~~ん!頑張って~~!」 「はっ!春ちゃん、大概だぜ!」 そんなちいちゃんの声なんて…僕はどうでも良い。 目の前のまるちゃんだけ…も、彼が、可愛くて仕方が無いんだ! そして、大嫌いなバスケットボールの試合が、目の前で始まった… 大抵の運動部の男は、すでに彼女を持ってる。 だから…体育館の上の踊り場には、もれなく彼らの彼女が陣取っていて…こんな風に試合が始まるたんびに、黄色い声を上げて応援し始める。 馬鹿みたいだ… 「千秋~!頑張って~!」 ちいちゃんの彼女は、2年1組…僕と同じクラスに在籍してる。 この高校の、マドンナと呼ばれてる…柏木さんだ。 噂によると、モデル事務所に登録しているとか…何とか… どうでも良い きっと、僕と違って、ちいちゃんは…色々済ませてるんだ… 同じ様に育ったのに… 僕だけ、幼いままで…彼は成熟して行ってる。 いつの間にか、僕は、まるちゃんじゃない、ちいちゃんを睨みつける様に見つめて、目で追っていた…。 そんな僕に気が付いたちいちゃんは、ウインクして投げキッスを僕に寄越した… 本当に、ムカつく… 僕は、君が大嫌いだ。 そんなちいちゃんから視線を逸らした僕は、唇を噛み締めて、まるちゃんを目で探した。 「まるちゃ~ん!カッコいい~!」 そんな声が、体育館の上から聴こえて…まるちゃんがシュートを決めた。 「キャ~~~!大好き~~!」 まるで、その声に応える様に上を見上げて手を振ったまるちゃんを見つめて、僕の胸の奥に、鋭い痛みが走って、思わずつんのめった。 痛い… びょ…病気…? 去年の心電図検査で、僕は心臓に雑音が見つかって再検査になった。 お母さんが病院に連れて行ってくれて、再検査した結果…成長の過程でよくある雑音だと言われた筈… それなのに…胸が痛い… 苦しくて…息が出来ない…! 「春ちゃん…どうした…」 胸を押さえたまま突っ伏す僕に、ちいちゃんが駆け寄って来た。そして、僕の顔を覗き込んで、心配そうに聞いて来た。 「苦しいの…?」 「苦しい…」 すぐにちいちゃんは僕の口に携帯用の酸素を当てて、背中をさすりながら様子を見守り始めた… 僕は、もしかしたら…心臓に問題を抱えているのかもしれない… そんな一抹の不安を抱きながら、眉を下げて僕を見つめるちいちゃんを見上げて、無性に腹が立って、首を横に振って言った。 「も、良いの…」 「でも、」 「良いの!放っといてよ!」 そのまま、ヨロヨロと体育館を出た僕は、痛む胸を抱えたまま…学校を後にした。

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