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第39話 おまけ 続く時の先で見たもの
出流の、あの冷静冷徹な演出家の顔がみるみる青ざめていくのを、俺たちは傷だらけの体のままただ申し訳なさそうに見ていた――
※※※
無事に運命の輪――俺と響が死ぬ運命から脱出した俺たちは、けれども互いに怪我を負ったままなんとか劇場へとたどり着いた。
本当は一刻も早く響を病院に行かせたかったのだが、千秋楽の舞台に穴を開けるわけにはいかないという響のたっての希望と現状を直接出流に説明するために、俺はしぶしぶそれに従った。
出流はぼろぼろになったパジャマ姿の俺に一瞬心配そうな視線を寄越すが、すぐに冷静な顔で響に確認する。
「何で……こんなことになったんだ」
「「車にひかれそうになった俺を、響(文さん)が助けてくれて……」」
出流の質問に、二人の声が重なった。
「はあ……」
そんな俺たちをじろりと睨んでから、出流は忌々しげにため息をつく。
「車にひかれそうになった奴を助ける馬鹿がいるか」
「…………」
「何だ?」
「いや、別になんでもアリマセン」
出流の言葉に思わず本人の顔を凝視してしまった俺は慌てて首を振った。
俺を一瞥すると、出流はすぐに響に声をかけた。
「それで、舞台は……できるな?」
「出すの!?」
そして導き出したとんでもない結論に、俺は思わず抗議の声を出す。
「できます」
「出るの!?」
けれども即座に答えた響の返事に、抗議の矛先を変える。
「いや、駄目だろ! 早く病院に行ってみてもらえよ」
「……文さんは行くべきです。ですが俺は……楽の舞台が終わってからです」
「そうだな、お前は行け」
「そうはいくかよ!」
出流と響の当然のような言葉に慌てて首を振る。
いや、たしかに身体は尋常ではなく痛い。
それでも響だって俺と同じ怪我をしている。
だったら舞台になんか出られる状況ではないはずだ。
「芝居は? ダンスは? アクションなんかできっこないだろ?」
「そうだな……」
食い下がる俺の言葉に、漸く出流が耳を傾けてくれた。
「少し演出を変えよう」
「分かりました」
「分かってない!」
……どうやら気のせいだったらしい。
二人は響が出る前提で話を進めている。
「響……」
「……文さん、分かるでしょ?」
心配そうに響を見上げる俺に、相変わらずの笑顔が返ってきた。
「俺は、絶対にこの舞台を成功させたいんです。そのためには、主演の俺は絶対に必要なんです」
「ああ。成功のために、必要だ」
「……」
微塵も意見を変えるつもりのない二人の意志に、俺は口を閉ざすしかなかった。
「ちなみに、脚本家は全く必要ないのでお前は早く病院に行け」
「いえ、必要ないことはないのですが……医者に診てもらうのは賛成です」
「いや、いやいや!」
微妙に気遣う言葉をかけられ、俺は再び首を振る。
「俺だって……この舞台を成功させたいし、それに千秋楽をこの目で見たいんだ!」
そう、今日は、あれだけ何度も見たいと願い叶えることができなかった千秋楽当日。
その舞台がもうじき目の前で始まるというのに、病院なんかに行ってる余裕はなかった。
俺だって……この舞台を成功させたい。
そのためには……仕方ない。
「だから……俺も協力する」
漸く腹をくくって、俺は二人を見つめ直した。
「脚本から修正できる部分は修正していこう。アクションで魅せるシーンを削って、台詞で説明できる部分は増やしていくんだ」
「文さん……」
「その分、台詞を覚えてもらわなくちゃいけないけど……」
「構いません」
「役者の怪我による公演の規模縮小ではあまり外聞がよくないな」
気合を入れる響に冷や水をかけるように、出流が呟いた。
「出流……」
非難がましく出流を見ると、彼は唇の端を僅かに釣り上げる。
眼鏡の奥の渦巻くような瞳が、鋭く光ったように見えた。
「――千秋楽を迎え、新たな演出でより新しい舞台に進化する……そんな方向で魅せていこう」
「……ものは言いようだな」
こうして、俺たち3人で急遽、脚本・演出の大改造が行われることになった。
※※※
千秋楽の最後の舞台の幕が降りると同時に、出流は響と俺を搬出口まで引っ張って行った。
俺は、パジャマ姿はあんまりなので出流に劇団のジャージを貸してもらっている。
そのまま出流はそこに待たされていたタクシーに俺たちを押しこんだ。
「連絡はしておいた。そのまま病院に行って来い」
「ですが、観客の見送りは……」
「片付けは……」
「気にするな」
それだけ言うと、出流は俺たちの私物と響のメイク落としをタクシーの中に投げ込む。
そのままタクシーはドアを閉めると出発した。
「この車の手配も全て出流先輩がやってくださったんでしょうか……」
「それで、今回は俺に照明室じゃなく舞台袖で見ろって言ってたのか」
車の中、俺たちは響のメイクを落としながらそんなことを言い合った。
病院についた俺たちは、ループしている間に何度も世話になった医者にすぐに来なかったことを叱られながらそれぞれ診察と検査を済ませた。
レントゲンも確認し、今のところ問題なしと太鼓判を押してもらった。
会計のためロビーの前を通った時、俺はひとつの人影に気付いた。
相手も俺たちに気付いたようで、こっちの方に近づいてくる。
「……結果は?」
「出流?」
「出流先輩……」
ジャージ姿の出流に、俺と響は顔を見合わせる。
わざわざ、俺たちの容態の確認に来てくれたのだろうか?
「ええと、別に異常はないからひとまず安静にって……」
芝居を演じきった響は既に安静どころじゃないと思うけどな。
そんなことを思いながら、なんとか出流に報告する。
「それで、劇場の方は?」
「客を無事帰して、撤去も問題なく終わった。明日、各種道具をバラしてミーティングの予定だ。お前らは来なくていい」
「いえ、それでも……」
「舞台は無理させたんだ。休める所は休め。後でまとめて報告してやる」
いつになく気遣ってくれる出流の言葉に、俺たちは素直に甘えることにした。
病院の時間外窓口を出ると、外は真っ暗だった。
「随分……長い一日だったな」
万感の想いを込めてそう呟いた。
口から出た言葉は息と共に白く具現化し、空気に混じる。
朝、響に拘束され、それからトラックに跳ねられバラバラになって……そして、公演を終えて病院にいる。
時間外の病院は混雑していて、既に時刻は夜の0時近くになろうとしていた。
「ええ、本当に……」
響も同じことを考えているのだろう。
静かに息を吸って、大きく頷いた。
ふと、吸い込んだ空気に鼻腔がくすぐられ周囲を見渡した。
その匂いは俺の脳内の本能的な感覚を呼び起こし……
ぐぅう……
そのまま胃袋にダイレクトな刺激を与えた。
「……腹、減ったな……」
「……随分、いい匂いをさせてますね」
病院の前には1軒の屋台があり、暴力的なほど強烈なラーメンの香りの発信源となっていた。
「病院前にこんなの置いていいのかよ」
「患者さんが食べに来そうですね……」
俺と響は口々にそう言い合いつつ、なかなかその店の前から足を動かせない。
そういえば俺は、朝から何も食べていなかったんだ。
響も同様の上、舞台での演技もあったのだから俺よりも空腹の筈。
「食べていきましょうか?」
「……そうだな」
響の提案に素直に乗ることにした。
「なら、俺はこれで……」
「待てよ、出流」
更に、それを利用させてもらうことにした。
「一緒に食わないか?」
その場から離れようとする出流の腕を急いで掴む。
「別に俺は……」
「お前だってろくに飯食ってないだろ?」
こいつのことだから、今放っておくときっと今日も何も食べないで過ごすに違いない。
「それに……あれだけ迷惑かけたんだ。ラーメンくらい奢るよ」
「文さん……」
既に屋台に足を踏み出そうとしていた響が不満そうに俺の言葉を遮った。
けれどもすぐに慌てて言い直す。
「いや……俺の我儘でお二人には迷惑をかけてしまったわけですし……奢るなら、俺が」
「なら、俺も我儘を通してお前を出演させたわけだし。それに……」
改めて、出流の方を見る。
「俺は、出流に謝らなくちゃいけないことがあるから……」
ここではない世界で、出流をスケープゴートにして、殺した。
響の代わりに、俺の代わりに。
ここでは起きていないその事実を、だけど俺はどうしても償わなければ。
「――別に奢られるつもりはない」
だけど出流はそんな俺の思惑をあっさり切って捨てる。
「何の謝罪だか知らないが、ラーメンで終わらせるような安い貸しは作った覚えがない」
「まあ、確かに……」
事情を分かっていないにしてはあまりにも正論な出流の言葉。
言い返すことができず項垂れている俺に、出流は唇の端を僅かに上げる。
「貸しは寝かせて置いて、利子が付いた所で取り立てるに限る」
「……怖いこと言うなよ」
「文さんに何させるつもりですか」
「……さあ、何をしてもらおうか?」
店の前で俺たちは軽口をたたき合う。
いや、出流のは本気かもしれない……
「割り勘で」
最終的に出流はそう言って俺たちと一緒に暖簾をくぐった。
「公演も終わったんだ。少しくらい夕食に時間をかけてもいいだろ」
そう呟く出流の表情は、今までになく柔らかなものだった。
「――意外にメニューが多いんだな……」
屋台の椅子に、響が右、出流が左隣に座り真ん中に座った俺は、差し出された品書きを見て腕を組んで悩んでいた。
ラーメンの屋台だが、種類もサイドメニューも豊富で、空腹だった俺はさあ何を食べようかと迷ってしまう。
響も同様だったのか、俺の言葉に頷きながらメニューを覗き込んでいる。
出流だけは、メニュー表を一瞥すると「決めた」と一言告げると迷う俺たちを尻目にカウンターに腕と頭を乗せて仮眠を取り始めてしまった。
随分と決断が早いんだな……
少し感心しながら、俺はメニューを組み立てる。
「俺は、チャーシューメンと唐揚げで」
「えーと……唐揚げも食いたいけど、餃子は欲しいし……よし、野菜ラーメンと餃子で」
漸く俺たちが注文を決めると、出流はむくりと顔を上げる。
「じゃあ、俺もそれと同じモノで」
「……って、もう決めたんじゃなかったのかよ」
その適当な注文方法に思わず出流に詰め寄った。
「選ぶ時間が勿体ない。お前と一緒のものを頼むと決めた」
「俺の一瞬の感心を返せよ……」
相変わらずマイペースの出流にはあとため息をつく。
そんな俺に、響が宥めるように声をかけてきた。
「まあまあ……文さんの餃子と俺の唐揚げ、一個交換しませんか?」
「え、いいのか? けど餃子一個と唐揚げ一個じゃ重みが違わないか?」
「俺も餃子を食べてみたかったですし……そう思って、違うメニューにしました」
どこか挑戦的に響はそう言って笑ってみせた。
一体何と張り合ってるんだ。
それでもほどなくして運ばれてきた温かいラーメンを前に、そんな疑念はすぐに消えてなくなってしまう。
温かい湯気に包まれたラーメンを、俺たちは夢中で平らげた。
「はぁ……美味かった」
一番最後に食べ終えた俺が満足のため息を漏らした、その時だった。
「……ん?」
右肩に、何かが触れた。
それはあっという間に重みを増し、すぐにそれが何なのか気付かせてくれた。
「響……」
俺が食べ終わるのを待っていた響が居眠りを始め、俺の肩にもたれかかって来たらしい。
「おい、起き……ん?」
声をかけようとすると、左肩にも同様の感覚。
「出流……」
見ると、出流もまた俺の肩にもたれて居眠りを始めていた。
「おい……」
俺にもたれる二人を起こそうと声をかけようとするが、二人の顔を見て思わずその声を飲み込んでしまった。
響と出流。
二人の、こんな無防備な表情を見てことがなかったから。
無事に生きて……それだけじゃなかった。
きちんと公演を終わらせることができて、やっとこの顔を見ることができたんだ。
もう繰り返すことなく、この先を見ることができる。
これからも、ずっと。
「生きてて……良かったなあ」
「ん……文さん、どうしました?」
ぼそりとそう呟くと、響が半分眠りながらそれに反応した。
「いや……公演が成功して良かったなと思ってさ」
「……そうですね」
答えながら再び響は夢の中へと戻っていく。
それを起こそうとしながら、俺自身もつい幸せな微睡みの中に落ちていきそうになっていた。
(――この先も、愛してる)
誰にともなくそう呟きながら。
<終>
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