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仁志の内心
「もしもし?お疲れ様です。あー、そうなの?ううん、気にしないで。代理の人を頼んでみるから。うん、お子さんの無事を祈るよ」
高貴さんは電話の向こうの相手としばらく話したかと思うと、電話を切った。
「間 さん、お子さんが熱出したって。代理の人を呼ばないとなあ」
間さんは、週に3~4日、大体は昼から夕方まで働いているママさんパートだ。
電話を終えると、高貴さんはスマートフォンを繰り返しタップしはじめた。
おそらく、間さんの代理を誰にするか検討するため、登録してある連絡先を確認しているのだろう。
「店長、わたし、このまま仕事できますよ。就業時間も問題ないはずです」
パートの忍尾 さんが近づいてきた。
この人も間さんと同様に、普段は昼から夕方まで働いていることが多い。
歳は詳しく聞いていないが、おそらく60半ばほどだろう。
高貴さんから聞いた話では、孫の進学を期に働き始めたそうだ。
シフトや休憩時間はたびたび合うが、彼女は寡黙で表情も乏しく、会話に参加することも滅多にないので、あまり話すことはなかった。
しかし、仕事ぶりは真面目だし、言葉遣いや仕草は上品で、ベテラン女優のように美人だ。
いつも黒く艶めく長いストレートヘアーをきっちり纏めて結いあげて、服装も地味過ぎず派手過ぎない、洗練された雰囲気を漂わせていた。
純が思うに、彼女はずっと専業主婦だったのでないか。
ほっそりした体格や肌の白さから察するに、あまり肉体労働に慣れている感じがしないし、割と裕福な家庭の主婦だったのかもしれない。
しかし、何か思いがけない事情が飛び込んで、止むを得ず働くことになった。
純は勝手に、そんな推理をしていた。
「そう?じゃあ、お願いするよ。今から電話して代理の子を探す大変だから、ホント助かる」
高貴さんは、スマートフォンをエプロンのポケットにしまった。
「いやー、店長の家の話はホントに聞いてて飽きないわ。2時間サスペンスとかミステリー小説の世界だよ」
その日の帰り道、仁志はケラケラ笑いながら、店で起きたことを話した。
「笑い事じゃないよ、仁志」
純は不謹慎な態度を取る仁志をたしなめた。
「うん、ちょっと笑い過ぎた。それこそ、店長の家族ってさ、他人の家族だから面白がっていられるけど、自分の身内だったら最悪だよな。ジュンちゃんが最初に来たときさ、店長の身内の紹介だって聞いたときは全員身構えたんだよね」
「なんで?」
「店長の身内、何人か働いてた時期あったんだよね。でもまあ、どいつもこいつも変にプライド高いし仕事できないし。経歴聞いたらさ、大半はアルファの旦那に捨てられたオメガの元愛人とかカミさん、あとはその子どもとかなんだよね。あの事件の残りカスみたいな人たちも来たことある」
歩きながら、仁志は愚痴をこぼした。
「やだ「残りカス」って!」
純は思わず吹き出してしまった。
最近、帰り道でこうして仁志とおしゃべりしながら帰ることが、楽しくて仕方がない。
「いやー、マジでそうなんだよ!高貴さんのお父さんの元愛人、あと、その子どもが立て続けに来たんだけど、贅沢させてもらってた頃が忘れられないんだろうなあ。ずっと家事は家政婦まかせで、バイトさえしたことないらしいよ。レジの操作はめちゃくちゃ、皿を一気に40枚割るとか、炊飯器にめちゃくちゃ米入れて、炊飯器壊したヤツもいたし、客とケンカしてクビになったヤツもいたなー。そしたら「なんで私がクビになるの!」って高貴さんにつっかかるヤツもいた」
「ひどいなあ…あー、でも、ぼくも人のこと言えないかも。ぼく、一時期はすごくテキトーに仕事してたし」
純は婚活や合コンに明けくれ、まともに仕事しなかった頃の自分を思い出した。
「それは感心しないな」
「反省してます」
仁志にたしなめられて、純は苦笑いした。
「ねえ、ジュンちゃん、「テキトーな仕事は人を殺す」んだよ」
仁志の眼差しが、いつになく真剣になる。
「どういうこと?」
「たとえばさ、焼肉屋で出されたユッケで集団食中毒を起こして、誕生日祝いで来てた中学生の男の子が亡くなった話。アレは店や卸売業者がテキトーに仕事してたから起きた。あと、走行中の運送会社のタイヤが外れて、歩道歩いてた親子にブチ当たって母親が死んだ事故も。アレはトラック造ってた会社が、製品に欠陥あったのにリコールの費用出し渋って隠蔽してたから起きたんだよ」
仁志がピタリと立ち止まる。
「ああ…」
それに倣うようにして、純もその場で立ち止まった。
「ジュンちゃんがプライベートで何しててもいいよ。でも、仕事はしっかり集中して欲しいんだ。もしジュンちゃんがテキトーに仕事して、うちから食中毒出して、店つぶれて全員失業すればまだいい方。食中毒ってさ、一言で言ってもいろいろあるんだよ。中には人が死ぬことだってある。特に子どもや年寄りは簡単に死ぬ。それで遺族に「うちの子返して!」「母を返して!」って泣きつかれるとこ、想像できる?」
純はごくりと生唾を飲んだ。
こんなに真剣に話す仁志は初めて見た。
軽薄なお調子者だと思っていたが、彼は根は真面目なのだと気づかされる。
「……オレもさ、あそこで働き始めたころは、仕事ナメてたんだよね。それで、高貴さんにこんなふうに説教されて、目が覚めたってカンジ」
仁志のさっきまで真剣さが嘘のように取れて、いつもの軽い調子に戻った。
「さっきの話し、高貴さんの受け売り?」
調子が戻ったと同時に、2人は歩き出した。
「そうだよ。高校中退の少年院上がりにこんな高度な説教できるワケないじゃん。ぶっちゃけさ、ジュンちゃんの方が覚えは早いよ。キャベツの千切りとか、飾り切りとか、包丁捌きがプロ級だったもん」
「まあね、ぼく、料理教室通ってたから」
「何で?飲食業で食ってくため?調理師の免許でも取んの?」
「……花嫁修行のため」
純の声が小さくなる。
「へ?」
「ぼく、結婚する番を探してるんだあ。せっかくオメガに生まれたんだもん、たったひとりの愛する人と身も心も結ばれたいって思ってるの。「運命の番」ってヤツ。笑っちゃうでしょ?」
純は苦笑いした。
「うーん、まあ、そんないいもんじゃないと思うよ。トラブルも多いって聞くし」
「そうだよね……」
純は少しばかりシュンとしたような素振りを見せた。
「あ、でも、オレは応援してるよ!番を作れば発情期に悩まされることもないしね。ジュンちゃんは顔がいいし、料理できるし、愛想もいいから金持ちでイケメンのアルファ見つけられるよ!」
純の態度に気まずくなったのか、仁志が取り繕うような言葉を吐き出した。
「ありがとう」
「じゃあ、いい人が見つかったら結婚式には呼んでね!」
「いいよ。バカみたいにデカいウェディングケーキ作って、みんなでシェアして食べよう!!」
「おっ、いいねいいね!」
くだらないやりとりをしているうち、純の家の前に着いた。
「今日もありがとね。じゃあ、明日もよろしく!」
「うん、お疲れ様!」
家の前にたどり着くと、お互い手を振って別れを告げる。
もうこれにも慣れてしまった。
「オレがアルファだったらなあ……」
家に入っていく純を見つめながら、仁志は誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いた。
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