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ご実家の事情

高貴さんの実家は、誰もが知っているような大手IT企業で、高貴さんの祖父長居貴一郎(ながいきいちろう)氏はここの会長なのだ。 長居氏の両親はベータであり、彼は街中のどこにでもあるような家電量販店の息子として生を受けた。 普通の少年として、地元の公立小学校に通いながら育ったが、その中でも成績は優秀で、中学高校は難関校、大学も、誰もが知るような名門校に現役で主席合格という偉業を成し遂げた。 さらに、高校、大学で得た知識を糧に、若くしてIT事業を立ち上げた。 電子産業の黎明期に設立した会社は、途中の不景気などものともしない勢いで躍進し、さまざまな分野に商売の場を広げ、この国でも有数の有名企業となった。 それだけに、長居氏の死亡は各地のニュースで取り上げられて、今もその騒ぎの余韻が残っている。 「あー、ニュースになってましたよねえ。「ゴタついてる」って、やっぱり遺産争いとかですか?」 純は首を傾げた。 大企業の会長の死亡というと、それしか思いつかない。 「それもあるけど。一番の理由は、まあ、派閥争いだよ。」 「派閥争い……?」 長田さんは顔を店長のほうへ向けつつ、そばに設置されているテーブルを拭いている。 店長の話に気持ちが傾いているからか、テーブルのシミや汚れは、あまりキレイに取れていない。 「おじいさんの本妻の子にあたる(おさむ)さんが会社継ぐことになったんだけど、誰をどのポストに置くかも、この治さんが決めるわけ。で、社内とか親戚同士で派閥できてるの。本妻の直系の孫同士だったり、おじいさんの愛人同士だったり、愛人の子どもたちだったりの派閥が。その派閥同士が治さんに取り入ろうとしたり、潰しあったりで、今は会社中が冷戦状態」 「すげー……ドラマみたい」 仁志があんぐりと口を開ける。 「で、僕の兄貴と母親がいる派閥がね、あんまり力は強くないんだよ。親父の愛人1号から3号と、その1号から3号の子どもたちで作られた派閥なんだけど。あ、ちなみに僕の母親が愛人1号ね」 高貴さんはいつもこうだ。 尋常ならざる家庭の事情を、赤の他人である純たちに平気で話す。 「本妻に殺されたぼくのボンクラ親父は、おじいさんからしてみれば五男。さらに、もう故人。兄貴とか2号さん3号さんの子どもたちは幹部クラスねらってるっぽいけど、望み薄なワケ。母方の実家が後ろ盾になってるみたいだけど、この実家は破産寸前の地方名家だし、2号さんと3号さんの実家も大した力はないみたい。だから実質、兄貴には何の力もないんだよね」 あれほどの大企業の内部の揉め事を、これほどまでに外部に話して大丈夫かと心配になるが、高貴さんは「自分はあの会社とはもう関係ないから」と言ってはばからない。 「それと、やたらここに来るのと、どう関係が?」 純はカウンターから身を乗り出す。 他人の揉め事に大してこうも詮索するのは下世話だとわかっていても、やはり気になる。 「ぼくを実家に呼び戻そうとしてるんだよ。自分たちの勢力をより強くするために、少しでもたくさんの味方が欲しいんだ。子どもたちを会社の幹部にすれば、自分たちの将来は安泰。愛人1号から3号の最終目的はそれだよ。おや?」 店のドアベルが鳴った。 入ってきたのは、和服姿の中年男性だった。 「いらっしゃい、母さん」 「い……いらっしゃいませ」 なんと声をかけたら良いのかわからなくて、純はとりあえず、形式通りの挨拶を告げた。   高貴さんの母親だというその男は、年配ながら整った顔つきをしていた。 こまめに染めているのであろう黒髪は、白髪はもちろんのこと、1本のほつれも傷みもなく艶めいている。 小柄でほっそりした体を萌葱色(もえぎいろ)の着物で包んでいて、どことなく上品な物腰は高貴さんに似ていた。 「ねえ、高貴……」 高貴さんの母親は純たちには一瞥もくれず、何か言いたげな様子で、高貴さんにせまってきた。 「母さん、わかったから。ごめん、みんな、しばらく話し合うから、店番頼んだよ。すぐ戻るからね。ほら、こっちに来て」 高貴さんの母親は、言われるままに高貴さんの後について、奥へ入っていった。 「何の話し合いかな?」 「すげー泥沼展開してそう。こりゃ長くなるかもなー」 純と仁志はヒソヒソ話し合ったが、長田さんに「こら、2人とも!」と言われて、あわてて仕事に戻った。 すでに客が何人か来ているし、今は店長の母親どころではない。 仁志の言うとおりに話は長引くものと予想していたが、高貴さんのお暇は思いの外短かった。 「失礼するよ!こんなとこ2度と来ないから!!」 あからさまに憤慨した様子で、母親が出てきたのだ。 あまりの剣幕に、純も仁志も長田さんも客も驚き、ぽかんとした顔をした。 「うん、わかった。2度と来ないでねー」 足早に店を去っていく母親の背中に向かって、高貴さんはひらひらと手を振った。 「……どうしたんですか?」 長田さんが高貴さんに歩み寄ってくる。 そばの席に座っていた客は、カレーをすくったスプーンを空中で止めたまま、呆然とこちらを見つめている。 「日菜乃ちゃんが皿に山盛りのスクランブルエッグ出して、母親が怒ったの」 「ああ……」 その場にいた全員、「なるほど」と納得いくような顔をした。 高貴さんの父親が若い頃、戯れに「男体盛りがしたい」と言って、母親の腹に焼きたてのスクランブルエッグを置いたところ、あまりの熱さに母親は悲鳴をあげて暴れ、父親のアゴを蹴飛ばしてしまったのだという。 これは高貴さんがしょっちゅう話す笑い話で、大貴や母親が来ると「スクランブルエッグ食べる?」とひやかすこともある。 「(ゆずる)さんが悪いんじゃない。連絡も無しに無遠慮に来て早々「さっさと畳んでおじいさんの会社継いだほうがいい」だもの」 日菜乃さんが気だるげな様子でエプロンの位置を直しながら、奥から出てきた。 この人はいつも、どこかアンニュイな雰囲気を漂わせている。 「譲さん…?」 「母さんの名前だよ」 日菜乃さんに続くようにして、高貴さんがエプロンの紐をくくり直した。 「日菜乃さん、名前で呼んでるってことは、知り合いなんですか?店長のお母さんと……」 「え?これ、言ってなかったかな?」 高貴さんがカクッと首を傾げた。 40近い男がこれをすると、可愛らしいというよりシュールさが勝つ。 「あー…ジュンちゃん、あのね、日菜乃さんって、店長の妹さんなの」 「え⁈でも、苗字が違いません?」 仁志の言葉を聞いて、純はぐるんっと首を動かして、日菜乃さんの方を見た。 「母親が違うもの」 純の動揺も構わず、日菜乃さんは淡々と答える。 「日菜乃さんのお母さんはねえ、親父から見たら、たしか愛人5号くらい?」 「10番目くらいだったと思うけど……」 店長も日菜乃さんも、えげつない事情を平気で口にする。 ひょっとして、これは遺伝なのだろうか。

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