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第17話 4月3日 10:00 脚本家VS演出家
「う、ん……」
酷い頭痛で目覚めると、心配そうな響の顔が目に映った。
「あ、れ、俺……」
「先輩……大丈夫ですか?」
その声に身体を起こせば、ずきりと頭が傷んだ。
「う……大丈夫、じゃ、ない……」
どうやら俺は昨日の決起会で飲み過ぎたらしい。
響の深酒を止めようとして自分が酔っぱらってたんじゃ全く世話が無い。
「水、飲みますか?」
「ああ、悪ぃ……」
響はペットボトルに入った水をコップに注いで渡してくれた。
それを受け取り一気に飲み干すと、ほんの少し気分が回復してきた。
「えぇと……今日も、練習があるんだっけ」
「はい。日曜日ですから朝から。まだ時間には余裕がありますが……」
「そうか……俺も、ついて行っていいか?」
「え? 構いませんが……」
脚本を渡せば、俺の役目は終わりだ。
けれども練習に参加して少しでも公演の役に立ちたいと、俺は自然にそう考えていた。
時計を見れば、朝の8時。
「集合時間は?」
「ひとまず、10時に今日の練習場に集合です」
ならまだ間に合うな。
「じゃ、今から朝食作るか……」
「いえ……」
ベッドから起きようとした俺を、響が止める。
「まだ具合が良くないようでしたら、俺が作りますよ?」
「いや、俺が作りたいから」
そもそも、俺が飲み過ぎた結果の自業自得だ。
「先輩……」
「ん?」
起き上がってキッチンに向かおうとする俺を、響はじっと見つめている。
その何か言いたげな瞳に、僅かに首を傾げる。
一体、どうしたって言うんだろう?
「その……昨日のこと、覚えていますか?」
「昨日……?」
記憶を遡ろうとしてみて、そこで俺は昨日の記憶が一部すっぽりと抜けていることにやっと気づいた。
「あれ? 昨日は決起会があって、そこで俺、いっぱい飲んで……そうだ、タクシーで相乗りして帰ったんだっけ?」
「……そうですね」
響は微妙な表情のままそれを肯定する。
それから……あれ?
タクシーを降りてからどうやってここまでたどり着いたのか、全然覚えていない。
以前、3ヵ月間がすっぽり抜けて焦ったこともあったが、今回のは完全な記憶喪失だった。
「わ、悪い……その後のこと、全然覚えてない……」
「――そうか、覚えてないんですね」
俺の話を聞いた響はどこかほっとしたような微妙な表情をする。
「何か、響に迷惑かけてないか? ここに来るまでの間とか」
「いえ、全くそんなことは」
「いやでも多分、ここに寝かしつけてくれたのは響だよな。悪かったな……」
「大したことじゃないので気にしないでください」
「そう、なのか……?」
俺は響の言葉にどこかひっかかる所を感じながら、朝食の目玉焼きを作った。
今日は上手くいったと思ったが、皿に移す所で失敗してしまい俺の分はやっぱり崩れた目玉焼き。
「――今日は俺が潰れたのを貰いますよ?」
「いや、明日は! 明日こそは成功するから!」
崩れた目玉焼きを響と奪い合いながら、ひっかかった部分はなし崩しに流されていったのだった。
※※※
「脚本家は練習に必要ない」
「……それでも、どっか使い道はあるかもしれないだろ?」
練習場についた俺に降りかかってきたのは、いつも通りの日辻の辛辣な言葉だった。
いい加減慣れてきた俺は、苦笑しながらそれを受け止める。
これも、少し前には信じられなかったことだ。
実際、“3ヶ月後”の俺なら日辻と言葉を交わすことすら避けていただろう。
けれども、3ヶ月後とここ数日の日辻との対話を通じて、俺はなんとなくこいつのことが理解できるようになってきた。
つまりこいつは、舞台のことしか頭にないんだ。
そして自分のイメージする舞台に全力をかけている。
周囲のキャストやスタッフたちのことは舞台を完成させるための道具、装置程度にしか思っていないのかもしれない。
けれども逆に言うなら、それに役立つ道具だと思わせることが叶えばこちらの意図を通すことも難しくはないのだ。
「台本の読み合わせの時なんか、役者が理解できない部分があれば読み解きの手助けをすることができるかもしれないし……他にも用事があれば手伝うから」
「……だったら」
日辻は俺の前に数枚の書類を突き出した。
「来月の練習日程。これに合わせて会館の部屋の予約をして来い」
「早速雑用か!」
苦笑いしつつも、練習に参加することが許されたようなのでいそいそと会館の管理室へと向かって行った。
その時、どこか視線を感じて振り向くとそこには響がいた。
「……?」
俺が見つめ返すと響ははっとした様子で微笑む。
どこか奇妙な態度に頭の中に疑問符を敷き詰めながら、俺もそんな響に笑顔を返した。
そして練習が始まった。
しかしそれは決して和やかとは言えないものだった。
「――だから、この場面はループの暗示なんだって! 照明とか音響効果でそれを表現すればいいだろ?」
「それで本当に観客に理解できると思ってるのか? お前の言う効果がどれだけ舞台に映えるのか計算できてるのか?」
台本の読み合わせ中、俺と日辻は激しく意見を戦わせていた。
完成した脚本の確認時にははっきりしなかった、脚本と演出の齟齬が今はっきりと形になって現れていた。
とりわけ俺は、完成した舞台を見ている。
できればあの舞台を全く同じ様に再現したいと思っていた。
そうすると、脚本だけでなく音響や照明といった舞台効果にもつい口出ししたくなり、それは演出の響が最も嫌う行為であったのだ。
――それでも、実際の舞台では問題なく、むしろ効果的に映っていたんだから俺の方がきっと正解だと思う。
しかしそれを日辻に適切に説明することが叶わず、その行き違いがより話し合いを難解なものにさせていた。
だが、話は日辻の辛辣な言葉で打ち切られた。
「――つまり、お前は俺たちにこの脚本を任せることができないんだな」
「……!」
日辻の言葉はあまりにも率直で、しかし的を射たものだった。
俺自身が気付かなかった自分自身の考えを完全に読み取られ、俺は言葉を失ってしまった。
考えてみれば心当たりは十分あった。
響のBGMの時は、俺は響の曲の良さをよく知っていたし、だから信じて任せることが出来た。
けれども俺は日辻の演出を、この劇団の効果のことを何も知らない。
だから、信頼して任せきることが出来ないんだ……
「別に信じられないならそれでも構わない。ただ、口を出すな」
「……」
日辻の言葉に、俺は何も言うことができなかった。
いや、でも、これだけは言える。
「でも、俺も……この芝居を、少しでもいい物にしたいんだ」
3ヶ月後の俺が見て、感動して心動かされるほどの芝居に。
俺の言葉に日辻は今までと全く口調を変えずに返事をした。
「それは知ってる。だから脚本を任せた」
「……っ」
その台詞は日辻としてはかなり温和なもので、だから俺は何も言えなくなってしまった。
日辻は、俺のことを信頼してる。
日辻たちのことを全く信頼していない、俺を……
「…………」
それ以降、俺はずっと黙ったまま芝居の練習を見つめていた。
そして練習が終わり、帰り際に日辻に声をかけた。
「――今日は、悪かったな」
「ああ、前半の口出しは邪魔だった」
相変わらず口に衣着せない日辻の物言いに苦笑しながら、話を続ける。
「今後は邪魔しないから……また練習の見学に来てもいいか?」
この舞台に関わる劇団員たちを、日辻を信頼するために。
「……好きにすればいいだろ」
突き放したような日辻の肯定に、俺は小さく笑って頷いた。
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