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第8話
「ふぁああぁ〜」
おれはもぞもぞとあくびをして目を開ける。
そこには見慣れない天井。
……あ、そうか。
昨日は清十郎の家に泊まったんだった。
ていうか、清十郎は?
「おはよう、起きたか?」
おれの心を読んだ様に、シャワールームから上半身裸の清十郎が出てくる。
くっ……すごい良い身体。
程よく着いた筋肉がゴツすぎず、しなやかで美しい。
分厚い胸筋に締まった腰、六つに割れた腹筋。
おれ、胸筋から腰までのラインが好きだなぁ……じゃなくて!
つい見惚れてしまったじゃないか。
「シャワー浴びてたの?」
おれは視線を無理やり外すと、何気ない風を装って聞く。
「ああ。朝のトレーニングをしていたからな。凛はよく眠れたか?」
「うん。おかげさまで」
「良かった。あんな事があった後だから、ちゃんと眠れるか心配してた」
……まさか、昨日おれを抱き枕にしてたのって、それが理由?
キスしたのも、そうやってふざけておれの意識を他へやろうとしてくれたの?
……清十郎ごめん、おれ、優に対抗意識燃やしてるだけだとか思ってたわ。
「なんだ?」
「……いや、清十郎はいい男だなーって」
「そ、そうか?」
何照れてるんだよ。
おれまで照れちゃうだろ。
おれは照れ隠しにベッドから這い出ると、洗面台までいそいそと歩いていった。
洗面台には、ご丁寧におれ用の歯ブラシがコップに刺さっていた。
な、なんかコップに歯ブラシ二本とか…初めての同棲カップルみたいじゃない?
なんておれはくだらないことを考えながら歯ブラシを手に取った。
今日はレコーディングの続きと歌番組の収録だっけか。
歯を磨きながら今日のスケジュールを頭の中で確認する。
「凛、朝食パンでいいか?」
「あーあひがほ」
優もそうだったけど、清十郎も料理するのか…って、パンくらい焼くよな。
おれは歯を磨き終え、髪をセットしリビングへと向かう。
「あれ?朝食っておれの分だけ?」
「おれはいつも朝食はプロテインだけだからな」
ええ、自分は食わないのに準備させてすまない……。
そして、その締まった身体はストイックなトレーニングとプロテインで作られていたのか……。
「なんか悪いな」
「気にするな、これがおれのスタイルってだけだ」
おれは用意してもらったパンとサラダを食べると、今日のスケジュールの最終確認をしようとスマホを取った。
そういえば、昨日からまったくスマホチェックしてないなーなんて思いながら画面を開く。
「っ!」
おれは思わず画面を確認してテーブルにスマホを取り落とした。
ーーそこには数百件の非通知の着信の嵐。
留守録もパンパンに入っている。
「ーー凛、どうした?」
おれは震える手で落としたスマホを拾うと、清十郎へと渡す。
「スマホがどうし……ーーっ?!」
「これって……やっぱり…」
すると、今まさにスマホが着信音を奏でる。
画面には『非通知』。
清十郎は躊躇う事なくボタンを押し、おれの電話に出る。
「もしもし?」
『……っ!』
プツッ。
清十郎の声を聞き、電話は無言で切れる。
「……切れた?」
「ああ」
清十郎はその凛々しい眉を顰めると、おれのスマホを睨む。
「これは仕事用のスマホか?」
「ああ…うん」
「……敦士に言って、番号を変えてもらった方がいいな」
「うん……そうする」
「……凛、大丈夫か?」
「だ、大丈夫……」
本当は全然大丈夫でも何でもないけど、おれは虚勢を張る。
だって、ここで恐怖を認めてしまったら……この犯人に負けてしまう様な気がしたから。
「……そうか。でも無理するな。おれはいつでもおまえの味方だ」
清十郎の誠実な言葉が心に沁みる。
本当にいい男だ……。
清十郎はおれのスマホを自分のポケットに入れると、おれの手を握る。
「おまえのスマホは、今日おれが持っていよう。おれが着信を確認して渡すから、おまえはそれにだけ出ろ。いいな?」
「でも……」
「大丈夫だ、心配するな」
清十郎はそう言うと、コーヒーを喉に流し込んだ。
「さあ、そろそろ出かける時間だが……行けそうか?それとも休むか?」
「仕事は行くよ。こんな事くらいで皆に迷惑かけたくない」
「おまえの責任感が強い所は良い事だと思うが『こんな事くらい』なんて思うことはない。こういう状況でショックを受けるのも、恐怖を感じるのも当たり前だ。あまり自分を追い詰めるなよ?……おまえは一人じゃない」
清十郎の言葉に、おれは涙が出そうなほど感動する。
なんなのもう。
格好良すぎて惚れそうだよ、清十郎……。
おれは、最後のコーヒーを飲むと、自分の頬を軽く叩く。
「大丈夫。でも、何かあったら皆を頼るよ」
「ああ。それでいい」
そういった清十郎の笑顔に、おれはノックアウトされて視線を彷徨わせる。
くっそーこれだからイケメンは!
おれは清十郎に気づかれないようにそっとため息をついた。
「はよ」
「おはよう」
「おはよ」
「おっはよー!」
スタジオに着くと、一哉以外のメンバーは全員揃っていた。
「凛さん、清十郎さんから話は聞いてます。大丈夫ですか?」
おれの姿を見つけると、いの一番で敦士がおれに駆け寄ってくる。
あの後、動揺するおれの代わりに清十郎が敦士にことの顛末を説明してくれたのだった。
「ん、なんとか」
「え、何。凛どうかしたの?」
おれと敦士との会話を聞き、翔太が心配そうな顔で質す。
「えーと……ストーカーにスマホの番号がバレてたっぽい……」
「はあっ?!」
さすがの翔太もこれには驚いたのか、素っ頓狂な声を上げる。
「え、それヤバくない?」
「うん……ヤバイ、と思う」
「とりあえず、凛さんの新しいスマホはなるべく早く準備しますので、それまでは清十郎さん経由で……」
「えー、今日は別の人のところに泊まるんでしょ?だったらそいつが持てばいいじゃん」
いや、なんで持ちたいみたいに言ってるんだよ。
むしろ、気持ち悪いだろ?
持ちたくないだろ、普通…。
「何かあった時に、おれなら凛を守れる」
「いや、おれだって守れるし!」
いや、二人とも……気持ちはありがたいけど、おれはか弱い女の子じゃ無いからね?
一応、自分の身は自分で守ろうと思ってるよ。
そんなやりとりを見ていると、不意に一哉の声がした。
「おい、敦士!」
そう言って、『こっちへ来い』とばかりに親指で外を指す。
遅れてきて、いきなり敦士を呼びつけるとか、さすが王子……。
敦士は、何事かを感じたのか、無言で一哉の方へと走ってゆく。
ん……?
あれ、もしかして……。
おれは無意識のうちにそちらへと向かっていた。
「あっ!凛は行かない方がいいって!」
そう言う優の声を背に、おれはスタジオのドアを開け、二人の元へ向かう。
おれも、薄々解っている。
見ない方が良いかもしれないことは。
しかし、だからといってそんな物を二人だけに処理させるのは違うんじゃ無いだろうか。
「……っ!凛!何で来た?!」
「凛さん、部屋にいてください」
「また、何か届いたんだろ?」
「……違うって」
「違わないだろ。違わないなら何があったか教えてくれ」
「凛さん……確かに、また届き物がありました。けど、凛さんは見ない方がいいです」
「でも……」
「いいから。ほら、戻るぞ」
一哉はそう言うとおれの腕を取り、スタジオ内へと引きずっていこうとする。
「あ、LINさん!荷物ですけど、もう一箱ありまーす」
不意に、宅配業者の若者が軽やかな声を上げ、おれたちの間に割り込んできた。
「?!」
「……っ」
「ここにおきますねー」
なぜか、その段ボール箱は既に蓋が開けられていて、その段ボール箱に入っていたのは……。
おれは、めまいと共に激しい吐き気が襲われた。
「……っ!!」
おれは、咄嗟に口を押さえると、吐き気を抑える。
ぐるぐると地面が回り、立っていられない。
「凛!」
「凛さん!!」
あたりに立ち込めるその強烈な臭いと、箱の中の光景に、おれはジワリと涙が出そうになる。
「……今のヤツ!どこ行った?!」
一哉は倒れそうになるおれを支えると、あたりを見回す。
「見失いました……!」
「……は、きそう……」
おれはそれだけを言うと、よろよろとトイレに駆け込もうとした。
しかし、足がもつれてうまく動けない。
「一緒に行きます!」
敦士に連れられなんとかトイレに駆け込むと、おれは胃の中のものを全て吐いた。
敦士は、おれの背をずっとさすり続けてくれた。
「凛さん……」
箱の中に入っていたのは、おれのブロマイドや写真集、雑誌の切り抜き。
それら全てに大量の白濁液がかけられていた。
ご丁寧に、コンドームに排出したそれまで放り込まれている。
おれは吐けるだけ吐いて、漸く吐き気が収まると、洗面台で激しく顔を洗った。
喉の奥が痛くて、頭がガンガンする。
「凛さん、大丈夫ですか?」
「正直に言うと、結構ショック……」
おれは顔を拭くこともせずになんとか顔に笑いを浮かべると、敦士に視線をやる。
そこには、心底心配そうな敦士の瞳があった。
敦士は何も言わずにおれにタオルを手渡すと、その唇を噛んだ。
「今度からは、おまえたちが見るなって言うものは見ない様にするわ……」
おれはそう言うと、敦士に支えられながらよろよろとトイレを出る。
そこには、敦士と同じく心配そうなメンバー全員の姿があった。
「はは……悪い、情けないとこ見せた……」
「凛……」
「無理するなって」
おれはフラフラしながら廊下の椅子に座ると、火照った目尻を押さえる。
「ーー今日のレコーディングは、中止にしましょう」
静かに敦士が言うと、他のメンバーも揃って頷く。
大丈夫……って言いたいけど、ちょっと無理かもしれない。
昨日の今日で、流石にダメージが大きすぎる。
無理して歌っても、きっと今のメンタルが歌に出てしまうだろうな。
「……皆、ごめん……おれのせいで……」
おれはおれ自身が情けなくて、堪えていた涙がじんわりと目頭から這い出てくるのを感じる。
ツンと鼻の奥が痛くて、余計に目頭が熱くなった。
「違う、凛のせいじゃないでしょ」
「そうだ、おまえのせいなんかじゃ無い」
「……っ……」
上を向いて腕で顔を覆ったおれを、翔太が乱暴に抱きしめる。
「あーもう、凛ちゃん泣かないのー。大丈夫だよ、皆で守るから!」
「……っ泣いて…ねーし…っ」
「ボロ泣きしといてそれは無いぜ」
一哉の言葉に、おれは鼻を啜る。
「皆の優しさが……嬉しくて泣いてんの……ほっとけ!」
皆こんな情けないおれに優しすぎるよ。
おれは翔太に抱きしめられたまま泣けるだけ泣いて、張り詰めてた気が抜けたのか、そのまま意識を手放した。
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