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高貴さんの姉
「高貴さんってさ、アルファっぽいカンジぜんぜんしないよね。隠れアルファってヤツ?」
純がいう「アルファっぽいカンジ」というのは、まずは大企業のCEOや医者、弁護士など、社会的地位が高いことが大前提だ。
次に、仕立ての良いスーツを着て、手入れの行き届いた革靴を履き、ビジネスバッグの中にはブランド物の財布、手首には高級腕時計が巻かれている。
というのが、純の中にあるアルファのイメージだった。
対して高貴さんは、ショッピングセンターやプチプラブランドの服を着ていることが多くて、スーツなんて着ているところを見たことがない。
基本的には簡素なデザインのシャツを着て、着古したジーンズを履いていることが多く、その上でベージュのエプロンをつけ、汚れが目立たない黒いコックシューズを履き、料理への混入を防ぐためにアクセサリーさえつけない。
これがいつもの高貴さんのスタイルだった。
「そうだと思うよ。他のアルファってさ、大貴みたいにすっげえイヤミっぽいヤツ多いけど、高貴さんは違うよな。それこそ、なるだけアルファっぽく見えないように、ブランド物とかもつけないようにしてるし、車とかの持ち物もあまり値が張らないようなヤツにしてるって聞いた」
上司の兄をさりげなく呼び捨てにして、仁志は高貴さんの言葉を反芻した。
「難儀だなあ……」
「高貴さんから言わせてもらえばね、「アイツらはプライドと選民意識ばっかり一人前で、マウンティングと若いオメガ漁りとベータに対する嫌味を考えることしかすることがない、トラブルもしょっちゅう起こるし、敵は山ほどいるし、あんな人生まっぴらごめん。僕は心穏やかに暮らしたいんだよ」だってさ」
仁志は、ウンザリ顔で肩を落としたときの高貴さんの仕草を真似た。
「高貴さんが番を作ったり、結婚しないのも「心穏やかに暮らしたい」からかな?」
「そうかも。高貴さん、「オメガを何人も番にして囲うとか理解できない、トラブルの元だよ、あんなの」って言ってたもん」
「高貴さん、しょっちゅう「身内にトラブルメーカーなヤツ多い、勘弁してほしい」って愚痴ってるしね……」
「実際、アルファの人ってトラブルメーカー多いって聞くよ。それ考えたら、高貴さんってかなり珍しいタイプなのかもねー」
もうすぐ休憩が終わる。
純と仁志はイスから立ちあがると、休憩室から出ていき、持ち場に向かった。
「ったく!アイツらいい加減にして欲しいわ!!」
店の方へ戻ってくると、キャリアウーマン風の40歳前後の女がコーヒーを飲みながら、激しい口調で愚痴をこぼしているのが目についた。
女が触っているテーブルには、食べ終わった皿が鎮座している。
2人連れで来ているらしく、その女の向かいの席には、20代前半くらいと思われる華奢な体格の女が座っている。
「まったく母さんたら…姉さんとこにも来てたんだねえ……はい、おまたせいたしました」
高貴さんはまたウンザリ顔をしつつ、華奢な女にアイスティーを出すと、純たちの方へ顔を向けた。
「ああ、軽井沢くん、きみは会うの初めてかな?この人、僕の姉さんだよ。聡美 姉さん、この子、新しく入った軽井沢純くん」
「あ、はじめまして」
──聡美さん、か……
店長の姉の名前を頭の中で反芻すると、純はペコリと会釈した。
聡美さんも、軽く会釈して返してきた。
「軽井沢くん、相田くん、皿洗いと掃除を手伝って!」
厨房から、日菜乃さんの声が聞こえてくる。
「失礼しますね」
「すんませんね」
純と仁志は、高貴さんと聡美さんに一言断りを入れると、急ぎ足で厨房に向かった。
「久しぶりだね、真理恵 ちゃん。元気かい?仕事は順調かな?」
「ええ、おかげさまで」
厨房から。高貴さんが聡美さんの向かいに座っている華奢な女──真理恵に、笑いかけるところが見えた。
それに対して、真理恵もにっこり笑い返す。
聡美さんたちが座っている席から厨房まで、さほど離れていないせいか、話の内容が嫌でも耳に入るし、何をしているのかもわかってしまう。
「ジュンちゃん、あの子だよ。店長にお金出して、「番にしてください」って言ったオメガの子。真理恵ちゃんって言うんだけど」
仁志が耳打ちしてきた。
「へえ…」
真理恵は、身長150センチ程度で細身、前髪はきっちり真ん中で分けられていて、肩まで伸ばした黒いストレートヘアーは清楚な印象を与えた。
そのストレートヘアーの隙間から、彼女の白い首筋が覗けて、そこにくっきりキレイな咬み傷があることに、純は気がついた。
「真理恵さんね、今は聡美さんの番になってて、聡美さんの会社で働いてるらしいよ。聡美さんも高貴さんと一緒で、実家から離れて事業立ち上げたんだって。聡美さんのオフィス、ここからちょっと離れたとこにあるんだよ」
そばで皿洗いをしている日菜乃さんが、真理恵さんについて説明してくれた。
つまり、聡美さんもアルファなのか。
純は少し向こうで高貴さんと話し込む聡美さんと、真理恵さんを見つめた。
「まったく、父さんといい兄さんといい、アルファはトラブルメーカーが多いって俗説、アレは本当なのかもねえ」
「アンタもアルファでしょ?」
言うと聡美さんが、カップに残っていたコーヒーを飲み干した。
「姉さんほどトラブルメーカーじゃないよ。裁判所、あと何回行くことになってるの?」
「……失礼するわね、ほら、行くわよ!」
高貴さんの言葉に顔をしかめたかと思うと、聡美さんは席を立った。
真理恵も、それについていく。
「りょーかい。長田さん、会計お願いするよ」
レジを任されている長田さんが会計を担当し、聡美さんと真理恵さんは勘定を済ませると、足早に店を出て行った。
「裁判所って、どういうことだろう?」
「姉さんね、従業員のひとりにパワハラで訴えられてるの、それで今は係争中ってワケ」
純が疑問を口にすると、いつの間にか厨房に入ってきていた高貴さんが答えた。
「そうだったんですか。あの人はきっちりしてるから、その手のトラブルとは無縁だと思ってました」
日菜乃さんが不思議そうな顔をした。
「うん、きっちりしてるよ。完璧主義なんだよ。で、その完璧主義を相手にも求めちゃう。おまけに姉さんは仕事はバリバリこなせるだけに、できない人の気持ちがわからないから、ついイライラしちゃうんだね。「どうしてこんなこともできないの!」「こんなの猿でもできるわよ!」って口走ってね。で、よりにもよって、それを録音されてたもんだから……」
高貴さんがまた「ああウンザリ」という顔をしたと同時に、彼のエプロンのポケットに入ったスマートフォンが鳴った。
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