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第1話
世界には三種類の種族がいた。
紫陽族。太陽族。それからヒューマンだ。紫陽族はラベンダー色の肌に黒髪と繊細な感覚を持ち合わせており、尖った耳を持ち、優美で、魔術、戦術をはじめ何事にも秀でている。太陽族はカナリア色の肌と金髪を持ち、背が高く、戦闘能力に優れている。耳はわずかに尖っている。そしてヒューマン。この種族には特徴らしい特徴がない。とにかく地味で、そう、地味……
「ちょっと主観が入りすぎじゃない?」
カナリア色の髪と肌である太陽族の少年が言った。平均的な太陽族よりも滑らかな尖りの耳を持っており、ヒューマンとの混血とみられる。彼……スタンはカーキ色のフード付きのコートを着ており、髪は無造作に伸びている。
「スタンは黙ってろ。主観じゃない。ヒューマンが地味なのは事実だ」
ラベンダー色をした肌に黒髪……紫陽族の男が不本意そうに言った。彼の名前はシズ。このパーティのリーダーであり、つまりいわゆる「勇者」である。初期装備らしい革の鎧に、金属の肩当てをつけている。不可抗力により世界観の説明をしていたが、飽きたらしい。
彼らは強力なモンスターが出ると噂の海辺にいた。
「シッ!何か出てくる」
カナリア色の肌と髪、太陽族の女性が二人を牽制した。パルフだ。彼女は二人の不毛な言い合いに耳を貸さずモンスターの気配を感じるべく全身の器官を使っていた。
大きな唸り声と共に、海からモンスターが姿を現した。長い体躯はうろこに覆われており、碧く、ぬるぬるとうねっている……シー・サーペント、ウミヘビだ。
「出たぞ」
シズが叫んだ。モンスターを前にして大きな声を出すのは注意を引くため禁忌とされているが、彼が気にする様子はない。代わりに、詠唱してその指から青い光を出し、その光がシー・サーペントの胴体を貫いた。モンスターは大きく身体をうねらせ、咆哮した。その声がバリバリと辺りの空気を震わせ、太陽族の少年……スタンは耳をふさいだ。
パルフは小型のナイフを腰から出し、両手に提げて砂浜を走り、太陽族らしい驚異的な跳躍力でシー・サーペントの首元に乗った。
「かませオラァ!」
ギャングだ、とスタンは思った。シズのこの手のあおりをどこかで聞いたことがあるが、ギャングの連中が喚いていたのと同じ類のものだ。前方にいる彼の表情は見えないが、きっとアドレナリンにきらきらと輝いていることだろう。
ズン、とパルフがウミヘビの首にナイフを刺し、容赦を与えず手前に引く。モンスターは痛みから逃れようと身を左右に大きくうねらせるが、彼女はそれをものともせず冷静にしがみついて、致命傷を与え続ける。シズは青い光をいくつも手から出し、それを階段のステップのように使いながらパルフは踊るように何度もナイフを相手の身に刺した。
シー・サーペントがひときわ大きく呻いて砂浜に大きな影を作りながら、身を横たえた。
次の瞬間、シズの手から出た光がモンスターの体内に入ったかと思うと、大きなウミヘビは爆発四散した。肉片が砂浜の上に飛び散る。
「うげっ」
後ろで戦闘を見ていたスタンは顔を顰めた。シズは両手を宙に挙げてまるで雨を喜ぶ農夫のように全身で肉塊と血を浴びて笑っている。その姿にパルフも眉をひそめた。
「最後の爆発って必要だったか?」
身体の汚れを払いながら宿屋に向かうシズにスタンは尋ねたが、彼は肩をすくめるだけだった。
「かっこいいだろ」
「マジで言ってる?」
「モンスターはいいな。人間と違って好きなだけぶっ殺せる」
スタンはこの男が「勇者」と呼ばれる事実を疑った。
「姉ちゃん、なんか言うことあるだろ」
「こいつのこの調子には慣れた」
パルフはそれだけ言うと身体を拭きながらさっさと宿屋へ向かった。
魔王攻略
第一章 終わりの始まり
宿屋が急に騒がしくなり、スタンは首を傾げた。部屋のドアを開けて入り口を覗くと、壮年の男が宿屋の主人に何か聞いているようだった。同じように自分の部屋から出てきたらしいパルフもそちらを覗いていた。
「魔術師がここにいるはずだ。教えろ」
「俺たちのことか?」
シズは部屋から出て、老いた主人をかばうように男の目の前に立った。
「シズだな。噂は聞いてる。お前たちの一行が原因か?表でモンスターらしきものの肉片を見た。あれは何だ?」
「何だっけ?」
シズは後ろを振り返る。パルフは黙って首を振った。
「シー・サーペント」
スタンが答えた。
「シー・サーペントだってさ。だったもの、だけど。っていうのは俺たちが木っ端みじんにしたから」
「モンスターの状態を確認した。魔術の使用違反じゃないか?戦闘用の使用は控えるようにと」
「保安官だ」
スタンがシズに耳打ちした。
「ブタどもめ」
「言葉遣いが汚いよ」
スタンは彼をたしなめた。
「勇者の名にはふさわしくない奴だ。残念だな」
げえ、とシズは不愉快そうな声を上げた。
「説教を聞く時間はねえぞ。俺は勇者ですなんて契約にサインした覚えはねえ。あんたらが管理上、勝手に呼んでるだけだろ。だいいちこんな老いぼれをよこすなんて、保安局は人員が足りないのか?」
「言葉が過ぎるぞ、勇者」
「政府軍はもう壊滅したのに、あんたら保安官がいるせいで、結局自由に魔術が使えねえ。魔術師を登録制にするって話はまだあるのか?」
「もちろんだ」
シズはそれを聞いて冷たく笑った。
「くだらねえな。あんたらの管理下に置かれるなんてシャレにならねえ。だいいち、隣国との戦争が起こったらどうする?その時は俺たち魔術師にへいこらして頼るしかないだろ」
保安官は納得がいったというように唸った。
「そうか、お前も戦争に期待しているタイプか」
「昔ほどではねえよ」
シズは注釈を入れたが、相手は聞いていなかった。
「その時は魔王軍が対処する。問題ない」
「魔王軍は魔術を使うんじゃなかったっけ?結局、あんたらは状況に応じてコロコロ立場を変えるんだろ。おい、聞いてんのか」
保安官はシズの喚きを聞かずに立ち去りかけていた。
「上に報告しておく。魔術の使用違反が続けばどうなるか、分かっているな」
「どうなるって言うんだよ」
シズは保安官の背中に向かって叫んだが、彼が振り返ることはなかった。
保安局は要するに元政府軍の人間が作った組織だ。魔術を目の敵にしていて、少しでも規定に違反する行為があれば地の果てまで追いかけてきて勧告する(勧告されるだけなら幸いだが)。魔術師が全力を発揮することはいつの時代でも憚られる。シズはそれを身をもって知っていたが、それは長い話だ。
「そういえば、パルフってなにかとお前に対して世話焼きなのに俺の言葉遣いは注意しないよな」
シズは部屋に戻り、既にベッドに潜り込んでいたスタンに向かって言った。パルフは別室に戻ったらしい。彼女はいつも一定の睡眠時間を確保したがる。
「自覚あったんだ。でも、収容所はもっと酷かったからね」
スタンは言った。
「今日はいろんなことがあったし、疲れたな。まだ早いけど、寝るか」
そう彼が言いかけた時だった。
宿の入り口のほうから声が聞こえた。
「ゼンさん!気をつけて……さっき、魔王の目撃情報が入った」
第二章 その男、魔王につき
「何だって?この近くなのか」
シズは光の速さで部屋から入り口まで移動し、宿の主人に声をかけた男に尋ねた。
「だ、誰」
「勇者の一行だ」
「勇者ってガラじゃねえ」
シズは主人を手で制止し、近所の住人らしき男に続きを促した。
「シロ村のはずれだそうだ。話によれば、その男はボロボロの上着を着て……盗賊を瞬時に蹴散らしたらしい」
シロ村はシズたち一行がいる場所にほど近く、交通の要となっている。「ザ・ゴールデン・パス」いわゆる旧街道、王の宝物への巡礼街道の一部であり、旅人も多く行き来するため、彼らを狙った犯罪の温床にもなる。
シー・サーペントを粉々にしたシズたちは知りようもないが、モンスターは魔王の「目」となっており、どこで何が起こっているか、魔王、タイムが知るためのツールとなっていた。それによって不審な動きがあった際にタイムが出動できるようになっていた。
とはいえ、盗賊の類にはふつう魔王が手を下すわけがない。魔王城にはモンスター全体を管理するデスクがあり、そこで魔王の指揮下にあるモンスターの一つ、コウモリが見たものに従ってタイムは直属の部下であるコブラを伴ってシロ村に向かった。彼は執務の時に羽織る赤いマントではなく、いつも極秘の外出の際に着ているおんぼろの茶色のコートに腕を通した。
「行くぞ」
「はい」
シロ村はシズたち一行のいる宿屋がある海辺の村と違い、深い森に囲まれている。馬で飛ばしながら到着すると、盗賊たちは火を囲んでいるところだった。
「お前らの顔は知ってる」
「何だ?てめえ」
盗賊は明らかに弱そうな、背丈の低いヒューマンであるタイムとコブラの二人を見て笑った。彼らが手を下すほどもなく、この男女は森の中で迷って死にそうな見た目をしていた。
「お前らは違法な魔道具を所持しているだけでなく、民間の人々を襲った。両方とも許される話ではない」
コブラが淡々と言った。
「はあ?何様のつもりだ」
タイムが腕を上げると、ヒュルヒュルと辺りの木が迫ってきて、いわゆる結界のようなものが作られた。これで彼らは逃げることができない。
「一瞬だったらしい。麻痺魔法を使ってな」
辺りにチカっと光が満ちて、次の瞬間屈強な盗賊の男達は崩れ落ちていた。
「いってぇ!」
静かな空間にタイムの声がこだました。飛び上がって魔術を使い、着地した瞬間に足を捻ったらしい。右足を抱えて無様に飛び跳ねるタイムの後ろから、紫色に光る大刀を男が振りかざした。
だが、それが降ろされることはなかった。コブラが彼を後ろから羽交い絞めにしたのだ。すんでのところでタイムは手をかざし、男に麻痺魔法をかけた。
「ありがとう」
「準備運動不足のせいですよ。私がいなければ、危なかったですね」
タイムは困ったように笑った。その笑顔はおよそ「魔王」という呼称からは想像できない、素朴なものだった。
「盗賊を退治したんなら、いい奴じゃないか?」
宿屋の主人は困惑したように言った。その後、結界から出てきたタイムたちは、盗賊の奪った物品を村の人々や旅人に返したらしい。
「分からない、あの男のすることだ。何か目的があるはず」
話をしに来た男は不審げに言った。
「魔王はルイナからの移民に金を使いすぎなんだ。そんなの、俺たちの生活には関係ないことなのに」
その横からシズが尋ねる。
「おじいさん、シロ村はここからどれくらい離れてるんです?」
「山ひとつ越えたところ……って、どこ行くんだい?」
シズたち一行はいつの間にか支度を終え、宿屋からさっさと出ていくところだった。
「ゆっくり寝たかったが、仕方ないな」
パルフが呟いたが、シズは最早聞いていなかった。
「待っててくれタイム、今会いに行くからな!」
シズの叫びが夜の海辺にこだました。
第三章 There are no backstories (in this section)
「魔王のところに行きたい。なるはやで」
数日前、シズのその言葉を聞いてパルフは首を傾げた。
「なるはや」
「なるべく早く」
人の多いパブだった。その店ではパーティの勧誘や交渉がよく行われていた。ガチャガチャと食器の音や酔った人間の話し声が飛び交うので、パルフがシズの話を聞くにはテーブルに身を乗り出さないといけなかった。パルフはいつもはあまり飲まなかったが、今日は良いことが起こりそうだったのでビールを注文していた。
「それは私をパーティに勧誘しているということか?」
「そうだ。ずっと計画を立ててた」
目の前の男はせわしなく指をいじっていた。それは焦っていたり、不安になっていたりするサインだ。弟のスタンが言っていた。彼について詳しくは知らないが、アカデミーにいた頃はいつも自信満々に見えていた。今日は、何か不安になるようなことがあるのだろうか。
「他には誰がいる?」
パルフは尋ねた。彼女は他の人とうまくいくことがあまりないから、過去にトラブルを起こした相手がパーティにいると気まずいかもしれない。だが、シズは言いにくそうにこう告げた。
「誰も、いない。俺とあんた、二人だけだ」
「なぜ」
二人だけのパーティというのは聞いたことがない。近距離でもミッションに出るには、少なくとも四人ほどは要る。
「正直、誰にも言えないんだ……魔王を説得しに行くなんて。分かんないけど、あんたなら受け入れてくれるんじゃないかって思った」
アカデミーで見かけた時の自信に満ちたシズの姿はどこにもなかった。少なくともパルフにはそう見えた。彼は戸惑っており、不確かで、助けを必要としているように見えた。シズは自嘲するように乾いた笑い声を小さく上げ、黒く長い前髪を払った。
この男は、いまの魔王……タイムを王座から解放したいのだという。タイムという男をアカデミーで見かけたことは数回しかなかった。タイムとシズが恋仲にあったのは公然の事実だった(彼らが望むか望まないかに関わらず、アカデミーで噂が広がるのは早かったし、シズが一回目に告白してこっぴどく振られるところはみんなが見ていた)。つまり、かつて恋人だった男を魔王の重圧から楽にしたい、ということだろう。パルフにはその辺りの機微は分からないが、大切な者が危険のただなかにいるなら、そこから連れ出したい、重荷を背負わせたくないと思うのは当然のことだ。
「好都合かもしれない。私は他の人とうまくいかないことが多い」
パルフにとって大切な者……スタンのことを考えながらそう言うと、パッとシズの整った顔が明るくなった。
「マジで?よかった。あんたが最後の希望って感じなんだ」
パルフは頷いた。
「『ザ・マスタープラン』って言葉、聞いたことあるか?」
「いや。私は一般的な冒険者と違って、そういう用語にあまり詳しくない」
彼女は他の冒険者と不仲になることが多いため、実際にミッションに出たことは少なかった。長旅となればなおさらだ。
「そっか。『マスタープラン』ってのは、魔王を王座から解放する唯一の方法なんだ。俺はそれを使ってタイムを解放したい」
「どういう内容なんだ?」
「モンスターを一匹ずつ追い詰めて、そいつらが持ってる『魔導書』を集めて完成させる必要がある。そうすれば『ドラゴンが降りて』魔王の治世が終わる、って伝説だ」
ヒューマンの魔王についての伝説はパルフも聞いたことがあった。テレサスにはかつて数百年の間、魔術師の王……魔王が君臨していた。魔王になる者は魔力の強い紫陽族か、太陽族がほとんどだった。だが三百年前、初めてヒューマンの魔王が君臨した。彼は圧政を強いたため、軍のクーデターにより政権は転覆され、それ以降テレサスでは軍の支配が続いていた。
「ドラゴン、というのは本当にあの竜が降ってくるのか?」
「多分、疫病とか天災の比喩だろ。魔力が働いて、魔王の座からヒューマン自身が解放されるってわけ」
「なるほど」
軍による政治が覆されたのが、数か月前のタイムによる魔王としての君臨というわけだ。その日のことをパルフもよく覚えている。嵐が起こり、テレサスの首都では混乱が極まっていた。軍のトップの人間が大勢謎の力によって死んだ。政権は廃墟となっていた魔王城に移り、アカデミーは混乱の中で解体された。
魔王タイムが危険視されているのは、魔術師の王としての力を復活させたからだけではない。隣国ルイナからの移民支援に巨額の金を使っている、と噂されていることもあった。自身もルイナからテレサスへ移ってきたパルフは、それについて聞くと複雑な心境になった。タイムに味方したい気持ちと、何をするか分からないという危険さを恐れる気持ち、両方がパルフの中にあった。それを止めるというのは、理にかなっていることに思えた。
「モンスターと一匹ずつ対峙するっていうんで、危険すぎるからって他の冒険者には断られた。伝説の域を出ないわけだし、長旅になるしな」
「これまでは遠征に出たことはない。ミッションは近場のモンスター退治が多かった」
「だいたいの場所には宿屋があるから、大丈夫だと思う。『ザ・ゴールデン・パス』と被ってるところが多いからな」
「ゴールデン・パスとは?すまない、テレサス国内のことにはあまり詳しくなくて」
一方シズはこの戦士を観察しながら、普通じゃないか、と思っていた。噂に聞くほどイカれてなんかない。話ができるし、これなら弟を通さなくても説得できるんじゃないか。
「いいんだよ。あんたルイナから来たんだもんな。『ザ・ゴールデン・パス』は、昔からある王の宝物を見に行くための道だ。巡礼道とか、旧街道ってやつだな。かなり整備されてて、道沿いには宿も多い。で、今回の騒動でそこにモンスターがたくさん配置されたってもんで、冒険者たちの格好の腕試しになってる」
「それを通って…『マスタープラン』を完成させるんだな?」
「そうそう」
話の通じる人だ、とシズは思った。これまで誘いかけた冒険者と違い、危険すぎると喚くこともない。静かにこちらの提案を聞いてくれている。パルフは最強だけどヤバい奴、なんて噂したのは誰だ?全然そんなことないじゃないか。
その噂はアカデミー時代からあった。戦術学校最強と謳われているが、一緒に働くのは到底無理。ルイナでは相当の人間を殺したらしい、殺人鬼だ、などと厄介な噂を流されていた彼女だが、いまパブのテーブルについて話をしている限り、静かで落ち着いた女性にしか見えない。
その時、女性の甲高い叫び声が起こった。端のほうのテーブルで、鎧を身に着けた女性の冒険者が屈強な男に髪を掴まれてテーブルに押し付けられていた。
「大丈夫、ちょっと契約で揉めただけだ」
二人の隣にいた痩せぎすの男が周りに言って回っていた。パルフはスッと席から立ち上がり、つかつかとそこに近づいた。
「彼女を離せ」
「なんだ?あんた。他のパーティの揉め事に口を出すな。これは俺たちの問題だ。そうだよな?ハンナ」
男はテーブルの上に顔を押し付けられている冒険者に言ったが、その女性はパルフのほうを見上げて、口を「助けて」と動かした。
パルフは何も言わずに、身体を構えの姿勢にすると、男に右フックを食らわせて吹っ飛ばした。ドシンと音がして彼はパブの壁にめり込んだ。
それが合図だった。同じパーティの者らしい男たちが次々とパルフに襲いかかった。武器を持った者までいる。しばらくして、立っている者は一人だけになった。パルフだ。他の男たちはぶちのめされて床の上に伸びていた。
シズはテーブルから歓声を送ると、ハンナと呼ばれていた女性に近づいていって手を差し出した。
「あなたは?」
「シズです」
「聞いたことある。アカデミーの人だよね」
「そう」
シズは近づいてきたパルフにビールのジョッキを差し出した。
「さすが俺が腕を買っただけのことはあるな!」
パルフは陶器のジョッキを受け取ってビールに口をつけた。その肩を叩いてシズは言う。
「まだ契約はしてない」
「そうじゃなくて……ほんとに噂通り変わった奴だな、あんた」
パルフは片眉を上げてみせた。
「全ての契約は弟を通している。今から連絡しよう」
「大変だったなあ……スタンを説得するの」
シズはしみじみと言った。今、彼は大きなモンスターを魔力で締め上げていた。上半身が馬、下半身は魚のシーホースと呼ばれるものだ。
「いいから早く決着つけてよ。どうせ爆発させるんでしょ」
スタンは水上のシズを見ながら、浜辺から叫んだ。
魔王を説得しに行く、と聞かされた時、スタンが最初に思ったのは、こいつはアホか、ということだった。
姉と違ってあちこちの噂に詳しいスタンは、もちろん今の魔王タイムが元アカデミーの魔術学校出身者であり、シズの恋人であったことは把握していた。だが、シズと姉が真剣な顔で相談してきた時、そんなことを言われるとは想定していなかったのだ。おまけに、各地のモンスターを倒して魔導書とやらを集めることが必須になるという。
「危険すぎる」
「そう言うだろうと思った」
シズは知ったような顔で頷いた。アカデミーでは人気者で通っていたシズだが、恐らく他の連中には断られたのだろう。それで姉に近づいたというわけだ。
「でもパルフは並みの戦士じゃない。俺と一緒なら、モンスターなんて一瞬で倒せるはずだ」
「タイムが魔王の座に就いたのはもう何ヶ月も前の話だ。なんで今になって俺たちに頼むんだ?」
「金が……」
シズは珍しく自信がなさそうに俯いて呟いた。
「金がなかったから……」
「そっか」
「装備だってほとんどアカデミー時代と同じものだしな。それに、タイムは今、俺たちが想像しているよりも危険に近づいてる」
シズは言った。確かに、魔王としての執務は並みの人間にはできないだろう。
「なにせ隣国ルイナの王は……」
パルフとスタンの二人は唾を飲み込んだ。テレサスに移住する前のことを思い出したのだ。きっと、ルイナの王がタイムに近づけば恐ろしいことが起こるに違いない。
「独身でホットでセクシーだと聞いている」
「なんて?」
スタンは聞き返した。
「だから、ルイナの王ランサがタイムに近づけば、恐ろしいことになる」
こいつってこんなにバカだったっけ、とスタンは思った。アカデミーの「ギフト」のメンバーは成績優秀な限られた者しかなれないはずだ。現に、去年はシズ、タイム、ルビーという女性の三人のみがギフトとして選ばれていた。他にも噂に聞いていた姿と、目の前で魔王オタクのように振る舞っているシズとはかなりの差があった。
「魔王城に乗り込まなくても色々方法はあるんじゃないか?」
「考えた。手紙とか伝書鳩とか、ご意見番とか」
「本気で言ってる?」
「『好きです!結婚してください』って伝書鳩を飛ばすのも考えた」
スタンは後ろに倒れそうになった。
「まあ、でも、結局俺たちは最強だから、こうしてここにいるってわけ」
浜辺に降りてきたシズが指をパチンと打ち鳴らすと、背後にいたシーホースが爆発四散した。
「どうした、馬肉食べたかったか?」
口をへの字に曲げているスタンにシズが尋ねた。
「馬肉か魚肉かわからないけど、ぜんぜん食べたくない」
スタンはそう言ってわずかに身体についた血を拭った。
いつの間にか砂浜の上にはシーホースが所持していたらしい魔導書が落ちていた。
第四章 We Have the Power
その頃、タイムは魔王城の自室に戻っていた。管理下にあるモンスターの数は日々変わるが、シズの姿はどこにも引っかからなかった。風の噂で彼が旅に出ているというのは聞いたが、どこにいるのか見当もつかない。モンスターがどこかで倒されているのを見て、彼ではないか、と思うこともあるが、確証はなかった。
それに、もし魔王が彼を追っていることが知れて、保安官に追及されたらどうする?彼の身に危険が及んだら?それを考えるとタイムは身が縮む思いだった。その感覚には覚えがある。何度も体験したものだ。
そもそも、あの人は俺のどこを好きになったんだろう。豪勢な魔王城の一角にある簡素な部屋で、タイムは考えた。思い出そうとしても喧嘩ばかりだ。最後に会ったのは林の中で、彼にはいつも迷惑をかけてばっかりだった。今回だってそうだ。仮にシズが旅に出ているとして、例えば「ザ・マスタープラン」を完成させるためだったら、申し訳ないにもほどがある。タイムには魔王の座を退く気はなかった。
シズはいつもヒューマン専用の宿舎まで送ってくれて……一緒に海辺の村に行った。俺の故郷に似ているところ……そこで初めてあの人は俺に触れた。切羽詰まっていて、あんなに余裕のないところは見たことがなくて……
そこまで考えて、タイムはシズのことをあまり思い出せなくなっていることに気づいた。カラスみたいに黒い髪、ラベンダー色の肌、薄い唇。強い手。それと……なんだっけ?手から砂がこぼれ落ちるみたいに、どんどん記憶が薄れていく。
タイムの簡素な執務室の壁には、コブラから以前もらった豪勢な刺繍の入ったタペストリーが掛けてあった。でも、シズからもらったものは何も持っていない。タイムは段々分からなくなってきた。そもそも、俺のことを好きになってくれる人なんて、いたのかな?
「陛下!」
コブラに呼ばれて、ベッドの上で思索にふけっていたタイムは我に返った。
「陛下はやめてくれって言ってるだろ」
「失礼しました、タイム様」
「様、もやめてくれ」
「はい。ところで、ルイナからライラ王女がお越しになりました」
ライラは馬車の窓から外を眺めた。彼女は今回の探訪に心を躍らせていた。生物通で知られる彼女にとっては、テレサスの魔王の復活と同時に出現したというモンスターを見られることはこの上ない喜びだった。海辺の地域が多いテレサスでは、シーモンスターが多く現れるという。馬車の窓からもひょっとしたら見えるかもしれなかった。
「もうお着きになるとは。早かったですね」
「お目にかかれて光栄ですわ、タイム様」
ライラは紫陽族らしい漆黒でウェーブのかかった髪を編み込み、きれいなピンク色のドレスを着ている。タイムは微笑んでその手を取った。正直、ルイナ国王の姪である彼女が、この時期になぜルイナから訪問しようと思ったのか、分からない。人々が言うように本当に生物オタクだからなのだろうか。なぜ、今になって。
「わたくし、タイム様にお尋ねしたいことがいっぱいあるの。でも、あなた方がいたところで、きっとつまらないわよ」
ライラは歌うような声で丁寧に人払いを要求してみせた。タイムの傍に常にいるコブラは心配そうな顔をしたが、彼は微笑んで「大丈夫」と言った。
「何かあれば、広間の外に我々がおりますから」
コブラはそう念を押して部屋の外に出た。
「タイム様」
ライラの声が急に低いものに変わり、タイムは驚いた。先程まで華やかな王女を装っていた彼女の表情は、深刻なものに見えた。
「……モンスターの話はいいんですか?」
「今日はお願いがあってここに来ました」
そう言う声が震えているのにタイムは気づいた。
「あなたは国内で、ルイナからの太陽族の難民救済のために時間とお金を割いていると聞きました」
「ええ、確かにそうです。ルイナからテレサスへの国境を越えてくる人は年々増えている。なぜなのか、ご存じですか?」
「叔父上……ランサは」
ライラは目を伏せて息を小さく吐いた。
「太陽族を迫害している」
「え?」
「聡明なあなたなら薄々お気づきだったのではないですか。数年前、叔父上は法律を作り、国内の太陽族を拘束するようになった。収容所では、恐ろしいことが行われているという噂があります」
「それから逃げた人々が、テレサスに来ていると?」
「そう」
ライラは溜息をついた。
「私は保身のために、政治に興味のない、生物が好きなだけの姪を装っています。でも、叔父上はきっと気づいているのでしょうね、図書室への出入りを禁止されました」
「なぜ?」
「叔父上は」
彼女は不安そうに指を組み直した。
「前王であった父の死以来変わってしまいました。彼の死に太陽族の者が絡んでいるのではないかと疑い……彼らを集めて、なにか恐ろしいことをしようとしている」
「恐ろしいこと、とは?」
「人体実験です」
タイムは息を呑んだ。
「彼は国内の太陽族を捕らえ、収容所に送って、魔術での実験を彼らに行っている……それが私の知っている全てです」
ライラは意を決したように目を閉じ、息を大きくついた。
「こんなこと、今日初めてお会いした方に頼むようなことではないですよね。分かっています。私は叔父上にとっては邪魔者……いえ、脅威なのです。もし私が死んだら、殺されたと思ってください。そして必ず、私たちの人々にとって正しいことをして」
「なぜ、危険を冒してまで俺のところに?」
「あなたなら、ルイナにいる太陽族、いえ、皆を救えるから」
ライラの手は細かく震えていた。タイムはその手をとり、しっかりと握った。
「叔父上は、弱肉強食、というのが実際に当てはまると思っています。だから、弱い立場にある太陽族を平気で拘束できる。でもそれは、我々人間が見た側面の一つに過ぎない。それが本当なら、私たちのような力の弱い生き物は既に淘汰されているはず。でも、私たちは『方法』を見つけた」
ライラは縋るようにタイムの手をぎゅっと握り返した。その手には人間の体温があった。
「あなたのことは話に聞いただけ。でも、信じられると思いました。周りに敵しかいないから、勘違いしただけかもしれませんが」
「ライラ様」
タイムはなるべく力強く聞こえるように声を張った。この種類の不安は、彼も経験したことがある。命を狙われたわけではないが……独りぼっちで、周りに味方がいない不安だ。
「今日聞いたことは、誰にも話しません。ルイナで何か起こっているのは薄々感じていました。きっと、彼らにとって正しいことをします」
ライラは小さく息を吐いた。泣きだそうとするのを抑えるような仕草だった。
「あなたは一人じゃない」
タイムは、かつて他の人が彼に言ってくれたのと同じことをこの王女に告げた。ライラは目元を拭くと、身を起こし、パンパンと両手を叩いた。
「皆さん、入ってきて頂戴!お食事の時間にしようかしら。積もる話もまだまだありますわ」
タイムがドアを開けると、彼女の従者がどやどやと入ってきた。これだけ人がいても、誰もライラの孤独を理解する者はいないのだ、と思うとタイムにはなんだか変な感じがした。先程までの心細そうな彼女の姿は消え、軽やかで、華々しい王女として振る舞っていた。
食事を終え、ライラを彼女が滞在する部屋に送ってから、自室へ向かうタイムの後ろからコブラが付いてきた。
「ライラ様とはどのようなお話を?噂に聞くように、モンスターの話題ばかりでしたか?」
「長い話になる」
タイムは赤いマントを脱ぎながら言った。
「全く、重いマントだよ。君はこんなもの着なくていいから良いよな」
「甲冑もそれなりの重さですが」
「とにかく、明日ゆっくり話そう」
「はい。ところで、シロ村の盗賊たちは名が知れていた連中だったようですが、我々が出るまでもなかったですね」
タイムとコブラは時々、ああして悪党の出る場所に自ら赴いている。違法な魔術の使用や、魔道具の使用がみられた時に出ていくことが多い。魔術の使えない一般の兵士には危険なことが多いからだ。
「シズらしい冒険者が近くにいたという情報があるんだ」
「なるほど」
「結局、何も手がかりは得られなかったけどな」
タイムはよくその名前を口にする。彼とは恋人同士だったと聞いたが、詳しく尋ねることはあまりしなかった。コブラもかつて在籍したアカデミーで、タイムと共に「ギフト」のメンバーだった男。魔王の胸中にいつもいる彼は一体どんな人間なのだろう。コブラはしばし想いを馳せた。
「それ、撲殺!ぼくさつ!行け行け!」
「うるさいぞ、シズ」
パルフは浜辺でシーピッグと呼ばれるモンスターを必死で追いかけて殴っていた。シーピッグは海辺に生息するモンスターで、ウロコに覆われた身体にいくつも目が付いている。集団で行動し、ピョンピョン飛び回るため、パルフは一匹ずつ岩場に追い詰めて倒していた。
「少しは手伝ってくれ」
「小型のモンスターだから要らないだろ」
パルフが血塗れの手で何度か殴っていると、スッとシーピッグの姿が消え、代わりに魔導書らしい紙切れが砂浜に落ちた。
「やっと終わったか」
シズは岩場からひらりと飛び降りてパルフのところに近づいた。
「ああ」
パルフの顔は返り血で真っ赤になっていた。あれ、とシズは違和感を覚えた。目が据わっているのだ。いつもの冷静な彼女はそこにいなかった。
「パルフ?」
「あーもう、姉ちゃん血塗れじゃん」
スタンが近づいてきて、ポケットから布を出し、パルフの顔を拭い始めた。
「自分でやる」
そう言う姿と声音はいつもの彼女のもので、先程覚えた違和感の正体については忘れることにして、シズは宿屋へ足を向けた。
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