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店長とその兄
勤務先の従業員は、学生バイトやママさんパートも含めて全員で15人ほど。
小さな洋食店なので、これほどの人数で事足りる。
勤務時間の都合上、あまり話さない人もいるが、人間関係そのものは決して悪くはない。
社員は純も含めて合計で4人。
この社員が、みんなしてクセの強い人ばかりだった。
まず、同僚の相田仁志は純と同じ22歳。
ここに勤めてから、もう4年になるという。
背は純より10センチほど高く、髪を明るい色に染めている。
性格は気さくで明るい一方、中高生のときは地元でも評判の非行少年だったらしい。
一時期は保護観察処分が下ったこともあるほどで、そこから更生して今に至ったそうだ。
もうひとりの社員、長田佳恵 さんはここに勤めてから8年目の40歳の女性で、本人からはベータだと聞いている。
中学生と小学生の子どもがそれぞれ1人ずついて、その子たちを育てるのにお金がかかると愚痴をこぼすことも多い。
ここに来る以前は夫のDVに悩まされていたそうで、その夫は佳恵さんへの暴行を理由に服役しているのだとか。
さらにもうひとりの社員、出本日菜乃 さんはここに就いて12年経つ30歳。
高校卒業を機に家を出て、それからはずっと帰省していないそうだ。
母子家庭でかつ、この母親と折り合いが悪かったために家出同然に就職とひとり暮らしを始めて、そこからは一度も会っていないと聞いた。
現在は会社員の男性と結婚していて、子どもはまだいないという。
彼らのクセの強いのは、特異な生い立ちや経歴もさることながら、これらをサラリと他人に話してしまうところだった。
「うちのダンナはムショにいるのよね」
「わたし、母親はいまどこにいるかはもちろん、生きてるかも知らない」
「少年院にいる友達から手紙が来た」
などと、尋常ならざる話を世間話かのように語る。
その中でも、店長の高貴さんはとんでもなかった。
高貴さんは現在37歳で、独身のアルファ。
結婚していないし、番もいなければ、恋人と呼べる人もいない。
長身痩躯の優男で、真ん中に分けた髪はきっちりセットされ、ヒゲは1本の剃り残しもなく、身なりはすっきりシンプル。
名が体を表すがごとく、物腰は上品で穏やかで、感じのよい男性という印象を与えた。
しかし、その生い立ちや経歴は、誰より物騒で想像しがたいものだった。
「高貴さんって何人兄弟なんですか?」
ある日の昼過ぎ、全員でまかないを食べていたときに、純はそんな質問をしたことがある。
返ってきた言葉は血の気の引くような回答だった。
「うーん、腹違いの子も含めると、30人くらい?あ、でも、そのうち10人くらいは成人する前に死んでるから、実質20人くらいかな?」
口に入れたサラダを飲み込むと、高貴さんは何の気なしに言ってのけた。
「え?」
純はつまんでいたバゲットを、テーブルの上にポロリと落とした。
「26年前にさ、M区のタワマンで本妻のオメガに刺されたアルファいるんだけど知ってるかな?」
「ええっと…聞いたことはあります」
純は落としたバゲットを拾った。
「円から聞いてなかったかな?あれ、うちの父親なの」
高貴さんの話を聞いて、純はあることを思い出した。
ここを紹介してくれた富永円も高貴さんと同様、「M区IT企業CEO刺殺事件」の被害者が父親であるというようなことを言っていた。
その富永円とはしばらく会っていないから、そんな話をされたことなど、半ば失念していたし、本当に事件の関係者なのかどうかも半信半疑だった。
しかし、店長がこう口走った以上、流石に本当なのかもしれない、と思うようになった。
「なんか、その、すみません……」
なんだか申し訳ない気持ちになって、純は思わず謝った。
何に対する謝罪なのか、正直自分でもわからない。
「ええ?別に気にしてないよ」
すまなさそうにしている純の態度もそっちのけで、高貴さんは料理を次々口に運んでいった。
「あの事件、そんな大騒ぎするほどのもんかなあ?痴情のもつれが原因でブッ刺される人なんて珍しくもなんともないじゃないか。刺されたのがアルファで、刺したのがオメガってだけの話だよ」
父親が殺されたというのに、高貴さんは淡々とそう語るばかりだった。
純は、そんな高貴さんの言動にしばらくは驚いていたが、最近ようやく慣れてきた。
現在午後16時。
忙しい昼時を過ぎて、客足が落ち着いた頃合いに、ドアベルが鳴った。
「いらっしゃいま…せ」
客の姿を見て、レジが置いてあるカウンターに立っていた純は唇の端がひきつった。
「ジュンちゃん、久しぶり!」
客のとしてやってきた男が、さわやかな笑顔を向けて純に手を振ってきた。
彼は店長の兄であり、かつて純と交際していたアルファの大貴 であった。
──ああ、最悪!
嫌なこと思い出した!
大貴の顔を見た途端、苦い思い出がよみがってきて、純は軽く歯ぎしりした。
彼とは以前合コンで知り合って、お互い意気投合。
それから数ヶ月経った頃合いに、ともに食事した際に言われたことを、純は忘れたことはない。
「ねえ、オレと番にならない?」
しばらく話していて、言われたセリフがこれだった。
──これ、「結婚して」ってことだよね!
やった!寿退社!!
しかし、そのときの純の期待はあっという間に、きれいに打ち砕かれた。
このときほど、自分のバカさ加減を恥じた日はない。
「オレさ、番集めてるんだよねー。今は番が5人いるんだけど…子どももたくさん欲しいんだ。自分の子どもだけで球団作るのが目標なんだよね。あー、だから、なるだけたくさん産んでくれる?最低でも3人は産んで欲しいなあ。仲間内じゃ子どもが何人いるかで競い合ってるし」
「え?えっと?」
驚きのあまり、純は間抜けな声を出した。
この男は何を言っているのだろう。
「何か不満なの?欲しいものは何でも買ってあげるし、オレ、浮気もオッケーだよ?」
「あ…「番が5人いる」って、大貴さん、結婚されてるんですか?その上で、他にも…」
思えばこのとき、「ふざけんな!」と怒鳴ればよかったのだと、純は心底後悔した。
「いや、オレ、結婚はしないの。誰か1人に絞るとかできないよ。オレは博愛主義だからさ!まあ、全員が愛人ってかたちで…君もそのつもりでね!」
「え…そんな……」
嫌です、と告げようとしたところ、大貴は嫌味っぽい表情を浮かべた。
「え、結婚すると思った?なに勘違いしてるの?アルファとオメガは主従関係なんだよ?オメガに拒否権とかないから!」
大貴はテリーヌのかけらが刺さったフォークの先を、軽井沢に向けてきた。
「あ…あの、すみません、今日は失礼します!」
予想外な出来事に純はパニックになり、急いで自分のバッグを掴むと、走って店を出て行った。
これが気に食わなかったらしい大貴は、会社の受付までやってきて、ちょっかいをかけてきた。
それだけならまだ良かったが、そこを会社の常務に見つかり、嫌味を言われる羽目になった。
このときほど、悔しくてハラワタが煮えくりかえるような気持ちになったことはない。
一時的とはいえ彼を好きになり、結婚できると思っていただけになおさらだ。
「お引き取り願えますか、お兄様?それとも、店長お呼びしましょうか?」
仁志が割って入ってきた。
それに動じた様子もなく、どうしたわけか、大貴はフッと笑った。
「ううん、用があるのはジュンちゃんだけだから!君には関係ないことだよ。じゃあね、ベータの相田くん」
そう言うと、大貴はヘラヘラと軽薄な笑いを浮かべて店を出て行った。
「何だったのあれ⁈ほんっとにイヤミな人ね!!」
長田さんが声を荒らげて怒った。
「あの人がイヤミったらしいのは今に始まったことじゃないですよ。なーんかあの人、最近よく来るんですよねえ。なんなんでしょう?ガチでジュンくんに惚れ込んで、ストーカーしてるとか?」
仁志が腕を組んで、純の方へ顔を向けた。
「怖いこと言わないでよお!」
純は仁志に詰め寄った。
「いやー、その可能性は十分あるんだけどね。たぶん、1番の理由は別のところにある」
話を聞いていた高貴さんが近づいてきた。
「何ですか?」
仁志が組んでいた腕をほどいた。
「ぼくの実家、おじいさんが死んでから、ちょーっとゴタついてるんだよねえ」
高貴さんは、「ああ、ウンザリ」という顔をして肩をすくめた。
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