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第2話

第五章 俺とあいつ 「なんであんたがタイムのこと好きだったのか、分かんなくなってきたよ」  宿のベッドに座りながらスタンがため息をついた。 「ずっと一緒にいたら分かるけど、あんたって自分のことが一番好きだし、タイムのことずっと地味だって言うし。やばい戦闘狂だしさ」 「そうだな。私から見てもひどい」  まだ寝るまでには時間があるため、パルフも彼らの部屋に来てベッドの上であぐらを組んでいた。 「ひどいこと言うな。そんなにかよ」 「自覚ないのか」  シーピッグを倒した場所からそれほど離れていない村には小ぢんまりとした宿屋があった。旧街道は主に海辺を走っており、モンスター退治の旅にも便利だ。 「……そうだな。見たかったんだ」 「え?」 「あいつはずっと、俺とは違うものを見てた。もっと知りたい、って思ったのは初めてだったんだ。あいつと同じ景色が見たかった」  シズは言った。 「……そっか」 「俺は変わったんだ。もう元の俺には戻れなくなった。あいつが俺を変えた」  パルフはそれを聞いて、ここにはいない誰かを思い出すみたいに、どこかを眺めていた。 「これがミュージカルなら、アカデミーでの俺がいかに有望でハンサムで人気者だったか歌い始めるところだ」 「そういうの、尊大って言うんだよな」 スタンは溜息をついた。 「自分のことを話さずに、誰かについて語れないわけ」 「無理だな。まず俺の話をしてから」 「それよりさ」  スタンは伸びをして言った。 「さっきも、宿の主人に旅の目的を聞かれたとき、腕試しだとか何とか言ってお茶を濁してたよね。どうしていつもさ、誰にも本当の目的を言わないの。魔王を解放するため、だって」 「誰にでもする話じゃないだろ。それに、『マスタープラン』は伝説にすぎない。そんな話を長々としてて、誰が聞くんだよ」 「スタンの言うことは一理ある」  パルフが口を挟んだ。 「私も疑問だった。なぜ、私たち以外の人間には隠そうとするのか」 「別に隠そうとしてるわけじゃねえよ」  シズは曖昧に笑ったが、パルフは真剣な顔を崩さなかった。 「恥ずかしいのか?魔王と一緒にいたことが」 「恥ずかしいわけないだろ。タイムはサイコーの人間だ」 「じゃあ、どうして本当のことを言わない?タイムはあんたの恋人で、彼を重圧から解放するために魔導書を集めているんだと」 「そう単純にはいかないんだ」 「もしかしたら、彼は孤独に感じているかもしれない。魔王としてみんなに恐れられているから。あんたが味方にならなかったら、誰が彼のそばにいるんだ?」  パルフは一度物事に固執するとなかなか離れないことがあるが、今もそうらしい。面倒なことになった、とシズは思った。 「ハイ、この話、やめやめ」  シズは手を何度か打って話を切り上げようとした。 「それより、どれだけ俺が人気だったか聞いてくれよ」  ルビー・サンチェスは徹夜明けで保安局の本部にいた。彼女は紫陽族特有の黒い髪を赤く染めていて、無造作にひとまとめにしている。彼女はあくびをしながら廊下を渡った。 「おはよ。疲れた顔してんね」  そう声をかけてきたのは同僚のシーラだ。 「夜遅くまで研究してたから。もうすぐ完成するんだ」 「研究?あんたっていつも実験と研究ばっかだよね。それより任務が先でしょ。見てよこれ、現場から採取されたシーホースの肉塊」 「うえっ、何でそんなもの見せるの」 「これは絶対違反でしょ。こんなにする必要ある?」  ルビーは顔をしかめながら採取されたサンプルを見た。細切れになった肉は、例えば爆発に巻き込まれたかのようだった。 「あれ、本当らしいよ。アカデミーのパルフとシズが組んで旅に出てるって噂。パルフの弟らしい子と一緒に居るのをロウリーが見かけたって」  シーラは頭を掻いた。 「いくらアカデミー最強だからって、戦闘要員二人だけで旅なんて、ありえないよね。何が目的なんだろ」 「今回のモンスター退治も、シズたちかもしれない」  ルビーは言った。この戦い方からすると、彼は相当切羽詰まっているか、焦っている。何のために?  例えば、魔王を止める、とか。  ルビーはかつて「ギフト」のメンバーとして一緒にいた時のシズとタイムを思い出した。だとしたら、私は急がなくてはいけない。 「こんなにメチャクチャやる必要ってある?」 「さあ」 「モンスターを次々倒してるとしたら、相当金に困ってるか、腕試しがしたいかのどっちかだよね。それか、他に目的があるとか?」  ルビーは『ザ・マスタープラン』のことを思い出した。彼女は口元に指で触れ、よく考え事をするときにそうするように顎に手を当てた。 「あー、ルビー?だめだ、ゾーンに入っちゃったよ」  シーラが声をかけても、ルビーは思考の渦の中から帰って来なかった。  タイム。私の王子様。  彼はルビーの人生を丸ごとひっくり返してしまった。まるで魔法みたいに。  誰かが彼を止めないといけない。彼を魔王の座から解放しないと。魔王でいることは危険で、彼の身に危険が及んでほしくないからだ。  だが一つだけ言えるのは、『ザ・マスタープラン』はその解法ではない、ということだ。  「自分に関係ないことなんてない」  かつてタイムは言った。そして、ルビー自身の抱えていたものも、彼にとっては「関係ある」ことだったのだと思う。  村の名家であるサンチェス家に生まれた女のするべきことはただ一つ、金持ちと結婚することだった。全ては事前に準備されていた。あの小さな村で、ルビーの人生のレールは生まれたときから決まっていたのだ。ただ一つルビーが他のサンチェス家の女と違ったのは、彼女にはタイムがいた、ということだった。  ルビーとタイムには幼いころから魔術の才能があった。最初は、遊びの一つに過ぎなかった。サンチェス家の書斎にある本を出してきて、そこに書いてある呪文を詠唱すると、色々なことが起こった。その遊びは大人に見つかったが、彼らは怒らなかった。ただ「あり得ない」と言った。本の通りに詠唱しても、魔術が使える人間は限られているのだ。  そのうち、二人は魔術師が使っている魔術が「読める」ようになった。普通なら、呪文を詠唱することで魔術が使えたが、二人は魔術をパッと見ただけで、術式が解読できたのだ。それができる魔術師は多くなかった。 「俺たち、アカデミーに行くべきだよ。優秀な生徒には奨学金が出るんだって。そうしたらこんな村から出られる」  タイムが生きづらさを抱えていることには薄々気づいていた。それはあることに由来するものだったが、小さな村という特性上、それに関係した全てが彼をがんじがらめにしているのかもしれなかった。 「無理だよ、ここにいる限り私は他の誰かと結婚して生きていかないといけないの」 「そんな運命、変えられるって」 「あなたはサンチェス家に生まれた女性の運命を知らないんだよ」  ルビーは突き放すように言ったことがある。でも彼は優しい人だったから、非難することはしなかった。 「奇跡が起こって、誰からここから連れ出してくれないかな」  ルビーは溜息をついて言った。十日経てば、隣の村の家の嫡男と見合いをすることが決まっていた。息苦しかったが、父には逆らえなかった。誰も逆らったことがなかったからだ。 「起こるよ」  タイムは無責任にもそう言った。これ以上彼と一緒にいると家の者に怪しまれる。二人の間には何もなかったとしても。だからその日は一旦帰ることにした。  お見合いの日がやってきた。ルビーは顔にラベンダー色のファンデーションをはたかれ、頬と唇には紅を差された。ルビー色の胸の大きく開いたドレス。コルセットはきつかった。召使たちが忙しくルビーの周りで何かしていたが、その音はルビーの耳に入ってこなかった。  突然、裏口がガチャリと開いて、誰かが入ってきた。逆行でよく見えなかった。その人が近くまで来て、ルビーは初めてそれがタイムであることに気付いた。彼はうやうやしく彼女の手を取った。 「俺は魔法使いだから、君を連れ出しに来た」  その日からルビーの人生は丸ごと変わってしまった。二人はカバンを一つだけ持って、とにかく走った。走って走って、森の中を抜けて、なけなしの金をはたいて馬車に乗った。そしてアカデミーに着いた。そこでは文句なしに人々が魔術の才を持った二人を歓迎した。  故郷で力を持っているルビーの父が、タイムを女手一つで育てた母親を追い詰めることを心配した。彼は父親から大事な「資産」である娘を奪ったも同然だからだ。だが彼の母親は地元の漁師たちを切り盛りしていて、したたかだった。誰も実際に力を持っている彼女に口出しできなかった。ルビーは月に一度家に手紙を出した。タイムにもそうするよう勧めたが、彼は曖昧な返事をするだけだった。  テレサスの新都市にあるアカデミーでは隣国ルイナの脅威に備えるため、魔術学校、兵術学校が存在し、全国から才能ある若者たちが集まっていた。だが、軍の支配下ではどうしても魔法使いは邪険にされがちだった。また、違法な魔道具が出回っていたため、それが魔術師への風当たりを強くしていた。 「だから俺は、ルイナとの戦争が起これば魔術師に有利だと思ってたんだよ」  シズはスタンに言って聞かせた。 「魔術師はいつの世でも恐れられて遠ざけられる存在だ。俺はルイナと戦って武勲を上げることで、魔術師の地位をマシにしたかったんだ」 「シズはそもそも、どうして魔術師になろうと思ったの?」 「それはまあ、才能があったからかな」 スタンは思わずあさっての方向を向いた。 「とにかく、俺は自分とその周りの人のことしか考えてなかったわけ」  ルビーが観察している限り、タイムの生きづらさは小さな村から新都市のアカデミーに出てきてからも消えたわけではなかった。それは彼がヒューマンであることにも由来するのだろうと思った。何においても平均的なヒューマンはいつも肩身の狭い思いをするだろう。彼の魔術の才がずば抜けているとしても。それに、太陽族や紫陽族のあいだでは普通とみなされていたことは、ヒューマンの間ではそうではなかった。彼の心はルビーも開けられないほど、固く閉ざされていた。  「皆も知っての通り、魔術師への統制は年々厳しくなっている。そんな中で今年度のギフトのメンバーを発表する……シズ、ルビー、タイムだ」  背の低い太陽族の学長がそう宣言すると、シズは立ち上がった。 「おい、タイムって誰だ?」 「私の友達だけど。いつも一緒にいるじゃん。シズ、あなたってホント自分以外興味ないんだね」  ルビーは呆れたように言った。シズと友達になって三年が経とうとしていたが、この男の自己中心的なところにはいつも困らされていた。 「このヒューマンか」  シズはルビーの隣にいたタイムを見て言った。 「ふざけんなよ、大した努力もしないでギフトに入ろうなんて……どうせヒューマン優遇政策だろ」 「ちょっと!」 「俺はそれなりに努力してきたし、そこで優遇政策をしたところで意味ないだろ」  タイムは冷静に返した。彼が立ち上がることはなかった。 「ごちゃごちゃうるせえ!」 「シズ、激昂するなんて君らしくないな。ここで問題を起こすようならギフトを辞めてもらうしか……」  学長が諭した。 「すみません!いえ、何でもないです」  それがルビーの見た、タイムとシズの最悪の出会いだった。いや、出会ってはいたのだが、シズが初めて彼を認識した、というべきか。  「とにかく、タイムは俺が会ってきた他の人間とは全部が違ったんだ」  「ギフト」の名の通り、確かに三人には魔術の才があった。中でも使用されている魔術が「読める」ルビーとタイムは頭角を現していった。「俺がギフトに入るのは当然、あとは成績のいいルビーだな。その二人くらいか」とのたまっていたシズも、タイムの才能を認め始めた。  実習の授業中、腕を前に伸ばして呪文を唱えていたシズの横で、それをじっと見ていたタイムが彼に近づき、肩に触れた。 「何しやがる」  シズは詠唱をやめて噛みつくように言った。 「肩の力をもっと抜いて。それに、もっと強力にしたいなら、文末を変えたほうが効果的だ」  その通りにすると、確かに魔術は的にぶつかり、青い光と共に的は大きく吹っ飛んだ。 「……すげえ」  タイムは魔術をもっと効果的にするコツをよく覚えていた。勉強熱心だったのだ。それ以降、シズは何かと彼を頼りにするようになった。  太陽族と紫陽族はアカデミーの同じ寮に入っていたが、ヒューマンだけは分けられていた。 「あの伝説のコブラだって、ここで魔術学校の人間と生活してたんだよ。そう思うと、すげえよな」  ヒューマンの寮ではそんな声が聞こえるのが常だった。 タイムはその入り口でシズを待っていた。 「おい、来たぜ、あんたの彼氏」 「やめろよ」  シズが来たのに合わせて肩を叩いてくる寮生の腕を掴んでタイムは笑った。 「いいよな、あのシズと友達なんて」  出発した二人を見送りながら寮生はあることないこと噂を始めた。  シズの行きつけの店に来たタイムはそわそわとして落ち着かなかった。普段彼が行くのはガチャガチャとビールのジョッキの音が響くようなせわしないパブだけだったからだ。メニューに書いてある食べ物ですら、どんなものか想像ができなかった。 「他のみんなは?」 「え?誘ってない。お前にいつもの礼をしたいから。食おうぜ」 「どんな食べ物かも俺には分からないのに……」  出てきた料理はどれも美味しかった。目を輝かせて次々と皿を空にするタイムを、シズは驚いたように見ていた。 「俺の顔になにか付いてる?」  タイムは慌ててナプキンで口元を隠した。 「いや、そうじゃない。気にすんな。ただ、お前といるといつも話し足りないし、何か……言いたがっているように見えるから」  そう言われて、タイムは動きを止めた。言えたらいいのにと思う。でも、きっと理解してはもらえない。  俺は何も求めてないのに。援助や配慮もいらないのに。どうして「普通」でいられないんだろう。 「別に。気のせいだろ」 「とにかくさ、お前がこんな風にいっぱい食ってるとこ、見るの初めてだから……びっくりしたかも」 「それはここのメシがうまいからだよ」  タイムはそう言って笑った。シズはその顔をしばらくじっと見ていて、やっぱり顔に何かついてるんじゃないか、とタイムは不安になった。 「ヒューマンだ」  囁く声が聞こえた。 「アカデミーのシズだ。ヒューマンとつるんでるのか?こんなところにヒューマンの男が来るなんて」 「何か問題でもあるか?」  シズは立ち上がった。 「やめよう」  タイムは彼を制止した。そして、この店にいるのは太陽族か紫陽族しかいないことに気付いた。さっきから感じていた居心地の悪さはそれが原因か。 「俺がヒューマンの奴を連れて来て何か問題があるか?タイム、なんか言ってやれ」 「別に何も言うことなんてない」 「なんでいつも反論しない?」 「無駄だからだよ」  タイムは落ち着いた声で言った。 「あんたがいると食事がまずくなる」 「そうだ、出ていけ」  紫陽族の男たちが次々と口にした。 「うるせえな、そんなこと言うなら出ていってやるよ。覚えとけ。行こうぜ、タイム」  シズはタイムの手首を掴むと、代金を払ってレストランを後にした。タイムの表情は硬くなっていた。 「ごめんな。あんなところ二度と行かねえよ。どっか行って飲みなおそうぜ」 「いや、飯はうまかったよ。でも今日は帰って寝たい」  タイムはシズの手を振り払って言った。 「送っていくよ」 「いや、いい」  じゃあ、と踵を返したシズが歩いていくのを、タイムはしばらく見つめていた。  隣国ルイナで何か良くないことが起こっているらしい、という噂はその少し前から出ていた。テレサスとの国境に押し寄せる太陽族が増えている、とのことだった。 「許可が下りないって、どういうことですか」  タイムは珍しく口調を強めた。 「難民キャンプの見学に、戦闘魔術の許可がいるなんて、訳が分からない」 「あり得ません」  ルビーも横から口を出した。 「魔術学校の者が国境に行く場合は戦闘用魔術の許可証を発行するように、と言われている」  講師はただそう繰り返した。 「太陽族の難民を助けたいというあんたの正義は立派だが、行きすぎている」 「行きすぎてる?実際に人が死んで生活が破壊されてるんだぞ!何も救えてないのに行きすぎてる訳がない」 「タイム、落ち着いて」  片眼鏡をかけた講師はシステマティックにそう言った。 「どうしてそんなに国境の太陽族にこだわるんだ?君には関係ない人の話だ」 「この世で自分に関係ないことなんて、何一つない」 「俺が協力する」  横からシズが口を挟んだ。 「ギフトの人間が三人もいれば安心だろ」 「あんたは戦闘狂だから、信用できない」  タイムは言ったが、「いいだろう」と講師が言ったのを聞いて目を丸くした。 「シズが行くなら、許可証を出そう。決して無茶はしないように」  タイムもルビーも何も言えなかった。 「……ありがとう」 「いいんだ。俺がいた方が便利だろ。あんたには色々教えてもらったし、力になりたいんだ」 「どうしてあいつ、シズが一緒ならいいって言ったんだろうな?あんたが紫陽族だから?」 「紫陽族で男だからでしょ」  ルビーが横から口を挟んだ。 「人気者だからだよ。とにかく、行けることになったからには最善を尽くそうぜ」 「あなた、太陽族の人権なんて微塵も興味ないくせに」  ルビーに言われてシズは舌を出してみせた。  最悪の出会いだったわりに、シズとタイムの二人はそれなりに仲良くなって、ルビーは一安心していた。その時が来るまでは。  二人は学校の廊下を歩きながら話をしていた。ルビーは廊下の向こう側から二人に手を振ったが、気づいていないようだった。休み時間だったから、廊下にはたくさんの生徒がいた。 「とにかく、今度の旅が有意義になるようにしよう。太陽族の人々のために……俺たちは必要なことをしないと」 「ああ」  シズは頷いたが、どちらかというとタイムの話をよく聞いていないようだった。 「俺はいい友達を持ったよ」 「あんたの友達なんかにはなりたくない」 「え?」  廊下にいた生徒たちは凍り付いた。喧嘩か? 「そんなのは嫌だ。あんたの恋人になりたい」  タイムは血の気が引くのを感じた。 「からかってるのか?」  彼の声は震えていた。 「そうじゃない」  シズはなぜ相手がこんなに怯えているのか分からないといった風だった。 「俺が……誰にも言ってないのに……男の人がすきだって……」  ルビーはタイムがその場に倒れ伏してしまわないうちに彼のところに駆け寄った。 「あいつ本気だよ、タイム」  廊下のギャラリーがざわついた。喧嘩かと思えば、今度はアカデミーいちの伊達男であるシズの告白劇が始まった。 「分からない?シズは、いつだってあなたのことを見てる」  タイムは何も言わなかった。頭がいっぱいいっぱいで、シズが「クソダサ上着」呼ばわりしている制服の裾をそわそわと握ることしかできなかった。 「……今まで俺を助けたのも、俺と寝たいからだったのか?」 「それは合ってる」 ギャラリーは再びざわついた。ルビーは思わず目を剥いた。余計なことを。 「でもそれだけじゃない。あんただって、好きな人がすることなら何でも助けてやりたいと思うはずだ」 「ハァ……考えさせてくれ」  タイムは溜息をついて言った。ルビーは彼の肩に手を置いて、ギャラリーに向かってしっしっと手を振った。 「一人にしてあげて」  シズは珍しく困惑しているように見えた。恐らく、彼の意のままにならないことはほとんど初めてなのだろう。ルビーがタイムを連れてさっさと歩くと、廊下の人々がさっと道を空けた。  「ごめん。一瞬きみを疑った」  アカデミーの建物を出て、草むらに座り込んだタイムは言った。彼の感じているプレッシャーを考えると、それも仕方のないことだった。 「私が彼に、あなたは男の人がすきだって伝えた、ってこと?」 「そう。すまない」 「あいつ、ほんとにタイムが好きなんだよ。なんで受け入れないの」  そう言われてタイムは頭を掻いた。 「俺のタイプじゃないし……」 「強くて優しくて、できれば背が高い人がタイプだって言ってたじゃん」 「うっ……やめてくれ!」 「あなたはそれなりにモテるだろうから、ほかに選択肢がないわけじゃない。でも、私が見ていて分かるけど、男性は星の数ほどいても、あんな人はそうそういない。あなたたち二人なら、どんなことでもできる」  それはルビーの本心だった。彼女は人気者にあやかろうとする多数の人と違い、シズに対して本音で接することができた。おもねることもしなかった。 「二人で協力できることと、恋人になることは別のことだろ?」 「だいたい一緒だし。ずっと言ってるじゃん……『彼氏欲しい』って」 「言ってない!」 「言った。ねえ、私は変わった。あなたが、怖いものを少しだけ減らしてくれた」  ルビーはまっすぐにタイムを見た。 「あなたが私を最悪の人生から引っ張り出してくれたから、そのお返しがしたい」  タイムは困ったように眉を下げた。 「あなたがお母さんに何を言われたかも知ってる。でも、あなたには幸せになる権利がある。シズとあなたが、どうなるか見てみようよ」 「薬品の実験だと思ってないか?」 「まさか」  ルビーは目を逸らした。 「きみは何も変わってない。ちょっと、方法を身につけただけだ」 「あなたの魔法だよ」  ルビーはタイムを小突いた。 「い、痛い」  その強さに思わず彼は呻いた。  しばらくして、タイムはシズを校舎の裏に呼び出した。 「こんなところに呼び出すなんて、定番すぎやしないか?それとも俺はこれからギャングに襲われるのか?」 「ここなら誰も聞かないだろ。多分だけど」 「で、話って何」  シズの心臓はバクバクと波打っていた。 「この間のことだけど、その……冷たくして悪かったよ」  タイムは頭の後ろを掻きながら言った。その笑顔は素朴だったが、真鍮みたいに輝いていた。 「あんたは色んなサインを出してたみたいだけど、俺にとってはとにかく急で……ごめん、なんて言ったらいいか分かんなくて」  シズは思わず相手を引き寄せてキスをした。そうする必要があるように感じたからだ。彼は強くて勇敢な人間だったが、シズが側にいて守ってあげなければいけない気がした。二人の唇が離れて、シズはタイムを抱き寄せたまま腕に力を込めた。彼がどこにも行かないように。 「嫌じゃない?」 「嫌じゃない」  タイムは小さく息をついた。彼にとって、誰かとこんなに近くにいるのは初めてのことだったからだ。それから緊張した様子のまま笑った。 「ルイナとの国境から帰ってきたらさ、どっか旅行にでも行こうぜ。ここじゃ、寮も分かれてるしな」 「いいな」  タイムはシズの腕の中で微笑んだ。  ルビーはたくさんの本を抱えて自室に戻った。机の上に本をどさっと置くと、壁を見つめる。そこにはびっしりと未完成の術式が書かれていた。彼女はペンを口にくわえてせわしなく保安官の制服の上着を脱ぐと、ペンにインクをつけて壁の紙に本で見た術式を加え始めた。  魔術における禁忌は二種類あった。記憶を除去するものと、魔術を解除するためのものだ。ルビーが魔術師と敵対する組織である保安局に入ったのは、後者の研究を続けるためだったのだ。そのためには「敵を知る」必要があった。  もうすぐだ。もうすぐ、この魔術が完成する。  そうすれば、タイムを魔王の座から解放することができる。彼はシズと再会し、自分の生きたかった人生を送ることができるだろう。  待っていて、タイム。  ルビーはペンを動かしながら思いを馳せた。 第六章 魔王城インシデント(あるいはクジラ)  「次の町、シーゲートにいるのはクジラらしい」  スタンが図鑑を見ながら言った。旅に出る前に書店で買い求めた図鑑には、古代テレサスに存在したモンスターの生態が載っている。奴らは三百年前に魔王と一緒に封印されたが、今回の魔王復活で一緒に再生したというわけだ。ちなみに本は結構な出費だった。 「クジラなら知ってるぞ」 「オレもテレサスの収容所にいたとき、図鑑で見たことある。でも、その時に見たクジラはずっとシンプルだった。ほら」  スタンが見せたページには、目がギョロリと大きく、潮を噴出するホースのようなものが二本背中から生えていて、全身がうろこに覆われているモンスターが描かれていた。 「そっちの図鑑には、クジラにはうろこがないって書かれてた。こっちのほうは何百年前もの人が想像した姿らしい」 「それが今でも本に描かれてるってのは、なんなんだろうな。シーホースだってそうだろ?同じ名前だけど、タツノオトシゴとは違う」 「モンスターじゃない普通の生物と、人々の想像が生み出した怪物、両方が存在するってこと?」 「わからねえな。とりあえず、見に行くしかない」 「また爆発?」 「手っ取り早いからな」  スタンは溜息をついて本を閉じた。 「シーゲートか、懐かしいな」 「行ったことあるの?」 「タイムと行ったんだよ。一緒に旅行したのはあれ一回きりだったな。あいつの故郷に似てるって言ってた」  「難民キャンプには社会見学に行くわけじゃないぞ」  タイムが言うと、馬上のシズたちは緊張した面持ちで頷いた。テレサスとルイナの国境にある村・ニジロには最近、ルイナからの難民が押し寄せていた。皆、着の身着のままで、何かに怯えた状態で来るらしい。テレサス新都にある移民収容所への許可証が発行されるまで、彼らはキャンプに滞在することになる。許可証の発行は、彼らの数に追いついていない。そのため、良い生活とはとても言えないキャンプで長い滞在を余儀なくされる太陽族もいる。多くが、家族と離れ離れになった者たちらしい。  テレサスの新都からニジロ村までは、幸い一日で着く距離だった。「戦闘魔術の許可証」を持ち、三人は馬で走った。 「そろそろ着く頃だ」  シズがそう言うと、タイムリーに村の看板が見えた。馬を降りて、荷物を持って歩いていくとすぐに収容施設らしきものが見えた……というのは、その周りに大勢太陽族がいたからだ。呻き声が聞こえる。負傷した人のものだ。シズは彼のところに近寄って行って、治癒魔法をかけようとした。 「来るな!」 「え」  拒絶されて、シズは戸惑う。相手はひどく怯えていた。タイムが彼の近くに行き、落ち着かせながら傷を軽くするための魔術を詠唱する。 「大丈夫ですか」  相手はそれに応えなかった。 「あいつらが……」 「え?」 「あいつらが娘たちを連れて行った」  彼の指はシズを差していた。 「俺?」  シズは自分を差して予想外だといった声を上げた。 「あなたがた、どちらから?」  収容施設の中からヒューマンの女性が出てきて、三人に声をかけた。 「俺たちは新都のほうから来ました。何かできることがあるかと思って、毛布や支援物資を持ってきました……あと、魔術の使用許可証」 「どうして使用許可証が?」 「念のためです」  タイムはなんだか恥ずかしくなってそれを仕舞い、馬の上から支援物資を取ってくるために村の入り口まで戻った。 「私はここでルイナから来る人たちを保護しているソンと言います。でも、あなたがたはあまり、ここでは歓迎されないかもしれない」  女性はシズとルビーに言った。 「どうして」 「ルイナで王をはじめとする紫陽族が、太陽族を迫害しているという情報がある」  彼女は言った。ルビーは息を呑んだ。 「虐殺を免れてここに来た人もいる。だいたいは、家族とバラバラになった人たち」 「虐殺?」 「勅令軍が太陽族を集めて、一度に殺しているという情報もある」 「なぜ」 「分からない。とにかく言えるのは、ここにいる人たちはひどい状況から逃げて、山を越えて来たってこと」  それから三人はソンという名の女性に話を聞いた。隣国で起きているかもしれない惨事のこと。ここに来る人たち一人一人の物語。 「アカデミーの人たちに、ここの話を共有してほしい。正直、来られても提供するものは何もないけれど、ここの状況はみんなに知ってもらう権利がある」 「分かりました、ソンさん」  焚火に照らされながらタイムは言った。横から、ハイハイがやっとできるくらいの子供がやってきて、彼女の膝に乗った。 「この子は三週間前にここに来た。お母さんはテレサスから発行される許可証を待ってる」  彼女は淡々と言ったが、その表情は世の理不尽に対しての怒りを湛えていた。  次の日、三人は礼を言ってニジロ村を出発した。しばらく誰も何も言わなかった。 「俺にとって大事なのは、ルイナとの戦争でのし上がって武勲を上げることだと思ってた」  シズは硬い表情で言った。 「でもそうじゃないんだ。魔術師の地位なんて、些細な問題だった。世の中にはもっと助けを必要としてる人がいて、俺たちにその能力があるなら、それを使うべきなんだ」  ルビーは小さく頷いた。タイムは何かを考えている表情で、「俺にもっと力があればな」と言った。 「力?」 「例えば許可証をもっと早く出せるようにする、とか。それじゃ根本的な解決にならないけど、ニジロの人たちを早く新都に送ることはできる」 「そうだよな」  シズは頷いたが、その時の彼はタイムの心中にあることを全く理解していなかったことになる。  「何回も言うようだけどさ」  浜辺でシズはスタンに向かって叫んだ。 「なに?」 「俺が出会う人に本当のことを伝えないのは絶対に、タイムと付き合ってたのが恥ずかしいからとかじゃねえから」    スタンは溜息をついた。何か真剣な話かと思ったら、またそれか。魔王のことになると、この人はポンコツだな、と思う。 「またその話?」 「俺はヒューマンとは違うから偏見もないし」 「分かったから」 「そうじゃなくて、本当は……」  海からザッと音がして、大きな怪物が姿を現した。「クジラ」だ。赤い頭と緑のうろこに覆われた身体をしている。そいつは大きく口を開け、砂浜にいるシズを飲み込んだ。 「ええーっ!」  スタンは思わず素っ頓狂な声を上げた。 「姉ちゃん、ちょっと、何とかしないと」  彼は横で突っ立っているパルフに向かって叫んだ。 「どうせ爆発させて出てくるだろ」  彼女は冷静な声で言った。ドゥン、と音がして、クジラの身が跳ねる。中で爆発が起こったらしい。だが、クジラはまだ生きている。シズは出てこない。 「失敗だ」  はあ、と大きい溜息をついて、パルフは腰につけたナイフを取り出した。 「世話が焼けるな」  彼女はクジラに向かって飛び、その背中に食らいついた。ナイフを突き立てると、彼女を振り落とそうとクジラが何度も身を捩り、大きな波が立つ。それにも気を取られず、パルフはクジラの身を穿ち続けた。  もう一度ドン、と音がして背中につけた傷のところからクジラが破裂した。そこから見慣れた黒髪がひょっこり出てくる。シズだ。 「よかったぁー!」  浜辺のスタンは思わず叫んだ。 「ここで死ぬわけにはいかねえだろ」  シズは拳を突き上げた。近くから見れば冒険譚だが、よく見れば浜辺にまでクジラの肉が散っていて、残虐極まりない。プカプカとクジラの死体は海に浮き始め、シズがパルフの手を借りながら浜に降りると、すうっと死体が消え、魔導書の欠片が砂浜の上に現れた。 「思い出の場所、シーゲートでもう一回あいつに会うまではな」  シズは魔導書の砂を払って、スタンに渡した。  「俺は見たいよ。お前のビジョンってやつを。お前が描いた理想を」  かつて、シーゲートの砂浜でシズはタイムにそう言った。その時は本気でそう思っていたのだ。タイムのビジョンは実現したが、それはシズの思っていた方法とは違った……タイムが魔王になることだったのだ。彼は少しでもタイムの物の見方に近づきたいと思っていたが……そんな風に実現するとはおもわなかった。それが悲劇なのか、それとも笑える何かなのか、シズには分からなかった。  一緒にルイナとの国境であるニジロ村に行ってからしばらくして、二人はシーゲートに旅行に出かけた。ギフトのメンバーは寮の個室を与えられていたが、ヒューマンであるタイムが紫陽族であるシズのいる寮に立ち入ることは許されず、二人が会えるのは日中、アカデミーに限られていた。 「俺たちがシーゲートでやることって言ったら、もう、さ、一つしかないよな」  金を貯めて乗った馬車の中でシズはタイムとしっかり手を繋いでいた。タイムが唾を飲み込むのが分かった。 「観光?」  タイムはシズに小突かれた。 「緊張してる、から、手汗、ひどいかも」  タイムは手を離そうとしたが、シズはしっかりとその手を握った。その後は二人ともなんだか話す気になれなくて、シズのいつもの饒舌ぶりは鳴りを潜めていた。  シーゲートに着いて、二人はまず宿に向かった。それからしばらく部屋の真ん中に立ち尽くしたままだった。タイムは相手の肩に頭を預けて、その胸元に手を当てた。 「バクバクしてる」 「久しぶりだからな」 「俺は初めてだ」  そう言うと、心なしかシズの心音が高まった気がした。シズはタイムの背中に手を回して、がちがちに固まった動きで彼を抱きしめた。しばらく二人はそうしていた。 「なあ、少し散歩しないか」  タイムが提案した。シズは溜息をついてから、安堵したように頷いた。    夏のシーゲートには泳ぎに来る者も多いが、秋には人が少なくなっていた。土産物屋も暇そうにしていて、中に入った二人が手を繋いでいるのにも気を留めていないようだった。  海辺を散歩した後、街の中をうろうろして、茂みの向こうに小さな池があるのに二人は気づいた。 「俺の故郷に似てる」  ネコジャラシをぷちっと摘んでタイムは言った。それからシズを擽ろうとした。 「やめろって」 「こういう小さい池がいくつもあるんだ。それと海辺のほかは、何もないけどな」  タイムは池のほとりに座った。シズもその隣に並んで腰を下ろした。タイムはその肩に頭を預けた。するりとタイムが指を伸ばして、手を繋いだ。 「そろそろ戻ろうか。パブで何かうまいものでも食べよう」 「ああ」  二人は宿の隣のパブでビールと食事を楽しんだ後、部屋に戻った。ベッドの上にタイムが座り、それを後ろから囲むようにシズが座っている。彼は腕をタイムの腹に回し、シャツのボタンを外していった。 「口からなんか出そう」 「どうして」  シズはタイムのうなじに唇をつけながら尋ねた。 「緊張で、だよ」  タイムは相手の手の甲に自分の手を重ねながら言った。 「俺を吐かせないでくれ」 「それがあんたの、ベッドの上の殺し文句ってわけ?」  シズが言うと、相手は小さく息を吐きながら笑った。  シーゲートから二人が戻ってしばらくして、「ギフト」の三人は軍から旧都の王城の遺跡見学に招待された。 「タダで旅行できるなんて最高じゃん」  シズはそれなりに浮かれていたが、ルビーは不信感をあらわにした。 「普段から魔術師を目の敵にしてる軍が、より良い魔術師の育成のために魔王城を見学させるなんて、ありえないよ。何か裏があるんじゃないの」 「旧都の技術からインスピレーションを受けてほしいとのことだ。是非行ってきてくれ」  学長はそう言って三人を説得した。  新都市から旧都までは馬車を乗り継いで一日ほどかかる。三人とも最初は馬車から見える景色にはしゃいでいたが、着く頃にはガタガタ揺れる車の中で爆睡していた。  王都の遺跡はさすがに見応えがあった。旧都は巡礼路である『ザ・ゴールデン・パス』の最終地点ということで土産物屋も多くあり、人で賑わっていた。旧魔王城は崖の上にあり、様々な建築様式がミックスされて迷路のようになっていた。 「綺麗だね」 「ああ、でもここにいた魔王たちがやってきたことを考えると、キレイってもんじゃないよな」  ルビーとタイムはあの小さな村から魔術学校に入り、魔術師たちの王がいた場所に来られて感無量だった。 「なんで二人きりじゃないんだよ」  夜、宿の大部屋に通されたシズは叫んだ。旅行というから期待して来たのだが、タイムと素敵な時間を、というわけにはいかないようだった。 「声が大きいって、シズ」  タイムはさっさと寝る準備をしながら言った。 「あんたには未練とかないのかよ」 「旅行ならこれからいつでも行けるって。それより明日は王城の図書室を訪問できるんだぞ。早く寝よう」  シズはしぶしぶベッドに寝転び、染み一つない天井を仰いだ。 「奴らは?」 「寝ている」  囁き声が聞こえて、タイムはうっすらと目を開けた。 「早く殺さないと」 「息子と同じくらいの年だ。気が引けるな」 「ごちゃごちゃ言ってる場合か。男二人のほうから先に」  自分たちのことを指しているのだ、と気づいてタイムの身体にさっと緊張が走った。男のほうから先に、ということはルビーにも追手が迫っているのだろうか。シズは向こうのベッドでぐうぐう寝ている。 「魔術を使われたら終わりだ。さっさと片づけるぞ」  軍の人間か?魔王城に招待して、他に実力者がいない間に殺すということなのだろうか。男のうち一人が部屋に入ってきた。タイムは指先から青い光を出して、侵入者に向かって当てた。バチっと音がして、彼が壁に叩きつけられる。 「お、おい」  もう一人が男に話しかけている。弓や飛び道具を持っていることは無さそうだ。気絶させただけだから長くはもたない。タイムはベッドから降り、シズをたたき起こした。 「んん……なんだ?タイム」 「シッ!早く起きてくれ」  気絶していない方の男が部屋に入り、辺りを見回している。大部屋にはヒューマンの巡礼者ばかりだ。軍に抵抗できそうな者はいない。援軍を呼ばれるとまずい。 「あいつらに殺される」 「なんて?」  寝起きのシズはいつも機嫌が悪かった。軍の男が太刀を持ってこっちに向かってくる。タイムは手を振り払って、小さな青い光を飛ばし、男の額に命中させた。 「ルビーを助けにいかないと」 「こいつ、死んだ?」  シズはぼんやりと男を指差した。 「二人とも気絶してるだけだ。早く」  ルビーは気配を感じたのか、ベッドの上で起き上がっていた。 「ルビー、早く」  タイムはルビーの手を取った。 「俺とはあんまり手、繋いでくれないのに」 「嫉妬する相手とタイミングが間違ってる」  タイムは小さく言って、ついでにシズの手首を握った。 「仲良くかけっこしてる場合じゃない、とりあえず身を隠せるところに行こう」  宿の外には兵士が何人もうろうろしていた。 「俺たちを狙ってるんだ」 「なんで?」 「魔術師は脅威だから、それを未然に潰すためだよ」  ルビーは焦った様子で言った。三人はどこか身を隠せるところを探した。 「新都の連中は?」 「そろそろ仕事にかかっているところだろう」  茂みの中にしゃがんでいると、兵士たちの声が聞こえた。 「魔術師全員潰すって、本気か?」 「上の指示だからな」  ルビーは叫びださないように思わず自分の口を押さえた。 「あいつら」  彼女は小さな声で呟いた。 「私たちだけじゃない、この国の魔術師を全員殺す気だ」  三人は身構えた。軍の弾圧は強くなっていたが、未然に才能を潰したいだけではないらしい。 「とりあえず、俺たちだけでもここから逃げないと」  シズは言った。 「向こうに林がある。警備の人間がいたら倒すまでだ」  三人は茂みから出て、木々の間にさっと移動した。 「どうする。国境に行くか?ルイナなら……」  だがタイムは何かを逡巡していた。 「どうした?タイム」 「みんなを見殺しにするわけにはいかない」 「みんなって誰だよ。あんた、いつでもデカい規模のことを考えすぎだ」 「俺たちが国境に逃げたところで、テレサスにいる魔術師は一斉に殺されるだけだ」 「だから俺たちだけでも、って言ってるんだよ」 「ここで言い争いはやめてよ」  ルビーは二人を止めようとしたが、タイムは魔王城の方を見つめていた。 「この林を抜ければたぶんルイナとの国境に行ける。0時に会おう」 「タイム、何言ってるんだ」 「俺はあいつらを止める」  言い終わらないうちに、彼は駆け出した。その足はまっすぐ魔王城に向かっていた。  追手の声が聞こえた。シズはルビーを背後に隠すようにして、後ずさった。 「とにかく行くしかない。ルビー」 「タイムはどうするの」 「あいつなら約束を守る」  シズは言ったが、自分の言葉を信じることはできなかった。  タイムは魔王城の西門に着き、坂を駆け上がった。息が上がっており、普段から筋トレをしておくべきだったな、と思う。入り口は今日確かめておいた。門を魔術で壊して入り、城の重い扉を開ける。幸い西には警備の者はいなかった。軍の人間は全員、魔術師殺しにかかっているのだろうか。魔王が封印されているのは一番高い塔のところだという。それが本当ならば、とタイムはそこに向かった。 「誰かいるぞ」  男の声が聞こえた。軍の奴だ、と思うとタイムは再び駆け出していた。塔の入り口の金具を壊し、中に入る。螺旋階段が何段にも連なっていた。そこを上がっていく。下から別の人間が上がってくる音が聞こえる。 「飛んだ方が速かったな」  タイムは今更後悔したが、ヒューマンの持ちうる少ない魔力をそこに使っている暇はなかった。一番高いところにたどり着くと、石造りの扉があった。「魔王」と書かれている。 「単純すぎ」  タイムは唇の端を歪めて笑い、手から青白い光を出して鍵を開け、中に入った。  中にはびっしりと文字が書かれていた。封印のための術式だ。それを端から手でなぞりながら、タイムは解読を試みた。 「読める」  彼は思わず声を上げた。それは古い文法で書かれていたが、確かに魔術学校の本で読んだものと同じだった。これを解除して、魔王を復活させれば、魔術師の王である彼はこの殺戮を止めてくれるのではないか、というのがタイムの計画だった。  タイムは解除のための魔術を詠唱した。文法はめちゃくちゃだが、仕方がない。魔術を唱え終わると、大きな音を立てて壁が動いた。そこに書かれた封印の術式の切れ目から壁が二つに割れ、その間の暗闇に金属の籠のようなものが出現した。青白い人影が現れる。 「私を解放したのは、お前か」  タイムは茫然としながら頷いた。 「奴ら、テレサス中の魔術師を殺す気だ」 「奴らというのは?」 「軍のことだよ、あんたを封印した」  魔王……の影……は手を広げてみせた。 「力を貸してやりたいが、小僧、私はこの通り籠に封印されたままだ」 「何をしたらいい?それと、俺は小僧じゃない」 「新たに契約をしろ。私を魔王の座から降ろし、自身が新たな魔王になると」 「やるよ。俺はなんでもする」  兵士の声がすぐ近くで聞こえる。追手が階段を上がり、そばに迫っているのだ。急がなければ、殺される。 「ならば、お前に力をやろう」  魔王は格子の間から腕を伸ばし、タイムに触れた。  バリバリと音が轟いた。雷だ。 「私の軍への恨みは深いからな、何をするか分からないが」  兵士が何人も部屋に入ってくる、と思った次の瞬間、雷が轟いて彼らに命中した。 「何をしてる?」 「お前の望んだことだよ」  あちこちで雷鳴が聞こえる。地鳴りの音と、叫び声も聞こえる。 「私に機会をくれてありがとう、小僧よ、おかげで軍の人間はみんな死ぬ」 「はあ?俺は誰かを殺すために力を望んだわけじゃない」 「甘いな」  魔王……旧魔王は高らかに笑った。 「殺さなければ殺される、お前の贔屓している太陽族が今していることだ」 「贔屓じゃない、俺は困難の中にいる人を助けたいだけだ!」  魔王はタイムの身体を乗っ取ろうと力を強くした。 「私はデンゼル・ワシントン似が良かったんだがな……仕方がない」 「贅沢な魔王だな、この野郎!」  タイムは言って、全身の魔力を使って相手を留まらせようとした。 「シズ」  ルビーは目の前の光景が信じられず、思わず友人の腕を掴んだ。  兵士が次々と雷に撃たれて死んでいく。地鳴りが響き、地面からは得体の知れない生物が姿を現した。 「一体何をしたんだ、タイム……?」  シズはそう呟くほかなかった。

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