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第5話

 ジリジリと照りつく太陽の日差しの中で蝉が忙しなく鳴き始めていた。  今日は終業式、明日からはもう夏休みだ。 あの事件の後、瀬戸は学校をずっと欠席した。彼女はカウンセリングを受け、二学期からは別の学校に転校すると聞いた。警察に届ける事はしなかった。  瞬とはあのあと、これまでの日常を取り戻していた。 二人の離別に心を痛めていた瑠璃には、皐が瀬戸の事とあわせてうまく説明したようだった。瑠璃は瀬戸の話に戸惑っていたが、瞬と雅季が元通りになった事を心から喜んだ。  雅季は怪我をしている瞬の代わりに、毎晩瑠璃と夕食を作った。毎朝の登校も一緒にした。けれど二人の間にはどこかぎこちない空気が流れていて、お互いに意識して微妙に距離をとっているのを感じていた。  指先一本でも、うっかり触れてしまわないように。少しの呼吸さえ、肌に感じてしまわないように。 (…そろそろ限界かもな…) 瞬の欲情を帯びた瞳に晒される度、雅季の身体は疼いていく一方だ。彼に欲しがられていると感じるだけで、全身が熱くなってしまう。 ――蒸し暑い体育館で終業式が行われていた。校長の長い話を生徒達は気だるそうに聞いている。その間を縫って遠くに見えた瞬の姿を、教員が並ぶ中に佇みながら眺めていた。 (…会えなかった日々もつらかったけど、側にいるのに触れられない方が拷問かもな…) 腕に巻かれた包帯が半袖のシャツの裾から見えている。怪我から一瞬間ほどで抜糸はしたが、包帯はまだ取れていない。包帯が取れるまでは安静にするよう医者に言われていた。 (…このあと病院に行くって言ってたよな…) ふと、瞬がこちらを振り返った。何十人もの生徒達の隙間からバチッと視線がかち合う。 雅季が自分を見ていた事に気付くと、彼はふわりと微笑んだ。 (――くそっ…) 心の中で舌打ちすると、雅季はこの疼きをどうにかやり過ごそうとした。  部活動をする生徒を残して、終業式を終えた途端に学校は夏休みを迎えていた。校舎は一気に熱気を失い、がらんとして静寂に包まれている。  弓道場では弓道衣を纏った皐が、一人残って矢を射っていた。瑠璃がその様子を、少し離れた場所で真剣な面持ちでスケッチブックに描き止めている。凛とした皐の美しい佇まいは、瑠璃の心を掴んで離さなかった。 射位を離れ瑠璃の側まで戻ってくると、皐は置いていた携帯電話を手に取った。メールが受信されているようだ。 「――姫、今日わたしの家に泊まりに来たら」 「ええ? いいんですか?」 何の脈絡もなく突然誘われ、瑠璃は驚いたもののすぐに大喜びした。 「わたしはもう少しここにいるから、家に帰って必要な物取ってきたらいい」 「はい!」 元気よく返事をすると、彼女はスケッチブックとかばんを抱えて弾んだ足取りで出て行った。  皐はもう一度携帯電話の画面を眺めた。先程受信していたのは瞬からのメールだ。 『包帯取れた!』 喜ぶ顔文字の付いた一言の真意を、皐はやっぱり見透かしていた。  雅季はインターホンの音でうたた寝から目を覚ました。 (…あれ、何時だ…?) リビングで本を読んでいたはずが、いつの間にか横になっていたソファから起き上がる。辺りがすっかり薄暗くなっていた。掛け時計を見ると、まだ夕方の四時だ。 (四時なのに、こんな暗いのか…?) ぼんやりとそう思った時、外で雨の降る音が聞こえてきた。夕立ちのようだ。  薄暗さの中で携帯電話のランプが点滅している。瞬からメールが来ていたらしい。メールの中身を確認した時、突然大きな爆音が窓の外で響き渡った。――雷だ。 ――ドンドンドン! 続いて今度は玄関のドアを思いきり叩く音がした。 (そういえば、インターホン鳴ってたっけ…) 来訪者の正体はわかっていた。雷の音が鳴った途端、ドアをけたたましく叩き始めた理由もわかっていた。あと少ししたら、彼はきっと叫び始めるだろう。 「先生―! 雷すごいー! 助けてー!」 玄関に向かうと、ゆっくりと扉を開いた。  ―怯えて立ち竦む瞬の姿は、初めてこの場所で出会った少年と何一つ変わらなかった。 「…本当、泣き虫」 瞬の涙ぐんだ瞳を見て呆れたように呟くと、包帯の取れた彼の腕を掴んで中に引きずり込んだ。  玄関のドアがバタンと音を立てて閉まった時には、もう彼を抱き寄せて口付けていた。 「っ…んっ」 タガが外れたように夢中でキスを強請る雅季の姿は、瞬の欲望を一気に膨れ上がらせた。 口付けと同時に侵入した舌先にねっとりと舌の表面を舐められると、瞬は腰を掻き抱きながらその身体を荒々しく壁に押し付けた。密着した下腹部にすでに硬くなったお互いが擦れ合う。 「はっ…んぅ…」 きつく抱きしめられながら口腔を乱暴に掻き回されると、雅季の頭はジンと痺れ、吐息が熱を持って艶めき始める。 シャツの裾から冷たい手が潜り込むと、雅季の背筋はゾクッと粟立った。腰を滑るようにそっと撫でたその手が、背中、腹へとシャツを捲くりあげながら素肌をなぞると、やがて指先が胸の小さな尖りに触れた。 「あっ…」 ひんやりとした指の感触に身体がビクッと跳ね、立ち上がったそこを優しくこねくり回されると、嬌声は更に甘さを増していった。胸を愛撫されながら、息を継ぐ暇も無いほど舌を絡ませ合うと、雅季は息苦しさと募る欲情でクラクラと眩暈がした。 カクン、と足が力を失って崩れると、瞬の腕がその腰を抱き留めた。 「…先生、ベッドに行こう…」 熱く湿った吐息交じりの声に鼓膜を刺激され、胸の高鳴りは最高潮に達していた。  腰を抱かれながらベッドに辿り着くと、彼は早急に雅季を組み敷いて再び唇を求めた。交じり合う唾液が飲み込めずに零れ落ち、くちゅくちゅと淫らな音が薄暗い寝室に響き始める。 「…先生…」 息を継ぐ合間に雅季の唇の上で囁く声は甘く掠れ、欲情に潤んだ瞳が雅季を射抜いた。  その瞳を見つめ返しながら上半身を起こすと、向かい合って座った彼の制服のネクタイに手を伸ばしゆっくりと引き抜いた。ネクタイがベッドから滑り落ちると、今度はシャツのボタンを一つずつ丁寧に外し始める。彼を求めているその仕草の一つ一つが、瞬の欲望を煽り続けてやまない。  ボタンを外し終えると肩から滑らせるようにして脱がせた。引き締まった上半身が露わになると、雅季は半ば無意識にその厚い胸板に舌を這わせる。 「ッ―…」 頭上で息を呑む音が聞こえると、夢中で彼の胸や肩にしゃぶりついていた。やがて二の腕に辿り着くと、包帯が取れたばかりの痛々しい傷跡が視界に入った。  触れるか触れないかぐらいの加減で微かにそこをなぞる。 「…痛いか…?」 「…ううん」 雅季が傷跡にそっと口付けると、瞬の顔が甘く歪んだ。痛みの所為ではなかった。  少し荒々しい手つきで雅季のシャツを脱がすと、すかさずジーンズの金具を外しにかかった。雅季のそこはすでに窮屈そうにジーンズを押し上げている。急に恥ずかしくなると、咄嗟に瞬の首に腕を巻きつけた。 「…先生、脱がせられないよ」 困ったように言う彼に構わず、雅季は更に力を込めて抱きついた。  すると瞬は小さく溜め息をつき、寛げたジーンズの中から手探りで雅季の昂りを取り出した。 「あっ―…」 潤んだ先端を優しく撫でられ、絡み付いた指先がゆるゆると蠢き始める。もう一方の手が下衣の奥に潜り込み、根元の膨らみをやんわり揉みしだいた。 「あぁっ…、あんっ」 ジワジワと零れ落ちる体液が指に擦られ淫らな音を立てている。同時に耳を舌先でクチュクチュと掻き回されると、雅季の甘ったるい嬌声は止まらなくなり、程なくして白濁を放った。  瞬と触れ合えない日々の所為で、溜まっていた欲望はすぐに限界を迎えてしまっていた。 「…先生、もうイッちゃったの?」 「~…! だって、お前とずっと―…」 ふっと笑いながら言われると、恥ずかしさのあまり瞬の肩を拳で殴りつけた。 「わかってるよ、俺も…すぐ出そう…」 余裕のない表情で雅季の下半身からジーンズを下着ごと引き抜くと、瞬は自分のベルトを外し、制服のズボンを脱いだ。露わになった彼の屹立はすでに臍に着きそうなほど反り返っている。 「っ―…」 大きく熱り立ったそれを見て雅季は思わず生唾を飲み込むと、物欲しそうに自分の唇を舐めていた。雅季を押し倒そうとした彼を制止して、彼の足の間に顔を埋める。 「ッ―…! 先せ―」 先端をぺろりと舐めると、そこはビクンと大きく震えた。 (…デカイ…) 熱く脈打つ屹立の根元に手を添えて、先端を咥えようとした。―その瞬間。 「!」 雅季の視界が白く霞み、顔に生温かいものを感じた。 「――っ! 先生ごめん!」 瞬はひどく慌てた様子でティッシュを見つけると、雅季の顔をゴシゴシと拭いた。 「……まだ咥える前…」 呆然としていた雅季がぼそりと呟くと、瞬は顔を真っ赤にして喚いた。 「先生がフェラとか無理! 刺激が強すぎるよ! 視界だけでクる!」 (…刺激って…。自分は散々、エロいこと仕掛けてくるくせに…) たった今吐き出したばかりなのに、彼の中心は全く萎えていない。雅季はそれをもう一度舐めたい衝動に駆られたが、今度は早急に彼に押し倒されてしまった。 「あっ…」 仕返しとばかりに組み敷いてきた瞬が、今度は雅季の中心を咥えた。先端の窪みを尖った舌先でつつかれ、優しく手を添えながら表面をねっとりと舐めまわされると、すぐにそこは再び芯を持って立ち上がる。 「やっ、…ああっん」 根元の膨らみを口に含まれると、あまりの快感にビクビクと身体が打ち震えた。  瞬は脱いだズボンのポケットから軟膏を取り出すと、雅季の足の間の窄まりにそっと触れた。 「―…!」 人に触れられた事などない場所をひんやりとした指先で撫でられると、思わず身が竦んでしまう。固く閉ざした入口にヌルヌルとたっぷり塗り込められると、優しく撫でていた指先が、ツプッと中に侵入してきた。 「っ―…」 「…痛い?」 雅季は息を詰めてかぶりを振った。異物感は拭えないが、痛いというよりは息苦しい。 体内の浅い部分をゆっくりと指で掻き回し、内壁を徐々に柔らかくしていく。 「あぁ…、あっ…」 体液で濡れた屹立を扱かれながら、時間をかけて丁寧に奥を解されると、雅季の喘ぎはますます高まっていった。 やがて指が増やされグチグチと抜差しを始めると、その動きはそのままセックスを連想させた。雅季の全身が欲望に包まれていく。 「…ッ…、ハァ…」 艶めかしい姿態を見下ろしながら、雅季と繋がる為の準備をする瞬の中心は、もう限界まで張り詰めている。その欲情に潤んだ眼差しに浮かされて、彼の腕に手を伸ばした。 「…もう、いい…」 「……ッ…」 荒く息を弾ませて、興奮に眩んだ瞳で雅季を見下ろす瞬の顔は、とても艶っぽい。 「…早く、来い―…」 もうこれ以上我慢できなくなった雅季は、自ら瞬を欲した。 「―…ンッ」 瞬は息を殺してその強烈な快感に耐えると、熱く反り返った自身を柔らかくなったそこにあてがい、先端をゆっくりと押し込んだ。 「いっ…、ああっ」 指とは比べ物にならないほどの圧迫感に身体が強張る。 「…先生、力…抜いて…」 雅季の屹立に手を添えると、グチュグチュと動かして快感を煽る。 「んぅ―…」 瞬は雅季の内壁を押し上げるように、ゆっくりと少しずつ腰を進めていく。  ――やがて全てを体内に収めると、瞬は雅季に覆いかぶさって息を喘がせた。 「…全部入ったよ、先生…」 「―…っ…」 ギチッと体内に咥え込んだ彼の質量に、雅季は息苦しさを感じたが、それ以上の幸福感に満たされ、胸がいっぱいになった。 (…なんだ、これ…。…泣きそうだ―…) 「…先生の中、あったかい…」 耳元で幸せそうに呟いた瞬の声を聴いて、潤んでいた雅季の瞳から涙が零れ落ちた。  「…動いてもいい…?」 馴染むまでの間しばらく抱き合っていた体勢から、瞬は顔を上げると雅季に口付けた。身体を繋げたまま交わすキスは、直接下半身に官能的に響いてしまう。 「…いいよ…」 許可をもらうと雅季の手に指を絡ませて、顔を見つめながらゆっくりと腰を揺すり始めた。 「あぁっ…」 緩やかな律動は一瞬で雅季の快感を誘った。グチュッヌチュッと淫靡な音を立てて抜差しを繰り返されると、雅季はあられもなく啼き出す。 「あぁ…ん、あんっ」 「先生…気持ちいいの…?」 「あっ…いい…」 快感に歪んだその表情は瞬の脳内を甘く痺れさせ、彼は夢中で腰を動かした。 段々と大きく激しくなっていく律動に合わせて、雅季の嬌声も止めどなく溢れてしまう。いつの間にか両腕で彼にしがみき、彼の腰に両足を絡ませて貪欲に求めていた。 「あんっ…、んぅ…」 貪るように舌を絡め、飽きることなく互いの口腔を掻き回しながら快楽の波を漂う。 「瞬……、瞬っ…」 浮かされた雅季に何度も名前を呼ばれると、瞬の欲望は雅季の中で更に熱く膨れ上がり、腰を抱き直すと更に激しく突き上げ始めた。 「んぁっ―…ああっ」 荒く息を弾ませながら、反り返った雅季の首すじに夢中でしゃぶりつくと、雅季の内壁が淫らに収縮して瞬自身を刺激した。 「アッ――…」 強烈な刺激に耐えられなくなり、瞬の昂りは狭い内壁の中でビクンと打ち震え、その中に白濁を爆ぜさせた。 「あぁっ…あっ―…」 突如体内に吐き出された熱い欲望の感触に、堪らなく感じてしまった雅季は、ほぼ同時に絶頂を迎えた。迸ったその欲望は腹の上に放たれた。  二人は身体を繋げて抱き合ったまま、息を上がらせていた。 ―体内に感じる生々しい熱は、達した後も雅季の官能を甘く刺激し続けた。その所為で瞬は貪欲に締め続けられ、放っても尚、芯は硬度を保ったままだ。 「…やばい、…先生の中、気持ちよすぎる…」 二度達してもまだ、欲情の色の消えない掠れた声で呟くと、頬に唇を這わせた。  疲弊していて何も答えない雅季の頬を撫でると、瞬は顔を上げて見つめる。 「雅季さん…大好き……」 蕩けるような甘い顔で愛しそうに名前を呼ばれると、雅季の胸はトクンと高鳴り、繋がった場所が甘く収縮した。瞬の昂りはその刺激でまた大きくなる。 「っ―…お前、わざとだろ…」 甘だるい疲労感の中にいた雅季は、困ったように瞬を責めた。彼は、フフッと嬉しそうに笑うと唇に優しくキスをして、ゆっくりと再び腰を遣い始める。 「あっ…」 屹立が抜けそうなほど退いてまたゆっくりと穿つと、中に残っていた瞬の欲望が掻き混ぜられて、グプッといやらしい水音が立った。 「んあっ…」 その淫らな感触は雅季の全身を粟立たせ、再び快感の渦に引き戻した。 「…また勃ってきたね、先生の…」 「っ―…」 一度後ろで達した雅季の身体は、それでなくても過敏になってしまっている。ゆるゆると腰を打たれると、また快感に溺れたくなってしまう。 「あんっ…」 胸を這った舌先に小さな粒をクチュクチュと弄られると、雅季の脳内は更に欲情に眩んだ。  芯を持ち始めた自身になかなか触れてもらえなくて、もどかしさに我慢できなくなった雅季は、自ら手を伸ばして手淫した。瞬はその淫らな姿を見下ろして目を細める。その光景を堪能しながら、段々と大きく穿っていく。 「…先生、やらしい……。自分でしちゃうんだ…」 「んぁっ…」 浅ましさを責められても、もう止められない。恥ずかしさよりも快楽が勝ってしまう。自分で慰める姿を瞬に見られていると思うと、それさえ甘い刺激となった。 彼は雅季の腰を抱え、ますます力強く突き上げていく。 「ああっ、あっ」 「…ッン―…」 いつの間にか繋がれていた手を固く握り締めて、二人は高みへと昇り始める。 「あっ、イきそっ―…」 「クッ――…」 雅季の指の下で赤く膨れ上がった屹立から、白濁が飛び散るのを見届けると、瞬は雅季の身体に覆いかぶさり濃厚に舌を求めながら、再び雅季の中に熱を注ぎ込んだ。 「んんっ―…」 舌を吸い上げられたまま体内に新たな熱を感じると、目の前が真っ白になった。瞬は最後の一滴まで雅季に飲み込ませるように、何度もゆっくりと腰を穿ち続ける。 ――遠のく意識の中でそれを感じると、雅季は恍惚の表情を浮かべて、目を閉じた―。  気だるいまどろみから目を覚ますと、雅季は暗闇の中一人でベッドに寝ていた。瞬が拭いてくれたのだろう、身体は綺麗になっていて服もちゃんと着ている。 覚醒しきらない頭でサイドボードの時計を見ると、八時を少し過ぎたところだ。 (…身体が重い…) ―結局三回もイかされたのか。今までの我慢の反動だとしても、十代の瞬と違って自分にはもうそんな体力はない。起き上がろうとするけれど、腰が痛んで力が入らない。 (…くそ…。アイツはどこ行ったんだ…) かすかに食べ物のいい匂いが漂っている。瞬が何か夕食を作っているのだろう。 (…腹減った…) 食欲をそそる匂いにつられて腹の虫が鳴った。 「あ、先生。目、覚めた?」 廊下から漏れる光を背に浴びて、瞬が寝室に入ってきた。 その光のせいか彼の笑顔がいつもよりキラキラと輝いているように見える。 (…嬉しそうにしやがって…) 雅季はなんだかくすぐったさを感じながら、眩しそうに目を細めた。 「雑炊作ったよ。食べる? 起きられる?」 (…夏に雑炊…。別にいいけど…) 彼はベッドに腰掛けると、愛おしそうに雅季の頭を撫でている。 (…受け入れてよかった。好きだと、伝えてよかった…) 教師としての立場、大人としての道徳心。どんな理由を並べても、この笑顔には敵わない。 「先生?」 雅季の髪を梳きながら、瞬は優しい声で返事を促した。 「食べる。起きられない。腰が痛い。お前のせい」 淡々と返されると、彼は赤くなった顔で申し訳なさそうに慌てふためいた。  瞬が寝室に運んだ雑炊を、彼に甲斐甲斐しく世話されながらベッドの上で食べた。  彼は夕食の片付けを済ませると寝室に戻り、ベッドで横になっている雅季の隣に入ってきた。 「へへ。先生と一緒に眠れるなんて、夢みたい」 少年のような顔を向けて子供みたいな台詞を言う。つい数時間前には同じこのベッドで、『男』として散々自分を求めてきた彼と同一人物だとはとても思えない。 夕方のうちに、瑠璃から友達の家に泊まるとメールが入っていたらしい。瑠璃が急遽外泊になったので、瞬は心置きなく雅季の部屋に泊まるつもりだ。 (友達…) あまりのタイミングの良さに、雅季は『友達』の正体に見当をつけたが、それ以上詮索するのはやめることにした。  ニコニコと見つめてくる視線がこそばゆくて、雅季は彼に背を向けた。 「やだ! 先生! こっち向いてよー!」 「お前の視線がウザイ」 雅季の背中のシャツを掴みながら、瞬は子供のように喚く。 「もう見ないからー!」 「無理だろ」 「そうだけどー!」 何度かの言い合いの後、彼は渋々諦めると、今度は雅季の前に腕をまわして背中に抱きついた。 「――おい」 「ふふ。先生の匂い。先生の体温…」 引き剥がそうとして彼の腕に乗せたはずの手を、雅季はそのまま彼の温もりに馴染ませた。二人の体温が溶け合って、とても心地良い――。 「…先生」 「…ん?」 温もりに包まれてウトウトとなり始めていた雅季に、瞬の柔らかい声が響く。 「…夏休み中に、絵描きに旅行しようと思うんだけど。一緒に行かない?」 瞬が一人旅に出る前に必ずする、昔からの二人のやり取りだ。瞬が雅季を誘って、雅季はそれを冷たく断る。その繰り返し。  なかなか返事がないので、もう眠りに落ちてしまったのかと思い、瞬も目を閉じた。 「……考えとくよ」 ぼそりと小さな声が聴こえると、瞬は思わず閉じた目を見開いた。 その顔はすぐに蕩けるような表情に変わり、雅季にぎゅっと寄り添った。 「――うん」  夏休み初日。雅季は朝練に向かう為、まだ少しだるさの残る身体に鞭を打って起きた。  いつもなら瞬が騒音のように鳴らすインターホンの音で目覚めるのだが、今朝はすぐ隣で眠っていた彼の、甘ったるい声と愛撫で起こされた。 そして彼が雅季を起こす前に作っていた朝食を一緒に食べた。大きなだし巻き玉子とみそ汁。食後には揃いのひよこのマグカップでコーヒーを飲んだ。 (…新婚かよ) 初めて二人で迎えた朝は、瞬の醸し出すとびきり甘い空気に包まれていた。  彼は幸せに満ちた表情で雅季を見つめては、時折だらしないほど顔を緩ませている。 「…きもい」 「うん」 「うざい」 「うん」 「うっとおしい」 「うん」 「……」 雅季が何を言っても、彼はただ嬉しそうに頷くだけだ。  ――二人はいつもと同じように、並んで学校までの道のりを歩いた。夏休みになっても、瞬は雅季に合わせた時間に美術室へ行くつもりらしい。美術部は夏休みも相変わらず自由だ。 (今日も暑くなるな…) まだ朝の七時すぎだというのに、すでにギラギラとした日差しが照りつけている。 雅季は眩しそうに目を瞬くと、薄っすら滲みはじめた額の汗を拭った。肌に纏わりつくような暑さと視線に苛立ちの募った雅季は、ピタッと立ち止まると、隣で自分を見つめ続けていた恋人に宣告した。 「その暑苦しいにやけ顔、すぐにやめないともう一生触らせない」 冷然たる態度で言い放たれた瞬は、真夏の太陽の下で一気に凍えた。 「やだー! でも無理―! 幸せなんだもんー!」 泣き喚き始めた瞬を残して、雅季は足早に緑に覆われた桜並木の坂を上っていった。

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