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21.桐谷の零落(2)
「でも上條のこの話がなぜお前に関係あるんだ?」
「上條はこの転売の売上でも金が足りなくなってうちの会社の金にまで手を出したしたんだよ」
「なんだって?」
どんどん酷い話が出てくる。
「あいつは俺のパソコンのパスワードをいつの間にか割り出して勝手にロック解除してたんだ。俺がシャワーを浴びてる隙に経費申請システムを開いて、あらかじめ出しておいた自分の偽装申請を勝手に承認していた。俺は全然気付かなかったよ。この手を使ってちまちま経費申請して、あいつはここ数年で1000万円近く着服してた」
「嘘だろ…あいつそんな事までしてたのか…」
やたら気の強いΩ女だとは思っていたがここまでやるとは。
「経理の人間がさすがにおかしいと思って、俺を通さず直接社長に報告したんだ。俺もグルだと思ったんだろう。親父はカンカンに怒って上條はもちろんクビ。俺も次期社長の座を弟に奪われたよ」
「え…じゃあ悟 くんが代わりに?」
悟は桐谷の弟だ。
たとえわざとではなくとも、親の決めた婚約者がありながら浮気した上にその相手に易々と仕事用のパソコンを使われたとなれば妥当な処分か。
「借金まみれなのに主な収入源を絶たれた麻友は俺に縋ってきた。だが俺は当然突っぱねた。そしたらあいつは俺を道連れにするとか言って、後日俺の婚約者に写真を送りつけやがった」
「え、写真…?」
「俺は写真なんか撮らせたつもりはなかったよ。さすがにそこまで馬鹿じゃないからな。しかし酔い潰れてキスしたのをあいつは自撮りしてた。あとは俺の寝起きの裸の写真とかな。はっ!あんなものコソコソ撮るなんて薄気味悪い女だ」
いや…それと付き合ってたのは誰だよ。
しかも元婚約者の俺にはキスなんてしなかったくせに。
「それで破談に?」
「そうだよ。俺の親はなんだか知らないがどうしても神崎家のΩと番わせたいらしくてな。それでまた婚約したのに破談になったんで俺はもう勘当も同然。今は自宅謹慎中で仕事も出てないし、この後はシンガポール支社に飛ばされる」
「え!?仕事に行ってないの?」
「役員から外されたからな」
「光…何やってるんだよ。お前らしくもない…」
俺は思わず立ち上がって桐谷の方に自分から近づいた。
「どうしちゃったんだよ。顔色も悪いし、痩せただろ?」
俺はシャツ越しに桐谷の腕を掴んだ。前はもっと筋肉質でがっしりしてたはず。
「ジムにも行けてないのか?」
「ジム?そんな気起きねえよ」
「しっかりしろよ、どうしたんだよ?いつも自信満々だったお前はどこ行ったんだ?」
桐谷は俺を睨んだ。
「お前のそういうところが嫌だったんだ」
「え?」
桐谷は俺の胸ぐらを掴んで持っていたナイフを首に当てた。
うっかりしていた。普通に話していたから忘れていたが桐谷は刃物を持っていたのだ。
俺は少し前までなら死んでもいいと思っていたろうが、今は死にたくなかった。妊娠できるかもしれないとわかって急激に生への執着が芽生えていたのだ。
桐谷に俺を殺す程の覚悟があるとは思えない。しかし恐怖で震えた。
「や…やめろ…光よせ…」
桐谷の落ち窪んだ目は相変わらず底光りするばかりで、何を考えているのか少しもわからなかった。
「怖いか?震えてるな。そっちこそ自信満々なお前はどこへ行ったんだ?」
「やめて…」
刃物を向けられて平気な人間がどこにいる?
目を瞑ってぶるぶる震えていると、桐谷はふいにナイフを離してつまらなそうに床へ放った。
「ふん、お前を傷つけるわけないだろう」
ナイフから開放されてホッとしたのも束の間、俺はベッドに押し倒された。
何がしたいんだこいつは?
「本当にイラつくやつだよお前は。こんな状況で俺の心配をしてどうする?余裕かましやがって」
「そんな、余裕なわけないだろ」
「俺らしくないだと?お前までそんなことを言うのか」
「なに?」
「皆勝手なことを言いやがって」
――何のことだ?
「俺はお前のことが昔は純粋に好きだったよ」
「え?」
「そんな驚いた顔するなよ。なんでこんなことになったんだろうな。お前は…今も昔も誰よりも綺麗だ」
頬を撫でられ反射的に眉を顰める。
桐谷に綺麗だと言われるなんて思いもよらず、違和感しかなかった。
「…何の冗談だ?」
「本気だよ。俺はお前のことをずっと一番近くで見てきたし誰よりも愛してた。だが婚約者のはずなのにお前が俺のものになった気がしなくてずっと不安だった」
はぁ?今更何を言うんだ?
あんなに酷い扱いを受けてきてそんなこと信じられるわけもない。
「いつだってお前は冷たかったよな。俺がいくら喜ばせようとしてもろくに反応もしないし。一緒に居たくないのか仕事仕事って残業ばかりして帰りは遅いし。αの俺を差し置いて成績を上げて…親父までお前のほうが優秀だなんて言い出す始末だ」
「それは…俺はただお前の役に立てるようにって必死で…」
「そんなことしてくれなくて良かった。妊娠してさっさと家庭に入って欲しかったんだよ!お前がヒートでセックスした後アフターピルを飲んでるのを知ったときの俺の気持ちがわかるか?惨めだったよ。お前との子供が欲しいのは俺だけだったのかって」
「え…ちが…」
避妊しようとしていたのを知られていたのか。
でも子供が欲しくなかったわけじゃない。ただ、もう少し仕事をちゃんとやっておきたくて避妊してただけだ。
「俺に興味が無いお前を自分に繋ぎ止められるのは子供だけだとわかっていたから俺は早くお前との子供が欲しかった。だけど中出ししたのに何度ヒートを迎えてもお前は妊娠しなくて俺は焦ってた」
「そんな…だってお前はただ気持ちいいからゴムを着けないんだって言ってたじゃないか」
「お前との子供が欲しいなんて恥ずかしくて言えるかよ!お前は俺のこと何とも思ってないのに俺だけ必死みたいでプライドが許さなかったんだ」
そうだった。こいつは昔から人一倍プライドが高くて見栄っ張りな奴だった。
「お前がコソコソとアフターピルを飲んでるのを知ってショックだったよ」
「ごめん…でも俺は子供が欲しくなかったわけじゃなくてまだ早いって思っただけだったんだ。仕事でお前のこともっとサポートしてから妊娠したかったんだよ」
俺の言葉を聞いて桐谷は心底意外そうな顔をした。
「そんなことならそうと言ってくれれば良かっただろう!」
「だって、お前はいつもイライラしてて話しかけてもろくに返事もしてくれなかったじゃないか」
「それはそっちもだろ!お前なんかいつもツンと澄ましてて俺に笑いかけもしなかったじゃないか!」
「…そんなこと…」
いや、たしかにそうだったかもしれない。
「俺はむしゃくしゃして他のΩの誘いに乗った。それを知ったお前が一度だけ泣いてるのを見た」
そんなの見られてたの?
いつの話かわからないくらい前の事だ。最初はショックだったからいちいち落ち込んでいたっけ。
「俺は嬉しかったよ。いつも平然としてるお前が、俺の浮気を知って泣いてるんだ。それから俺はお前の反応が見たくて浮気を繰り返した」
聞けば聞くほど段々頭が混乱してきた。
俺のせいで浮気してたって言いたいのか…?俺が悪いのか…?
「だけど繰り返せば繰り返すほどお前は無表情になっていった」
桐谷は俺の顔に手を添え優しく撫でた。
「お前を苦しめたかったわけじゃないのに…」
俺はどんな顔をしていいかわからなかった。
桐谷の執着はかえって俺達の仲を歪めて引き裂いていったのだ。
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