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第4話
第九章 ルイナ潜入
ルイナ 午後5時20分
アルゴの人生は順調だった。彼は紫陽族として生まれ、王の勅令軍の兵士として徴兵され、数百人の太陽族を収容所に送っていた。だが、順調だったのは先程までの話だ。数時間前、彼は太陽族の多く住む町で、矢を脚に受けた。敵であるはずの太陽族の女性に手当てを受けて出血多量で死ぬのは免れたが、現在、彼は太陽族の連中と一緒に収容所に送られているところだった。
「おい、俺は紫陽族だぞ。こいつらと一緒にするな。一体どこに連れて行く気だ」
アルゴは脚から依然として血を流しながら御者に向かって叫んだが、彼は死神のように黙っていて、答えは無かった。
しばらく経って馬車は止まった。
「お前はもう使い物にならない」
御者は彼にそう告げ、抵抗にも関わらず引きずるようにして建物の中に入らせた。紫色に光る太刀で彼は脅された。違法な魔道具だ。取り締まらなければ。そう思ったが、彼に動く力はもうなかった。
そこで彼が見たのは異様な光景だった。ベッドがいくつも並んでいて、太陽族の男女がそこに寝かされている。彼らはいくつもの管に繋がれていた。
「お前は眠るように、幸せな夢を見ながら王の計画に貢献することができる。光栄だと思え」
御者は感情の無い声で言った。
「何するんだ」
アルゴは抵抗したが、羽交い絞めにされたままズルズルと引きずられてベッドの上に寝かされた。白い服を着た女性が、にっこりと笑いながら管を持って彼に近づく。
「やめろ!」
彼の叫びが辺りに響いた。
テレサス 午前0時
「タイム」
シズはタイムの腕を掴もうとしたが、その手はするりと空を掴んだ。
「俺は『ザ・マスタープラン』を完成させてあんたの所に行くつもりだ」
「え?」
「モンスターを倒して魔導書を集めてる。あと一つだけなんだ。そうすればあんたを解放できる。それまで待ってくれ」
「ちょっと待て。こっちに来るのは危険だ」
「どうして」
「ルイナでは何かが起こってる。彼らはこっちに来るかもしれない」
シズは溜息をついた。この男はいつも他者ばかり優先している。
「お前一人で対峙するつもりか?ここまで来たのに。あと少しでそっちに行ける」
「巻き込むわけにはいかない」
「巻き込めよ、俺を」
シズは言った。彼が望むなら、何でもするつもりだ。
「俺のところに来ることが真の目的じゃないはずだ。あんたは優秀な魔術師だから、ちゃんと使命が……」
「忘れるなよ、俺はアカデミア最強の魔術師だ。それで、アカデミア最強の戦士がこっちにはいる。一緒なら無敵のはずだ!お前が一人で立ち向かう必要はない。もう昔のタイムとは違うんだ。一人じゃないんだ」
張りつめていたようなタイムの表情が歪んだ。その目から水滴が流れる。
「タイム」
シズは意識体である相手の肩を掴もうとした。
「ほんとは、会いたくないわけない。誰かにここにいてほしい。でも、不安だから、最初から遠ざけた方がいいんだ」
それは押し殺してきたタイムの本音のようだった。
「よく言ったな。助けられることなら何でもする。とりあえず俺の今の目的はそれなんだ」
「ありがとう」
タイムは目元を押さえて言った。
「そろそろ魔力切れを起こしてしまいそうだ。ほんとはそっちに行けるといいんだけど、俺にはやることがある」
「魔王城で会おうぜ」
「ああ。じゃあ」
ぶつり、と途切れるようにタイムの意識体は消え、後にはシズだけが残された。彼は今の会話を慈しむように泣きだしそうな表情をしてから、決意を決めたように口を真一文字に結んだ。
「もうすぐだ。もうすぐ、私の計画が完成する。復讐の時間だ」
ルイナの王城で、廊下を足早に歩き回りながらランサが言った。紫陽族らしい漆黒の髪は長く、宝石をあしらったマントは彼が動くのに合わせて床を這った。
ライラは彼女の肌色によく合うラベンダー色のドレスで、彼の横についた。
「叔父上、あなたは父上たちを殺したのが太陽族の人間だと確信しておられますが、もしそうでなければ?」
「一人残らず殺すまでだ。彼らは野蛮な戦闘民族だからな。どうしてそんなことを私に聞く?」
「いえ、何もありません」
ライラは礼をした。
「私が間違っているとでも?」
ランサは足を止め、ライラの首を掴んだ。彼女は叔父の瞳に殺意が映っているのを見た。彼は本気だ。自分を止めるものがいれば、生物オタクの馬鹿でも殺す気なのだ。首を絞められてライラは呻いた。
「テレサスに行って、お前は何をしてきた?」
「陛下」
そばにいた部下が彼を制し、ランサは彼女を離した。ライラはひゅうっと息を大きく吸ってぜいぜいと喘いだ。
「モンスターの情報を提供するように、と言ったな?それがまだ出ていないのは、何か理由があるのか?」
「わたくしは……知識を暴力のためには使いません」
ライラは胸元を押さえながら答えた。それから部下に礼を言ったが、答えは無かった。四面楚歌、というやつだ、と彼女は思った。
「伝説は本物なのか?」
「まさか。そんな巨大なドラゴンが出てくるわけがないでしょう」
ライラは笑ったが、その顔は引き攣っていた。
「ドラゴンが『降りて』一国の人間が全滅して、ルイナからの移民がテレサスを支配した、と伝説にはありますが、そんな荒唐無稽なことが起こるわけがない。山奥の村みたいな話が、そんな規模では起こりません。ペストならまだしも」
ランサはゴールドの冷たい瞳で彼女を見た。
「私の計画を完成させるには、それが必要なんだが」
「他の方法を探したほうが良さそうですわ」
ライラは小さくおじぎをした。
「下がってくれ」
ランサは手を払うと、玉座に座り直した。ライラは王城の廊下を歩いて自分の部屋に戻り、扉を閉めると小さく息をついた。
「ライラ様、お食事の時間です」
「今はいいわ」
外から侍女が声をかけたが、ライラはそれどころではなかった。
ルイナでの伝説は、テレサスのものとは少し違う。タイムの王城の図書室で本を見せてもらったが、そこに書かれていたことはライラの記憶とは違っていた。なぜなら、書き換えられているからだ。ルイナの人間によって。
テレサスの伝説では、三百年前にヒューマンの魔王が君臨したのち、「龍が降りて」つまり伝染病か天災によって、テレサスの人口が減り、魔王は封印されたことになっている。
だが、実際は伝染病あるいは天災で人口が減ったテレサスにはルイナからの移民が殺到した。「ドラゴン」の災厄を免れたテレサス国民の残りは隣国ルイナからの「救済者」によって記憶を除去され、定着した移民とともに新しい生活を始めた。ルイナから来た人間に抵抗しないためだ。
この伝説はテレサスの魔術師を陥れるために利用された……ルイナの権力者は彼らが力をもつのを、特に当時の魔王を恐れていたのだ。記憶除去の魔法は、現代では禁忌とされている。テレサスの人々が自分にそれを使われたということを思い出さないためだ。生き残っていた国民はルイナから来た者と争うこともなく安寧な暮らしを送ることはできたが、アイデンティティは書き換えられた。魔術師や魔術は危険なものとされた。全てはルイナが支配を強めるためだった。
王、ランサは「ドラゴン」を再び召喚しようとしている。テレサスをリセットし、紫陽族の支配を広げるためだ。そのためには、多量の魔力が必要になる。ヒューマンに比べて、太陽族や紫陽族はもともと強い魔力を持っている。それを利用するために、太陽族を拘束し、どこかに収容しているのだ。
ライラは自分が魔術に明るくないために、ランサのしようとしていることを完全に把握できないことを悔やんだ。彼の暴挙を止められるとしたら……タイムしかいない。だが自分は八方塞がりだ。ライラへの監視は、テレサス訪問以降強くなっていた。
テレサス王城の図書室に、記憶除去についての本を置いてきた。ルイナからこっそりと持ち出したものだ。彼が気づいてくれるといいのだが。
ライラは目を閉じた。そして彼に思いを馳せた。自分は無力でないということを、彼が思い出させてくれた。
タイム。彼ならきっと、皆を救ってくれる。
「竜宮城、ってどんなところなんだろうな」
シズは歩きながら言った。
「本によれば、そこに最後の魔導書を持っているモンスターがいるはずなんだけど」
スタンの足取りは重かった。
「どうした、スタン」
「……姉ちゃんの暴力は誰かを守るためだけど、あんたのそれは何のため?それって、自己満足じゃない?」
「どうした、ここにきて仲間割れか?」
「そうじゃない。純粋な疑問だよ。それに、伝説によれば魔導書を集めて『ドラゴンが降りる』ってことは、伝染病や天災があるってことでしょ?他の皆を巻き込んでまで、タイムを王座から解放したいの?」
「それは正直、考えてなかった」
シズは言った。
「そうなのかよ」
スタンは不満げに言った。
「やっぱり、自分と、タイムが無事だったらそれでいいんじゃん」
「そういう考え方もありだろ」
「ナシだって」
「着いたぞ」
パルフが二人を制止した。「竜宮城」と呼ばれる建物は桃色で、東洋風の三階建てになっている。入り口には大きな門があった。
「入るか」
シズが門を押すと、大きな音を立てて開いた。一階には何もない。カツカツとブーツの音を立てて二階に上がると、沢山の人がいてシズは身構えた。
「なんだ?ここ」
そこにいたのは大勢の太陽族だった。彼らは突然の訪問者に驚いて一斉に動きを止めた。
「もしかして、みんなルイナから逃げてきたのか?」
前に出てきた女性が何か言ったが、その言語は理解できないものだった。
「古代太陽族の言葉だ」
パルフが言った。
「そんなの、分かるのか」
「戦術学校で習った」
「なんて言ってるんだ?」
パルフはゆっくりと女性になにか言った。彼女が答える。「ここは昔から太陽族がコミュニティを築いてきたところだって。それと、スタンのこと、危ないって言ってる」
「オレが?なんで」
パルフはまた言葉を交わした。
「ええと、スタンが危ないんじゃなくて、ジャバウォックに影響されてるらしい。なぜモンスターと接触したのかって聞いてる」
「魔導書を集めてるって言ってくれ」
パルフがそう伝えると、一同はどよめいた。
「どうしたんだ」
「危険だって。ドラゴンが来るって」
「ドラゴンってのはメタファーだろ?」
「そうじゃないらしい」
それから女性は長々と話をした。パルフが訥々と通訳するところによると、話はこうだった。
三百年前、ヒューマンの魔王が軍によって封印された時、実際にドラゴンがどこからか現れた。それは口から吹く炎によってすべてを焼き尽くした。テレサスの土地には隣国ルイナからの人間がやってきて、従わない者たちを記憶除去の魔術で洗脳した。生き残った太陽族の彼らは、竜宮城に籠って、ドラゴンのことを忘れないために口伝でその時の話を残していった。
「魔導書を集めたら、やばいことになるってわけ?」
「そうらしい。だが、ドラゴンを再現させようとしているのは、魔導書を集めている私たちだけじゃない。ルイナの王もそうだと」
「ルイナの?」
「そもそもなぜ『ザ・マスタープラン』を使おうとしているのか、彼女は聞いている」
シズは息を呑んだ。本当のことを伝えるべきか。
「今の魔王を助けたいんだ。タイムは俺にとって大事な人だから、王座から自由になってほしい」
「なら、早く魔王城に行って、と言っている」
「魔王城に?なんで」
「ルイナの王が来る。彼はドラゴンを呼ぼうとしている」
タイムが魔王城の図書室に行くと、記憶除去の魔法についての本がポンと置いてあった。
「誰だろう」
他の人間が図書室の本に触った形跡はない。もしかして、前に来たのはライラだろうか。タイムは表紙を撫で、パラパラと本をめくってみた。すると紙切れが挟まっているのに気づいた。
「ルイナの伝説は、テレサスのものとは違う」
紙にはそう書いてある。ライラだろうか。本文を読むと、確かにルイナ式の単語がところどころで使われていた。だが、これを読んでいる場合ではない。一刻も早くルイナに潜入しなければ。タイムは意識を飛ばすために、前回使った本をめくり始めた。詠唱し、ゆっくりと集中する。
彼は施設の中にいた。レンガ造りの壁は重々しく、異様な光景が広がっている。人々、主に太陽族の男女がベッドに寝かされ、管に繋がっている。
「魔力を集めているのか」
タイムは誰かに見られないよう物陰に身を隠しながら呟いた。他人の魔力を取り込んで利用するという話は聞いたことがある。例えば古代のモンスターであるジャバウォックが人々の悪夢を吸って、エネルギーにするのと同じ要領だ。
入り口から誰かが入ってきて、タイムは身構えた。長い黒髪、宝石のあしらわれたマント。紫陽族の男だ。従者を何人か連れているところを見ると、話に聞くルイナの王、ランサらしい。彼は辺りを見渡し、研究者らしい女性の話を聞いて、手を打った。
「気が変わった。魔術が完成したら、テレサスに行くぞ」
「ちなみに、俺たちが戦う予定だった最後のモンスターって、何だったんだ?」
「エビ」
スタンは答えた。
「エビ?」
「ほら」
彼は本を開いてみせた。そこには確かに巨大なロブスターのようなものが人間を襲っている絵があった。
「とにかく、こいつと戦わなくて、よかったな」
シズはそう言うしかなかった。
「それより、ジャバウォックにスタンがやられてるって、どういうことだ」
「俺は大丈夫だよ」
「変だって。元気ないし」
三人は魔王城へ向かう足を止めた。シズはスタンを立たせ、その肩に手を置いた。
「何する気だ、シズ」
「やったことないけど、やってみる。ジャバウォックが俺たちにしたことを再現するんだ。パルフは座って見ててくれ」
シズは詠唱した。恐らくタイムが使っていた意識を飛ばす魔術と似ているものだ。スタンの意識の中に、潜り込んでいく。深く。
シズはレンガ造りの家の中にいた。太陽族の女性が二人と、少年……スタンがいる。今よりずっと小さい。女性のうち一人は大きくため息をついた。
「言ったでしょ、もう彼は帰ってこないって」
「私のせい?」
「あなたのせいじゃない、イライザ。誰も悪くない」
「そう言われても」
イライザと呼ばれた女性は言った。
「自分を責めるの、やめられない」
スタンは黙ってスープを飲んでいた。気まずい沈黙が流れた。
ガタン、と音がして、三人は入り口を見た。ドアが開いて、紫陽族の男が入ってくる。
「何なの、あなた」
イライザは叫んだが、すぐに後ろ手に拘束された。スタンは男たちの間をすり抜けて、走る。「奴ら」がやってきた。走って、角を曲がり、林を抜ける。追いつかれたら終わりだ。だが、ついに誰かにぶつかって、止まる。勅令軍の人間だ。彼は連行され、馬車の荷台に乗せられる。ヒューマンの御者が馬に鞭を入れ、車が走り出す。シズはその荷台に飛び乗った。
「これがあんたの悪夢だったんだな」
彼は言った。そしてゆっくりと、スタンを抱きしめた。その背中から、黒い何かが飛び出ている。それを引っ張ると、するすると長い紐のようなものが出てくる。ポン、と音がして、それが抜けた。バチン、と目の前が暗くなり、また明るくなる。
「オレにハグした?」
気がつくと、スタンが目の前で怪訝な顔をしていた。現実に戻ってきたのだ。
「した。嫌だったか?」
スタンはさっさとコートを払って、小さくジャンプした。
「なんか、身体が軽くなった。ありがと」
「ああ」
シズはスタンの母親について何か言うべきかと思ったが、何も言わないことにした。
「行くぜ。魔王城に」
三人は再びそこに向かって歩き始めた。
第十章 頂上決戦
魔王城の広大な敷地の中にルイナの王・ランサが立っていた。彼とライラ、そして護衛が数人。彼はライラの首根っこを押さえている。
「ライラから手を離せ」
タイムは言った。
「かわいそうに。寂しすぎて恋心が芽生えたか?」
「タイム様、あいつの口を縫い留めてやりたいんですが」
コブラがタイムを下がらせながら言った。
「まだ今じゃない」
タイムは彼女を制止して、向こうに聞こえるように叫んだ。ランサは渋々といったように彼女から手を離した。
「ただのジェントルマンシップだ」
「軍を招集するべきでしたね。今からでも遅くない、どうします?」
コブラが尋ねた。
「そうだな。できるか?」
「あなたの望みなら今すぐに」
彼女は部下に耳打ちした。相手は頷き、魔王軍を呼ぶためにそこを出た。
入れ替わるようにして敷地に入ってきた女性に、タイムは亡霊でも見たように驚いた。
「ルビー?」
そこには保安官の制服を着た旧友がいた。
「タイム、早く動かないと、この国は大変なことになる」
ルビーは彼に駆け寄りながら言った。それをコブラが制止する。
「この人は?」
「大丈夫、ルビーだ」
「あなたが……」
コブラは驚き、そして保安官の制服を見た。
「なぜ保安官に?」
「それは長い話。とにかく、シズが今しようとしていることは……」
「やっと着いたぜ」
シズ、パルフ、スタンがぼろぼろの姿で現れた。
「シズ!」
タイムは息を呑み、近づこうとするのを堪えた。
「と、誰?」
「暇だったから来た」
「戦術学校二番手のヤンだ」
途中で合流したらしいヤンのパーティがシズたちと一緒に来た。
「はるばる遠くからやってきたのに、私を無視してないか?誰なんだ、彼らは」
ランサが言った。
「俺の仲間だ」
タイムが言い、ランサは失笑した。
「これを見たら、そんなこと言えなくなるよ」
ランサが手を挙げると、ゴウン、と地鳴りがした。空の上に何かが現れた……ドラゴンだ。それは大きな咆哮をし、身体をくねらせた。
ルビーが何かを詠唱する。それはタイムの聞き覚えがある詠唱だった。恐らく、魔術を解除するものだ。
ランサが手から光を出し、ルビーを攻撃する。タイムは応戦した。
「間に合わない」
ルビーが叫んだ。
「ルビー」
「ごめん、タイム、解除魔法、ダメだった」
ドラゴンが火を吐いた。それは近づいてきていた魔王軍の人間に向かい、彼らは盾で応戦したが、無意味だった。
「悪いが、君たちには全員死んでもらう」
ランサが言った。タイムたちは身構えた。次の瞬間、ドラゴンの尻尾が彼に直撃し、ランサは魔王城の門の壁まで吹っ飛んで、あっけなく地面に倒れた。
「ええーっ」
スタンは思わず叫んで、身を隠すところを探した。
「あそこにいろ、スタン」
パルフは門の壁にある大砲用の窓を指して、ナイフを取り出した。
「ドラゴンには逆鱗があるんだよな?」
「うん、多分。首の下のとこ」
「じゃあ、そこを狙う」
魔王軍の人間が弓矢でドラゴンを狙うが、動きが速すぎて当たらない。尻尾になぎ払われて、何人かが壁に打ち付けられた。
パルフは木を踏み台にすると、ドラゴンの背中に飛び乗った。鱗はつるつると滑るが、背中にある鰭のようなところに掴まると大丈夫だ。
「シズ!落ちないように助けてくれ」
「了解」
シズはいつでも魔術で彼女を支えられるように構えの姿勢をとった。パルフはドラゴンの頭部に近づく。
「シズ、あんたが狙った方が早い」
パルフはそう言うと、ドラゴンの頭に手をかけてぐいと引っ張った。喉の部分が露わになる。シズは手から光を出し、喉に飛ばす。ドラゴンは咆哮して、パルフを振り落とした。彼女はどうにか着地したが、尻尾が直撃した。
「姉ちゃん!」
スタンは思わず壁の穴から飛び出して駆け寄った。彼女にはなんとか息があった。スタンは膝の上に彼女の頭を乗せた。
「来るな、スタン……逃げろ」
「動いちゃダメだ。死んじゃう」
スタンは泣きそうな声で言った。
ルビーは麻痺魔法を唱えて、ドラゴンを止めようとする。だが、鋭いかぎ爪が彼女を襲った。地面に倒れたところにタイムが駆け寄る。
「血が」
ルビーは胸元から出血していた。爪にやられたのだ。
「タイム、逃げて」
「逃げない。どうにかする」
ドラゴンの尻尾が襲ってきて、すんでのところでタイムはそれを避けた。
コブラが放った槍がドラゴンの喉に命中する。それは大きくうねって、身を捩る。
「逆鱗ってのは、具体的にどこなんですか」
彼女が焦った声で尋ねる。
「分からない」
タイムは前足のかぎ爪を避けたが、後ろ足は避け切れなかった。コブラが彼をかばい、背中に爪を食らった。
「タム!」
タイムは叫んだ。このままでは多量出血でルビーもコブラも死んでしまう。治癒魔法では間に合わない。
「ヤン、行くぞ」
「ああ」
シズは魔術による光を階段のように使い、ヤンをドラゴンのところまで導いた。ヤンはそれの喉に突き刺さった槍を握り、もっと奥まで刺す。ドラゴンはバサバサと翼を上下させ、抵抗した。
「ライラ」
タイムは茫然と立ち尽くしていたライラに声をかけた。
「早く逃げて」
「でも」
彼女は逡巡したが、さっと城のほうに退避した。
ヤンが足を踏み外し、どさりと地面に落ちる。
「ヤン」
シズが駆け寄るが、彼は呻くだけだった。
タイムは辺りを見渡して絶望した。使える資源は全て使い尽くした。魔力切れ、というかパニックを起こしそうだ。仲間は死にかけており、敵も死に、全ては無に帰しそうだ。自分たちがドラゴンにやられるのも時間の問題だろう。
「タイム」
シズのパーティにいた少年……スタンが叫んだ。
「『ゴールデン・パス』には王の秘宝があるって言ってたよね。あれ、使えないの」
「秘宝?」
「誰も何が封印されてるのか知らないって。何か、魔術を使った道具とかじゃないの」
軍に追われて魔王を復活させた時と違い、その伝説は希望にもならないように思えた。
「どんな願いも叶えられるんだよね。それを使って、ドラゴンを倒せない?」
だが、使える手は全て使わないといけない。タイムは魔王城の方を見た。ドラゴンは現在、城の上を回遊している。
「タイム、一理ある」
傷だらけのシズは言った。
「そこに手があるなら、全部使わないと、こいつは倒せない」
「行くぞ、シズ」
「ああ」
二人は魔王城に向かって駆け出した。「秘宝」が置いてある場所はある程度目星がついている。興味がなかったから開けることはしなかったが、今は興味がどうこうという話ではない。
ドラゴンに気付かれないように西門から入る。懐かしいな、とタイムは思った。魔王を復活させようとした時と同じルートだ。
「宝は多分、図書室の地下にある」
二人は魔王城の図書室に行き、タイムが解除魔法を唱えた。本棚の間に亀裂が走ったかと思うと、それが扉になって両側にゴウンと音を立てて開き、地下室への階段が出現した。
「ただ、宝を守るためのモンスターがいるはずだ。そいつを倒さないと」
「モンスター退治なら任せろ」
シズが快活な声で言った。
地下室への道は長かった。二人が階段を駆け下りていくと、暗い石造りの部屋にぶち当たった。
「こんな質素な部屋でいいのか?」
シズが言うと、隅にあった影が動き出した。グオオオ、とそのモンスターが咆哮する。ジャバウォックだ。
「そうだろうなと思ったよ。タイム、悪夢の準備はいいか?」
「ああ」
辺りに煙が立ち込めた。シズは大きく咳き込む。やがて、何もない白い空間が現れた。
「なんだこれ」
理論上はタイムの悪夢だ。だが、そこには何もなかった。ゆらりと白いシャツを身に着けた人影が動いた。タイムだ。
「タイム」
シズは彼を抱きしめたが、その瞳はぼんやりと一点を見ていた。
「かわいそうに」
女性の声が響いた。そして空間の向こうに人影が出現した。
「母さん」
「え、お、お母さん?」
シズはそんな場合でもないのに戸惑った。タイムの母は彼と同じ髪と目の色をしていて、長い髪をゆったりと結っていた。その唇が開いた。
「かわいそうに、タイム。あなた病気なのよ。こっちに帰っておいで。そうしたら、そんなこと忘れるわ」
シズの背中に寒気が走った。彼女の意味することが手に取るように分かった。そして、昔ルビーが「タイムはお母さんに嫌なこと言われたの」と言っていたのを思い出した。
嫌なこと、ってもんじゃない。
「頼むから死んでくれ」
幻影のタイムは疲れたように呟いた。その虚ろな瞳は母を見ていた。
「え?」
シズは聞き返した。
「俺はビョーキじゃない。俺だけじゃ母さんの望む通りにできない。あなたが死ぬか、俺が死ぬかしかない」
「タイム」
シズは彼を止めようとしたが、タイムは頭を抱えて呻くだけだった。彼がこんなに混乱しているところは初めて見た。これがタイムの「楔」なのか。
空間の中に、一か所だけ光と温かさを感じるところがあった。タイムはよろよろとそちらに近づいて、座り込んだ。床に手を当てる。すると白い床にコブラやシズの姿がぼんやりと浮かんだ。
「うう」
タイムは頭を伏せて、そこを見つめた。
「タイム」
シズが呼びかけると、彼はぼんやりとこちらを見た。この空間ではこちらの声が届くらしい。
「あんたの母親に言われたこと、残念だと思う。誰もそんなこと、あんたに言うべきじゃない。でも、受け入れてもらう必要なんてどこにもないんだ」
「シズ」
「俺がここにいる。それだけじゃダメか?」
タイムはぐずるようにシズの肩に頬を寄せた。彼の背中に腕を回して、タイムの母と対峙する。
「あんたがタイムにとっての『楔』なんだな」
シズは手から青白い光を出して、彼女に巻き付けた。この空間では魔術が使えるのか。よかった。そのまま、彼女を空中に浮かせる。
「お母さん、初めての挨拶でこんなことして、ごめん」
彼女の足元からは黒い根っこのようなものがズルズルと出てくる。手を上に振り上げて、タイムの母を宙に飛ばす。ズルズルと出てきていた黒い物体は、しばらくしてポンと地中から抜けた。その穴の部分からは光が出ていた。その光が広がって、目の前がまた見えなくなる。
気づくと、タイムはまだ腕の中にいた。
「んん……シズ?」
「気がついたか」
ハッとタイムは身を起こすと、シズから離れた。
「ご、ごめん。別にあんたに身を任せたかったわけじゃなくて」
「謝るなって」
タイムの顔は真っ赤になっている。誰も見ていないのに。
「それより、こいつを倒さないと」
シズは部屋の中をうろうろと飛び回っているジャバウォックを親指で示した。
「そ、そうだよな」
タイムは気を取り直し、構えの姿勢を取った。その手から光が出て、ジャバウォックに向かう。シズも同じように光を当てる。少しずつ二人の光が大きくなって、はじけ飛んだ。そこには炭のようなものだけが残っていた。
「け、消し炭になった」
「こんなもんだろ」
黒い消し炭がすうっと消え、鍵が出現した。大きく、鈍い輝きを放っている。
「鍵が出てきた。宝箱がどこかにあるってことか」
シズは言い、辺りを見渡した。すると、どこからか赤い宝箱がすうっと現れた。
「やっぱ宝の箱は赤だよな」
シズはそんなことを言いながら鍵をそこに差し、箱を開けた。
「……なんだこれ」
「時計か?」
そこにあったのは小型化した時計、のようなものだった。教会や町にあるものと同じ……だが、もっと小さい。真鍮でできたカバーを開けると、ガラス盤に挟まれたそれが出てくる。だが、ガラスも今の技術より進歩したもののようで、透明度が違った。横にはねじのようなものが付いている。恐らく現在の時間を指していて、コチ、コチ、と音を立てて動いている。
「これが王の秘宝?」
「待て、別の時代の物の可能性がある。今よりずっと先のもの」
タイムは言った。
「これが何でも叶えられるって、どういうことだよ」
「でも今の俺たちは、こいつに頼るしかない」
タイムはねじのような部分に触れた。
次の瞬間、辺りが暗くなり、様々な光景が一気に浮かんで消えた。それと一緒に、形容しようのない恐怖と悟りがタイムの中に一気に流れ込んできた。海が干上がるところ、人が沢山並べられて火薬のようなもので殺されていくところ、大きな雲。爆発だ。よくわからない。ただ感じるのは恐怖と、全て人間がそれをしたということだ。
「今の見たか、シズ」
「ああ」
彼も同じものを感じたようだった。
「あれは何だろう」
「分からない、時空のはざま、みたいなものか?」
「人間がしてきたこと、これからすること、の幻影なのか?」
分かるのは、この機器が時間をコントロールするものだということだ。タイムは恐る恐るねじを回した。
すると目の前のシズが消えた。
「え、何、どこ行った」
「ここだ」
彼は入り口からひょこっと顔を出した。
「あんたがねじを巻くと、俺はさっき入ったはずの入り口に移動した」
「どういうことだ?」
「ねじを巻くと、時間が巻き戻る、ってことじゃないか?」
タイムはしばし考えたが、考えている時間はない。その可能性があるなら、リスクを考えてでも使うべきだ。
「それが本当なら……」
「ドラゴンが出現する前に時間を戻せる」
「それ、どれくらいねじを巻けばいいんだ?」
「分からない。やってみるしかない」
「魔王を復活させた時の要領で、念じてみる。掴まっててくれ」
タイムはそう言いながら、わりかし雑な手つきでねじを回した。溢れ出るような恐怖と戦いながら、念じる。ドラゴンが出現する前、奴の魔力、エネルギーがまだ「人間」つまり太陽族の人々から吸い取られる前だ。
「戻ったか?」
時計の針は0時を指している。
「俺たちが宿で会った時だ」
「そうだな。俺は意識をルイナに飛ばす。そこでランサを止めるよう時間稼ぎをするから、あんたはルイナに行って、太陽族の人たちを避難させてくれ」
「ルイナに?一日かかるぞ」
「何とかする。明後日になったら、例の場所で合流しよう」
「来なければ、その時は……」
「失敗するわけない」
二人はさっと身を起こし、それぞれの持ち場に向かった。
「馬、借りるぞ」
旧都からルイナの中心部までは馬を飛ばしても一日かかる。パルフやスタンはどうしているだろうか。時間を巻き戻せば、パルフは治っただろうか。宿で自分がいないことを訝しんでいるだろうが、仕方がない。
「さて」
タイムは自室の窓から外を覗いた。先程まで聞こえていた兵士たちの叫びは一切聞こえない。確かに時間は遡ったらしい。気が進まないが、シズがルイナの太陽族収容施設に着くまでは、時間を稼がないといけない。今は夜中だから、さすがにランサも何もできないだろう。長時間意識を飛ばすと、タイムの力では魔力切れを起こす可能性がある。
「よし、寝よう」
タイムは意を決してベッドに潜り込んだ。
夜明け前にランサは自室で目を覚ました。何か良くない夢を見た気がする。自分が大きなモンスターにやられて死ぬ夢だ。今日は収容施設を見に行くと決めていた。そろそろ実験が完成するところだ。太陽族、その他の「要らない」人々からの魔力を吸わせて、ドラゴンを呼び起こすのだ。
「おはようございます」
誰かがとびきりの笑顔で彼に話しかけた。従者ではない。ヒューマンの男だ。水色の上着を着ている。
「よく眠れましたか?」
「ああ。……いや、自分が死ぬ夢を見た」
「それはいけない」
「お前は誰だ?」
ランサは彼に触れようとしたが、さっとよけられた。
「私はタイム、新しい小間使いです」
「タイム。隣国の王と同じ名前だな」
「そうですね」
彼は明後日の方向を見ながら言った。
「もう朝食の時間ですよ」
「もう少し、ここにいたい。君と一緒に」
タイムは笑った。
「では、そうしましょう」
魔王城から意識を飛ばしていたタイムは、すごい冷や汗をかいていた。間が持たない。シズの会話能力を少しは見ておくべきだった。このままではすぐに正体と目的に気付かれてしまう。
「君は、容姿も話に聞く隣国の王に似ているな。茶色の目と髪……だが、こんなに魅力的だとは聞いていない」
タイムは微笑んだ。
「私も、陛下がこれほどまで素敵な方だとは」
ランサは柔らかく微笑んで、ベッドサイドから本を取り出した。
「今日はこの研究がやっと実る予定なんだ」
「どんな研究です?」
「役に立たない人間を使って、幸せな夢を彼らに見せながら、大きな目的を達成するものだ」
「興味深いですね」
「これが完成すれば、ルイナ全土だけではなく、テレサスも私の支配下に置ける。邪魔な人間はいなくなる」
「なるほど」
「テレサスの王は国境を越えた太陽族を保護しているらしい……虫けらを保護しても、何にもならないのにね」
タイムの表情が固まった。ここで、何を言うべきなんだ?そもそも、初対面の人間にそんな話をする男なんて相手にするべきじゃない。最悪だ。
「私とは違う。大義を掲げるだけでは、無能なのと同じことだ」
ランサは笑ったが、タイムはどう返すべきか迷った。
「ランサ様」
その時、ドアが開いて従者が転がり込むように入ってきた。
「私が指示するまでドアは開けないようにと言っているだろう」
「それが……一番大きいラトルの収容所に侵入者があったそうです」
「なんだって?」
タイムは舌打ちをし、ポケットから懐中時計を取り出した。
「お前の手先か、タイム?」
ランサが何か言う前に、タイムはその指に時計のねじを触れさせ、手を重ねるようにしてねじを巻いた。
辺りが暗くなり、ランサとタイム二人だけになった。次々とタイムがさっき見た幻影と同じものが流れる。干ばつ。束ねられて無造作に置かれた人間の腕や足。大きな爆発。
「なんだ、これは」
「時空のはざまだ」
タイムは詠唱し、意識に実体を重ねると、ランサを蹴り飛ばした。
「目に見える『強さ』を追い求め……他人の自由を奪う権利があると驕ったリーダーに、未来はない」
ランサは幻影の向こうに吸い込まれていく。叫び声だけが後に残った。
時計は5時20分を指していた。
「あんた、名前は」
シズは勅令軍の兵士らしき男に話しかけた。彼は足を怪我していて、ベッドに寝かせられていた。流血している足に治癒魔法をかけ、彼を立たせる。
「動けるか」
「ああ。俺はアルゴ」
「あんた、体力ありそうだから、みんなを誘導してくれ。あとその上着は脱いどけ」
怪我人からも魔力を吸い取る気なのか、とシズは思いながら兵士の制服を脱がせる。
「早く」
シズは人々から次々と管を抜いていって(手荒だと分かってはいるが、時間がなかった)外に誘導した。外にいる兵士と監視の者は全員気絶させてある。
入り口から入ってきた人物の姿を認めて、シズは驚いた。
「タイム」
「シズ。ランサは片づけた。安心してくれ」
シズは意味がないと分かっていても手を伸ばした。すると向こうもそれに応えた。触れることができる。シズはしっかりと相手を抱きしめた。鼓動が伝わってくる。
「終わった。これから、ルイナ中の収容所を回らないと」
「その前にすることがあるだろ」
シズは相手の腰から手を離すと、頬に手を添えて、噛みつくようにキスをした。
結局、ルイナの国はライラが治めることになった。太陽族は拘束から解放されたが、「計画」のために魔力を使われた人々が戻ることはなかった。タイムは王座に就いたままだったが、城のことはコブラに任せ、シズ、パルフ、スタンと旅に出ることになった。
「やるべきことはたくさんある。俺についてきてくれるか?」
「もちろん」
三人は答えた。
テレサスとルイナの国境、ニジロ村では故郷に帰ろうとする人々の列ができていた。ソンは彼らの長旅に必要な物資を次々配っていた。魔王軍の人間も来ていて、護衛にあたっていた。
「イライザ」
ソンは少し前に村に来ていた女性に話しかけた。
「これからどうする?ルイナに戻る?」
「新都で息子を探してみる。まだ生きていたら収容所にいるかもしれない」
彼女は答えた。ソンは微笑み、魔王軍の兵士に彼女を新都に連れて行くように指示した。
「ちなみに、息子さんの名前は?」
兵士が尋ねた。
「スタン」
イライザは答えた。
「彼の名前は、スタン」
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