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 黙っていた冬人が、ようやく口を開いた。 「手を、離してくれ」  言われた通り、冬人の腕から手を離す。  すると冬人は歩き出して、自室の扉を開けてしまった。 「冬人!」  俺の呼び掛けに答えず、冬人は扉を閉めてしまう。  その反応を見て、さすがに肝が冷えてしまった。……だけどこれは当たり前、だよな。  冬人が逃げるのは、当然だ。  兄に対して好意を抱いているのではなく、その対象が自分自身。冬人にとっては、より恐ろしい展開になったことだろう。  ……それでも、若干期待していたんだ。  ──もしかしたら、冬人も同じなんじゃないかって。  ……だけど、冬人は……っ?  拳を握り、歯噛みした。  ──その瞬間。 「──信じて、いいのか?」  扉の向こうから、冬人の声がした。  小さくて、いっそ聞き間違いなんじゃないかって思えるほど、か細い声で。俺を、期待させるような言葉が。 「その言葉は、本当に信じていいのか。また嘘だと、私を騙してはいないか」 「ウソなもんかよ。こんなウソ、吐く理由がない」  答えると、冬人が動いた音がする。 「……あなたは、あの日。私を、そのままの私でいいと言ってくれたな。いつもそばにいようとしてくれて、身を挺して守ってくれたこともあった。どれだけ冷たくしても、私のことをいつも心配してくれて、想ってくれていた」 「言葉で並べ立てられると、さすがに照れるな」 「あぁ、その通り。本当に、あなたは恥ずかしい人だ」  扉一枚隔てて、冬人が笑った気がした。 「馬鹿で、困った人だ。嘘吐きで、どうしようもない。……それでも、なぜだろう。そんなあなたのことが、私は……っ」  少し間が空いて、冬人は小さな声で付け足す。 「──平兵衛さんのことが、好きみたいだ」  ……なぁ、冬樹よ。  俺は本当に何度、お前さんに謝ればいいんだろうな。  ──本当に、ごめんな。  冬人の部屋の扉を、そっと開ける。そこに立っていたのは、顔を真っ赤にした冬人だった。 「冬人、好きだ」 「それは、もう聞いたから……っ」 「それでも言いたいんだよ」  冬人の腕を引く。……今度はもう、冬人は抵抗しようとしなかった。 「──好きだ、冬人」  さっきまでは、あんなに怖かったのに。今までずっと怯えていたのは、いったいなんだったのか。  そう思ってしまうほど、ウソみたいなんだ。 「好きだ。愛してる」 「しつこいぞ、嘘吐き……っ」 「これは本当だ。だから、隠したくない。……冬人、好きだ」  なんて、心地いい言葉だろう。  冬人はどうしていいのか分からないのか、しばらく棒立ちになっている。 「……嘘を吐かせてしまった要因は、私にある。それは、分かっている。……それでも、あんな嘘は下劣だ。劣悪だ。悪質だ」 「あぁ、分かってる」 「本当に、あなたは愚かしい人だ。私のことなんて、放っておけば良かったのに。本当に、お節介で馬鹿な人だ」  だが、遠慮がちに俺の背中に手を回してくれた。 「──そんなあなたを好きになってしまったのだから、私も大概、愚か者で馬鹿なのだろうな……っ」  それは、不器用ながらも懸命に自分を探し続けてきた冬人の。  ──本心からの、言葉だった。

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