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22.妄執の果て
「俺はその頃仕事も行き詰まってて、お前は順調に成績を上げて…そんなときお前が不妊だって知らせを聞いて、親父からお前と別れろと言われたんだ。反発しようとしたが、親父はこうと決めたら考えを変えない人間だ」
桐谷の父親は俺の母を男にしたみたいな頭の固い人で、高圧的なところは桐谷以上だった。
「でも俺はお前と離れる気はなかった。麻友を唆 してお前が会社に居づらくするように仕組んだら面白いくらい上手く行ったよ。麻友はお前さえ居なければって思い込んでいたからお前を陥れるためなら喜んで悪役を演じた」
まあ実際には本物の悪党だったわけだがな、と桐谷は苦笑した。
「お前はまんまと退職を希望するメールを送ってきた。ここまでは順調だったよ。あとは俺が雇った人間にお前を俺の元へ連れてこさせるはずだった」
そこで桐谷は宙を睨んだ。当時のことを思い出して苛立っているようだ。
「とんだ邪魔が入って上手くいかなかった。それどころかお前は怪我をして…そこからは何もかもが上手くいかず俺はこんな有様だ」
「桐谷…」
桐谷が何を考えて行動していたかはなんとなくわかった。
だが、そんなことを今言われてもどうすることもできない。
すると桐谷が俺の顔を両手で包むようにして顔を近づけてきた。
息がかかるほどの距離で懇願される。
「なあ、帰ってきてくれよ。お前と別れてから全部調子が狂って上手くいかないんだ。俺はお前が居ないとだめなんだよ」
キスしようとしてくるので顔をそむけた。
「や…やめ…」
「なんでだよ!愛してると言ってるだろう。お前は俺を見捨てないよな?」
ぐいっと力任せに顔を正面に向けられる。
桐谷の目は赤く充血し、妄執で濁っていた。
「な?美耶…お前も一緒にシンガポールへ行こう。俺達のことを邪魔する奴がいない所で一緒に暮らそう。海外に行ってしまえば俺達に期待して成果を求める奴らも口を出せない。な?子供なんて要らない、お前さえそばに居てくれたら…」
桐谷はのしかかって俺の動きを封じた。唇と唇が触れる寸前で俺は横目で時計を見た。
だめだ、もっと時間を稼がないと…
桐谷の胸に手をついて押し戻しながら思いつきで話をする。
「あ、な、なんで俺がここに居るのがわかったの?」
「お前を家から付けてた…と言いたい所だが、偶然用事の帰りに歩いていたら大迫の車がここに停まるのが見えてな。ふと思ったんだ、お前が乗ってるんじゃないかって」
そういえばここは桐谷の生活圏だ。偶然歩いていても不思議はなかった。
俺も以前桐谷と住んでいる時によくシュークリームを買いに来ていたのだから。
「ここに来たらお前は必ずシュークリームを買ってただろう。だからあの店にいると思ったんだよ」
「覚えてたんだ…」
「覚えてるさ。お前のことなら何でもな」
また顔が近づいてくる。
「あ!そ、それにしても、何でナイフなんて持ち歩いてたんだ?」
「護身用だ。麻友の雇った変な男がたまにこの近辺をうろつき回ってるんだ」
桐谷といい上條といい、変な奴同士は惹かれ合うのか?
どいつもこいつもみんなおかしいだろ…
「さあ、話は終わりだ。おとなしくしろよ」
桐谷は一旦身体を起こして尻のポケットから財布を取り出した。
何をするのかと思って見ていたら、中から錠剤が出てきた。
「何だよそれ…?」
「お前はもう飲んだことあるだろ」
まさか…これが例の発情促進剤なのか?
俺が飲んだときは知らぬ間に酒に混入されていたため錠剤の状態で見るのは初めてだった。
「さあ、俺がついてるから何も怖がることはない。美耶、一緒に気持ちよくなろう。2人で一からやり直すんだ」
――何言ってるんだこの男は?
「やめてよ光。俺はもう結婚したって知ってるだろう?」
「関係ない。酷い目に遭った所を助けられて仕方なく入籍させられたんだろう?」
たしかに最初はそうだったけど…
「さあ、口を開けて。ほら、あーん」
桐谷は俺の口に錠剤を無理矢理押し込もうとする。
俺が固く口を閉じて拒否しようとすると、桐谷はため息をついた。
そして錠剤を自分の口に入れた。
「何してるんだ!?」
俺が驚いて声を上げた隙に桐谷が口付けして舌を口の中に入れてきた。
同時に錠剤が口の中に押し込まれる。
飲んじゃだめだ……!
と思ったその時、室内にけたたましい警報音が響いた。
「くそ、なんだ?」
桐谷が身体を起こす。
――助かった…これでまた少し時間が稼げる…!
俺は錠剤をこっそり吐き出した。
サイレンの音が止まりスピーカーからアナウンスが流れた。
『只今自動火災報知設備が作動しました。係員が確認しておりますので次の放送にご注意下さい』
「チッ。どうせ誤作動だろ」
桐谷は気にせずにまた俺に覆いかぶさって来た。
「ちょ、ちょっと!もしかして本当に火事かもしれないだろ。こんなことしてる場合じゃな…」
「うるさいぞ。黙れよ」
起き上がって抵抗しようとする俺の腕を掴んでまたベッドに押し倒す。
「やめてって、おい。本当に危ないかもしれないだろ!」
しばし押し問答をしているとまた警報が鳴り、アナウンスが流れた。
『えー、6階の24号室でで火災が発生しました。宿泊されている方は近くの非常階段を使って1階玄関前まで落ち着いて避難して下さい。繰り返します、6階の24号室で…』
6階って…
「このすぐ下じゃないか!……クソ、もう少しで1時間になるな。大迫が来る前に逃げるぞ」
俺達の居る部屋は7階の26号室だった。
早く逃げないと煙に巻き込まれでもしたら…
「おい、しっかりしろ美耶。ぼーっとしてる場合じゃない。行くぞ」
桐谷は忘れずにナイフをポケットにしまうと俺の腕を掴んでドアの外へ出た。
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