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 玄関の扉が、開く音がした。  たった、それだけ。  扉が開いて、誰かが歩いてくる音がするだけなのに。  ……俺はホッとしている、のだろうか? 恥ずかしいくらい、俺は安心してしまったのだ。  玄関からリビングまでの距離は、短い。それなのに、冬人が来るのがとてつもなく長く感じる。  リビングへ入る扉が開き、一人の青年が姿を現す。  ……冬人だ。  冬人が、リビングに入ってきた。 「……あぁ、平兵衛さん。お疲れ様」  なぜか紙袋を持っている冬人は、少し苛立ったような様子だ。 「おう、お疲れさん。……どうした、冬人? なにかあったのか?」  挨拶を返しつつ、俺は疑問を口にする。  冬人が今着ているのは、俺にとって見覚えのない服だからだ。  ここに越してきてから、冬人は冬樹の私服ばかりを着ていた。そして俺は、冬樹が持っている服は全て覚えているのが……この服には、全く見覚えがない。……ということは、冬人の私服だろうか。  初めてこのマンションに来た日。冬人は必要最低限の物を実家から送り、郵便局に取りに行った。  だが、あのバッグの中には下着や歯ブラシなどしかなかった気がする。  ……今さらだが、冬人は実家を出る時には既に【冬樹になる】と決意していたってことだよな。初めからそう知っていたところで、冬人になにができていたかは分からないが……。  初めから冬樹の服を着るつもりであったとしても、自分が着ていた服ももしかしたらバッグの中に入っていたのかもしれない。バッグの中を全て見たわけじゃないから、俺には確証がない。  冬人は手を洗った後に、俺を振り返る。 「平兵衛さん、すまない。仕事終わりで疲れているのは百も承知なのだが、教えてほしい。……この近くに、クリーニング屋はあるだろうか」 「クリーニング屋?」  冬人は冬樹と違い、洗濯機を使えるはずだ。現に、自分が着た衣類は自分で洗濯しているのを、俺は知っている。  それなのに、わざわざクリーニング屋に用事があるのか?   「近所にあるが……今日の仕事はスーツでも着ていったのか?」  数時間前に見た時は、会社から渡された衣装で撮影していたはずだ。……だが、他の用事で必要になっていたのだろうか。  もしかしたら……その紙袋の中にスーツが入っていて、汚れたまま歩くのはイヤだったからどこかの店で今着ている服を買ってきた。……という可能性も、あるかもしれない。  俺の問いに、冬人は一瞬だけ瞳と伏せる。 「そう、だな」  短く答える冬人に、俺は深く追及するなんてことはしない。そもそも、ここでウソを吐く意味がないからな。 「分かった。でも俺、部屋着に着替えちまった。だから、ちょっと待っててくれるか?」 「あぁ、問題ない。わざわざ手間を取らせてしまって、すまない」 「気にするなって。……じゃあ、すぐ準備するから」 「ありがとう」  ただ、クリーニング屋に連れて行くだけ。  それだけで済むと思っていたが、それからまた三日後。  ──事件が起きた。 6章【親友の弟との関係が歪んで、】 了

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