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7.退職と自暴自棄
それから約1週間後、俺が上條麻友にパワーハラスメントを行った件で告発されたと社内のコンプライアンス室から通達があった。
事実確認や調査が入るとのことで、指定の時間に指定の場所へ来るようにとのことだ。
目の前が真っ暗になった。
なんでこうなるんだ?
勿論相談できる相手も誰ひとりいない。
桐谷が知ったら、おそらく鼻で笑うだろう。というかもう上條から聞いて知っているのか。
コンプライアンス室での対話は2対1で、穏やかそうな女性と神経質そうな年配の男性が相手だった。
女性の方はにこやかではあったが、俺が悪いと決めつけてなぜそのようになったかだけ聞きたいようだった。
世の中ってこうなってるんだなと今更ながら思い知らされた。
もうどうでもよかった。
ここで働こうにも誰にも協力なんてしてもらえないだろうし仕事も上手くいかなくなるだろう。
桐谷に義理立てして一生懸命やっていたが、婚約破棄された今その必要もないのだ。
俺は退職することを決めた。腹が立つから、残っている有給は全て消化してから辞めてやる。
もうこのパワハラ告発の件も桐谷や上條の口から広まっているらしく、俺がデスクに戻るとヒソヒソ話す声が耳についた。
今抱えてる仕事も、桐谷がなんとかしてくれるだろう。適当に引き継ぎの文章をメールして、どうにでもなれというつもりで就業時間ぴったりに退社した。
このまま実家には帰れない。
俺の足は自然と歓楽街に向かった。ビールを片手に、たまたま見かけた広告の映画を見た。
内容の半分以上は頭に入ってこなかった。
金曜の夜だったからカップルだらけで、孤独感だけが増した。
独りで映画を見て外に出たら、男二人組に声を掛けられた。
自分でも忘れていたが俺は見た目だけは美しいΩなのだ。
誰もそんな扱いはしてくれないので自分が誰にも求められないのが当たり前だと思い込んでいた。
この男たちはそんな俺と飲みたいのか、と思うとおかしくて誘いに乗った。
普段なら絶対にそんなことはしないが、今はいつもと違うことをしてみたい気分だった。
男たちは俺の婚約者だった気位の高いαと違って平凡なβだった。
何をしても可愛いとか綺麗と言われて不思議な感じがした。
どこに行っても居場所がなくて嫌われ者だと思っていたがこの男たちは俺をただ褒めちぎる。
俺は調子に乗って気を許してあまり強くないのに少しならと酒を飲んでしまった。
いつの間にか意識を失っていたようで、気が付くと知らない部屋のベッドの上にいた。
「ん…?ここどこ…」
「あ、眼が覚めた?ホテルだよ~ミヤちゃん」
「さあ、これから俺達と気持ちいいこといっぱいしようね」
「Ωとヤるの久々ですげえ興奮する」
「しかもこんな上玉見たことねえよ、早く脱がそうぜ」
しまった…!なんで寝たりしたんだ?
さほど飲んでいないはずなのに身体が思うように動かなかった。
「そろそろ効いてくる頃かな~」
「な…なにが…?」
「い~いお薬だよ。嫌でも発情しちゃうやつ」
やばい…発情促進剤か!
Ωの発情を強制的に促す薬が闇で出回っているという話はニュースなどで聞いたことがあったが、まさか自分が飲むことになるとは。
「はぁ…はぁ…」
身体が段々熱くなって、目眩がしてきた。
どうしよう。逃げないと…
まだ少しなら動けそうだ。
甲種Ωを舐めるなよ…
その時片方のスマホが震えて、1人がバスルームの方に消えた。
チャンスだ…2人は無理だが、1人なら…
「あぁ…熱い…お願い…脱がせて…」
俺はわざと誘うように男に話しかけた。
ワイシャツの襟に指をかける。
「熱いんだ…これ、脱がせてよ…」
「へへ、本当に効くんだなぁこの薬」
「はやくぅ…」
いやらしく見えるようにしなを作っておびき寄せる。
「どれどれ…美人Ωの乳首はどんな色かな~?」
気味の悪いことを言うやつだ。
俺はギリギリまで引き寄せていきなり襲いかかった。
「うわ!なんだ!?」
腕を捻り上げ、相手が怯んだ所で股間を膝蹴りした。
「ふっぐぅううう…」
男は痛みに悶絶し、声も出ないようだ。
俺はこの隙きに逃げ出す。ベッド脇に鞄があったのでひっつかんで部屋を飛び出した。
「はぁ、はぁ、はぁっ!」
護身用に高校時代から合気道を習わされていたのがこんなところで役に立つとは思わなかった。
Ωだからってそうそう襲われることなんて無いと思ってたけど…
「はぁ、はぁ…はぁ…ぅうう…」
結構走ったつもりだけど、薬が本格的に効いてきて身体が言うことを聞かない。
外はいつの間にか雨が降っていて、胸元を中途半端に開かれだらしなくシャツを着くずした俺はずぶ濡れでさまよった。
もう、どこを歩いているのかもわからない。
どこへ行けば良いのかもわからなかった。
このまま実家に帰るのも躊躇われる。しかし一体どこへ行けば…?
もう追ってこないみたいだし抑制剤を飲まないと…どこかに座るところは…?薬は鞄に入ってるはず。
ふらふらと歩いていて、よろけてしまって人にぶつかった。
普段なら謝って通り過ぎるが、言葉が出てこなくてそのまますれ違おうとした。
するとぶつかった相手が怒って俺の肩を掴んだ。
「おい、ぶつかっておいて挨拶もなしか?あ?服が濡れただろうが」
厳 つい、普段なら絶対に関わらないタイプの男だ。
「すいませ…ん」
「なんだ?酔っぱらいかぁ?いや、何だこの匂い…?」
Ωのフェロモンは基本的にαにしか効かないが、敏感な者だとβでもその匂いを感じて欲情することがある。
「お前…Ωだな?」
そう言われた瞬間俺は膝からくずれ落ちた。
もう歩く気力もない。
濡れたアスファルトの感覚を頬に感じる。
熱くなった身体に、冷たい地面が心地良い。
男は俺の手にしていた鞄を勝手に漁り始めた。
財布の中の身分証を見て驚嘆している。
「おいおいおい、最上級Ωじゃねえか!とんだレア物だ、こんなの一生に一度もねぇぞ。おい、立てるか?来いよ。発情してるんだろ?俺が慰めてやる」
一応全部聞こえてはいるが、手も足も動かず全く抵抗できなかった。
どこまでも不運に取り憑かれてるな、俺は…
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