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秋_第3話
次の日の放課後…
「春氏!見てくれい!こんなに…こんなに…立派な線路になったでござるよ…?ほらぁ!踏切も!時間で閉じる仕様になっているでござる!!」
部室を分断していたビニールを取っ払った僕は、眼下で大興奮する伊集院くんを見下ろしながらケラケラ笑って言った。
「上出来じゃないかぁ!この駅は、誰が作ったの?とっても造形がしっかりしてる!」
「春先輩!僕が作りましたぁ!」
模型部は、すっかり活気を取り戻した。
各々の制作物を黙々と作る日常に比べて、ひとつの物をみんなで作っているせいか…おしゃべりも、笑い声も、断然増えた。
ジオラマの全景も見えて来た…
残るは細かなディティールの作り込みと、各々の制作物を情景に溶け込ませていく作業のみとなった。
「陣内くん!波を作るから…天面になるレジンの板を美術室へ運ぼう!」
「…はいはい!」
今日は、海のレジンの天面に波打ち際の白波を作っていく。
大きなジオラマが占拠する中、作業スペースの少なくなった僕たちは、大きな造形作業の時は、美術部のスペースを少しだけ間借りしていた。
「強化剤を入れて…どのくらいたってからにする…?」
そう聞いて来る陣内くんを上目遣いに見た僕は、白い絵の具を溶かしながら首を傾げて言った。
「一概に言えない…粘り気を確認しながら、流し込もう。」
既に水色の絵の具がとかされたレジンの板は、それだけでも綺麗な代物さ。でも、海は…波が立ってる物だ。だから…この上に、トロみの強いレジンを再び流し込んで、ドライヤーを当てながら波を作っていくんだ。
これは、失敗したらもう、修正の出来ない…一発勝負の作業さ。
「ほれぇ!春ちゃん、気合いだっぺ!」
南條くんは、気合を込めてそう言うと、僕の口の中にべったら漬けを入れてくれた。
「じゃ…混ぜるよ。」
そんな後藤くんに声に頷いた僕は、手にゴム手袋をはめながらレジンの板の上にゴジラを置いた。
すると、既に配置の済んだ南條くんの連合艦隊に包囲されたゴジラの姿に、思わずみんな目を細めて微笑んだ。
「良いな…」
「ゴジラ、めっちゃ強そうになったじゃん…」
「さすがでござるね…良いクオリティーでござる!」
「核攻撃なんて…こいつにとっちゃあ、餌を貰ってる様なもんだっぺ!」
そんなみんなの声にクスクス笑った僕は、後藤くんの手元で掻き混ぜられるレジンを見つめて、頃合いを見計らった。
「白を入れるよ…」
レジンの中に白い塗料を入れた僕は、掻き混ぜ続ける後藤くんの様子を見つめながら、周りに集まった模型部のみんなに言った。
「僕がこの波打ち際に…曲線を作りながらレジンを垂らしていくから…合図をしたら、みんなでこのレジンの板を…こうやって傾けてくれっ!陣内くんは、割りばしか何かで…白波の前の波の泡を作って…?出来る人は、レジンの固まる前に…彼に習って泡立つ海面を割りばしで作ってくれっ!」
もしかしたらこの手法は邪道かもしれない。
でも、一度に全ての作業をクリアする事は、僕たちには無理だった。こんな集中する作業は、特に…日を改めてするに限る。
「りょ~かい!」
「春ちゃん、粘って来た!」
そんな後藤くんの声を聞いた僕は、彼からレジンの入ったバケツを受け取って、みんなが固唾を飲んで見守る中、トロリと流し込み始めた。
「均一じゃダメなんだ…アンバランスなのが、自然だから…気張らないで…緩急を付けて…」
ブツブツそう言いながらバケツの中のレジンを流し込んでいると、ふと、両手に抱えたバケツが軽くなった。そして、すぐ真後ろから聞こえた声に、僕は目じりを下げて笑った。
「春ちゃん、凄い事やってるね…?」
まるちゃんだ…
「これから波を作ってくんだ…まるちゃんも手伝ってって…?」
そうこうしていると、いい塩梅にレジンが流れ込んだ。
「はい!ゆっくりと…傾けて!」
そんな僕の合図と共に、模型部のみんながレジンの板を波打ち際の方へと傾けた。
すると、トロリと伸びたレジンの液が、程よい厚みを残しながらランダムな曲線を作った。
よし…これだ…
再び下に置かれたレジンの板を見つめて、思った以上に白い液体が広がった様子に狼狽える1年生に向かって僕は言った。
「これから、この白をドライヤ―で伸ばしていくよ?固まる前に…波打ち際を作り上げる。これは…時間との、勝負だ!」
「イエッサー!!」
「ふふふ!楽しそうだな…」
クスクス笑うまるちゃんの声を背中に聞きながら、僕は、波打ち際にドライヤーを当てて白い色の付いたレジンを飛ばしながら、海面に凹凸を付けた。
「春ちゃん、どこまでやる…?」
「波打ち際から…約10センチくらい…まるちゃん、ゴジラの所にもレジンを流し込んで…?」
「…グルッとで良いの…?」
「良い…」
簡単な言葉だけで、君は実に僕の思った通りにレジンを流し込んでくれる…人はこれを阿吽の呼吸なんて呼ぶんだよ…?
デレデレと鼻の下を伸ばした僕は、ちいちゃんのゴジラの真上からドライヤーを当てて派手に波を作った。すると、まるちゃんは僕の背中を撫でて、こう言ってくれた。
「あぁ、良いじゃん!」
そうだろ…?
すべて、計算通りだ…!
僕が…君意外のちいちゃんにも胸キュンしてしまった事を除いては、全て…計算通りなんだ…
「よしよし…」
レジンが固まって…僕たちの戦いは終わった…
白波が上手くいかなかったところは、後から色を塗って誤魔化してしまおう。
「お疲れ様…みんな、上出来だぞ!」
美術部員のみんなも僕たちの息を飲む一発勝負の作業を、固唾を飲んで見守っていてくれたみたいに、大きな拍手をくれた…
「今日は、もう、ヘトヘトに疲れたでござる!」
そんな伊集院くんのぼやきにクスクス笑いながら、僕はゴジラを板から外して、模型部に戻って行く。
そして、隣で僕を見下ろすまるちゃんを見上げて、こう言った。
「シリコンの粘土があるんだ。あれで、連合艦隊の周りに波を作る。このゴジラの際にも大きな波を立てて…足元に、水を掻いた水流を作るんだ…」
「随分…そのゴジラに入れ込んでるね…?」
そんなまるちゃんの言葉に首を傾げた僕は、彼を見上げたままこう言った。
「このゴジラはジオラマの街を襲う“敵その1”だよ?力が入って当然さ!後は…街中を侵略する宇宙人が、“敵その2”だ。この街は、今、まさに、壊滅状態なんだ。でも…ふふっ!電車が普通に走ってる!あっふふ!その、アンバランスさが…おっかしいでしょ?」
ケラケラ笑った僕を見下ろしたまるちゃんは、不思議と表情を曇らせた。
そんな彼の変化に気が付いた僕は、首を傾げて彼に聞いた。
「…まるちゃん、どうしたの?」
僕の言葉に、押し黙ったまるちゃんは、じっと僕を見つめて悲しそうに言った。
「春ちゃん…俺、君にキスしたけど…あれには、深い意味は無いんだ。」
へ…?
「ぐほっ!」
まず先に吹き出したのは…その場にいた、陣内くんだった…
「ど、どう言う事でござるか…?!」
陣内くんの声が頭の中でガンガン鳴り響いた。
目の前のまるちゃんが、いつもと違う人に見えた僕は、苦笑いしながら声を震わせた。
「…な、何で…そんな事、言うの…」
「…元の、友達に戻りたいんだよ…。だから、もう…俺に、鼻の下を伸ばさないで…」
それは、突然の梯子外しだった…
天国に近い男…まるちゃんの手によって、僕は上空うん千メートルから…一気に、真っ逆さまに落ちて…叩き付けられた。
「…ど、努力する…」
眉を下げたまるちゃんにそう答えた僕は、そのまま猫背を更に丸めてゴジラの彩色を再開した…
目の前を横切って行く思い出たちは…彼と一緒に乗った観覧車を映しだして、楽しそうに笑う彼の顔を一緒にプレイバックさせた…
どうして…?
まるちゃん…僕の事が…嫌いになっちゃったの…?
「…好きだと、思ってたのにな…」
僕の隣に腰かけて、ゴジラの完成度を覗き込んでくるまるちゃんを横目にそう言った。すると、彼は首を傾げて肩をすくめるばかりだった。
「嫌いになったの…?」
「…違うよ。」
「じゃあ…どうして…?」
「春氏!こ、こ、こ、こんな狭い部屋の中でぇ!そ、そんな…プライベートな、色恋を…語らんで欲しいでござるっ!!」
顔を真っ赤にした伊集院くんの制止によって、僕は自分の胸のモヤモヤを抱えたまま、黙らざるを得なくなった。
解せない…
そんな思いを抱えて、隣に座ったまるちゃんの腕に寄り添った僕は、鼻を啜りながらゴジラのクオリティを上げて行く。
「これ…作ったから、使ってよ。」
そう言ってまるちゃんが取り出したタッパーの中には、上出来なフィギュアが沢山詰まっていた。
「あぁ~!まるちゃぁん!!」
タッパーを開いてひとつ手に取った僕は、余りのクオリティにクラクラしながら彼に抱き付いて、頬ずりしながら言った。
「なぁんだぁ!こんなに上手に作ってぇ!やっぱり、君は…」
そこまで言って、僕は、すぐにその先の言葉を飲み込んだ。
模型部に入ってなんて…もう、言わないよ…
「…ぼ、僕の事が、大好きなんじゃないかぁ~!」
「春ちゃん!」
後藤くんの声が、僕の誤魔化しの言葉すら…否定した。
南條くんがジト目を向けてべったら漬けを口に放る中、まるちゃんの作ってくれたフィギュアを手に取った僕は、彼を上目遣いに見つめて体を捩って言った。
「ねえ、まんざらでも無いんでしょ…?」
「…何が?」
「…だ、だからぁ…僕の事、嫌いじゃないでしょ?」
「…それは…」
「じゃ、好きって事じゃないの?そうでしょ?嫌いの反対は…好きなんだよ?」
閉口するまるちゃんを見つめたまま、僕は体を捩ってアピールを続けた。
それは、南條くんのべったら漬けがタッパーから無くなるまで…だ。
「…春ちゃん、もう、これ以上言うなら…明日から、手伝いに来ないよ…?」
そんな、まるちゃんの言葉を最後に…口を尖らせた僕は、大人しくゴジラの下半身の彩色に取り掛かった。
なんだよ…まるちゃん…
君も、ちいちゃんと同じ…プレイボーイだったの…?
深い意味も持たずに誰彼構わずキスする…外人みたいな人だったの?
下校時間ギリギリまで作業を続けた僕たちは、今日も宿題を持って学校を後にした。
「春ちゃん、まあ、振られる事はよくあるよ…。でも、円くんは…お友達でいたいって言ってくれたんだから、今まで通り…一線を越えない関係でいたら良いじゃないか…!」
陣内くんは、いつも、いつも、僕にリアルな現実を教えてくれる。
そして、猫背に丸まった僕の背中をポンポン叩いて、ケラケラ笑いながら、あの、まるちゃんの暴挙による公開処刑を水に流そうとしてくれている…
「…まるちゃんも、プレイボーイだったのかなぁ…?僕は、プレイボーイに弄ばれる…そんな星の元に産まれた少年なのかなぁ…?」
「さあね…」
興味なさげに陣内くんがそう言った。だから、僕は彼の手を握ってこう言った。
「ねえ、僕と…キスできる?」
「はぁっ!?は、は、春ちゃん?!」
「男の君が、僕に躊躇なくキスする事が出来たなら、僕はまるちゃんを諦める事が出来そうなんだ。ねえ、キスしてよ!」
「絶対に嫌だ!」
そんな陣内くんの言葉と表情に、僕は、無駄に傷付いた。
しかしながら、男相手にキスする事のハードルの高さを、実に正直に教えてくれたではないか…。
これが…現実だ。
だったら、やっぱり…まるちゃんは、あの時は…僕の事を好きでいてくれたんだ。
「はぁ…」
微妙な距離感の生まれた僕とまるちゃんは、それでも以前と変わらない趣味友として、仲良く過ごした。ほんの少しの物足りなさを感じながらも、優しい彼の笑顔に、僕は、鼻の下を伸ばし続けた。
そして…とうとう、模型部の大作…2畳分のジオラマが、完成した…
「や、やったぁ…」
「春ちゃん!よく、頑張ったぁ!」
ヘトヘトにくたびれた僕を抱きしめてくれたのは…なんだかんだ言って、僕の隣に居てくれた…まるちゃんだった。
僕と彼だけ残って作業を続けた真っ暗な模型部の部室の中…
最期の仕上げとして、必死に並べたフィギュアたちは、どの情景にも溶け込んで、更に臨場感を引き出してくれた。
そんな全体を見渡して、僕はへたり込みながら両手を硬く握って言った。
「まるちゃん…まるちゃぁん!!僕は…最後までやり切る事が出来たぁ!」
「うん!うん!春ちゃんは…やり切った!」
これは友情なの…?
君は、副部長の陣内くんよりも、僕の作業をつきっきりでサポートしてくれた。
ねえ、これは、友情なの…?
「ま、ま、まるちゃぁん!」
興奮した僕は、隣でケラケラ笑っていたまるちゃんを、ジオラマの前に転がして抱き付いた。
「は…は、春ちゃん!」
そんな彼の困った声なんて、僕はどうでも良いんだ!
「まるちゃん…僕の事、好きって言ってよ…!好きって言えってばぁ!模型部に入れって、もう言わないからぁ!…好きって、好きって…言えってばぁ!」
「…何してんだよ。」
暗い部室に煌々と明かりが灯った。
目を眩ませながら顔を上げた僕は、そんな呆れた声と同時に現れたちいちゃんを見つめて言った。
「…あ、愛を、紡いでた…」
「ふぅん…。ほら、帰るぞ。下校時間をとっくに過ぎてる。先生に見つかったら怒られるぞ?」
それは、まずい…!
文化祭前に派手に先生に怒られた美術部は、出展内容を変更せざるを得なくなったんだ。
二の舞になっては…みんなに合わせる顔が無くなるっ!
眉を下げたまま僕を見上げるまるちゃんを見下ろした僕は、口を尖らせて悔しがりながら言った。
「…仕方が無い!か、帰ろう!」
「あぁ、ジオラマ、出来上がったの…?凄いじゃん…春ちゃん、頑張ったな…?」
僕の髪を撫でたちいちゃんは、両手で僕を抱き抱えて、軽々とまるちゃんの上から持ち上げた。そして、ゴジラを指さしてケラケラ笑って言ったんだ。
「わぁ~!俺のゴジラが、こんなに格好良くなったぁ!」
「そうだよ?これは…僕が全部、リペイントしたんだ!ふふん!どうだ!凄いだろ!」
白波を立てて陸地へ向かうゴジラは…圧巻の仕上がりになった。
「ね~?まるちゃんも凄いって言ってくれたもんね~?ね~?そだよね~?」
「う、うん…」
「こらぁ~!いつまで残ってるんだ!早く家に帰れっ!!」
そんな先生の声に、僕たちは、慌てて学校を飛び出した。
「文化祭には、たぁくんも来るの…?」
「うん…来るよ。」
「わぁ!…ふふっ!楽しみだ!きっと、喜んでくれるよね?」
「うん…喜ぶよ。」
隣を歩くまるちゃんを見上げた僕は、彼の年の離れた弟…たぁくんの喜ぶ顔を想像して、ひとりで悶絶した。
あの子は…屈託なくて可愛いんだ…
「俺は、焼きそばを作るんだ。知ってるだろ…?春ちゃん、俺の焼きそばは美味しんだ。春ちゃんは大好きな人だから、特別、タダにしてあげるね。」
僕の顔を覗き込んで、ちいちゃんがウインクしながらそう言った。
大好きな人だから…彼の言葉からそのワードを拾った僕は、一気に顔を赤くして、下唇をかんだ。
「う…うぅ…」
僕は、まるちゃんの腕を意図せず掴んで、首を傾げるちいちゃんから視線を外してまるちゃんに言った。
「…ほ、他には…たこ焼き屋も出るんだよ…?」
「あぁ…まるちゃんの彼女がやるんだよね?」
はぁ?!
「まるちゃん!彼女は僕だけだって言っただろっ!」
「そ、そんな事言ってない。春ちゃんとは、友達だって…言った。」
何て事だぁァァァ!!
僕と別れた瞬間、ゴミの様な女が…まるちゃんをハントした。
「その人…多分、すぐ死ぬよ?」
「やめなよ…春ちゃん。別に、付き合ってる訳じゃないんだから…」
「それでも、多分、すぐ死ぬよ?僕のまるちゃんにちょっかいを掛ける女は、みんな死ぬんだ。それは、必然なんだよ?」
「はぁ…参ったな…」
ため息を吐いて項垂れるまるちゃんを見つめて、僕は胸の奥がドクドクと痛むのを感じながら…彼があの笑顔を誰かに向ける事を恐れた。
あの可愛い笑顔は…僕だけの物なのに…!!
「春ちゃんは…まるちゃんが好きなのに、俺の事もずっと前から好きなんだ。」
そんなちいちゃんの一声に、僕は彼を振り返って怒って言った。
「ちいちゃんはぁ…とんでもないプレイボーイじゃないかっ!誰彼構わず色々な事をする様な男、僕は…どうかと思うけどね!」
「でも…好きなんだもんね~?」
く…くそっ!
奥歯を噛み締めたまま、僕はへらへら笑い続けるちいちゃんを睨みつけた。
「じゃ…じゃあ…またね、春ちゃん。」
「ま、まるちゃぁ~ん!駄目だよっ!絶対に、操は守るんだぁ!」
周りの人がギョッと顔を歪めても、僕は…立ち去って行く彼の背中に、そう叫ばずにはいられなかった…
僕と、まるちゃんは…お似合いのカップルなのに…
「春ちゃん、帰りに羊羹買って帰ろうよ。俺、久しぶりに食べたくなっちゃった!」
僕は、プレイボーイのちいちゃんと、一緒に電車に乗った…
だって、家がお隣なんだ。
「どうして…まるちゃんは、僕の事、お友達以上…恋人未満にしたのかな…?」
吊革に掴まって僕を覗き込んで来るちいちゃんにそう尋ねると、彼は首を傾げてこう言った。
「…そういや、ちょっと前…まるちゃんに問い詰められたんだ。千秋先輩は…春ちゃんの事、好きなんですか?って…。」
…な、なぁんだってぇ?!
僕は初めて聞いたそんな話に目を丸くして、ちいちゃんの胸を小突いて聞いた。
「いつ?」
「この前だよ。ほら…春ちゃんが…へへ、1年生に抱き付いて、ビービー泣いてた時!ははっ!」
あぁ…
まるちゃんが、僕の声も聞かずに…先に帰った日だ。
「…それで、俺は…ずっと前から好きだって答えた…。そしたら、まるちゃんは…何て言ったっけな…?あれ~?忘れちゃったな~。」
首を傾げ続けるちいちゃんを見上げながら、僕は、項垂れる頭を起こして言った。
「…きっと、まるちゃんは…僕が二股をかける淫乱だと思ったんだ。だから、僕の事を本命枠から外した…。うっ…うう…ち、ちいちゃんのせいだ…!!」
「へえ…春ちゃんは、淫乱なんだぁ~」
ちいちゃんの言葉を耳に拾った目の前のサラリーマンは、悠々と椅子に座りながら、僕を見上げて首を傾げた。
はんっ!
僕は…こんな地味な見た目でも、きっと…ど淫乱なんだぁ…!!
「あぁ…!僕が、淫乱で…どんな男にもキスを求める輩だから…!まるちゃんは、僕に幻滅して…本命枠から外したんだぁ…!幼い頃から、ちいちゃんに悪戯され続けたせいで…僕の、倫理観は、崩壊してるんだぁ!」
シクシク泣き始めた僕の背中を撫でながら、ちいちゃんが優しく言った。
「そうだね…幼い頃から、俺に悪戯されてたから…。もう、春ちゃんは…俺以外の男じゃ物足りなくなっちゃったんだね。大丈夫、俺はね、責任は取るよ?」
責任…なんて言葉が、1番似合わないちいちゃんが胸を張ってそう言うと、サラリーマンの隣に腰かけたおばさんが僕を見上げて言った。
「…いうて、淫乱には見えんて…どっちかって言うと、ゴリゴリの陰キャ…やで?」
うるさい…!
現実を知らしめてくるのは…陣内くんだけで十分だぁ!
辛辣な乗客の乗る電車を降りた僕とちいちゃんは、とらやに立ち寄って、羊羹を買った。そして、いつもの商店街を並んで歩いた。
ちいちゃんは、嬉しそうに羊羹を両手に抱えて歩いてる。そんな彼を横目に見ながら、僕はモゴモゴと言った。
「…3年生を、卒業したら行くの…?」
「うん…多分ね…」
ちいちゃんは、プロのバスケットボールチームのスカウトを受けた。
それは…僕が、彼に告白した後、決めた事だそうだ…
理由は分からない。でも…あの日の後、すぐに返事をしたそうだ。
だから、ちいちゃんは…高校を卒業したら、僕から離れて…富山へ行く。
「富山って…何があるの…?」
「知らない。」
僕は、1番に彼の選択を彼の口から聞いて、1番に…泣いて、嫌がった。
でも、爽やかささえ感じる、吹っ切れた様子のちいちゃんは、すっかりボボちゃんにも暴言を吐かなくなって、毎日を楽しく過ごしている…
以前と変わらないそんな彼の様子に、僕は時々忘れてしまう…
あと、もう少しで…彼が僕から離れて行ってしまう事を、忘れてしまう。
そして、とうとう…文化祭の日がやって来た…
2日間に渡って行われる、わが高校の文化祭は、文化部の展示品と、各クラスの出し物…そして、運動部による出店が主流だ。
今年の目玉は軽音部と吹奏楽部だそうだ。なんでも、合同で演奏されるクイーンの“Somebody to Love”が、めちゃめちゃ良い仕上がりになっているそうだ。
そんな中…僕たち、模型部は…完成したジオラマを美術室へ移して、最終確認をしていた。
「陣内くん!踏切の具合はどう…?」
「ばっちりだよっ!」
「あぁ~~~~!!春氏~~!ぜひ、このジオラマの前で写真を撮るでござる!!模型部全員と、この…みんなの力の集大成…ジオラマとで、それがしは、写真が撮りたいでござる~~!」
ふふ…!分かるよ…!!
興奮して飛び跳ねる伊集院くんを見つめた僕は、ニヤニヤしながら頷いた。
「よし!じゃあ…みんな、いったん作業の手を止めて…写真を撮ろう!」
みんなに声を掛けた僕は、上出来なジオラマを見渡して瞳を細めた。
畳…2つ分の広さのジオラマは、普通の造形師でもなかなか手を出さない規模だ…
そんな大舞台に、僕たちは…ゴジラと、宇宙人に襲われるひとつの街を再現した。
美しい白浜の海岸線には、物騒な戦車が立ち並んで…海から進行してくるゴジラを迎え撃つ態勢を整えている。そして、海上では、イギリス…日本、アメリカの連合艦隊が、そんなゴジラの背中目がけて主砲を放って…無駄な抵抗を続けてる。
海底には、お宝の眠ったままのアトランティスと、それを目指して…頓挫して、朽ちて行った海賊船が…静かに眠ってる。
僕は、ひとつひとつじっくりと眺めて…満足げに、瞳を細めた。
このひとつ、ひとつに、みんなの思いが詰まってる…!
「春ちゃん…!やって…良かったな!」
そんな後藤くんの激励に無言で頷いた僕は、視線を上に上げて…ジオラマの上を走る”果たして、デゴイチは本当に空を飛ぶのか…2021“を見つめながら笑って言った。
「やって…良かった…!!僕たちは…最後まで、やり遂げたんだ!!」
山の中腹には、トンネルを滞りなく抜けて行く電車と、人の手が加わって人工物を山肌に付けた自然を再現して、山頂まで続く有料道路は温泉街へと向かってる。そこには、呑気な家族連れが笑顔を見せて、はしゃいだ子供が転んで…アイスを落としてる。山の頂上へ向かうロープウェイには、歩きたくない人が列を成して並んで、山の情景を彩っている。
住宅街の上空に現れた巨大な宇宙船の空母は、眼下で侵略活動を始める宇宙人と、逃げ惑う人間を静かに眺めて…運悪く逃げ遅れた人々は、自宅の窓からそんな様子を眺めて震えている。
それでも…電車は…通常運転を続けている。
そんな…非日常を再現した。
「は、春先輩…!!」
いつの間にか…僕は、顔を汚く歪めて…涙を流し続けていた。
一時はどうなる事かと思ったこのジオラマを、みんなの力で、再び軌道に乗せる事が出来た。
苦しかったけど…怖かったけど…僕たちは、新しい一歩を踏み出して、自分の中に、新しい風を巻き起こす事が、出来た…。
それは…誰かがくれる物では無く、自分の中で巻き起こった新しい風だ…!!
「はい!撮るよ~?春ちゃん!ははっ!ん、もう…!笑ってよっ!」
そんな陣内くんだって…僕につられて、泣いてるじゃないか…!!
もらい泣きをする美術部の部長…神原さんによって、僕たちの記念撮影はあっという間に終わった。鼻を啜りながら、お互いの造形を褒め合う…そんな、感慨深げな雰囲気の中…ひとりの声に、僕は途端に笑顔になった。
「春た~ん!たぁくんが来たよ~!」
「たぁく~ん!!」
それは、まるちゃんの年の離れた弟…たぁくんだ。
今日は、お父さんとお母さんと一緒にやってきた様だ。
つまり…僕の義理のお父さんとお母さんになる人たちだ…
僕に駆け寄って来た、たぁくんを抱きとめた僕は、すかさず、お母さんに向かってこう言った。
「あ…まるちゃんの、お母さんですか?僕は、彼の彼女です。」
「…春ちゃん!やめたげてっ!」
陣内くんの制止も聞かずに、僕は、戸惑うまるちゃんのお母さんに続けてこう言った。
「この前…キッスしたんですよ…。」
「春ちゃん!!」
迫力のある後藤くんの低い声は、僕のへらへら笑った顔を強張らせるには…十分だった。
なんだよ…外堀から埋める作戦だったのに…!!
鼻息を荒くする後藤くんを横目に睨んだ僕は、足元ではしゃぐたぁくんを見下ろして、目じりを下げた。
「春たん、たぁくんのはどこ~?」
「ふふ…探してみて?ヒントは…人が沢山居る所にいるよ?」
小さなたぁくんを、いつも彼がそうする様に抱っこした僕は、ジオラマの街中を一緒に見下ろした。
「わぁ…!!」
ふふ…!
その声が聞きたかった…!!
目を輝かせたたぁくんはあちこちに視線を動かして、ジオラマの中の情景を読み取った。僕は、そんな彼の視線を追いかけて…一緒になって笑った。
「あ、いた~~~!」
そう言って、たぁくんが指さした先には、彼が作った…ストロー人間が、沢山の人を驚愕させながら犬の散歩をしていた。
「あ~!見つかっちゃったぁ~!」
ケラケラ笑ってそう言うと、たぁくんは海底の造形に目を輝かせてこう言った。
「海賊船がある~!」
そうだ!
さすが、たぁくんは…一味違う!
「触らないで見るんだよ?すぐに…壊れる物だからね?」
「ほ~い!」
コロコロと跳ねるたぁくんを床に下した僕は、笑顔でジオラマを眺めるあの子の笑顔にクラクラして、満足げに笑った。
「凄いね…。これ、作ったの…?はぁ~!若さとは…かけがえのない才能だ。」
そう言って僕の顔を覗き込んで来たのは…まるちゃんにそっくりの彼のお父さんだ。
「はっ!!」
ここで、僕は重大な事実をひとつ思い出した。
まるちゃんのお父さんは、プロモデラーで…模型屋の店主だ。
そんな人が、僕たちのジオラマを見て…感嘆の声を上げた…!!
フォ~~~~~!
叫びたいのを必死に我慢した僕は、眉を上げながら、ぎこちなく言った。
「…はぁはぁ…あ、あぁ…えっとぉ…その…はぁはぁ…はぁはぁ…!!」
「ふふ…!レジンを大量に使えないながらに、水中の様子を表現しようと創意工夫されている…。感心するね。」
フォ~~~~~~!!
握った手に汗をかきながら…ぎこちなく指をさして、僕は説明を始めた。
「…はぁはぁ…あ…ああ…はぁはぁ…ゴクリ…」
「あぁ…本当だね、この岩肌には…ウッドチップを使ったんだ。へぇ…いい味が出るもんだ。参考にさせてもらうよ?」
フォ~~~~~~!!
1年生の功績を褒められた僕は、いてもたってもいられずになって…口から唾を飛ばしながらまるちゃんのお父さんを見上げて言った。
「…こ、こ、これは…い、1年生の子たちが…模型の本を熟読して…調べて、挑戦して、表現した部分です…!彼らは、模型作りなんて初めてだった…もっぱらNゲージの改造に夢中になっていた子達です。」
「へえ…」
まるちゃんのお父さんは、顎に手を当てて興味深げに体を屈めた。そして、踏切を走り抜けて行くNゲージの車両を見つめて、にっこりと笑った。そんな笑顔に緊張が解けた僕は、楽しそうに上を見上げるたぁくんを見つめながら続けて言った。
「この規模のジオラマ作りは…ハッキリ言って、無謀だった。それでも…みんなが、協力してくれて…みんなの得意分野と、未知の分野への関心を…強める事が、出来たぁ…!それだけでも…それだけでも…やった甲斐はあった…!!うっうう…!!」
涙腺の緩くなった僕は、再び、ボロボロと涙をこぼしながらケラケラ笑った。
そんな僕に驚いたまるちゃんのお父さんは、彼と同じ様に眉を下げて、優しく言ってくれた。
「…本当に、模型が好きなんだね?」
「はい…まるちゃんはその次くらいに好きです…」
「はは…君みたいな子が、いてくれて…嬉しいよ。」
そのお父さんの言葉を、僕は、まるちゃんとの結婚を認めてくれたものと、解釈した。
周りがドン引きする中、僕はまるちゃんのお父さんの両手を握って、真摯な瞳を向けて何度も頷きながらこう言った。
「あぁ…お父さん。ありがとうございます。…甲斐性は無いですが、必ず幸せにします!」
「春氏!いい加減にするでござるよっ!」
伊集院くんの制止によって、僕はまるちゃんのお父さんから引き離された。
「円くんのご家族がいなくなるまで…しばらく…!どこかに消えてるでござる!」
そんな言葉と、冷たい視線を僕に寄越しながら、伊集院くんは美術室の扉を僕の目の前で閉めた…
ひとり、取り残された廊下…
僕はおもむろに足を校門前へと向けて、トボトボと歩き出した。
「焼きそば、やっすいよ~!お、春ちゃん!来たな?」
そんなちいちゃんの掛け声に、焼きそば屋の前で足を止めた僕は、鉄板の上の焼きそばを汗を流しながら作るまるちゃんの姿に、デレデレと鼻の下を伸ばした。
「まるちゃんが作った焼きそばが食べたぁい!」
「はは…誰が作っても…変わらんだろ。」
そんなまるちゃんの声にさらに鼻の下を伸ばした僕は、体を捩って興奮した。
「まるちゃんはね、そういうのが…きっと、嫌なんだよ。」
僕の背中に抱き付いたちいちゃんは、クスクス笑いながらそう言った。
そういうの…?
「そ、それは…こうやってもじもじする事…?」
背中の彼を振り返って尋ねると、ちいちゃんは眉を上げて、僕の鼻の下を指で撫でながら言った。
「ここが伸びる…変な顔が、きっと、嫌なんだよ…ぶっさいくだから。」
「違いますけどね…」
まるちゃんの声に再び顔を彼に向けた僕は、鼻の下を伸ばさない様に口を尖らせながら彼の手元を見つめて体を捩らせた。
「まるちゃん、お父さんとお母さんが、たぁくんと一緒に模型部に来てくれたよ?」
そんな僕の言葉に首を傾げたまるちゃんは、上目遣いに僕を見て言った。
「…どうして春ちゃんはここに来てるの?ジオラマの傍にいなくて良いの…?」
それは…
興奮して追い出された。なんて…言えない。
「きっと、まるちゃんのご両親に興奮して…結婚の挨拶でもしたんだ。それで…他の模型部員に怒られて…追い出されたんだ。」
ちいちゃんのズバリの答えに、僕は彼のお腹に肘鉄を入れて、振り向きざまに頭を引っ叩いて、ケラケラ笑う彼を追い掛け回しながら怒って言った。
「ちがう!」
「そうだ!」
「ち、ち~がう!」
「絶対そうだ!」
やっと捕まえたちいちゃんを何度も引っ叩きながら、僕はまるちゃんを見つめて、しょんぼりと眉を下げた。
だって…挨拶は、大事じゃないか…
そんな僕の視線から顔をそらしたまるちゃんは、たこ焼き屋の女子と仲良くおしゃべりなんて始めた…
「ちいちゃんのせいで…まるちゃんが、どんどん僕の事を嫌いになって行くみたい…」
「いやなの…?」
僕の顔を覗き込んだちいちゃんは、口を尖らせて不貞腐れた僕を見つめて、クスクス笑った。
嫌…?
嫌に決まってる…
「そうだ。春ちゃん。後で、一緒に軽音部のライブ見に行こうぜ?」
「う。うん…」
ちいちゃんの言葉に頷いて答えた僕は、ずっと下を向いたまま焼きそばを熱心に焼くまるちゃんを見つめて、眉を下げた。
帰還命令を受けて美術室へ戻った僕は、まるちゃんのご両親とたぁくんを見送った後、お客さんの案内と、作品の紹介に汗を流した。
僕は、相変わらず…知らない人と上手に話せなかったけど、伊集院くんや、南條くんが、サポートしてくれたおかげで、お客さんに引かれずに済んだ。
やはり、このジオラマの目玉は、ちいちゃんのゴジラと、たぁくんのストロー人間だった。そして、何よりも…圧巻の空飛ぶデゴイチは、乗り物好きの少年の心を鷲掴みにしていた!
上を見上げて笑顔になる小さな子供を見つめて、自然と、僕も笑顔になった。
凄いでしょ…?ねえ、凄いでしょ?
これを全部…ここに居る人たちが作ったんだよ…?
すっげー、カッコいいだろ…?惚れるだろ…?
「おぉ…春氏の昼食は、豪華でござるな?」
模型部のみんなと一緒に、部室でお昼休憩を取った。
みんなは自前のお弁当を広げているというのに、僕は、ちいちゃんがくれた焼きそばと…ちいちゃんが買ってくれた…クレープ。そして、ちいちゃんの作ってくれた…かき氷が昼食なんだ。
ちいちゃんが昨日の夜、うちのお母さんに言ったんだ…。今日の僕のお昼ご飯は俺が用意するから、何もしなくて良いよっ?…って。
それが、これだ…
「焼きそばだけで、お腹いっぱいになりそうだ…!」
「じゃ、少し…いただくっぺ。」
南條くんはそう言うと、器用に箸でクレープを切って、口の中に入れた。
「ほほ!あまっ!うまっ!」
どうやら、彼は…ブルーベリーソースの沢山かかったクレープが気に入ったみたいだ。バクバクと食べ続けるから、僕は、慌てて最後の一口だけ食べた。
「世の中には、べったら漬けよりも美味いもんがあるだろ?」
そんな後藤くんの問いかけに、南條くんは首を傾げながら言った。
「甘いもん食ったら…しょっぱいもん食いたくなってくる!そう考えたら…おらの食ってるべったら漬けはどっちも兼ね備えてっから…万能だな?」
「あ~はっはっは!おかしなことを言う!あはははは!!」
僕たちは、そんな南條くんの言葉に、腹を抱えて大笑いした。
「春ちゃん、迎えに来たよ?」
午後の穏やかな日差しの中、中庭から美術室を覗き込んだちいちゃんが、僕にそう声をかけて来た。
そして、沢山のお客さんが笑顔で眺めるジオラマを見ながら、瞳を細めて言った。
「あぁ…凄いね。春ちゃんの執念が実って、大繁盛じゃん。」
「ふふ!そうだろ?ねえ、見て?ちいちゃんのゴジラをもっと近くで見てよ!」
彼の手を掴んだ僕は、美術室に引っ張り上げて、ちいちゃんの顔を覗き込みながら言った。
「この戦艦は…イギリスと、日本…あと、アメリカの連合艦隊なんだ。彼らが必死に制止しようとしても…ちいちゃんのゴジラは、全然、聞かない。この島に上陸しようとしてる。それを…迎え撃つのが、この戦車だ!見てよ?凄いでしょ…?こんな有事に外国から侵略される事も想定した自衛隊は、迎撃ミサイルも配置してるんだよ?」
「へぇ…ふふ…面白いじゃん…」
目じりを下げて微笑む彼の笑顔に、僕の胸はギュッと締め付けられて、彼の手を掴んだ手に自然と力がこもった。
「…この電車は、そんな中でも通常運転をして…海岸線を平気な顔して走ってるんだ。あ、あと、ここも見て?これは…温泉なんだ。つまり…ここは、活火山なんだ!こんな立地に街を作って…本当にお馬鹿さんだよね。だって、噴火でもしたら…あっという間にマグマに晒されるんだもん!」
「ふふ…趣味が悪いな…」
へへ…!
「あ…、春ちゃん。めっけ!」
そんなちいちゃんの声に顔をあげた僕は、彼が指さしたフィギュアを見つめて、瞳を細めて言った。
「あ~あ、見つかった。どうして分かったの…?」
まるちゃんの為に用意した僕のフィギュアを、ちいちゃんはあっという間に見つけてしまった。肩をすくめたちいちゃんは僕を見下ろしてこう言った。
「ここが温泉だったら、春ちゃんなら絶対行くと思ったんだ。でも、歩く事が嫌いな春ちゃんは、ロープウェイを使うと思った。そしたら、ロープウェイ乗り場に立ってた。」
ご名答だ…!
「ふふっ!あっはっはっは!!おっかしい!その通りだ!」
お腹を抱えて大笑いしていると、ちいちゃんは一緒にクスクス笑って、僕を持ち上げた。そして、そのまま…何の迷いもなく美術室から僕を連れ去った。
「あ~~!春ちゃ~ん!」
そんな後藤くんの声が、あっという間に遠のいていく…
「なぁんだ、ちいちゃん!強引だぞ?」
「急げ!急げ!」
僕の言葉なんて聞こえていないのか…ちいちゃんは、何かに急いでいる様子だった。
体育館に着くと、そこはいつもの様子とは違った、熱を帯びたコンサート会場に変わっていた。
ちいちゃんに担がれたままの僕は、慣れない空気と、周りの視線に顔を赤くして言った。
「ちいちゃん…ちいちゃん…降りたい…!」
「急げ!急げ!」
体育館に着いたというのに、ちいちゃんは相変わらず…急いでいる。
そんな彼に担がれたまま、僕は、いつの間にか…壇上へ上がっていた。
ここは所謂、陽キャと、生徒会長…そして、校長先生しか上がれない特別な場所だ。
「はっ!…ち、ちいちゃん?!」
やっと下に下ろして貰えたけど、僕は目の前に広がった知らない人たちの視線に、一気に体を固めて強張ってしまった。
「あ…あわ、あわあわ…」
僕を見上げて不思議そうに首を傾げる人たちを見て、場違いな自分に…僕は顔を真っ赤にして、ぎこちなく体を動かしながら、必死にちいちゃんを目で探した。
「ち…ちいちゃ…ど、どこ…」
すると、何故か軽音部と共に袖から現れたちいちゃんは、ギターなんて肩からぶら下げた姿で僕に言った。
「春ちゃん…君に曲をプレゼントさせてくれ…!」
は、はぁ~~~~~?!
「いや…あの、その…ええっと…」
モゴモゴする僕を他所に、ちいちゃんはステージのスタンドマイクを自分の目の前に移動させて、僕を見つめてこう言った。
「…春ちゃん…俺の幼馴染で、俺の初恋の人。」
「ファーーーーッ!!公開告白キターーーーー!」
会場を埋め尽くす人の歓声にこたえる様に頷いたちいちゃんは、再び、僕を見つめて話始めた。その瞳は穏やかで…声は、とても、優しかった…
「…俺は、君が、男の子だと知ってる。だから、こんな事を言ったら…君に嫌われてしまうんじゃないかと…この年になるまで伝える事が出来なかった。でも、もうすぐ俺は君と離れた場所へ向かう。だから…言わせてくれ…。大好きだって…」
はぁはぁ…はぁはぁ…ど、どういう事だ…?!
初めての興奮に動悸が激しくなった僕は、胸を押さえながらちいちゃんを見つめて、何となく…頷いた。すると、彼は肩にかけたギターを構えて…エルビスプレスリーの“Love me tender”を歌い始めたではないか…!!
軽音部に至っては…そんな彼の演奏をサポートする様に、コーラスを入れている…
「千秋~!頑張れ~~!」
「ちいちゃん、何でよ~~!ばっか~ん!」
沢山の激励や、女子の悲鳴を聞きながら…僕は目の前で僕を見つめて、歌を歌うちいちゃんに目が釘付けになった。
す、素敵やん…
歌を歌い終わったちいちゃんは、僕の目の前に跪いて言った。
「春ちゃん…大好きだ…!俺と、付き合ってくれ…!!」
は、は、は、はぁ~~~~~~?!
昔から君の事が好きだった…
君の後姿を目で追いかけては、誰かに笑いかける笑顔に…心を痛めた。
ひとり占めしたくて…でも、出来なくて…僕はどんどん、卑屈になって行った。
そんな僕を…そのまま優しく包み込んでくれたのは…まるちゃんだった。
「ぼ…僕は、まるちゃんも好きなんだ…」
「知ってる…」
小さな声でそう言ったちいちゃんは、僕を見上げてクスクス笑った。そして、僕に手を差し出して、こう言った。
「それでも…傍に居たいんだ…。大好きな君の傍に居たいんだ。」
あぁ…神様…
「なら…良いよ…?」
顔を赤くして、もじもじと体を揺らした僕は、ちいちゃんの手を握り返して微笑んだ。すると、彼は満面の笑顔になって、僕を抱き上げてクルクル回して言った。
「やった~~~~~!!」
「千秋~~~!なんだか、妙だが、と、とりあえず…おめでとう!!なのかぁ?!」
「ちいちゃんの、ばっかぁ~~ん!なぁんで、よりによって…男なのよ~~!」
会場が妙などよめきに包まれる中、僕はちいちゃんを見下ろして、彼と目を合わせてクスクス笑った。
僕を抱き抱える彼の手が…いつもよりも、あったかくて…大きく感じる。それは、僕が今まで抱き上げられてきた時の、何倍も、だ。
嬉しそうに微笑む彼の顔が…幼い日のあの頃のままだった…
だから…僕も、幼い頃の様に…彼に笑いかけた。
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