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16.神崎家の恥

俺は姿見の前で礼央が選んでくれたスーツに身を包み、おかしなところがないかチェックしていた。 今日はいよいよ実家に挨拶に行く。 あれから一度も帰っていなくて、気まずさもあったが礼央が一緒なのでなんとか気持ちを奮い立たせていた。念の為大迫が護衛を兼ねて実家まで送ってくれる。 「退院おめでとうございます」 「ありがとう。悪いね、こんなことお願いして」 「いえ、またこうして送迎できて嬉しいです」 大迫は全くの無表情なので本当に嬉しいのかよくわからない。 実家に着いて、呼び鈴を押すべきなのか一瞬迷った。 いや、別に押さなくてもいいよな…? そう思いかけたときドアが開いた。 「お兄ちゃん!」 妹の亜里沙だ。 「あ…ただいま…」 「お兄ちゃん…よかった!すごく心配したんだから!!」 妹は大きなお腹越しに俺に抱きついてきた。 そんなに心配してくれてたのか… 「ごめん…すぐに帰ってこなくて」 「本当だよ!電話の一つもくれないで」 「うん、ごめんな」 亜里沙はしばらく抱きついていたが、涙を拭いながら身体を離した。 そして俺の後ろに立っている礼央に気がついて慌てて挨拶した。 「あ、ごめんなさい私ったら!はじめまして。妹の亜里沙です」 「はじめまして。文月礼央です。よろしく」 亜里沙は長身で美形の礼央に一瞬見惚れたように固まっていたが、ハッとして中に招き入れた。 いつもはラフな姿の礼央が今日はスーツ姿なので、より一層王子様みたいで顔を見慣れた俺でも最初は見惚れたほどだ。 「どうぞ、父と母が中で待っています」 応接間に入ると、両親が立ち上がって礼央を迎えた。 「ようこそいらっしゃいました」 「どうぞ、お掛けになって下さい」 軽く自己紹介をした後、一旦俺の暴行事件とその後の怪我の経過の話になった。 俺はその話は自分でしにくくて、礼央が当たり障りないように隠すところは隠しつつ説明してくれた。 両親は助けてくれた礼央に感謝の意を述べ、今度大迫にも直接お礼をしたいと言っていた。 そして退院後は一緒に暮らし始めていて、俺と結婚するつもりだというところまで礼央が話してくれた。 「結婚のことですけれど…」 母が言いにくそうに申し出る。 「うちの子は検査の結果が良くなくて、Ω性ですけれど不妊症と診断されましたの。礼央さんはαでいらっしゃるのよね?」 「はい。僕はαですが、不妊症の件は気にしていませんし美耶さんと結婚するのにも関係ありません」 「そう?でも、よければうちの親戚のΩでまだ未婚の24歳の女の子がいるのよ。そちらの方がよければすぐにご紹介できますわ」 え…? 俺は母親の言い放った言葉に耳を疑った。 「美緒里(みおり)さん!何を言い出すんです」 父が慌てて母を(たしな)めた。しかし母は気にせずに続ける。 「よくあることですわ。Ωはαの子を産むのが自然の摂理なんです。ですから、石女(うまずめ)のΩと結婚したαが離婚するのはよくある話ですよ。だから不妊とわかっているなら最初から避けて頂いたほうがよろしいんじゃないかと思いましたの。うちの親戚の女の子はもちろん、不妊なんかじゃなくて健康で美人な良い子ですわ」 「母さん…」 俺はここに来たことを後悔した。 なんでもしかしたらわかってもらえるかも、なんて思ったんだろう?母さんは昔からこういう人だ。αと結婚すると言ったら祝福してもらえるかもなんて思ったのが間違いだった。 それにしてもまさか礼央に他の女を斡旋(あっせん)しようとするなんて… しかも、自分の息子を"不妊なんか"呼ばわりして、親戚の娘を"健康で良い子”か。 俺は不妊で不健康でレイプされて汚れた息子だもんな。 「お母さん、申し訳ありませんが僕は美耶さんにしか興味はありません。他の女性を薦められても困ります。今日はそんなお話しをしに来たわけではありません。これ以上美耶さんを侮辱するようなことを仰るんであればもうこれで失礼します」 「私は美耶のためを思って言ってるんです」 出た。母はいつもこうだった。俺のことを否定しては「美耶のため」だ。 αにだって負けたくなくて俺は一生懸命勉強したしスポーツもやってきた。だけど、Ωにそんな努力は要らないと勝手に塾を辞めさせられたり習い事を辞めさせられたことが何度もあった。 それは全て「Ωである美耶のため」で、「出来すぎるΩはαに嫌われる」からだそうだ。 「結婚してから子どもが出来なくて離婚なんてことになったら美耶が可哀想じゃありませんか。先にその可能性を潰して何が悪いんです?」 礼央と母はしばし睨み合った。 俺は耐えきれずに沈黙を破った。 「もういいよ。行こう、礼央」 立ち上がって礼央を促す。 「美耶さん…」 「美耶、あなたが苦しむことになるのよ。それでも良いのね?婚約破棄されたくらいで自暴自棄になるくらいあなたは弱い子なのよ。またふらふらしてこれ以上神崎家の恥になるような騒動を起こすのはやめて欲しいわ」 すると珍しく父が声を荒げた。 「美緒里さんよさないか!礼央くん。申し訳ないが今日は美耶を連れてもう行ってください。これ以上ここに居る必要はない。また私の方から連絡するよ」 「わかりました。では、これで失礼します」 俺は呆然としたまま、礼央に背中を押されて玄関に向った。どうやって靴を履いたかもよく覚えていない。礼央が電話したらすぐに大迫が門の前に車を回してくれた。 後部座席に押し込まれ、車は滑るように発進した。 俺は母の最後の言葉を反芻していた。 ――神崎家の恥になるような騒動を起こすのはやめて欲しいわ… 今回の件はそんな風に思われていたのか。 本当ならこの後実家で会食の予定だったからまだ外は明るい。だけど俺は真っ暗で冷たい穴の底にいるみたいな気分だった。 母さんが昔から俺に好意的じゃないのはわかってた。 だけど息子がレイプされた件を本人の前であんな風に言うなんて…俺の存在なんてやっぱり迷惑でしかなかったんだ。元気な顔を見せたら喜ぶなんて錯覚だった。 「美耶さん…泣かないで、ごめん美耶さん。ご両親に挨拶しようなんて言わなければよかった」 え?俺泣いてるのか。本当に30歳超えてからどれだけ涙もろくなってるんだろう。 礼央は俺の頭を抱えて自分の肩に押し当てた。 「礼央。スーツに涙付いちゃうからやめなよ」 「何言ってるんですか、そんなのどうでもいいです」 礼央にしては珍しく「クソ」とか口汚く悪態をついている。 「礼央でもそんなこと言うんだね」 「美耶さん本当にごめんなさい。あなたのこと大事にするって言っておきながらいきなり傷つけて…僕は何をやってるんだ!」 自分の膝を拳で殴ってる。そんなに悔しかったのか。 礼央が言われたわけでもないのにそんなに怒ってくれるんだ。 「桐谷さんの酷い仕打ちについて大迫さんからもいろいろ聞いて、なんで美耶さんが黙って受け入れてるのか疑問でした。でも今日はっきりわかりました。お母さんのせいだったんですね」 「え?」 「失礼ですけどあなたのお母さんはちょっと異常です。Ωを一体なんだと思ってるんだ?子どもを生むマシーンみたいに!美耶さんがいかに抑圧されて育てられたかわかりました。その点だけは今日来た甲斐がありました。」 俺は自分の分まで礼央が悔しがって怒ってくれてるから悲しい気持ちもどこかへ行ってしまった。母のああいう発言は今に始まったことじゃないしな。 でもちょっとみっともなかったな。せっかくだから礼央には良いところを見せたかったのに。 結局俺の…というか神崎家の恥を晒すことになってしまった。

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