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第一章 八月三十一日

 八月三十一日。時刻は二十三時を回っていた。男は照明もつけず、暗い自室で最後の確認を行っていた。男にとって、今日は特別で、大切な一日だった。何年も前から計画を立て――そしてそれを実行に移すときがついに来たのだった。けれど、男は緊張や期待で心を過剰に昂ぶらせることもなく、ひどく冷徹に、俯瞰して状況を観察していた。あともう少し、もう少し――カチコチ、と時計の秒針が鳴る。が近づけば近づくほど、自分の心の温度がどんどん下がり、氷のように冷え切っていくのを、男は感じた。  手のひらを開いては握り、握っては開く。指一本一本が正確に動くことを確認し、そして手袋を嵌めた。ジャンパーの胸ポケットに入れているものを再度確認し、鏡の前に立った。  男の首には、十字架のネックレス――塗装が禿げて、ところどころに、傷もついている――が提げられていた。古びたその十字架は、そのまま、持ち主の人生を物語っていた。男は十字架に、指先で――ようやく咲いた花を愛でるように、そっと、触れると、暫くの間――祈るように、目を瞑っていた。  男が、瞼を上げる。その瞳には、確固たる意志が宿っており、夜の闇の中でも――鋭く、深く、光っていた。そして、ゆっくりと胸元から包丁を取り出すと、空に掲げ、自らの首元に――その刃を、勢いよく、突き立てた。

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