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あなたと雨傘 ⑴

「お待たせいたしました、ホットコーヒーです」  店員の明るい声がした。ここのカフェの店員は随分愛想がいい。教育が行き届いているのだなと感心しながら雑誌を読んでいたのだが、すぐに違和感を感じた。視界の隅に店員の気配がある。俺は読んでいた誌面からゆっくりと顔を上げた。  ショートヘアの女性店員が立っていて、俺に向かってにこやかに笑いかけている。彼女が手にしているお盆の上には、白いマグカップが載っており、ほかほかと湯気が立ち上っていた。彼女の背後、俺の隣の客席をちらりと見遣る。納得した俺は、彼女にやわらかく笑いかけて伝えた。 「ありがとうございます。でも多分それ、隣のテーブルの方が頼まれたものかもしれません」  そこには、スーツ姿の男性客が一人。  俺が注文したのは男が注文したあとだったのだが、男の手元にはまだ何も運ばれていない。男がホットコーヒーをオーダーしていたのはなんとなく耳に入ってきていたし、そもそも俺が注文したのはアイスカフェオレだ。店員が隣のテーブルと間違えて運んできたのだと確信を持てた。  俺の指摘に女性店員はハッとして、慌てて伝票を確認した。伝票と、俺のテーブルの端に書かれているテーブル番号とを交互に見る。  間違いに気づいた彼女は「大変失礼いたしました」と申し訳なさそうに詫び、深く頭を下げた。そんな彼女に、気にしないでと声をかけた。彼女は律儀にもう一度頭を下げてから、隣のテーブルにコーヒーを届けた。男性客と二言三言交わしたあと、その場を離れた。  コーヒーを受け取った男が俺に振り向いた。  日本人離れした彫りの深い目鼻立ちと、色黒の肌が印象的だった。目が合うと、男は俺に会釈しやわらかく微笑んだ。この店は感じのいい人間が集まるカフェなのだろうか...。俺も咄嗟に会釈を返し、同じように笑いかけた。  やがて俺のアイスカフェオレが運ばれてきた。運んできたのは先程の店員とは違う女性店員だった。名札の隅に、研修中と書かれてある。どうやらアルバイトらしいこの子も、とても気持ちのいい接客をしてくれた。ありがとうと一言添えて受け取り、よく冷えたカフェオレを、ごくりと一口喉に流し込む。  うん、おいしい。  甘さは控えめで俺好み。ミルクの優しい風味も絶妙だ。満足しつつ、再び雑誌に視線を戻した。  一度だけ、トイレのために席を離れた。戻って来た時には、隣のテーブルの男性客はいなくなっていた。  俺が席を外した間に会計を済ませて帰ったのだろう。店員がやってきて、男がいたテーブルの上を片付け始めた。ものの1、2分で、テーブルは綺麗になった。俺は残り半分となったアイスカフェオレをお供に、飲みきるまで店内に入り浸った。

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