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第8話

尾形は月島から受け取った紹介用の叩き台を5分で頭に入れた。 月島課長に社内チャットで『紹介と案内の仕方は全て覚えました。』と送信すると、『ありがとう!よろしく頼む。』と返って来て、その3分後には鶴見部長から部員全員に部内のグループチャットで『インターンへの第一営業部の紹介は三課係長の尾形が行う。それ以外は事前の打ち合わせ通りで。』というメッセージが送信された。 すると部員達の殆どがチラチラと尾形を遠巻きに見出したが、尾形は気にも止めなかった。 それよりも。 パソコンの時計を見ると、今9時25分。 あと30分もすれば杉元に会える。 紹介係を請け負ったのだって、月島課長の切実な頼みを断れないというのも本心だが、尾形が先頭に立って部内を紹介しながら案内すれば、嫌でも杉元は尾形に気付くという下心もあった。 それに、と尾形は考える。 鶴見部長はどうしたんだろう? 今迄もインターンを受け入れることはあったが、『滞り無くインターンシップを行える様に最大限気を配れ。』などと言われた事は一度も無い。 それに『何か問題があれば、副部長を通さず、この私に直接報告を入れるように。』もそうだ。 インターンを受け入れる他の部の部長だって、此処までインターンに気を使わないだろし、第一、鶴見部長らしくない。 杉元を完全に腫れ物扱いしている。 杉元がスポーツ選手ということと何か関連が有るのか? 尾形が考え込んでいると、尾形の部下の主任が「係長、10時10分前です。何かお手伝いすることは有りますかか?」と声を掛けてきた。 尾形は「無い。ただ俺宛の電話があったら取っておいてくれ」と言うと立ち上がった。 そして午前10時になった。 人事部長に連れられて来たインターン五人の中に、確かに杉元は居た。 尾形が人事部長とインターン達の元に向かう。 そして杉元と尾形の目が合った。 その瞬間、尾形の脳はスバークした。 それからの尾形の記憶は曖昧だ。 月島課長に頼まれた通り、インターン達を順調に第一営業部を案内し、紹介した事すら良く覚えていない。 だが尾形はミス一つ無く、仕事をやり遂げた実感だけはあった。 そしてあっと言う間にインターン達は次の部署へと去って行った。 月島が破顔して尾形に「流石尾形だな!完璧だったぞ!」と言う。 それに続いて課員のみならず、他の課の課員達にも称賛された。 『あの短時間でうちの部を紹介し尽くしていた』 『物凄く分かりやすかった』 『冷静沈着でスムーズだった』 等など。 だが尾形本人は胸がズキズキと痛いし、呼吸困難になるのかと思う位鼓動が早い。 尾形は月島に「煙草休憩行って来ます」と言うと、喫煙室に向かった。 煙草を三本吸って、ブラックの缶コーヒーを飲み干すと、尾形は何とか落ち着いた。 そして四本目に火を点けて、煙草を吹かしながら、第一営業部にやって来た杉元を思い出してみる。 杉元は尾形と目が合っても、1ミリも動揺を見せなかった。 もっと正確に言えば、動揺『していなかった』。 尾形の第一営業部の紹介中も、他のインターン同様真面目に尾形の話を聞いていた。 尾形を全く意識していないし、杉元にとって尾形はこれから始まるインターンシップ先の社員の一人に過ぎないという態度だ。 あんなに濃密な時間を共有していながら、まだ二十歳の学生とは到底思えない理性を杉元は持っている。 尾形は乾いた笑いが出た。 そうじゃない。 杉元にとって尾形と過ごした時間は意味が無いということだ。 尾形は杉元をセフレ扱いしていた。 だが実際は、杉元の方こそが尾形をセフレ扱いしていたのだ。 だから用無しになったセフレに微塵も興味が無いのだ。 杉元に恋する前の尾形と同じ。 だからと言って、ここで諦められない。 みっともなくても良い。 馬鹿にされても良い。 やれるだけの事をしようと、尾形は決心した。 何故ながら杉元は、尾形の初恋の人なのだから。 そして昼休憩。 尾形は滅多に利用しない社員食堂に行ってみた。 インターンは挨拶回りが終わると、社員食堂で昼食を取ってから解散する事が多々あるからだ。 尾形の読みは当った。 人事部長とインターン五人がテーブルを囲んでいる。 もう食事は済んでいて皆、飲み物を口にしていた。 尾形は少し離れた、それでいて杉元が見えるテーブルに座った。 この場所なら杉元からも尾形が十分確認出来る位置だ。 杉元は谷垣と並んで他のインターン達と共に人事部長と楽しそうに話している。 尾形がじっと杉元を見つめていると、杉元の隣りの谷垣と目が合った。 谷垣はサッと顔色を変え、俯いた。 尾形が、そう言えば第一営業部に来た時の谷垣を覚えていないなと思った時だった。 杉元がそんな谷垣を心配するように谷垣の顔を覗き込んだ。 そしてゆっくりと尾形に顔を向けた。 杉元は笑顔のままだ。 だが瞳が金色に光っていた。 理由は分からない。 窓から差し込む日差しのせいないのか、社員食堂の照明のせいなのか。 たがあれは『殺気』だと尾形の本能が告げている。 尾形は背筋がゾクゾクとした。 怖いからじゃない。 嬉しかったからだ。 杉元が感情を見せた。 殺気だろうが、無視よりは断然良い。 尾形はニィと杉元に笑って見せると、社員食堂を後にした。 尾形はその夜『Bar アムール』のバーテンダーの大沢に電話を掛けた。 尾形が用件を伝えると、大沢は笑って「そりゃあ悪趣味じゃない?何とかやってみるけど。悪い男だねぇ」とからかい混じりの返事をした。 尾形が「頼んだぞ。バイトだからって手を抜くなよ。こっちは金払うんだからな」と念押しすると、大沢は「任せろ」と言って通話を切った。 尾形はスマホに向かって「待ってろ、杉元」と呟いた。 そうして杉元のインターンシップが始まった。 杉元はすこぶる評判が良い。 礼儀正しく、面倒な仕事や逆に単純作業でもやる気満々だ。 大学の都合で毎日出勤していないにも関わらず、直ぐに第一営業部に馴染んだ。 それに杉元はまだ尾形の課の仕事をした事は無いが、何かの拍子で尾形と関わったりしても、きちんとインターンとして対応して来る。 尾形も杉元に三課の係長として対応するだけだ。 そして杉元の出勤日が五日経った夜、大沢から尾形に『任務終了!いつ受け取け取りに来る?』とラインが着た。 尾形はニヤッと笑うと『明日の夜、店に行く』と返信した。 そして次の杉元の出勤日、杉元が午後から出勤して定時に帰って行くのを尾形は見届けると、普段から人通りの無い廊下で杉元に電話を掛けた。 セフレの時の杉元のスマホは解約されたが、人事部から仕事用に貸し出されているスマホの番号は当然尾形も知っている。 杉元はワンコールで出た。 『はい、杉元です』 電話越しの杉元の声。 一気に『あの頃』が蘇る。 尾形は一呼吸置くと言った。 「杉元佐一ィ、俺だ」 『分かってます。 画面に表示されてます。 尾形係長ですよね? 何でしょうか?』 「何もこうもねぇよ。 話がしたい」 『次の出勤日にですか? 何かの打ち合わせでしょうか?』 尾形がチッと舌打ちをする。 「随分他人行儀じゃねぇか! 散々俺とヤりまくってたのを忘れたとは言わせねぇぞ!?」 だが杉元は変わらぬ一本調子で『何のことでしょうか?』と訊いてくる。 尾形がハハァと笑う。 「お前と菊田専務のことだよ」 すると杉元が凍り付く様な冷たい声で言った。 『…菊田さんが何だよ?』 「電話じゃ話せねぇな」 『じゃあ会おうぜ。 お前、今夜空いてるか?』 「ああ」 『それじゃ麹町のビルの屋上で。 あそこなら誰も来ない。 住所はラインする。 俺は今から向かうから』 それだけ言うと杉元は電話を切った。 そして1分後、ビルの住所が送られて着た。 尾形は第一営業部に向かって歩き出した。 尾形は自分のデスクに戻ると、さっさと帰り支度をし、退社した。 杉元から送られて着た住所を地図検索すると、指定されたビルは麹町駅から歩いて3分の距離だ。 尾形は迷う事無くビルに辿り着いた。 そのビルは五階建てで、どうやら古い雑居ビルらしく半分以上が空室だ。 ガランとして誰も居ない狭いロビーの横のエレベーターに乗る。 数秒で五階に着く。 エレベーターを下りると廊下は一本しか無く、左の突き当りに『屋上』と書かれたドアがある。 『屋上』の下に『立入禁止』とも書かれていたが、尾形は構わすドアノブを回した。 するとドアはすんなりと開いた。 尾形が屋上に出ると、杉元が手摺りに寄り掛かって立っていた。 尾形はスタスタと杉元の元へ向かう。 そして尾形が杉元の3メートル手前まで行くと、杉元が「ストップ!」と言った。 「何だよ?」 「この距離でも十分話せるだろ? さっさと話せよ」 尾形はプレゼントの入っている通勤バッグをぎゅっと掴む。 「…お前、何で俺の前から消えた?」 杉元はキョトンとした顔をすると笑い出した。 「何でって…理由なんてねぇよ。 セフレなんてそんなもんだろ?」 「…そりゃそうだ。 だけど俺は…」 そこまで言って言葉に詰まる尾形を杉元は冷たく見ると、「そんなくだらねぇ話より菊田さんの話をしろよ」と言い捨てた。 『くだらねぇ話』 その時。 尾形の頭の中の何かが切れた。 尾形が威嚇するような低い声で話し出す。 「…そうだな。 菊田とお前の話だ。 お前達付き合ってるだろ? 半同棲状態だよなあ?」 杉元は返事をしない。 尾形はジャケットの内ポケットからUSBメモリーを取り出した。 「お前達がイチャイチャとお互いの家を行き来してる証拠があるんだよ」 すると杉元が軽い調子で言った。 「へー。 お前、仕事は出来ると思ってたけど、探偵ごっこまですんのかよ? 働き過ぎじゃねぇ? いつか過労死するぜ?」 尾形がフンと鼻で笑う。 「お前、やっぱり馬鹿だな。 俺がそんな面倒なことするとでも思ってんのか? おめでたいやつだよ、ホント」 「人にやらせたのか?」 「当たり前だろ」 杉元がニヤッと笑う。 「只じゃねぇよな。 金払ってまで何で俺のプライベートを知ろうとするんだよ?」 「良い質問だが答える気が失せた。 それより菊田がお前と俺の関係を知ったらどうなるだろうなあ? 海外勤務中に恋人がセフレ作ってヤりまくってたんだ。 俺なら許さねぇ」 杉元がため息をつく。 「それで要求は何だ?」 尾形がまた通勤バッグを握り締める。 杉元に告白する為に用意したプレゼントの入っているバッグを。 尾形の手は力が入り過ぎて白くなっていた。 「…元の関係に戻ろうぜ、杉元佐一ィ」 違う 違う 違う こんなことが言いたいんじゃ無い でも何を言ったら良い? 何て言ったら良い? 尾形が無表情の仮面の下でぐるぐると考えていると、杉元が尾形を真っ直ぐ見て「言えよ」とキッパリと言った。 「…何だと?」 「だから〜菊田さんに言えって言ってんだよ! 菊田さんは全部知ってるんだから無駄話だけどな」 「…まさか…! 俺は誤魔化されねぇぞ!」 「誤摩化してなんかねぇって。 菊田さんは全部知ってる。 だから話したいなら話せよ。 話ってコレだけか? じゃあもう良いよな? 俺、帰る」 歩き出そうとする杉元の前に尾形が立ちはだかる。 「まだだ! 俺がやったぬいぐるみや菓子…本気で喜んでたじゃねぇか! それに俺に抱かれてよがり狂ってた! そりゃあ俺達はセフレだった。 でもそれはお前が望んだことだぞ!? それに始まりなんて問題ねぇだろ!? 渋谷で出逢ったのだって…運命かもしれねぇだろうが!」 尾形はなりふり構わず杉元に言葉をぶつける。 杉元はそんな尾形を見つめてふうっと息を吐くと、微笑んで「分かったよ」と言った。 尾形の胸に喜びが込み上がる。 だが次の瞬間、杉元がヒラリと手摺の上に立った。 手摺の幅は両足を揃えて立てない程、狭い。 尾形は余りに驚いて、ポカンと杉元を見上げることしか出来なかった。 杉元が両手を広げ、バランスを取りながら真っ直ぐ前を見て宣告する。 「お前と俺に運命なんかねぇんだよ、クソ尾形。 お前は言葉じゃ分からねぇみたいだから行動で教えてやる。 俺はお前の運命の相手なんかじゃねぇ。 俺に運命の相手が居るなら、それは菊田さんだけだ。 俺は菊田さんと幸せになる運命だから此処から落ちたりしない。 この手摺をビルの端まで渡り切って証明してやるから、そしたらもう俺に関わるな!」 そうして杉元が一歩足を踏み出した。

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