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6. 発熱は水曜日
「とにかく住所」
ケンタは最終的には怒った声を出し、長居しないから鍵だけ開けて、と言って電話を切った。
今夜は二週間ぶりに会う予定だった。熱が出た、また今度とメッセージを送ったら、電話がかかってきた。
––その声。医者は?
頭が回らなくて、うん、ううん、と答える。
––熱、何度ある?
「や、うん。わかんね」
––計ってないのか。
「あの、たまにこういう感じに」
言いかけて咳き込むと、住所を聞かれた。「そんなのいい」と断ったが、声を出すのもやっとだった。
鍵はもうずっと閉める習慣がなかった。狭い路地の突き当たりにある古いアパートで、二階は俺の部屋以外空いている。
時計をもらった日(結局、俺は受け取った)、大澤さんの家に泊まった。他人の家に泊まるのも、自分で買えそうにない値段のプレゼントをもらうのも初めてで、今朝起きた時の体の違和感がいつもの高熱の前兆なのか、単に自分が浮かれているだけなのか、わからなかった。たぶん両方だったんだ。
ドアを叩くこんこんという音で意識が戻る。声を出すために咳払いをして、しばらくティッシュに顔を埋めて咳き込む間に、ニットキャップをかぶったケンタが大きなビニール袋を持って入ってきた。
「相当悪そうだなあ。ちょっとだけ上がる」
ケンタは靴を脱ぎ、ニットキャップをとって部屋を見回した。ベッドにうずくまって横目で見ている俺と目が合うと、
「すぐ帰る。寝てろ」
と言って、床に散乱した服や靴下を避けて台所で手を洗った。咳が止まらなくなり、体を起こしてもう一枚ティッシュを引き抜き、痰を吐く。
ケンタは暖かそうなダウンの上着を着たままベッドのそばに来て、「体温計あるか」と聞いた。
「ない」
「持ってきたから、熱計って」
わざわざ買ったのかと聞く気力がなく、彼が玄関に置いたリュックから小さめの袋を出して、体温計のパッケージを破くのを見ていた。熱は40.8度あった。
「病院行こう」
「いい。行かない」
体温計を脇の下に出し入れしたせいで布団に冷気が入って、体ががくがく音を立てそうに震えた。ケンタが怖い顔で見ているので、何とか声を振り絞った。
「慣れてる。いつも、熱これぐらい出る」
「喘息とか何か、持病は?」
「知らない、ない」
ケンタは俺が震えているのに気づいて、首まわりの布団を押さえ、全体をきちんとかけ直してくれた。せっかくかけ直してくれたのにまた咳が出始めて、俺は体を起こし、彼が差し出した箱からティッシュを取った。咳の勢いで肋骨が軋み、痛みが皮膚の内側に入り込んで全身に染みるように広がる。ケンタは俺の背中に手を置いて部屋を見回した。
「パジャマとか、どこにある?すごい汗かいてる」
「押入れ、いや、いいから帰って」
いいから帰って、とあと三回ぐらい言ったと思うがよくわからない。
その後、ケンタはどこからか長袖のTシャツを探してきて、俺を起こした。やっと着替えると、
「起き上がってるうちに、これ飲んで」
と俺に冷えたペットボトルを渡した。手が冷たくて慌てて口をつけて返した。スポーツドリンクで口の中がべたべたした。
その後、目を開けると、ちょうど見える高さに薬の箱が三つ並べられていた。
「飲んだことあるの、ある?」
「何?」
「解熱剤。有名どころばっか」
「わざわざ……」
「どれか飲む?」
「薬、俺、のんだことなくて」
「アレルギーがある?」
「そういうんじゃなくて」
ケンタは、うーん、と唸った。俺は目を閉じた。その後、彼が立ち上がり、カーテンを閉めたり、窓を開けたりする気配の中でいつの間にか眠っていた。
次に咳が止まらなくなって目が覚めた時は、部屋の明かりが消されていた。
「大丈夫か」
とケンタの声がした。やっと咳が治まると、紙コップを差し出された。冷たくない水だったが、一口飲むのがやっとだった。
「ありがと、でも帰らないと」
「まだ11時だよ、そんなに時間経ってない」
部屋にはベッドと小さなローテーブルしかないが、ローテーブルの上で電気スタンドが小さく灯されていた。どこから発掘してきたんだろうとぼんやり考えたが、頭が回らない。
「もう一度熱計ってみな」
やはり40度あって、彼はまた病院に行けと言い、俺は無視した。
「じゃあ薬のめ。こんなんよくあるったってお前、辛いだろう」
じっとしていると自然に瞼が落ちてきてしまう。おい、と声をかけられて目を開ける。彼は、手のひらに乗せた二錠のカプセルを俺に見せた。もう片方の手で、箱をかざす。
「これ、何十年も前からあるメジャーな風邪薬。変な薬のますとかしないから、信用して」
そんなことは心配していなかった。大丈夫だから早く帰れ、と言いたかったが、そんな気力もなかった。体を半分起こして、カプセルを一錠つまんで口に入れると、ケンタは紙コップを近づけて水を飲ませてくれた。もう一錠も同じように飲んだ。
「のめた?」
「うん」
タオルを巻いた冷たい枕に、横向きに頭を乗せる。時間の感覚がわからないが、さっき彼が「持ってきてよかった」と小声で言いながら頭の下に差し込んだのだ。その前か後かに、額に冷たいシートを貼ってくれた。
ケンタは布団をきちんとかけ直し、足元から体に沿うようにぎゅっぎゅっと押さえた。
「薬よく効くから楽になるよ。寝な」
大きな手が布団の上から背中を撫でた。
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