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第三章 北極星(ポラリス)・63

◆◇◆  バイクを走らせれば、晃のマンションから宮城家まではそう時間のかかる距離ではない。朝靄を突っ切り、目覚め始めた街にエンジン音が響く。  すっかり慣れ親しんだ二人乗りだが、今日は運転する相手の身体に腕は回さず、緊張に身を固めて上着を掴むに留まる。  住宅地の路は、早朝の静けさを保っていた。人々が家を出る時間にはまだ早い。  出勤前の光を起こし、こんな話を伝えなければならないのには大いに躊躇ったが、今言わなければまた思い惑ってしまうだろう。門前に停めたバイクを降り、口を引き結んでポーチに立った。 「光一郎に直接言いたくなかったら、お前はなにも言わなくてもいいからな。俺が一緒にいてやるから」  横に並んだ晃が、そっと耳打ちしてくれた。 「ありがと。正直、自信ない、んだ」  インターホンに伸ばした手の震えは止められない。 「ずっと傍にいて」、そう懇願した光を俺は今から裏切るのだから。 「俺が一緒でも、か?」 「ん。光にはだいぶ辛い思いさせちゃったし。和だって、もうこの家にはいない。今更光にだけ、独りになってって言うのは心苦しいよ」  だけど、言わなければ。俺の口から、きちんと。 「光がほんとに俺じゃなきゃ、って思ってるかどうかは、いまだに確信が持てないけど。でも、少なくとも光が俺を大切に想ってくれてんのは伝わってるから。やっぱ、勇気要る」 「じゃあ、それも全部含めて訊けばいい。いい機会だ」  ぐっと顎を引くと、息を吐きながらボタンを押した。軽快な電子音がやけに大きく聞こえる。  解錠の音がして、扉が開く。その向こうにいた光は意外にも寝起きの顔付きではなかった。着ているのは寝間着用のジャージで、髪も乱れてはいたけれど。 「あ。おはよ、二人共。おかえり、鞍」  昨晩晃が電話を入れたので、朝のうちに戻ると予測していたようだ。また自分で朝食の支度でもしようとしていたのかもしれない。夕刻の帰宅時同様に、にこりと笑って迎え入れた。 「た、ただいま。……光、朝っぱらから悪い、んだけど、話したいことがあるんだ」  す、と光が息を吸う気配。一人で暮らす、と告げた時同様に不安げな影は無い。それどころか何を言われるのか、彼にはもう察しがついているようにも見えた。 「あぁ、大丈夫だよ。釈君も、だよね?どうぞ」  笑顔で光は身体を除け、俺達を中へ導く。先頭に立ってリビングまで行くと、自らソファに陣取った。俺は今までここで過ごしてきたときと同じに床に座り、その後ろで晃は立ったまま壁に凭れる。 「お茶かコーヒーでも、っていうところだけど、多分いらないよね。すぐ本題に入った方がいいでしょ?話って、何?」 「う、うん。実、は……」  適切な言葉を探して、口ごもる。言いたいことは定まっているのに、どういう言い方をすればいいのか悩む。  一言目を繰り出すのに苦労していると見て取ったのか、晃が先に声を発した。思わずどきりとしてしまうくらい、単刀直入に。 「鞍が一人暮らししようとしてたのは知ってるよな?」 「うん、聞いたよ」 「それ取りやめて、俺のところで一緒に暮らそうってことになった」  もう一度光は、息を吸って寸時止める。吐き出す時はゆっくりと、深い。 「……鞍は、それでいいの?」  ここに至っても、苦痛も悲哀も見えない。ただ悠長に、俺に問うた。 「俺も何度も鞍に訊いた。その上で、決めた。俺が、傍にいてやると」  言わなければ。自分の口で、自分の言葉で。  晃がきっぱり断言してくれたのは有難い。だが、これでは俺の気持ちはなに一つ届かない。  宮城家に住むようになって、俺を好きだと光が言ってくれて、二人で海へ出掛けて。光からもらったものの多さは、計り知れない。俺がそれまで知らなかった、たくさんの色、たくさんの想い。だから、言わなければ。全部、ここで。 「なぁ、光。俺、光が俺を本気で想ってくれてるのよく分かったし、それ、すごく嬉しかった。改めて……本当に、ありがと」  月並みの単語しか出ない。もっと違う言い方もあるのだろうが、万感に達すればするほど、子細な表現なんて思い浮かばなくなった。そして、涙も出ない。胸は一杯で苦しいほどなのに、どうしていいかわからなくなるような感情の混乱は態を潜めていた。 「けど、光にとって俺が特別か、本当に俺じゃなきゃいけないのか……なりふり構わず、俺を繋ぎ止めておいてくれるかどうか、俺には、判断できなかったんだ  俺のために、光は泣いてくれた。必死の形相で、求めてくれたこともあった。けれどもどこかで、こいつに無理をさせていると俺は思った。執着のあまり、周囲が見えないのではないかと。「和しか見えない」時期があったように、今は俺しか見えていないだけではないかと。 「……ごめんな?いっぱい傷つけて」  振り払われるのを覚悟で、膝を進めた俺は、光の手に自分の手を重ねる。

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