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日菜乃さん

「知ったのは、結構最近だったわよ」 曰く、日菜乃さんは父親が本妻に殺されて以降、母親と2人で細々と暮らしていたという。 彼女の母親の妃芽子(ひめこ)はオメガで、男出入りが異常に激しかったそうだ。 日菜乃さんが幼い頃、妃芽子はスナックで働いていて、客と懇ろになっては別れ、懇ろになっては別れを繰り返し、「養育費がかかる」「娘が病気だ」などと言って日菜乃さんをダシに、人様に金をせびることもしょっちゅうだったとか。 日菜乃さんが成人すると、母親は彼女の稼ぎを当てにして、すがりついてくるようになった。 そんな母親に心底うんざりした日菜乃さんは、早いうちから家出同然に実家を出た。 そうして流れ着くようにして、ありついた仕事先は、偶然にも腹違いの兄が経営している洋食店だった。 ある日、思い切って「自分はあの事件の関係者である」とカミングアウトしたところ、なんと仕事先の上司もだったことが判明、ということらしい。 「……なんか、シーズン5くらいまであるドラマみたい」 それを聞いた純は、ぽつりと呟いた。 「ホントにね!店長さんの家族、面白いねえ。ネタに事欠かないや!」 そばでカレーを食べていた常連客がケラケラ笑ってみせた。 「笑いごとじゃないですよ……」 高貴さんがウンザリ顔で肩を落とすと、エプロンの肩紐がするりとズレた。 「日菜乃さんも強烈な人だなあ……」 休憩室にのイスにかけた純は、言葉にしがたい感慨に耽った。 「しっかしまあ、厄介な身内がいるっていうのはホントに災難だよなー。DV旦那とか浮気嫁なら離婚できるけど、親兄弟はなかなか縁切れないって聞くし」 向かいに座った仁志が、ペットボトルに入ったジンジャーエールを飲んだ。 「それ考えたら、ぼくは運がいいのかな。ぼくはひとり息子で、両親も普通だし。おじいちゃんおばあちゃんも何の問題もないし」 なかば他人事ながら、日菜乃さんや高貴さんに同情せずにはいられなくて、純はフウとため息をついた。 「店長のお父さんがもう少し要領よくて、本妻に恨まれたりもせずに今も生きてたら、日菜乃さんもこんなことにならなかったのかなあ。店長のお母さんだって、頼みの綱にしてた番がいなかったからこんなふうにしょっちゅう来るんでしょ?」 そばに立っている高貴さんは、仁志の言葉を聞いて首を横に振った。 「いや、うちの親父はたぶん長生きしないタイプだったよ。タバコも酒もすごかったし、そうでなくても濃い味付けのものばっかり好んでバクバク食べてたし。殺されなくてもタバコで肺を病むか、酒で肝臓壊すか、じゃなきゃ糖尿病か高脂血症で早死にしてると思う」 「ああー…」 何と答えたら良いのかわからなかった純は、間抜けな相槌を打った。 「つまり、事件は起きても起きなくても、うちの母親も日菜乃ちゃんも大して変わらなかったってこと」 「そうなんすかねー」 仁志が飲み終わったペットボトルをゴミ箱に放った。 「日菜乃ちゃんは「人間生きていく上で必要なのは自立する能力」って言ってたんだけど、ホントその通りだと思う。ベータだろうがオメガだろうがビンボーだろうが低学歴だろうが、自立してるほうが偉いんだよ。うちの母親はおそろしいくらい生活能力なくてねえ……日菜乃ちゃんのお母さんは料理がそれなり上手だったけど、うちの母親は田舎の地主の子で坊ちゃん育ちだからさあ、料理も洗濯も掃除もなーんにもできない。買い物のやり方さえ知らないんだよねえ。だから、親父がいなくなったら、今度はおじいさんの最後の愛人におさまってってワケ」 高貴さんはまたしても「ああ、ウンザリ」という顔をした。 無理もないことだが、最近、高貴さんはこんな顔をすることが増えた。 「高貴さんはなんで、おじいさんの会社で働かなかったんですか?家の偉い人とケンカして追い出されたとか?」 仁志がこんな無神経な質問をしても、高貴さんは眉ひとつ動かさない。 「自分から出て行ったんだよ。あんな大奥みたいなとこで仕事するとかまっぴらごめんだもの。スキあらば母親がすがりついてくるんだよ?」 「大丈夫だったんですか?反対されたりとかは?」 仁志のことを「失礼なヤツ」と思いつつ、純も気になったことを聞いてみる。 「母親は「裏切ったな!」みたいなこと言ってきたけど、会社の年嵩連中は何も言わなかったよ。会社のポストで椅子取りゲームしてる人たちだからね、むしろ敵が少なくなって都合が良かったんだろうね。「がんばれよ」って笑顔でエール送ってくれた人もいたよ。内心どう思ってたかは知らないけど」 「えー、でも、自分の店を立ち上げるなんて、大変じゃないですか?あ、出資してくれたとか?「ライバルがいなくなってくれるなら、それぐらいやろう!」みたいな?」 「いや、店舗とか備品は引き継いだものだから。この店はね、もともと僕の面倒を見てくれてた家政婦さんと、その旦那さんの店だったんだよ。長いこと夫婦ふたりでなんとか切り盛りしてたんだけど、途中、不況で閑古鳥が鳴いちゃってね。そこで、奥さんが店の存続のために、僕の家で家政婦さんやることにしたの。その収入で、夫婦ふたりでなんとか暮らしていけてたわけ」 「この店、そんな経緯あったんだ……」 初めて知った事実と、高貴さんの行動力に、純は改めて感心した。 「そう。でもね、僕が成人した頃合いに、ご夫婦ふたりは高齢で後継ぎもいないから、店を閉めようかと思ってるって言い出したんだよね。そこで僕が面倒見てくれた恩返しがてらに、ここを継ぐことにしたわけ。ちょうど大学卒業する前だったしね、何かと好都合だったわけだ。僕が店を継ぐ頃には、お客さんもそれなりに来てて、経営も安定してたし。そろそろ休憩終わるから、先に失礼するよ」 高貴さんは軽くのびをすると、重い足取りで休憩室から出て行った。 実家の年嵩連中や、依存気質な母親、遊び人な兄に振り回される苦悩からか、去って行く背中に、妙な哀愁を感じた。 「高貴さん、ホント苦労人だよなあ。せっかくがんばって独立しても、母親とか兄貴がおかまいなしにズカズカ上がり込んでくるし。こないださ、ジュンちゃんがオフのとき、高貴さんのお姉さんと妹さんが来たよ。あ、腹違いじゃなくて、直系のね。高貴さん、実の兄弟だけでも5人いるんだって」 「うわー、それだけでも十二分にめんどくさそう……」 純は姿勢をだらけさせて、イスの背もたれに体を預けた。 「お姉さんと、あの大貴っていうイヤミな兄貴と、弟さんと妹さん」 仁志は数を数えるように右手の指を1本ずつ折りながら、高貴さんの兄弟構成を説明した。 「姉と兄と弟と妹がそれぞれ1人ずつってことかあ……」 純もそれに倣うように、指を1本ずつ折っていく。 「いやー、でも、弟さんは早いうちに亡くなってるから「実質4人兄弟だよ」って高貴さんは言ってた」 「どのみち面倒な状況なのは変わらないんじゃない?」 「あー、そうかも。そもそも、高貴さんのお父さんも、おじいさんから見たら愛人の子。それで、おじいさんは他の愛人にも子ども生ませてるから、父方の兄弟めちゃくちゃいるらしい。さらにその兄弟も何人も愛人囲ってバカに子ども生ませてる人がいるから、従兄弟も山ほどいるんだって」 仁志はなんとも言い難い、とばかりに苦笑した。 「めんどくさ……ていうか、ややこしいな…」 仁志の話を聞くと、純はますます高貴さんに同情する気持ちが強くなっていった。 こんな複雑な人間関係を形成しているお家に生まれては、抜け出したくもなるだろう。

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