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第二十一章 九月の景色②

「十字架……かしら?」  それは十字架のネックレスだった。 「……ふうん」 「クリスチャンなんてこの街にいたかしら? ねぇ?」 「――どうせ誰かの落とし物だ」  夫が三千栄の持ってきたゴミ袋にそのネックレスを乱暴に突っ込んだ。全く、この人はいつもこうなんだから。ものを雑に扱うのはよしなさい、と何度言っても、頑固な彼は全くといっていいほど聞く耳を持たない。もう長年の付き合いだからしょうがないと三千栄も諦め半分だが、たまに彼のこういう面が垣間見えると、つい内心むっとしてしまう。  夫が浜辺の先に進むのを見て、三千栄はこっそりとネックレスをゴミ袋から取り出した。白とシルバーで塗装されたその十字架は、ボロボロだった。あちこちが欠けて、傷もたくさんついているし、海に流されたせいか、べとべとで、泥もくっついている。三千栄は、ズボンのポケットからハンカチを取り出すと、ネックレスを丁寧に拭いて、泥を落とした。そのハンカチは、銀婚式のときに、普段そんなことを滅多にしない夫が、自ら選んで、三千栄にプレゼントしてくれたものだ。 「……よしよし。うん、綺麗になったわね」  三千栄は、その十字架のネックレスを、一度、空に掲げた。視界いっぱいに、どこまでも広がる美しい青を彩った空と海をバックに――きらりと、欠けた十字架が、太陽に反射して光る。三千栄は、そのまぶしさに目を細めながら、満足気に微笑んだ。  ――遠くに、夫の姿がある。夫が急にこちらを向き、こいこいと小さく手招きをしてくる。もう、あの人ったら。ものを雑に扱うくせに、誰かの大切な忘れ物を見つけるのは得意なんだから。  三千栄は十字架のネックレスを、お気に入りのそのハンカチにふわりと包み、大切にポケットにしまうと、最愛の夫の元へ、ゆっくりと歩いていった。

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